6.魔物退治
父が認めてくれたことで、私はカイゼルの魔物退治に同行してもよいということになった。
カイゼルの傷が完治するまでは、カイゼルは我が家で寝泊まりをする。
その間も、カイゼルは日中、魔物退治に出かけるので、そこへの同行が許されたのだ。
私は先ほど「カイゼルのことが好き」と皆の前で宣言したことで、何か自分の気持ちが吹っ切れたような感じがした。
私はカイのことが好きなんだーー。
そう思って、カイゼルの顔を見ると、綺麗だと思った顔が、今はその何倍も素敵に見えてしまう。ずっとそばにいたい、ずっと見ていたい、と強く感じた。
本当にこれが恋なのかはわからないけれど、人を恋愛的な意味合いで好きになるというのがどういうことなのか実はよく分かっていないのだけれど、カイゼルの帰りを家でただじっと待っているだけなのは嫌だった。
「じゃ、いこうか」
リリアスの背にはいつもの小さな鞄、そして腰には杖が揺れている。一方のカイゼルは軽装ながらもしっかりとした剣を腰に下げていた。
両親と兄のルカスが見送ってくれる。
「本当に行くんだな」
ルカスは腕を組みながらもどこか寂しげな顔をしている。
「行くよ。でもどうせすぐに帰ってくるから心配しないで」
母が私に近づき、そっと手を握る。
「気をつけてね。何かあったらすぐに帰っておいで」
「うん、大丈夫だよ。お母様。すぐそこにいるだけだから」
私は母の手をぎゅっと握り返した。
ルカスは視線をカイゼルに移し、真剣な声で言った。
「リリーを守るって約束は、忘れるなよ」
カイゼルは彼の言葉に深く頷き、力強く答えた。
「もちろん、必ず彼女を守り通します」
「ならいい。ただし……帰ってきたときに傷一つでもついてたら、覚悟しておけ」
私はルカスとカイゼルのやりとりに苦笑しながら、鞄を背負い直す。
「兄さん、本当に心配性なんだから」
「お前が危なっかしいからだろ」
母は少し笑顔になって、私たちに言った。
「さあ、時間もないんでしょ? 早く行ってきなさい。そして、無事に帰ってきなさいね」
「行ってくるね!」
私が家族に向かって大きく手を振ると、カイゼルも軽く頭を下げ、一緒に歩き出した。私は何度も振り返ったが、そのたびに家の前で見送る家族の姿が小さくなった。
魔物退治といったって、よく知っているエルヴェンの森に行くだけなのに、なんだかとても寂しい気がして胸の奥がツンとした。
しばらく並んで歩き、振り返っても家族の姿がまったく見えなくなると、私は思わずため息をついた。
「兄さん、本当に過保護なんだから」
「それだけリリーのことを大事に思ってるんだ。俺には少し羨ましいくらいだ」
「羨ましい?」
カイゼルは目を細め、遠くを見ながら答えた。
「俺には、そんな風に心配してくれる家族がいないからね。幼いころから、誰よりも強く、誰よりも完璧でいろと言われて育ってきたんだ」
「……そんなの、ちょっと辛いね」
「でも、リリーとリリーの家族を見ていると温かい気持ちになる。不思議だな、昨夜リリーの家にいる間、すごく安心したんだ」
「そりゃあ、うちは田舎だからね。のんびりしてるだけだよ」
「そうじゃない。たった一晩世話になっただけだが、それでもリリーと家族の絆が、俺にはとても眩しく感じたんだ」
「え?」
カイゼルの言葉に思わず、隣りを歩く整った横顔をじっと見つめてしまう。
(……どういう意味だろ?)
何か言わなきゃ、と口を開こうとしたときに、先にカイゼルが口を開いた。
「着いたな」
いつのまにか、私たちはエルヴェンの森に到着していた。
話をしながら歩いていたからか、あっという間だった。
木々が立ち並ぶ深い緑の中から、昨日よりも強力な魔力の気配が漂ってくる。
周囲を見回しながら、慎重に足を進めた。
まだ朝のはずなのに、森の中は黒い布で覆われたように暗かった。葉が風で揺れるかすかな音だけが響き渡り、その音さえも暗闇に飲み込まれていくように感じられた。
(エルヴェンの森って、こんなに暗かったかな……。)
そのとき、森の奥から低いうなり声が聞こえてきた。
カイゼルは静かに剣を抜き、かばうように私の少し前に立った。
森の中から現れたのは、巨大な狼のような魔物だった。昨日倒した「シャドウビースト」という魔物に似ているけれど、昨日の魔物より一回りどころか二回り以上大きく、その体からは黒い煙のようなものが立ち上っていた。
巨大な狼の魔物は赤い目を光らせ、鋭い爪を振り上げて、私たちのほうへ突進してくる。
「下がっていろ!」
カイゼルは一瞬の隙も見せず、自分の体重の倍以上はあろうかという魔物の爪を剣で受け止める。
金属と爪がぶつかり合い、何度も何度も鋭い音が響く。
私も魔法で参戦したいと隙を伺っているが、カイゼルと魔物の距離が近く、私の未熟な魔法ではカイゼルも傷つけてしまうため、ただ見守ることしかできない。
でも、その戦いを近くで見ていると、カイゼルの剣の腕は相当すごいことが分かった。
魔物はその巨大な体に反して、動きが非常に素早いのだが、カイゼルは魔物の素早い動きにすべて対応し続けているうえに、疲労のかけらも見られない。かなり鍛えられているのだろう。
一方で、時間がたつにつれて、魔物の動きが徐々に大きくなってきていることにも気づいた。
カイゼルは、そんな魔物の隙を狙っているようだ。
長い攻防の末、ついにカイゼルの剣が魔物に刺さり、黒い血が飛んでカイゼルと魔物に少し距離ができた。
(……今だわ!)
私は息を呑み、震える手で魔法の詠唱を始める。
「――『灼熱の炎よ、我が手に集え!』」
杖の先に小さな火の玉が生まれ、それは瞬く間に大きな火炎球となった。
しかし、魔物はその動きに気づき、カイゼルを無視して今度は私のほうに向かって突進してくる。
「来ないで――っ!」
魔物が私の目前まで迫った瞬間、カイゼルが横から飛び込み、魔物の胴体に剣を振り下ろした。
「――ッ!」
剣が魔物の皮膚を裂き、先ほどよりも多量の黒い血が地面に飛び散る。魔物は苦しげに唸り声を上げ、よろめいた。
私は必死に気持ちを立て直し、杖を魔物に向ける。
「――『焔の槍よ、貫け!フレア・ジャベリン!』」
火炎球が鋭い槍の形に変わり、一瞬で魔物の胸元へと突き刺さった。
魔物は断末魔の叫び声を上げ、炎に包まれながら倒れ込む。周囲に煙が立ち込め、やがてその姿は灰となって消えていった。
魔物が消えてなくなるのを見届けると、急に立っていられなくなり、思わずその場にへたり込む。私はずっと肩でハァハァと息をしたままだ。魔法を放った疲労と、恐怖で体の震えが止まらない。
少し離れたところにいたカイゼルは、剣を納め、小走りで私のそばまでやってくると、隣にしゃがみ込んだ。その顔には少しの安堵と、私を心配する表情が浮かんでいる。
「……倒せたの?」
「ああ、倒した。ありがとう、リリー」
「……よかった。でも、怖かった……」
思わず涙目でカイゼルを見ると、カイゼルは微笑み、そっと私の肩に手を置いた。
「昨日も思ったが、やっぱりリリーの魔法は凄いな。今の一撃がなければ、きっと倒せなかった」
「ありがとう、カイ。でも……次からは、もう少し近くにいてくれない?」
カイゼルは私の言葉に苦笑しながら立ち上がり、手を差し伸べた。
「分かった。リリーの魔法に頼っているばかりじゃ、リリーの家族との約束も守れない。次は絶対にリリーを守るから安心しろ」
目の前の大きな手を掴み、私はゆっくりと立ち上がる。
立ち上がっても、まだその手を離すことはできなかった。このぬくもりにずっと包まれたいと思ってしまった。
「カイ、大好きだよ」
無意識にそんな言葉が口をついて、自分で自分に驚いてしまう。
ただ、カイには私の言葉は聞こえていないようだった。
再び、前を向いて歩き出そうとしたとき、遠くのほうから人の声がした。
「そこにいらっしゃるのは、カイゼル様ですか?」