14 切り取られた家
驚いて振り向くと、笑顔の魔王がそこにいた。驚かすことができて、嬉しいという感じの笑顔である。顔立ちが非常に整っているので、少し怖い感じになる点を別とすると、本当に魔王かと思う。
「家が転移してきた瞬間で見つけてきた」
「何というか…」
「入ってみるがよい」
固まっている自分に魔王が優しく語りかけた。
「ありがとうございます」
もう一度入りかけてから、「陛下は」と聞いてみる。
「その中は、この世界ではないから、余は入れない」
「そうですか、では、遠慮なく」と言って、恐る恐る入ってみる。
遠慮より、嬉しさのほうが先立っていた。
廊下は、あの時と同じように光が差し込んでいた。ということはと思って、窓に近づく。しかし、窓の外は暗闇である。下には庭があるが、それも途中で切れている。上を見ると、窓は明るいが、あると思った太陽はそこになかった。どうやら、あの瞬間の明るさだけが記憶されているようである。振り返ると、廊下の向こうに、今入ってきた入口が見える。廊下が斜めに切り取られているので、この角度からだと幅が随分と狭く見える。
部屋に入ろうとして、ズボンのポケットに手をやる。ちゃんと鍵があった。開けようとして気がつく。手がある。足もある。服もあの時着ていたものである。スリッパもそうだ。どうやら、この切り取られた家の中では、元の姿に戻れるらしい。もう二度と会えないと思った自分に出会えたのだと思うと、体が震えた。
そういえば、魔王は「家が転移してきた瞬間で見つけてきた」と言っていた。あの瞬間に戻れたのならば、元の姿に戻っても不思議はない。多分、ここだけは、自分が元居た世界に属しているのであろう。
もっとも、鍵は必要はなかった。切り取られた瞬間、自分は一階にいた。そして、二階の自分の部屋を出た際、普段と違って施錠しなかったのだ。あの時は、そのような余裕はなかったのである。
部屋に入る。あの時と同じようにコンピューターがあり、本棚がある。本棚から少しはみ出している本を取り出してみる。あの時、取り出そうとした本である。中身も読める。そういえば、ニュクスはと思った。あの瞬間なら、ニュクスは生きていた。それなら、この家にいても不思議はない。
本をしまい、ドアを開けて外へ出る。廊下は、さっきより寒かった。しかし、外は日の光が張り付いている。何か、違和感を感じる。最初は理由がわからなかったが、振り向いて、廊下の先の暗闇を見ているうちに気づいた。なぜ、自分の部屋が明るいのだろうか。雨戸とカーテンを締め切り、その前に二連書架を置いてあるので、日の光など差さないはずなのに。
そっと、ドアを開けてみる。やはり、電灯がついている。それどころか、暖かい風が吹いてくる。ところが、その風を吹かしているはずのエアコン本体は、切り取られた隣室とともに消えうせている。
もう一度部屋に入り、隣室との境の暗闇に近づく。障壁があるようで、その先には行けない。ぶつかるというよりは、それ以上先に行こうとすると、体は動いているのに、前に進まない。しかし、エアコンの風は、その闇から吹いてくる。机の上に置いてあったリモコンを動かす。停止する。再起動もできる。
つまり、電波や電気、風は自由に行き来できるが、自分だけは、移動できないようである。タイム・パラドックスということかと思った。
コンピューターを開く。何の問題もなく、ログ・イン出来る。それだけでなく、昨日付けのメールには本を送付したとある。いつものように株式市場にアクセスする。手持ち株の一つを売りに出す。
「この株はまだ値が上がります。本当に売りに出しますか」と警告文が出るが、それを無視する。そして、先ほどの株の売却益が入金されているかどうかを確認すると、売却益だけでなく、留守中に自動売買した金額も載っていた。残高は、昨日より若干増えて、八百万ドルを超えている。
これが妄想や夢でない限り、この部屋は生きている。切り取られてはいるが、前の世界と繋がっている。その証拠に、電気や、ネット回線は生きている。自分が移動できないだけだ。
もう少し検証したくて、外へ出る。一階に降り、台所の戸を開ける。水を出す。普通に出る。湯も出る。換気扇も動く。冷蔵庫を開ける。入っているペリエを取り出す。瓶は普通に冷えているし、冷蔵庫も動いている。ペリエの封を開けてみる。特に変な匂いもしない。思い切って、少し口に含んでみる。微かな炭酸が、口の中に感じられる。普通においしい。
掃き出し窓の外を見ると、前庭とその向こうの闇が見える。植物が生い茂らないように全面をコンクリートで覆った庭である。門扉や塀は見えないので、そちらは切り取られたのであろう。思いつきで、廊下を隔てた向かいの部屋に入ってみる。




