6 利子と天音さんの教育について
「鶏なら二羽買えるわね」と、母上が言う。
ユーロ導入前のドイツで一マルクは百ペニヒで、一マルクは百円以下だったから、数十銭ぐらいと思っていたので、思っていたよりも価値があるのに驚く。
そういえば、昔の一円って価値があったらしく、昭和初期の一円は今の四千円に相当するという。それより、千年以上前なのだから、そういうことがあっても不思議ではない。
しかし、鶏一羽って幾らぐらいだ。昔、働いていた頃に、鶏の丸焼きをスーパー・マーケットで見た記憶がある。クリスマス・シーズンだったのだろうと思うが、一羽五千円近くしたような気がする。ということは、一ペニヒ、二鶏、一万円という感じか。もっとも、鶏ぐらい平飼いしているだろうから、実際にはもっと安い価格なのだろうが。
「ありがとうございます、王国でもそうですか」と、姫君達のほうを向くと、クロエ姫がコンスタンスさんのほうを振り向いた。
「失礼します。王国でも、似たような感じで、一ドゥニエだと家鴨を一羽買えます」
家鴨だと。そんなの幾らか見当もつかない。ただ、ホームズの「青い紅玉」というふざけた名前の小説*に、掛金をしてクリスマスの鵞鳥を買う話がある。鵞鳥のほうが大きいが、家鴨一匹一万円、ちょっと高いような気もするが、おかしくない金額のように思う。
「一プフントなら、何が買えますか」
「馬が買えるの」と、父上が言われる。
「牛なら二頭ね」と、母上。
「ありがとうございます、王国でもそうですか」と言うと、姫君達が頷いた。
しかし、馬や牛の値段など知らんぞ。とりあえず、一ペニヒ、一万円なら二百四十万円。二百四十万円なら小型自動車が買えるだろうから、それぐらいかなと思う。
ということは、準男爵の年金十プフントって二千四百万円、十二プフントって二億八千八百万円か。結構な金額ではないか。
その時、「お父さん、これどうなっているの」という声がした。
ああ、天音さんが戻ってきたのだなと思う。きっと、瓦礫の中に戻ってきたので、驚いているだろう。
「分かった、すぐ行く」と言うと、父上に「娘が戻ってきましたので迎えに行ってきます」と伝えて、走り出した。
しかし、さすがは勇者の体である。もの凄い勢いで加速していく。多少の障碍物なども、何もなかったように走って、すぐに、二階だったところのベッドに着く。
「お待たせ」
「あなた、誰」
「ああ、三十四歳のレオンハルトです」
「…、もしかして、お父さんなの」
「そうです」
「変身できるの」
「できるようになった」
「一人だけずるくない」
「それはそうだな」
というような会話をしていると、外で「ヒルデ様」という声がした。
振り返ると、ラウラさんが気息奄々という感じで立っていた。
「今、連れて行きますので、待っていて下さい」と言うと、ラウラさんが頷いた。
走って行ったのを見て、担当のラウラさんも来て下さったのだろうが、こちらが速すぎたのだろう。
という訳で、ラウラさんに抱かれた天音さんをファヴに紹介する。
「そりゃまた、ややこしい話ですね」と、ファーヴニルが感想を述べる。
「はい、私は娘ですのに、こちらではお父さんが弟ですから」
「双子とはいえ、そうなるのですね」
「その上、お父さんだけ、あんなに格好よくなって」
「あなたも、形態変化をやればいい」
「やりたいのですが、やり方が分かりません」
「簡単ですよ。指を出して」
「はい、お願いします」と、赤ん坊が元気よく右手を挙げる。
そこへ、ファーヴニルが投げた鱗が指輪になって、指に嵌まる。
「ありがとうございます」
「試す前に一言」
「何、お父さん」
「自分がこちらで十五歳になったらと考えて発動するといいよ」
「そうするわ」
「あと、黄色と肌が出ている服は駄目みたいです」
「分かったわ、やってみる」というので、ラウラさんにお願いして地面に置いてもらう。
「これで、どうかしら」という言葉とともに、十五歳のブリュンヒルデが現れた。薄い青色のロング・ドレスを着ている。母上に似た、明るい茶色の髪の毛に、父上の青い眼を受け継いでいる。
歓声と拍手が起きる。
可愛いとか、綺麗とかいう言葉を浴びて、天音さんは嬉しそうだった。そして、ファヴニールさんありがとうと飛びつこうとするのを、魔法で止めた。
「多分、へたに抱きつくと誤解される」と言うと、「そうなの」と返事が返ってきた。
「ふしだらな女と思われますわ」と、母上が注意する。
「そうしようと思ったかどうかは知らないが、男女間のキスは禁止されている」と、自分。
「そんなことをする者がいるのですか」と、フレデグンテ姉さんが言うので、「我々の世界では、男同士のキスのほうが珍しいです」と答える。
「恐ろしい時代だの」と、父親が呻く。
「こちらでは、男同士がキスするの?」
「キスというと、騎士か、学者同士の挨拶ぐらいだが」と、エーベルが天音さんの質問に答える。
「というわけで、我々の世界と、こちらの世界は、価値観も、倫理も、行動も何もかも違っています。したがいまして、娘の行動が突飛に見える場合もありますが、そういう理由ですのでお許しください」
「赤ちゃんが、突然、十五歳になったのですから、こちらの世界に馴染めないのは当然ですわ」と、母上が言われる。
「でしたら、私達と一緒に学びませんか」と、クロエ姫が誘う。
「よろしいのですか」
「もちろんですわ」と、女性陣が声をそろえる。
「でしたら、私達は新しい屋敷の掃除をしがてら、みんなでやらしてもらいます」と、母上が宣言する。
*原題はThe Adventure of the Blue Carbuncleで、カーバンクルは赤い宝石の総称、特にルビーなのだが、ルビーの青いのはサファイアである。このため、最近の訳では「青いガーネット」となっている。
天音さんの出番が少なすぎるような気がして、入れてみました。おかげで、更新が予定より遅くなったのですが、強引すぎたかも。




