31.王太后メロディア
「スネイカー様……ごめんなさい……、ひっく……ごめんなさい……」
隣の独房から、ランのしゃくりあげる声が聞こえてくる。
スネイカーのいる独房とは厚い壁で隔てられているが、廊下に面する部分は鉄格子なので、声は聞こえるのだ。
ランがリンカルス王に対して罵詈雑言を浴びせたのは、昨日のことだ。ランはその場で衛兵に取り押さえられ、王の命令によって牢に入れられた。すぐに殺されなかっただけ、幸いと言っていい。
(だが俺まで牢に入れられるのは予想外だったな)
スネイカーも監督責任を問われ、その場で投獄を言い渡された。宰相や家臣たちは功績を理由に反対したが、王の怒りは収まらなかったのだ。
「もう泣くな、ラン」
スネイカーは姿の見えない相手に語りかけた。「感情に任せて言葉が乱暴になったのはどうかと思うが、言ったことは間違っていない。むしろ俺が言いたかったことを代弁してくれて感謝している。きっと誰もがそう思っているだろう」
鉄格子の向こうでは、看守たちがうんうんとうなずいている。彼らはスネイカーとランに同情しているようで、できるだけ快適に過ごせるよう便宜をはかってくれていた。リンカルスの人気のなさがここに表れている。
(とはいえ、先行きは暗いな)
宰相や高官たちはスネイカーを罰することには反対しても、ランを許すことはないだろう。公の場で王に暴言を吐いた兵士を許しては、秩序が保てなくなるからだ。ランはいつ刑場に引き出されても不思議ではない。
(いや、そうならないよう、きっとリンクードたちが動いてくれる)
花の第8期の同期生たちはなんとかこの状況を打開しようと、各方面に働きかけてくれているはずだ。
(リンクードは公子だから発言力が高いし、エステルとフィディックも有望な将校なので無下には扱われないだろう。リヴェットは……暴れ出さなければいいが)
そんなことを考えていると、廊下の向こうから複数の人間の足音が聞こえてきた。こちらに向かってくるようだ。
「スネイカー、遅くなってすまない」
リンクードだ。その後ろにはエステルとフィディックとリヴェットもいる。彼らの笑顔を見てスネイカーは安堵した。どうやらうまくやってくれたようだ。
リンクードは自ら鉄格子の鍵を開け、スネイカーとランを牢から出した。
「ありがとう、助かったよ」
スネイカーが礼を言うと、リンクードは優しく微笑んだ。
「あの……私は……」
ランは辺りをキョロキョロしている。状況がわからずにとまどっているようだ。スネイカーは、まず彼女を安心させてやることにした。
「ラン、もう大丈夫――」
「もう大丈夫だぞ、スネイカーっ!!」
「ぐへっ」
リヴェットが抱きついてきた。相変わらずの馬鹿力で締め付けられ、息が詰まった。
「それにしてもリンカルスの野郎、スネイカーまで牢に入れやがって!」
リヴェットは体を離すと、王に対する怒りをぶちまけた。
「怒りに任せて功績ある将校を罰しようとするなんて、王の器には程遠いですね」
フィディックも辛らつに王を批判した。
「そんなことを言ってると、君たちまで罪に問われかねないぞ」
スネイカーは彼らの身を案じて言った。
「ここで陰口を叩くぐらいならいいでしょう。僕は自分の身がかわいいので、面と向かって王を怒鳴りつけるようなことはしません」
「そうだな、すごいのはランだ」
エステルはランの両手を握った。「私は君を尊敬する。よくぞ王の前で言うべきことを言った。すばらしい勇気だ」
「あ、あの、私はスネイカー様を侮辱されて頭に血が上っただけで、自分が何を言ったかよく覚えてないんです。そのせいでスネイカー様に迷惑をかけてしまって」
「俺のことは気にするな。さっきも言ったが、君は間違っていない。あの王にはいい薬になっただろう」
「スネイカー様……はい」
うなずくランの頬を、幾筋もの涙が伝った。
「ラン君、仲間たちは君のことをとても心配していたぞ。すぐに元気な姿を見せてやるといい」
リンクードはいたわるように言った。「スネイカー、君は私についてきてくれ。これから君を助けてくださった方のところへ、挨拶に行く」
「えっ? 俺たちを牢から出してくれたのは、君たちじゃないのか?」
「残念ながら、私たちにはそこまでの力はなかった。王を諌めて君たちを牢から出したのは、もっと高貴なお方だ」
ランと別れ、スネイカーたちは王城の2階までやってきた。
その人物の部屋の前には、護衛の騎士が2人立っていた。彼らはリンクードの姿を見ると、ビシッと敬礼をしてきた。
「どうぞ。王太后陛下が中でお待ちです」
「うむ」
スネイカーたちを助けたのは、王太后のメロディアだった。先王タイパンの妻であり、現国王リンカルスの実の母親である。この国で唯一、リンカルスが頭が上がらない人間だ。
リンクードの後に続き、スネイカーは王太后の部屋に入った。エステル、フィディック、リヴェットの3人もその後に続く。
部屋の内装は豪華で、柑橘類のような香りが辺りにただよっていた。香が焚かれているのかもしれない。
メロディアは窓際のテーブルで、お茶を楽しんでいた。
年齢は50代後半のはずだが、とてもそうは見えないほどの若々しさだ。艶のある金色の髪を複雑な形で編み込んでおり、それが実に似合っている。
カップの取っ手をつかんでゆっくりと持ち上げ、その中身を口に流し込む。ただそれだけの動作が洗練されていて、見惚れるほどに美しい。
しかしスネイカーの視線はメロディアよりも、その向かいの席に座っている少年に引きつけられていた。
(なぜここにいる……?)
アダーだった。
スネイカーと兵士たちが王に謁見している間、彼は王城の控えの間で待っていたはずだ。
あの後、彼がどうなったかはずっと心配していたが、まさか王太后の部屋にいるとは想像もしていなかった。
「スネイカーさん! よかった、無事だったんですね!」
アダーが立ち上がり、駆け寄ってきた。そのままスネイカーに抱きつき、腹に顔をうずめる。スネイカーは混乱しながらも、少年の肩に手をおいた。
「アダー、どうしてここに? 今までどうしていたんだ?」
「えーと、スネイカーさんが牢に入れられたって聞いて、なんとかしなくちゃと思って、それで――」
「あなたたち、再会を喜ぶのは結構ですが――」
メロディアが声をかけてきた。「まず私に挨拶をするのが筋ではないですか?」
あわててスネイカーたちは王太后の前に進み出ると、片ひざをついて挨拶をした。
「よろしい。ではスネイカー、そこに座りなさい」
(王よりもはるかに威厳があるな)
スネイカーは言われた通り、メロディアの向かいの席に座った。その隣にアダーが座る。
リンクードたちはその後ろに並んで立った。
「その少年のことが気になるようですね」
メロディアはこころもち頬をゆるめて話しかけてきた。
「はい、なぜここにアダーがいるのでしょうか?」
「彼はあなたを牢から出すため、私に助けを求めてきたのです」
(王太后に助けを?)
普通に考えれば、兵士の息子に過ぎないアダーが面会を許されるはずがない。
「陛下はアダーのことをご存じだったのですか?」
「会ったことはありませんでした。ですが彼の母親のことはよく知っています」
「ソニアを?」
「ええ。ソニアは兵士になる前、王城で働いていたのです。彼女はタイパン専属の使用人でした。だから私も毎日のように彼女に会っていました」
ソニアが王の使用人をしていたとは初耳である。
「確かソニアは、働き手の夫に先立たれたので、息子を養うために兵士になったと言っていましたが」
「彼女はそんな説明をしたのですか。まあ大筋では間違っていませんが、正確ではありませんね。彼女は結婚はしていません。相手の男はすでに結婚しており、子どももいたのですから」
「そうなのですか」
(不義の関係だったのか)
兵士たちの過去については、できるだけ詮索しないようにしていた。女でありながら兵士になる道を選択するのは、やむにやまれぬ事情があっただろうからだ。
「もっとも、たとえ相手の男が独身だったとしても、使用人の分際で王と結婚できるはずがありませんが」
「……え?」
「ソニアの相手の男はタイパンです。タイパンが使用人のソニアに手をつけたのです」
「…………!」
言葉を失った。
(名君の誉れ高い先王が、ソニアと不義の関係を結んだ……? それじゃあアダーは……)
「あまつさえ、子どもまでつくってしまいました。それを知った当時の私は、烈火のごとく怒りました。ソニアを殺そうとまで考えましたが、タイパンが床に額をすりつけて謝るので、つい許してしまいました。それからソニアは自ら王都を出て行き、1人で子どもを産みました」
「その子どもが……アダーなのですか?」
「はい。その後ソニアは身分を隠して兵士に志願し、レイシールズ城に配属されました。タイパンがつくった女性兵士制度の最初の応募者でした。タイパンは彼女の境遇を把握していましたが、関わることは避けていました。私がそうするように言ったからです」
メロディアは微笑んでいる。スネイカーの驚く顔を見て楽しんでいるかのようだ。
「アダーはタイパン様の子として認知されているのですか?」
「ええ、アダーという名前をつけたのもタイパンなのです。このことを知っているのはごく一部の人間だけですが」
つまりアダーは先王の庶子であり、現在の国王リンカルスの腹違いの弟ということになる。
スネイカーは隣に座るアダーに顔を向けた。
「王太后陛下に助けを求めたということは、君は自分の生い立ちについて知っていたんだな」
「ごめんなさい」
アダーは視線を合わせるのを避けるかのように、顔を伏せたまま謝った。「スネイカーさんには伝えるべきかとお母さんは迷っていましたが、伝えれば気を遣われてしまうんじゃないかと心配したんです。少なくとも防衛戦が終わるまでは、僕にも黙っているようにと……」
「……そうか」
(言ってほしかったな)
スネイカーはソニアの気持ちを想像し、ため息をついた。




