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9 求婚

 食卓の上には、チャーハンとサラダが置いてあった。

 シンクの中には、私はもういただいたからと言わんばかりに、皿が漬けてある。あの短時間で料理して食べ終わったのだとしたら、実に手早い。きちんと嚙んだのだろうか。

 「お茶しかありませんが」と、茶碗に注ぐ。

 「では、再会を祝して」と軽く乾杯する。

 「いただきましょうか」と、朋香さんに言って、早めの夕食が始まった。

 「天音さんは料理が上手ですね」

 「料理はほとんど、あの子ですから」と、天音さんを巡る話が続く。

 そして、食事が終わるころになって、「で、どういうことです」と、朋香さんが切り出した。

 これまでのことを手短に話すと、朋香さんを二階に誘う。

 朋香さんは、その前に風呂場に寄って、二階にいることを伝えてから上がってきた。

 廊下の端へ行って、出入口に手を突き出す。

 「消えた」と、朋香さんが口に手を当てる。

 「朋香さんには見えないでしょうが、ここに自分の出入口があります」と、今度は半身を突き出す。

 空のベッドが見えた。アリエルがいたので、「もっとかかるかもしれない」と伝える。

 アリエルは、「分かりました」と言いながらも、「二人がいないので騒ぎになってます。どちらか一人でも戻れませんか」と付け加えた。

 頷いてから廊下へ戻ると、朋香さんが硬直していた。

 そこへ天音さんが上がってきたので、アリエルの要望を伝える。

 「分かった」と言うと、「お母さん、ファイト!」とウインクをしながら紫色の出入口に消えた。

 出入り口が消え、シャンプーの匂いが残る。そして、正気に戻った朋香さんが消えた娘を追いかけて廊下の闇の中に入っていく。やがて、戻ってきた朋香さんは「本当なのね」と呟いた。

 「はい、残念ながら」

 「ということは、いつか戻れるということは」

 「それは分かりませんが、それより大事なことがあります」

 「何でしょうか」

 「朋香さんがここにいて、自分がここにいるということです」

 「はい、それで」と、朋香さんが疑問形で答える。

 「結婚してください」

 「よろしいのですか、こんな年増で」

 「日本の平均初婚年齢は、女性で二十九歳と少しですよ」

 ちなみに男性は三十一歳である*。

 「では、お願いします」

 「ありがとうございます」

 「ただ、結婚式も開けませんし、指輪も差し上げられないと思います」

 朋香さんは、黙って首を振った。

 「あと、こちらへ」と言って、自分の部屋に案内する。

 コンピューターにログ・インして、銀行預金の残高を示す。

 「八百万ドル以上あります」

 「それって、いくらなのでしょうか」

 「今日の相場がいくらか分かりませんが、十億円以上になります」

 「笑ってしまうような金額ね」

 「少なくとも、親子三人、もっと増えてもいいですが、生活するには充分だと思いませんか」

 「父に知られない限りはね」

 「借金があれば、清算ぐらいしますよ」

 「もし、どうしても縁を切るのに必要ならお願いするかもしれませんが、必要ないと思います」

 「分かりました。それで、こちらのカードが当座の資金です」と言って、机の中にあった銀行のキャッシュ・カードを渡す。派遣会社の給料や、光熱費等必要経費が全部支払われている日本の銀行の口座である。多分、一億円も入っていない。

 「暗証番号は0108です」

 「また、覚えやすい番号を」

 「自分に意味のある番号はそれだけでしたから」

 「では、二重に意味のある番号ですね」

 「と言うと?」

 「天音も同じ誕生日なのです」


*2021年度厚生労働省調査より。

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