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5 転生

 はい、異世界転生です。

 「生まれ変わるのなら、こちらの世界に来るわけはないわ」と、大精霊様(アリエル)(のたま)う。

 そうなのですか。異世界転生なんて小説の中にいっぱい出てくるから、ありふれたものかと思っていたが、そうでもないらしい。

 もっとも、異世界転生を取り上げる小説の舞台のほとんどが中世ヨーロッパである。そして、そのヨーロッパの中世は5世紀からの約千年間を指すが、近世ヨーロッパらしき風俗も描かれている。それはいいのだが、どちらにしろ、そのヨーロッパを支配していたのはキリスト教である。そして、キリスト教は輪廻転生など認めてはいない。

 そもそも、輪廻転生は、仏教や、ヒンズー教、ジャイナ教等で信じられているインドの考えである。そして、仏教の場合、その輪廻転生という永遠の苦しみから解脱(げだつ)するためのもの、つまり、生きている人間を救うためのものである。このため、釈迦は妻も子供も家も国も捨てた。そこまでしないと、輪廻から逃れられないと考え、ついに悟りを開いたのである。したがって、本来の仏教は葬式のためのものではない。死者などどうでもよいからである。葬式をするようになったのは、日本に入ってきてから儒教の影響を受けたからである。位牌など、確実に儒教である。

 それはともかくとして、輪廻転生を認めなければ、仏教は成立しない。これに近い魂魄という考えも、中国の道教である。

 これに対し、キリスト教の場合、死んだら、煉獄というものもあるようだが、基本、地獄か、天国へ行くだけであって、転生などしない。あと、最後の審判で、死者も生き返り、地獄行きか、天国行きが決められるというのはあるが、それだけである。

 もっとも、キリストの死と再生というものがあるので、元になった信仰の中には、それに近いものがあったかもしれないが、なぜ、ヨーロッパに転生するのだろうか。また、猫や子供を助けて自分がトラックに引かれたので、褒美に剣と魔法の国に転生させ、無双させるなどというのは、因果応報の考えである。もちろん、そんな仏教的な概念をキリスト教が持っているはずがない。

 実際、浦島太郎の最初の話は、亀など助けていない。亀を釣りあげた後、舟の上で寝てしまい、起きたらお姫さんがいたので、一緒に蓬莱(ほうらい)へ行ったというものである。これが、亀を助ける話になったのは、絶対、この後に伝わってきた仏教の影響である。

 それに、太郎などという出生順に並べるという考えから出た名前は、長子相続制ではなかった日本の貴族社会にはなく、中国の俳行(はいこう)あたりを参考にして武家が始めたものである。したがって、一介の漁師に過ぎないこの人の名は〇〇浦の島である。つまり、島さんなのだが…と、脳内暴走の途中で、王が自分を見つめていることに気づいた。アリエルは、その様子を観察している。

 「それが、さっきの衝撃で…」と、王が、話を戻す。

 トラックとか、浦島太郎だとか、仏教徒とは何だと問い(ただ)される未来が頭の中に広がる。

 「こっちへ来た」とアリエルが王の言葉の途中で被せる。

 そして、しばらく考えてから、「それなら、ありえるかも」と、アリエルが言う。

 「実際、こいつは魔法が使えない」

 「そうなんですか」と、興味なげにアリエルが言う。

 その次の瞬間、自分は大声で「魔法が使えないのですか!」と叫んでいた。


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