1 出産
誕生篇の始まりです。
「さて、そろそろだな」と、魔王がのたまう。
「何がですか」
「出産だ」
「もうですか」と、間の抜けた声が出る。
あれから、一週間も経っていないような気がする。そもそも、ここは昼夜の区別がないし、誰も寝ないので、日にちが分からない。それにしたって、早すぎるような気がする。
「さすがにトイフェルシアが気になって時間を早めた」
「えっ」と、思わず声が出る。
「大丈夫だ。あの家はお前の希望通りにしてある」
そうですか、ありがとうございますであるが、先に言ってほしいと思う。こちらにも心の準備というものがあるから。
しかし、母親の胎内の音を聞くのを忘れていたと思う。その瞬間、心臓の音が響く。前より、鼓動が早い。しかし、前より音が小さいような気がする。
「アリエル、先駆けだ」と、魔王が言う。
アリエルが頷く。
そして、「大丈夫よ」と、こちらに目をやってから、空中に消えた。
数分後、人々の話す声が聞こえた。若いのも、年いったものもあるが、女性の声ばかりである。
「あら、もう一人」
もう一人って、何だ。
「もっと光が強いわ」
もっとって、なぜだ。
「ものすごい明るさね」
アリエルがいるからだろう。
「今度は男の子ね」
今度はって、どういうことだ。
「もう一つの心臓の音が聞こえなかったのか」と魔王が言う。
「つまり、双子」
やっと思いついて、声を出す。そういえば、泣き声も聞こえるような気がする。しかし、何度か鼓動は聞かせてもらったが、母親以外の心音など聞き取れなかった。というより、それを聞き分ける魔王が凄いのだと思う。
「そうだ、パルがいるはずだ」
あわてて見渡すが、まだ、目が開いていないようで、何も見えない。
「この子、もう、あちこち見渡しているわ」
「何、この子も腕輪をしてる」
そんなものつけて転成したのか。それって、まずくない。しかし、この子もということは、双子の片割れもしているのか。
「しかも、二つも」
「青と、黒、いや、赤かな」
多分、赤です。赤すぎて黒く見える、魔王の色。ということは、青色のそれは、精霊王のそれであろう。そして、黒か赤か迷うということは、見慣れないということである。つまり、双子の片割れは、魔王の腕輪をつけてはいないのだろう。
「どなたかの祝福を受けているのかしら」
「そうみたいですわ」
えっ、それで済むのか。さすがは、剣と魔法のファンタジー・ワールドである。温もりが押し寄せる。これは産湯か。
「では、トイフェルシアに行ってくる」と魔王が言ったかと思うと、姿が消えた。挨拶する間もない。
次の瞬間、「今の何」と驚いた声がする。
「すごい風だったわね」という声も聞こえる。
突然、静かになった。魔王がいなくなっただけで、多数の人々の中で迷子になったような気がする。とてつもなく不安な気分になって、気がついたら泣いていた。
「坊や」と、呼び掛けられる。
何だか、心地よい響きに泣き止む。そういえば、日本語ではないはずなのに、きちんと意味が取れている。魔王か、精霊王のものなのか分からないが、魔法で分かるようになっているのだろう。
そっと、声のするほうに顔を向け、目を開く。さすがは、剣と魔法の国である。産まれたばかりなのに、見えるだけでなく、すぐに焦点が合った。少し疲れたような表情の面長の女性がそこにいた。随分と若い。思わず手を差し伸べる。
「さすがは母親ね」と、一人が言う。
「そうね」と、もう一人が言う。
そうか、この人が母親かと思うと、笑みが浮かんだ。
「大丈夫よ」と、母親が涙を指で拭ってくれる。この人が大丈夫だというのだったら、大丈夫なのだろう。そして、母乳を与えられた。お腹がふくれたと思ったら、そのまま自分は寝入ったようである。
気がつくと、自分はベッドの中にいた。部屋は暗いが、シーツが白いことぐらいは分かる。天井は見えない。横手に誰かいる。立派な髭を生やした初老の男である。
「レオンハルト、父のブルクハルト・フォン・ファーレンドルフだ。初めましてだな」と微笑む。
「こちらこそ初めまして、父上」
突然、父親の顔が強張る。いけない、産まれたばかりの赤ん坊が話すなんてありえない。
「と、言ってますわ」と、アリエルの声が聞こえる。
父親は声のほうに首を回し、「精霊様」と跪く。
「このレオンハルトには、私、アリエルがついております」
「アリエル様、大精霊アリエル様が」と、奥のほうから喘ぐような声が聞こえる。
そうか、アリエルは単なる精霊ではなく、大精霊だったなと思いつつ、声のほうを見やる。そこには、母親が椅子に腰かけていた。腕に赤子を抱えている。
「アーデルハイト、そちの娘ブリュンヒルデには、パルがついております」というと、パルが青く光りながら赤ん坊の上を回った。ブリュンヒルデが、嬉しそうに手を差し伸べる。
母上、アーデルハイトと言うのか。たしか、ヨハンナ・シュピリの「アルプスの少女ハイジ」で、ハイジがフランクフルトへ連れていかれた時、そう呼ばれていた。ということは、家族からハイジと呼ばれていたりするのかな。
そんでもって、この子は、ブリュンヒルデというのか。頭の中にヴァーグナーの「ワルキューレの騎行」が鳴り響く。もっとも、背景に流れていたのは、戦闘ヘリの飛ぶ姿である。
「ありがたき幸せ」と、父親が首を垂れる。




