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32 断崖の下で

 フェルナンが、耳白に自分を紹介する。

 カラスを紹介されて、耳白も面食らったようだが、「グラウスだ」と名乗った。

 そうか、耳白ではないのだなと思う。そして、アリエルの言うようにオルクも魂のある人族なのだと思う。でなければ、仇名ではなく、自分等で人間と同じような名前を付けるなどという行為はしないはずである。

 フェルナンが、姫達を移送することを伝えると、グラウスはコンスタンスがいなくなっても仕方ないと思っているようで、「頭はお前だ」と答えた。

 「今からお連れしてもよろしいでしょうか」と聞くと、「ぜひ」とクロエ姫が答えるので、馬車に乗ってもらってオルクが四人ほどで担いでいく。

 森の中に、道などあるはずがないので、川沿いに下っていく。一時間ほど歩くと、グレンツァッハから下ってくる川の合流点に達した。

 「ちょっと待ってくれ」と、フェルナンが言うので小休止をしていると、彼が巨大な猪を引きずってきた。

 以前、魔王が提供してくれたものには負けるが、それでも三メートルはあるだろう。

 「これを、お前が倒したのか」と、グラウスが驚いたように聞く。

 頷くフェルナンの横で、アリエルが「魔法も、武器もなしにね」と付け加えたので、部下のオルク達が唖然とした表情になる。

 「それを見た時、オルクが群れになっても敵わないって分かったの」

 「それで、お前の力を全部寄こせと言われても平然としていたのか」と、フェルナンが訊ねる。

 「勝つと分かっている賭けでしたら、いくらでも強気になれますわ」

 「しかし、どうやって魔猪を」と、グラウスが訊ねる。

 「魔猪って、何だ」

 「自分が倒した相手のことも知らんとは」

 「この猪のことか」

 「そうだ、この辺りは魔力の吹き溜まりで、野獣が魔物化しやすいので、俺達もそう簡単には近づけないのだ」

 「それで、俺は一ヶ月もの間、放っておかれたのか」

 「死んだと思っていたしな」

 「こっちとしてはありがたかったが、この猪は魔物なのか」

 「そうだ、こんな馬鹿でかい猪がいるわけがないだろう」

 「そうなのか、俺は猪の大きさなど知らないから、こんなものかと思っていた」

 「自然のものだったら、この半分でも、充分に大きいよ」

 「それをどうやって倒したのですか」と、自分も聞いてみる。

 「脚で頸動脈を締め付けて、あとは腎臓をたたいて殺した」

 「武術でもやっていたのですか」

 「喧嘩に明け暮れていたからな」

 「段位とかも持っているんですか」

 「道場で習ったわけじゃないから、何も持っていないし、それに、下手にそんなものを持っていたら、喧嘩できないよ」

 「そうなんですか」

 「だって、警察に捕まって段位持ちだと分かったら、凶器持ちと同じ扱いになるからな」

 そこへ、コンスタンスが青い顔で現れた。

 「母さん、どうしたの」

 「姫君達の体調がよくなくて」

 「あら、魔力酔いだわ」と、アリエルが介抱に走る。

 後を追いかけていったコンスタンスの後姿を見ながら、フェルナンが「魔力酔いって」と言う。

 「ここは魔力が多いからな」と、グラウスが答える。

 「そうなのか、何も感じないが」

 「そうか。しかし、俺はともかく、手下どもは限界に近いな」

 そう言われて振り返ると、オルク達の顔色が悪い。

 「分かった、ついてきて」と言って、アリエルが飛び上がる。

 しばらくは気息奄々という感じだったが、川を遡るにつれて顔色が戻ってくる。もちろん、アリエルとフェルナンは変化なしである。それどころか、フェルナンは魔猪を担いでいる。自分の体の十倍ほどの体積のあるものを軽々と運んでいるのである。

 森の向こうに断崖が見えた。ベルンが何人かの村人とともに迎えに出ていたが、突然、その表情が険しくなる。それどころか、戦闘態勢に移ろうとする。

 念話で、どうしたのかと聞くと、猪がと言うので、振り返ると、オルク達の運ぶ馬車の後ろに巨大な猪が見える。なるほど、猪が馬車を襲おうとしているようにしか見えない。

 事情を話し、客人を迎え入れる態勢になってもらう。そして、アリエルに頼んで皆を断崖の上に上昇させてもらう。しかし、ベルンの視線は、せりあがってくる馬車ではなく、猪から離れない。

 その猪の頭をはね除けるようにして、フェルナンが現れる。その巨大な肉塊から現れた小柄というにはあまりに小さい体に、ベルンの目が見開かれる。

 「ベルン、先に紹介しておこう、転生者のフェルナンだ」と言ったが、ベルンの反応はない。

 「フェルナン、こちらは私の次兄ベルンハルトだ」

 「よろしく」と、フェルナンが手を差し出す。

 「ああ…ベルンハルト・フォン・ファーレンドルフです」と言ってから、自分のなすべきことに気づいて、フェルナンの手を握る。

 まさか、自分がオルクと握手をするなどとは思ってもいなかったという表情のベルンに、フェルナンが「土産だ」と言って、後の猪を振り向きもせずに親指で指さす。

 「あ、ありがとう」と、ベルンが少し戻ってくる。


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