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20 小井さん

 しかし、いつの間にか、ここが戻る場所になっていると思う。ここでなら、いろいろな人、魔王や精霊であるが、に話してもらうことができる。しかし、前の世界では、自分は単なる引き籠りである。祖父が死んでからは、葬儀を行ってもらった僧侶の話を聞いたのが、生身の人間と関わった最後だと思う。もともと、祖父が死ぬ前に知り合いの弁護士に話をして、生活環境を整えてくれたので、通いの家政婦さんとの面識もない。そういえば…。

 「もう一度、家に戻ってもよろしいでしょうか」

 こちらの慌てた様子にも動ぜず、「ゆっくりしてくるがいい」と、魔王は言ってくれた。

 頭を下げ、「Open sesame」と唱える。

 部屋へ入ると、コンピューターが目の前にある。ログ・インして目的のメールを探す。

 家政婦紹介所からのメールには、その時間までですと、いつもの者が参れませんので、代わりに下に記した者が伺いますとあった。あの時、それでお願いしますと返信した記憶はあるが、代わりの者の名前など見ていない。しかし、それを見たら、家政婦さんの名前が分かるかもしれないと思ったのである。もっとも、いつもの者の名前も知らなかったが、スクロールしたメールの最後のほうにあった代わりの者の名前、正確には苗字に見覚えがあった。

 小井天音。

 「いさらい・あまね」と、難読苗字であるにも関わらず、すぐに読めたのには理由がある。小井朋香さんを知っていたからだ。高校は別だったが、小・中学校どころか、幼稚園・保育園も一緒だったはずである。もっとも、あの時、バスの中で、重行君だねと話しかけてくれなかったら、存在すら忘れていただろうが。

 バスは、従姉の結婚式に向かうものだった。そして、小井さんも従兄の結婚式に出るところだったそうだが、その会場は同じ場所だった。つまり、互いのいとこ同士が結婚するという状況で、飛行場へ向かうバスが一緒だったというわけである。

 もっとも、自分のほうはすぐに分からなかったが、向こうから「いさらい・ともかよ、覚えている?」と言ってくれたので、すぐに思い出した。小学校の時だったか、たまたま同じクラスになった時、五十音順だった関係で、生野、小井と、出席番号が並んでいたのだ。

 残念ながら、機内はもちろん、バスの中も、式場も、互いの家族がいたため、二人きりで話す機会などなかった。本来なら、高校生活の最後のほうで、女の子と話すことができたというささやかな思い出で終わったのだろう。それがひっくり返ったのは、帰りの飛行機が事故に遭ったからである。

 この時、新郎新婦はもとより、一族のほとんどが死んだので、あの事故かと思われる方も多いと思う。そういう中で、小井さんは唯一の肉親だった母親を失い、自分の両親は命を、祖父は両脚を失った。そして、祖父の入院先に、小井さんも入院していたので、毎日のように見舞いに行った結果、仲がよくなり、小井さんの退院後は一緒に祖父の見舞いにも行った。その後、小井さんは、関東のほうにいた、ほとんど存在も知らなかった父親に引き取られ、自分はすでに合格していた大学に行って、いつの間にか音信不通になったが、それまでの間、一緒に生活していたのだ。つまり、この人は、自分の子供である可能性がある。

 今、ネットで調べたら小井という苗字は、「おい、こい」と読むものも含めると、全国に千二百人ほどいるそうである。筒香さんが全国に十人しかいないのに比べたら、百倍以上多い。したがって、この人が、朋香さんと自分の子供であるという可能性は、思ったよりも高くない。

 だいたい、この人の年齢も分からない。来てもらっていながら、顔を合わせたこともないのでよく分からないが、こういう仕事をする人って、もっと年配の人のような気がする。

 もし、二人の子供なら十五、六歳、高校に入ったばかりである。その上、朋香さんと別れた時、将来を誓い合ってもいないし、朋香さんも妊娠したなどとは言っていなかった。しかし、朋香さんが親戚の家へ行ってから、妊娠が判明し、一人で子供を産み、育てたとしたら、いかにもありそうに思うのだ。朋香さんの母親もシングル・マザーで、今思うと、いかにも損をしそうな人だった。

 とはいえ、高校一年生の女の子が、家政婦の派遣会社に登録して、我が家に来て、奇禍に遭う。そのようなことがあり得るのかというと、それは大いに疑問である。つまり、産まれたかどうかも分からない高校生になったばかりの子供が、顔も知らない父親の家に代理で家政婦として派遣され、行方不明になるというのは、たとえ、小説の設定だとしても偶然に過ぎるからである。

 にもかかわらず、このあり得ない偶然が起きてしまった可能性を疑ってしまうのは、この人の名前が原因である。


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