30.玉座の間にて
リンカルス王への謁見は、玉座の間で行われた。
スネイカーは左右に立ち並ぶ家臣たちの間をぬって玉座の前に進み出て、片ひざをつく。後方ではレイシールズ城の兵士たち221人が、同じ姿勢で控えている。
エステルたち同期生は後日謁見することになっており、ここにはいない。
「スネイカー、面を上げよ」
「はっ」
王の呼びかけに応え、顔を上げた。
リンカルスがいかめしい表情で、スネイカーを見下ろしていた。
父である先王タイパンと比べられて暗愚とみなされることが多い王だが、きらびやかな王冠と豊かなひげで装飾された顔は、それなりに威厳がある。年齢も38歳の男盛りだ。
(相変わらず、感情の読めない方だ)
王に会うのは初めてではない。士官学校を卒業後、任官される時にその手から辞令を受け取っている。
「貴様は、私が援軍を送らなかったことを不満に思っているか?」
リンカルスは抑揚のない声で、そんなことを問いかけてきた。いきなりこの話から始めるのは予想外だ。
(どうも、あまり機嫌がよくないようだな)
援軍が来なかったことはもちろん不満だが、だからといってこの場で王を非難するのは得策ではない。王は家臣の諫言を素直に受け入れる人物ではないことを知っている。
褒美を頂戴したら、さっさと退出してしまうべきだ。兵士たちを内地に異動させるという要望は、場を改めて王以外の人物に願い出た方がよいだろう。
「いえ、陛下にはお考えがあってのことでしょう。不満はありません」
「もちろん私には考えがあった」
リンカルスは傲然と言い放った。「私はレイシールズ城など放棄するつもりだったのだ」
「それは……どういう意味でございましょうか?」
「貴様らはあんな城を守ろうとせず、さっさと撤退すればよかったのだ。そうすれば無駄な戦死者を出すこともなかっただろうに」
(くっ……!)
皆で必死で戦ったレイシールズ城の防衛戦を、完全否定されてしまった。納得できるものではない。
無駄な戦死者という言葉も看過できない。ソニアや兵士たちは国のために勇敢に戦い、命を落としたのである。
「恐れながら申し上げます」
スネイカーは言葉を選びながら反論する。「撤退という選択肢は、我々にはありませんでした。我が国の軍法では、戦わずに城を明け渡すことは重罪です」
前線の城には、味方が戦いの準備を整えるまで時間稼ぎをする義務がある。そうしなければ敵の侵攻軍は、あっという間に進軍してくるだろう。
「それはもちろん知っておるが、今回に限り許してやるつもりだった。私は寛大だからな」
(何を勝手なことを)
今回に限りなど、そんな王の気まぐれがスネイカーたちにわかるわけがない。
戦略的にも、レイシールズ城を放棄することは悪手である。
「もし我々が戦わずに逃げていれば、共和国軍はさらに奥深くまで攻め入ってきたはずです。そうなれば多くの町や村が奪われ、国民の生命や財産が失われていました」
「町がいくつか攻め落とされたとしても、後で勝てば取り返せる。私は敵軍を内地に引き入れてから会戦に持ち込むつもりだった。そのために迎撃の準備をしていたのだ」
「陛下、町を取り返したとしても、死んだ国民の命は戻りません」
宰相のウォーレンが口をはさんだ。「それにレイシールズ城で敵を食い止めてくれなければ、迎撃の準備を整える前に王都まで侵攻されていたかもしれません」
「だとしても、王都まで落とされることはあり得ぬ」
リンカルスはイライラした様子で言い返した。「王都まで侵攻させてから伸び切った補給線を断てば、敵を壊滅させることができたはずだ。侵攻軍はこの寒さで士気も落ちていただろうしな」
(どうも王は俺たちの手柄を認めたくないようだな)
まさか褒美を与えるのを惜しむほど、王はみみっちいのだろうか。
(いや、おそらくは自分の失敗を認めたくないのだろう)
王が援軍を出さなかったことを、家臣や住民たちは批判していると聞いている。そのような批判の声を耳にして、自分の行為を正当化しようとしているのかもしれない。
スネイカーは兵士たちの働きに対して真っ当な評価をしてほしいだけだ。そうでなければ必死に戦った彼女たちが報われないし、死んでいった者たちも浮かばれない。
「レイシールズ城を防衛するという決定をしたのは私です。それが間違っていたならば、責任は私にあります。ですが兵士たちは圧倒的に不利な状況にもかかわらず、私の指示に従って勇敢に戦い、勝利という最高の結果を残してくれました」
スネイカーは懸命に訴える。
「兵士たちは全員が女です。今まで数合わせとしかみなされていなかった女性兵士が、初めて実戦で結果を出したのです。これは我が国にとって大きな意義のあることです。
彼女たちの働きに対してふさわしい評価をすれば、世の女性たちは自分も軍に入隊しようと考えるでしょう。そうなれば王家の戦力はさらに増強され、反抗的な諸侯も王家に従うようになります。そしてペルテ共和国も、我が国を攻めようとは考えなくなるでしょう」
ただ褒美を与えろと言うのではなく、それが王家にとって利があることを強調した。
「まこと、スネイカーの言うとおりです」
宰相も同調してくれた。「先王が女性兵士を募集すると言った時、私を含めて重臣たちは反対しました。ですがこの結果を見れば、先王が正しかったことは明らかです」
「む……」
「先王の軍制改革はそれにとどまらず、士官学校を創設して平民にも将校になる道を開きました。そのおかげでスネイカーのような優れた将を得ることができました。今回の戦いに勝てたのもそのおかげです。陛下もそう思われませんか?」
「ちっ……」
リンカルスはそう思ってはいないようだ。苦虫を嚙み潰したような顔で舌打ちをしている。
(ああ、これはまずいなあ)
スネイカーはリンカルスの気持ちを察した。
彼は先王タイパンに対して強いコンプレックスを抱いている。名君と尊敬されていた父親と事あるごとに比べられ、嫌気がさしているのだ。
「そうかそうか、スネイカーよ、よくがんばったな。褒美として、新たに応募してくる女兵士も貴様に与えよう」
不機嫌さを隠そうとしないリンカルスは、投げやりな口調で言った。
「女が戦うのは男の気を引くために決まっている。貴様は男としての魅力を存分に利用して、レイシールズ城の女兵士たちを籠絡したのであろう? これからもそうするがいい。いや、たいした色男だ。さすがに300人も相手をするのは、私には無理だ」
スネイカーはリンカルスに対する敬意を完全に失った。いくら機嫌が悪いからとはいえ、功績ある将や兵士を満座の中で辱めていいはずがない。
(これが、この国の王なのか)
国の将来を考えると、暗澹たる気分になる。
この王に何を言っても無駄かもしれないが、ここまで侮辱されて黙っているわけにはいかない。
「恐れながら――」
スネイカーが反論しようとした時、玉座の間に女の怒声が響き渡った。
「スネイカー様を侮辱するな!!」
驚いて振り返ると、1人の兵士が立ち上がっていた。
「それが国を救った英雄にかける言葉? くっだらないっ! こんな奴が王だなんて、吐き気がするわ!」
ランだった。
スネイカーの着任初日に無礼なことを言って、ソニアに殴り倒された少女である。
(まさか……)
信じられない光景に、スネイカーも周囲の者たちも唖然とする。
兵士のような低い身分では、王に声をかけることさえ許されない。ましてやこんな暴言を吐いたら、ただでは済まない。
「あんた偉そうなこと言ってるけど、ずっと玉座に座ってるだけで何もしなかったでしょ? そのことは責められて当然だよ! あんたが援軍を出してれば、ソニア兵士長たちも死ななかったかもしれないのにっ!
ソニア兵士長は言ってたよ。あんたの父親のタイパン様は素晴らしい王様だったって。タイパン様は自ら前線に出向き、兵士たちにも直接声をかけていた。手柄を立てた者に褒美を惜しむこともなかった。あんたとはえらい違いだよ。あの方の唯一の失敗は、不出来な息子を跡継ぎにしたことだね。
あんたは性根が腐ってるから、女の兵士と聞いていかがわしいことしか想像できないみたいね。私たちは男の気を引くために戦ったんじゃない。国、家族、仲間、そして未来の子どもたちを守るために戦ったの。それが兵士としての誇りだった。
そんな気持ちになったのは、スネイカー様が指揮官として私たちを導いてくれたから。スネイカー様がいなければこの国にどれほどの被害が出ていたか、中身がない頭で想像してみなさい。
スネイカー様こそがサーペンス王国の英雄! 英雄を侮辱する者に王の資格はない!
その汚い王冠を脱いで、偉そうなひげを剃って、下品な椅子から下りなさいっ! そしてここから消え失せろっ!」
玉座の間は沈黙に満たされた。誰もが呆気にとられていた。
リンカルスは魚のように口をパクパクさせている。ショックで声が出ないようだ。
多くの者が見ている前で、王が女性兵士にきつい言葉で怒鳴りつけられた。
大衆にとって痛快なこの話は、国中に知れ渡るだろう。王にとってこれほどの屈辱はない。
(そういえば、ランの異名は『狂犬』だったな)
以前にジェイドが言っていたことを思い出した。誰に対してもかみつくかららしい。
きっとランは相手が誰であっても、言いたいことを言うのだろう。
たとえ、殴られようとも。
たとえ、処刑されようとも。




