4.スネイカーとアダー
今日はもうすぐ日が暮れるので、共和国軍が攻めてくるのは明朝以降になるだろう。
スネイカーは兵士たちにそのように告げ、武器や防具の点検をしてから休むように命じた。
兵士たちは威勢よく返事をして兵舎へと戻っていった。気分が高揚していることは、その表情を見れば明らかだ。
対照的に、スネイカーの心は不安で満たされていた。
(まさかこんなことになるなんて……。これからどうしよう……)
兵士たちの前では無理をして強い指揮官を演じていたが、彼の弱気な性格が変わったわけではない。
「ほら、ちゃんとスネイカー様に謝りなさい」
(ん?)
ジェイドの声がしたので振り向くと、ソニアとジェイドに挟まれるようにして、頬を腫らした少女が立っていた。さっきソニアに殴られた兵士だ。
少女はスネイカーの前に立ち、目を合わせてきた。意志の強さを感じさせる、まっすぐな瞳だ。
「あの……さっきは失礼なことを言ってすいませんでした」
少女は頭を下げた。
「ああ、俺は気にしていない。これからは君も、生き残るために戦ってほしい」
「……命令ならば戦います。でも私は、この状況で勝てるとは思えません」
「てめえ! まだそんなことをぬかすか!」
「いいんだ、ソニア」
スネイカーはソニアをなだめてから、少女に問いかけた。「えーと、君の名前は?」
「……ランです」
「ラン、君が何を思おうと自由だ。でもその考えは、君の胸に収めておいてくれ。他の兵士たちの士気を下げることになりかねない」
「……わかりました」
ランはつぶやくように答えると、敬礼をしてから小走りに立ち去った。
「スネイカー様、気を悪くなさらないでください」
ジェイドが申し訳なさそうに言った。
「ランは入隊して間もないのですが、周囲に合わせることが苦手で、思ったことをすぐに口に出してしまうんです。サー・レックスに石像の掃除を命じられた時も、『なんでそんな無駄なことをしなきゃならないんですか?』と口答えをして、殴られたことがありました。相手がだれであろうとかみつくので、みんなから『狂犬』なんて呼ばれています」
(すごいな、俺が怖くて言えなかったことを言ったのか)
「殴られただけで済んだのは運がよかったな。たいした度胸だ。相手が誰であろうと自分を曲げないのは、芯の強い人間だからできることだ」
スネイカーは素直に感心していた。
「兵士としては褒められた資質じゃないですがね」
ソニアは腹立たしげだ。「あんな奴が1人いると、全体の士気を乱すことになりかねません。今のうちに斬っておきましょうか?」
(冗談じゃないぞ)
「軍規違反を犯したわけじゃないのに、大事な兵士を殺すなんてとんでもない。君は兵士長として、ランが孤立しないよう気にかけてやってくれ」
「スネイカー殿がそう言われるなら、そうします」
それから3人は協力して、今やるべきことを片付けていった。
従騎士カイルの埋葬は、司祭と下働きの者たちに任せた。
食糧の管理は今まで家令が行っていたそうなので、籠城中も彼が担当するように依頼した。家令は責任をもって行うことを約束してくれた。
援軍要請も、すぐに行わねばならない。
レイシールズ城には王都と手紙をやり取りするため、専任の伝令が常駐している。スネイカーは王に宛てた書面をしたため、伝令に渡した。
伝令が西門から出発するのを見送ってから、不安になった。
(リンカルス陛下は、すぐに援軍を派遣してくださるだろうか?)
王には将校の任命式で謁見したことがあるが、あまりよい印象は持っていない。
世間の評判でも、王は酷薄で情に薄い性格だと言われている。
(王都以外にも援軍を要請しておいた方がいいかもしれないな)
「ダーナン城とグレイスロー城、それから公都コーンプールにも援軍要請の使者を送ろう」
そう言うと、ジェイドが意外そうな顔をした。筋を通すなら、王にだけ援軍要請を行うのが道理である。軍を動かす権限を持っているのは、基本的には王だけだからだ。
「各地の城主は、王の許可なく軍を動かすことは許されていません。彼らは王に指令を仰いでから動き始めるでしょうから、個別に援軍を依頼する意味は薄いのでは?」
「この緊急事態に、いちいち王にお伺いを立ててからでないと動かないのでは、司令官失格だ。規則通りにしか動くことができない者は、将校をやめて兵士になったほうがいい」
「ハハッ、スネイカー殿はなかなか手厳しいですね。それじゃあほとんどの騎士は、兵士に格下げした方がよさそうです。あいつらは王の命令は絶対だと思ってますから」
ソニアは愉快そうに言った。
「実は今挙げた3か所には、俺の同期生が配属されているんだ。彼らなら迅速に手を打ってくれると思う」
「なるほど、花の第8期の卒業生なら、騎士と違って臨機応変な対応をとれるでしょうね」
「ああ。ただし彼らは俺と同じく新任将校なので、軍内での発言力は弱い。だから打てる手は限られているだろうが、できるだけのことはしてくれるはずだ」
「同期の絆は強いってことですか。あたしにはそういう仲間がいないから、うらやましいです」
それからスネイカーは援軍要請の書状を追加で3通書き上げた。
書状を3人の使者に託し、彼らが旅立つのを見送ったところへ、ソニアが息子のアダーを連れてやってきた。
「スネイカー殿の部屋の用意ができました」
「俺の部屋?」
「はい。今までサー・レックスが使っていた部屋をスネイカー殿が使えるよう、アダーに命じて片付けさせてたんです」
「一番広くて日当たりのいい部屋ですよ」
アダーは得意げに説明した。「でも趣味の悪い内装だったので、僕が模様替えをしておきました。もちろんしっかり掃除をしましたし、ベッドのシーツも交換してあります」
「そうか、わざわざありがとう」
「スネイカー殿、これからはアダーを従者として使ってやってください」
ソニアが意外なことを言った。
「え? いや、俺には従者なんて必要ないが」
「何を言ってるんですか。今やスネイカー殿はこの城の城主です。従者がいないなんて考えられません。アダーは12歳にしては気がきくので、きっと役に立ちます」
「はい、僕にできることなら、なんでもやります」
アダーは乗り気なようだ。
「ずっと女たちの相手をしていたら疲れるでしょう。部屋にいる間ぐらいは心を休めてください。アダーなら、いい話し相手になりますよ」
(確かに、虚勢を張り続けていたら心がもたないな)
スネイカーは兵士たちの前では強い指揮官を演じることにしたが、常に演技をし続けるのはつらいものだ。アダーが相手なら、素のままで接してもいいかもしれない。
「そうだな。じゃあアダー、これからよろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします」
アダーは嬉しそうに、ぺこりと頭を下げた。
沈みかけの夕日が、辺りを赤く照らしている。
スネイカーはアダーに案内されて主塔にやってきた。主塔は内郭の中心に位置し、最後の防衛拠点であると同時に、城主の居住空間でもある。
外の階段を上って2階から中に入り、らせん階段で3階に上る。そこから廊下を突き当たりまで進むと、城主の部屋がある。今朝、レックスに着任の挨拶をした部屋だ。
「どうぞ、お入りください」
アダーが扉を開けてくれたので、中に入った。
(なるほど、趣味がよくなっている)
無駄なものがなくなったので、部屋が広く感じる。
それでも机と椅子、来客用のテーブルセット、ベッド、トイレ、戸棚、クローゼットなど、一通りの設備はそろっていた。
スネイカーは窓際まで歩いていき、外をながめた。
内郭の外側はぐるっと高い城壁に囲まれている。城壁の内側には兵舎が隣接して建っており、女性兵士たちはそこで暮らしている。つまり将校であるスネイカーと兵士たちは、別の建物で生活している。
ベッドに移動してマットに腰を下ろすと、アダーが甲斐甲斐しくスネイカーの軍装を解き始めた。
腰に差していた剣を外し、重い鎖帷子も脱ぎ、サーコートとマントも脱いだ。
(ああ、体が軽くなった。気持ちいい)
伸びをしていると、アダーがクローゼットから衣類を取り出して持ってきてくれた。
「この季節、その恰好では寒いでしょうから、ガウンを羽織ってください」
言われた通り、ガウンを羽織った。
「どうぞ、横になって休んでください」
言われた通り、ベッドに横になった。アダーがすかさず毛布を掛けてくれた。
(確かに、12歳なのにしっかりしているなあ)
背中の下の羽毛がやわらかくて気持ちがいい。気を抜くと寝入ってしまいそうだ。一般兵士が藁布団の上で寝ていることを考えれば、めぐまれた身分である。
だからこそ、責任も重い。
「ああ、まさか着任初日にこんなことになるなんて……。たった300人で1万人と戦うなんて、どうしたらいいんだろう? それに女性の兵士たちとどう接すればいいのか、俺にはわからない。士官学校でも、そんなことは教わらなかった」
突然弱音を吐き始めたスネイカーを見て、アダーは目を丸くしている。
「スネイカーさん、さっき中庭で『俺には勝利への道が見えている!』なんて、かっこいいことを言ってたじゃありませんか」
「がんばって強い指揮官のふりをしてたんだよ。兵士たちの前で情けない姿を見せるわけにはいかないだろ?」
「僕の前ではいいんですか?」
「君は兵士じゃないからね。それに君はとても頼もしいから、故郷にいる母さんを思い出したんだ。だからつい、弱音を吐きたくなった」
「…………」
「…………」
「スネイカーさん」
「はい」
「僕はこの城で暮らしている者の中で、最年少です」
「そうなんだ」
「だからみんな、僕のことをかわいがってくれます。息子のようだと言ってくれる人もいれば、弟のようだと言ってくれる人もいました。でも母親のようだと言ったのは、スネイカーさんが初めてです。そして今後、そんなことを言う人は二度と現れないと断言できます」
「ハア」
「ハアじゃありませんよ。僕は子どもなのに、なんで一番偉い人から母親扱いされなきゃならないんですか」
アダーは不満そうに口をとがらせている。
「一番偉い人というのは、一番憂鬱な人のことなんだ。誰にも弱みを見せられないからね。俺が弱音を吐いたことは兵士たちには黙っててほしい。もちろんソニアにもだ」
「言いませんよ。お母さんはスネイカーさんのことを、頼りになる指揮官だと信じてるんですから」
アダーはため息をつきながらも、テーブルの上に置いてあった水差しを取り上げ、グラスに水を注いだ。
「どうぞ、水分補給は大事ですよ」
そう言って、そのグラスをスネイカーに差し出した。
(こういうところが、母さんみたいなんだよな)
スネイカーは体を起こし、差し出されたグラスを受け取った。のどが渇いていたので、すぐにゴクゴクと飲み干す。
「これはいい水だね」
「はい、この城の井戸からくみ上げた水です」
「井戸か……」
スネイカーは暗い表情で顔を伏せた。「井戸というのは、突然水が出なくなることもある。ああ、そうなったら俺たちはおしまいだ」
「今からそんな心配をしても仕方がないでしょう」
「心配するのが俺の仕事だよ。戦場は常に霧に覆われていて、何が起きてもおかしくないんだ。想定外のことは起きると思ってた方がいい。大地震が起きて城壁が崩れるかもしれないし、俺が階段で足を踏み外して、頭を打って死ぬかもしれない」
「まさか、そんなことが――」
「アダー、指揮官にとってもっとも重要な資質はなんだと思う?」
「え? そうですね……やっぱり統率力でしょうか」
「そうじゃない。もっとも重要なのは『運』だよ。過去の名将たちに同じ質問をすれば。10人中9人はそう答えると思う。どれほど能力が高くても、運が悪ければあっさりと死ぬ。運が悪い指揮官は決して歴史に名を残すことができない」
「運なんて、自分ではどうしようもないじゃないですか」
「せいぜい神に祈ることぐらいかな。まあ神に祈ったとしても、死ぬときは死ぬんだけど」
「スネイカーさんは死なないでください。指揮官がいなくなったら、兵士たちも死にます」
「俺が生きていても、きっと兵士は死ぬ。この状況で1人も戦死者を出さないというのは現実的じゃない。そして兵士の死の責任は、すべて指揮官にある。兵士が死んだ時、俺の心が耐えられるかどうか……」
(こんなことを考える人間は、軍事指揮官には向いてないのかもしれないな)
スネイカーは学生時代に戻りたくなった。
「スネイカーさん……」
アダーも複雑な表情をしている。スネイカーが弱音を吐くので、この戦いの行く末が不安になってきたのかもしれない。
「いや、今夜のことを考えると、そうも言ってられないか」
「どういうことですか?」
スネイカーは暗い顔で答えた。
「今夜俺は、兵士の誰かを殺さなきゃならないかもしれないんだ」