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ep.6イヴ

自分が罠にはまったと気づいた時にはもう既に落下は始まっていた。


一ノ瀬は小さい頃に親に連れて行って貰った遊園地でフリーフォールに乗った後、すぐに吐いてしまったことを思い出した。


あの内臓が定位置を見失った様な何とも言えない感覚は二度とごめんだと、そう思っていたのだが……


「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


毎秒加速していく落下速度に恐怖もどんどん増していく。


暗く長い縦穴の中、一ノ瀬にできることなど何もない、ただ下へ下へと落ちてゆくだけだった。


一瞬にも永遠にも感じられる落下を経て……


ズドン!


一ノ瀬は地面へと激突した。


即死……かと思われたがまだ一ノ瀬には辛うじて息があった。


偶然にも落下地点には青々とした植物が生い茂っており落下の衝撃がかなり緩和されたのだ。


ただこれが不幸中の幸いと呼べるかは人によって意見が分かれることろだろう。


最初に地面にぶつかった両足の骨は粉々になっていた、肋骨も無事な骨のほうが少なく折れた骨のうちの何本かが内臓に突き刺さっているのか口から大量に血が流れ出る。


呼吸すら困難なこの惨状だというのに痛む場所を手で押さえることもできない、両手もまた動かせないほど損傷していた。


運の悪いことに、体中がボロボロになり身動き一つとれないというのに意識だけははっきりと残っていた。


このまま死んでしまうまでこの地獄のような苦しみが続く。それならいっそのこと着地の衝撃で即死した方がマシ、と瀕死になる前のだった一ノ瀬ならそう思ったかもしれない。


ただいまはそんなことを考える余裕すらなかった。


絶え間なく体中に襲い掛かる苦痛はもう終わりにしてくれと願う余裕すら奪っていくほどにすさまじいものだった。


更に……


「グルルルル」


どうやらダンジョン内では最悪に下限がないようだ。


ボロボロの一ノ瀬の目の前にホワイトタイガーのような獣が現れた。


ような、と形容したのは外で見られるネコ科のそれとは明らかに別種であるからだ。


白と黒の虎柄模様は違和感を感じるほどにコントラストがはっきりしておりまるで水墨画の中から飛び出してきたかのような迫力がある。さらに尻尾は5本あり、胴体からは翼が生えている。


獣は一ノ瀬にゆっくりと近づいて首筋に噛みついた。


噛みつくと言っても獲物を仕留めるためというよりは持ち上げるための甘噛みといった具合だ。


まるで親猫が子猫を運ぶように、獣は一ノ瀬を咥えたまま歩き出した。


一ノ瀬は藻掻くことも出来ず折れた手足を引きずられながら運ばれる、垂れた血の跡がまるで一本の道のようになっていた。


一ノ瀬はしばらく運ばれた後、急に投げ出された。


一ノ瀬が転がった先には一人の小さな少女がいた。


「おお帰ったかミシャ、ってなんじゃその汚い肉は。」


「おおそうか上から落ちてきたのか、よくぞ持ってきたな。よしなでなでしてやろう、ちこうよれ。」


「なんじゃまだ息があるではないか!ふむどうしたものか……ミシャ、たべるか?」


「たべぬか、相変わらず好き嫌いの多い子じゃ。」


「しかしミシャが食べないとするなら……おい、お主まだ意識はあるか?お主が誰かは知らぬが望むなら楽にしてやるぞ?」


少女は一ノ瀬に声を掛けた。


一ノ瀬の意識は既に朦朧としており少女の言葉の意味もほとんど認識できたいなかった。


それでも一ノ瀬は答えた。


「まだ……死ねない。」


たった一言の返答に少女はニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。


「面白い、試してみようかの。ミシャ、わらわの腕を噛め。」


少女は真っ白な腕を獣に向けて差し出す。


すると獣は牙を立てて少女の腕に噛みついた。


少女の左腕には手首から肘窩に掛けて肉をえぐるように大きな傷ができ大量の青い血が流れ落ちる。


「よしよしいい子じゃ。これをするのも久しぶりじゃのぅ、上手くいくといいんじゃが……死んでも恨むなよ?」


少女は腕から流れる青い血を一ノ瀬に垂らした。


その瞬間、一ノ瀬は全身から急激に痛みが引いていくのを感じた。痛みで阻害されていたまともな思考が戻ってくる、久しぶりに意識が世界に繋がったかのような気分だった。


一ノ瀬が目を開けるとこちらを覗き込んでいる少女の顔が見えた。


雪のように白い肌、半透明な銀髪と紫の瞳。


そこにいたのは今まで一ノ瀬が見てきたどの人種にも属さない不思議な見た目で、それでいて美しい少女だった。


「お主、声は聞こえるか?聞こえるなら返事をせよ。」


と少女が聞いた。一ノ瀬は体を起こしながら


「聞こえてる……君が助けてくれたのか?」


と言った。


「おお!上手くいったぞミシャ、わらわの運も捨てたもんじゃないのう!」


少女は返答を聞くや否や獣の首に抱きつき喜んだ。一ノ瀬などそっちのけだ。


少女が歓喜している間に一ノ瀬はゆっくりと上体を起こす。


一ノ瀬の身体はまるで何事もなかったかのように完治していた。先程までの痛みが嘘のようだ。


体の無事を確認した一ノ瀬はあたりを見渡す。


地面には柔らかい芝生があり周りには沢山の植物が生い茂っている。ここはまるで手入れされた貴族の庭園のようで、先程までいたサビタナ洞窟とは一線を画した上品な雰囲気が漂っていた。


「もう体の方は問題なさそうじゃの。お主名前はあるか?」


と少女が言う。どうやらもうひとしきり喜び終えたようだ。


「俺は一ノ瀬 宗真。君の名前は?」


と一ノ瀬は言った。名前を聞かれた少女は少し困ったような顔で


「うん?わらわの名前……名前か。そうじゃな、イヴとでも呼ぶがよい。」


と返答した。一ノ瀬は続けて質問する。


「助けてくれてありがとう、君がいなかったら間違いなく死んでいたよ。イヴは探索者なのか?」


「探索者?探索者……ああ、お主たちの自称種族名か何かか?それとも医者のことを探索者と言うのか?」


「探索者ってのはダンジョンに入って探索する人たちのことだけど……知らない?」


「ああ、なるほどのぅ! "探索"する者と言う意味か、理解したぞイチノセとやら。全く古い翻訳魔法はこれだから不便なのじゃ、新しい言葉に対応できん。さて、話が逸れたな、質問に答えよう。わらわは探索者などではない。お主たちの言葉で説明するならば、さしずめこのダンジョンの心臓と言ったところかのう。」


意味がわからない、一ノ瀬は尋ねる。


「心臓?えっとそれはつまりこのダンジョンの支配者って意味か?」


「何を言っておる、体の支配者は脳じゃろう。心臓など脳のために血を運ぶ奴隷にすぎん。わらわもまた同じよ。このダンジョンに血を巡らせるため、ここに閉じ込められた奴隷じゃ。」


やはり一ノ瀬はイヴの言っていることが理解できなかった。


いや、勿論言葉そのものの意味はわかる。だが意味以上に何かを察することが出来ない。


言葉の表面で理解の浸透が止まってしまっている。


この違和感を感じたのは一ノ瀬だけではないようだ、イヴはイヴで何が分からないのか分からないと言った表情をしている。


しかしこの違和感をイヴの方はあまり気にしていようだ。困惑した顔をする一ノ瀬を気遣うこともなく話を続ける。


「まあ理解できずともよい、お主を助けたのは別に善意でも何でもない。先程も説明したがわらわはこのダンジョンにおいて心臓でもあり奴隷でもある。故に外に出ることは許されておらぬ。ここに閉じ込められてもう千年、元々は美しい小麦色だったこの肌も気付けば雪のように白くなってしもうた。ま、何色でもわらわの美しさは霞まぬからそこはあまり気にしておらぬが。とにかくもう地下に閉じ込められっぱなしなのはウンザリなのじゃ。そこでお主にわらわの脱出を手伝って貰いたい。」


「ちょっと待ってくれ、千年間閉じ込められていたってどういうことだ?それに奴隷って?」


「理解できずともよいといったじゃろう、いちいち話の腰を折るやつじゃのう。」 


前提の異なる常識が一ノ瀬と少女の間を隔てている、そういった感覚を言葉の節々から感じた。


理解出来ていない部分はいくつかあるが、要約するとこの少女はダンジョン内に軟禁されており自力での脱出ができない状況にある、そこで一ノ瀬に命を救った恩返しとして手助けをしてほしいということなのだろうか。


瀕死の状態から助けて貰った一ノ瀬としては可能ならば手助けをしてやりたいが……


「えっと、助けて貰ったことにはすごく感謝してるし出来る事なら君を助けてやりたい……けど俺は自分がいまどこにいるかもわかってなくて帰り道すらわからない状況なんだ。」


と正直に一ノ瀬は言った。


一ノ瀬は第一層の落とし穴に落ちてここまで来た。


そのことからおそらくここがダンジョンの地下だということは予測できるがそれ以上の推測は不可能だ。


そもそも新人用マニュアルではダンジョンは第1層が最下層と書いてあった。


逆に言えば一ノ瀬は地下層に訪れた初めての探索者。


もちろん先人が残した道しるべや看板などないだろうし、そんな状況で自分の帰り道すらわからない一ノ瀬が他人の脱出の助けになるとは思えない。


しかしイヴはそのことも想定済みだったようだ。


「心配するでない、お主にやって欲しいことはただ一つ、このダンジョンの第100層にあるダンジョンコアを破壊する。たったのそれだけ……」


「ちょっと待て!」


一ノ瀬は叫んだ。いやあまりの驚きに叫んでしまったというべきだろうか。


「第100層ってなんだ?人類が到達した一番上の階層が第57層なんだぞ!? 」


探索者の中でも選りすぐりの精鋭がパーティーを組み、莫大な資金で用意した最新のダンジョン特化装備を使ってやっとの思いで到達出来た第57層。


そこをはるかに超えた第100層を目指すなど、恩返しの範疇を完全に超えている。


しかしイヴは


「お主の不安はよーくわかるぞ。察するにダンジョンの第一層で極めて初歩的な罠に嵌って死にかけたのじゃろ?そこで運よく高貴で美しいわらわに助けられたはいいものの、自分の無力さや愚かさを激しく実感した。そして、そんな自分が高貴で美しいわらわの役に立てるのか?そう考えて自分を卑下しておるのじゃろう?」


と全く見当違いの話を展開している。


「別にそんなこと思っちゃいないけど。てか高貴で美しいわらわって二回言ったぞ。」  


一応つっこみを入れた一ノ瀬だったが少女は気にせずに話を続ける。


「二回しか言ってなかったか?謙虚すぎるところはわらわの悪い癖じゃがまぁよい、どれだけお主が貧弱でもそんなことは関係ない。」


「関係ない?」


「わらわは強い、このダンジョン内の全モンスターが束になってかかって来ても返り討ちにできるくらいにはな。そんなわらわがお主に力の一端を授けてやる。どうじゃ?こんないい話もそうそうないぞ?」


少女は平らな胸を張りながらそう言った。一ノ瀬は


「そんなに強いなら自分で第100層まで行けばいいんじゃないか?」


と返した。すると少女は少し怒りながら反論した。


「出来たらやっとるわい!わらわはダンジョンの地下層から出られないよう呪いをかけられているんじゃ!その呪いを解く唯一方法が、第100層にあるダンジョンコアの破壊。わらわの脱出には呪いにかかっておらぬ者の協力が必要不可欠なのじゃ。」


そう言うと少女は一ノ瀬に人差し指を向けてこう続けた。


「そこでお主の出番じゃ、今からお主は第100層を目指しわらわのためにコアを破壊するのじゃ。道中は決して安全でなく途中で何度も死にかけるかもしれんが元といえばわらわがいなければここで果ててしまっていた命、問題はあるまい。」


一ノ瀬は薄々感づき始めていた、自分を助けたこのイヴという少女のヤバさに。


人を助けるという行為には、必ずしも善意が結びつくわけではないということは一ノ瀬も理解できる。


人助けの後見返りを要求することは別に悪いことではない。


ただそれを加味しても、命を助けた見返りに命を懸けて戦えという要求は度を越している。


三日月に薬を届けるためにもなるべく早く一ノ瀬は生きて帰らないといけない。イヴには悪いが第100層まで寄り道をしている暇なんてない。


一ノ瀬はイヴの話をなるべく穏便に断ろうと考えた。


なるべく穏便、と言うのは余りにも無下に断ってしまうのはどんな思惑があったにせよ命の恩人に対して流石に失礼だからだ。


それに万が一イヴが激高して飼いならしている獣をけしかけられたら一ノ瀬など間違いなく死んでしまう。


一ノ瀬は


「話はわかった、外に出たいあんたの気持ちはよくわかる。でもやっぱり無理だ、いくら第100層までの道を教わって力を借りたとしても第1層のモンスターも倒せず罠にもハマった今の俺がそこまで到達できるとは思えない。申し訳ないが……」 


と言い話を断ろうとした。しかし申し訳ないと言い終わるよりも速く


「ふむ、やはり断るか。しょうがないのう、一応これは最終手段のつもりじゃったんじゃが。」


と少女は一ノ瀬の言葉を途中で遮り指を鳴らした。


その瞬間、突然に一ノ瀬は倒れた。体中に先程までの痛みが蘇る。


「ぐあぁぁっ!?これは!?」


「さてとイチノセとやら、ここからはお願いではなく取引じゃ。今、お主にかけた治癒の魔法を解除した。まだ意識を保てる程度の痛みじゃろうがだんだん怪我は酷くなりやがては死に至る。」


そう言うと少女はニヤリと笑った。そして


「わらわと契約を結べ、魔法による契約をな。第100層にあるダンジョンコアを破壊するまでわらわの為に尽くすと誓うのじゃ。なぁに安心せい、コアを破壊した後で治癒の魔法を再び解くなどという無粋なことはせぬ。選べイチノセ、生きるも死ぬもお主の自由じゃ。」


と言った。


何が自由だ、ほとんど脅迫じゃないかと一ノ瀬は思ったが不平不満を言える立場でもなければ言う時間もなさそうだ。


痛みは毎秒ごとに激しくなっており、あとどれくらい意識が持つかも定かではない。


もう迷っている暇はなかった、痛みをこらえながら一ノ瀬は答えた。


「け、いや、くする。」


この契約に不満や疑問がないわけではない。


ただこの契約を飲まないと死んでしまうということは理解できる、そしてそれは三日月は助からないということも意味する。


一ノ瀬の返答を聞いたイヴは分かりやすく上機嫌になっていた。


「そうかそうか、よくぞ決断したぞ。わらわの交渉術も捨てたもんじゃないのう、相手が断れぬ状況を作り出しそこで話を持ち掛ける。わらわ式交渉術とでも名付けようかのう。まぁ継承者は現れんじゃろうな、わらわ以外にこれを使いこなせる者がいるとは思えぬしな。」


「は、やくして、くれ。」


「おおそうじゃった、忘れておったわ。ミシャ、もう一度わらわの腕を噛め。」


イヴが再びニヤリと笑う。絶対にわざとだ、と一ノ瀬は思った。


イヴは獣にもう一度腕を噛ませる。


そしてそこから大量に流れ落ちる青い血液を一ノ瀬に飲ませた。


血を飲み込んだ瞬間痛みが和らいでいくのがわかった。再び傷が癒えていく、そして一ノ瀬は強烈な眠気に襲われた。


「わらわの種族は不老不死の魔法をその血に宿しておる、そしてわらわの血を飲んだお前もわらわの制御下においてその力の一端を得る。その眠気はお主の体が血に適応しようとして起こるものじゃ、案じることなく眠るがよい。目が覚めた後、ダンジョンコアを破壊するまでお主はこの契約の為に全力を尽くすのじゃ。わらわの力を余すことなく存分に使うがよい。あ、そうじゃ!ついでに昔作ったアレを……」


イヴが最後の言葉を発した頃にはもう一ノ瀬に意識はなかった。


    

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