3.生きるために
ソニアに殴られた女性兵士は地面に倒れこんだ。
女が拳で殴るのも殴られるのも、スネイカーにとっては初めて見る光景だった。
「このバカちくしょう! 貴様は自分が何を言ったかわかっているのか! この方は我々の指揮官だぞ!!」
ソニアのすごい剣幕に圧倒されたのか、殴られた兵士は大きく目を見開き、ポカンと口を開けている。
とりあえず大けがはしていないようで、スネイカーはホッとした。ソニアが手加減したのかもしれない。
(それにしても、いきなり殴るなんて……。これが本物の軍隊ってことか)
上下関係が厳格な軍隊において、兵士が将校に対して無礼な口をきくことは許されない。
(でも、さっきはソニアも僕に対して無礼な態度をとっていたような……)
スネイカーは不審に思ったが、すぐにその考えが間違っていることに気付いた。さっきまでとは状況が違うのだ。
じきに共和国軍がこの城を攻めてくる。そんな非常事態において指揮官を務められるのは、唯一残っている将校のスネイカーだけだ、
ならばスネイカーの権威がゆらぐことがあってはならない。兵士がスネイカーをあなどるようになれば、軍は崩壊する。それは、ここにいる者たち全員の死と同義である。
熟練兵であるソニアはそのことをよく理解しており、下士官としての役目を果たしたのだ。
ならばスネイカーも将校としての役目を果たさねばならない。それはこれから行われる防衛戦の指揮をとることだ。
(でも、僕にそんなことができるのか?)
状況は最悪である。こちらの兵力は女性兵士がたった300人。他に城で働く者が70人ほどいるが、彼らは非戦闘員なので戦力としては期待できない。
それに対する敵の兵力は1万人だ。人間よりも身体能力の高い異種族もいるし、1人で1500人を焼き殺すような魔法使いまでいる。
魔法使いとの戦い方は、士官学校でも教わっていない。戦争において魔法が使われた例はほとんどなく、研究がなされていないのだ。
「スネイカー様、どうか私たちに指示を出してください」
副兵士長のジェイドが神妙な顔で懇願した。
他の兵士たちもスネイカーの周りに集まってきた。
「将校殿、助けてください!」
「私はまだ死にたくありません!」
「どうか私たちを導いてください!」
彼女たちは恐怖で平常心を失っているようだ。
もともと女性兵士たちは戦力として期待されていなかった。戦う覚悟などできているはずがない。
騒ぎを聞きつけたのか、多くの者たちが中庭に集まってきていた。
女性兵士の他にも、家令、料理人、馬丁、会計係、大工、下働きの者など、レイシールズ城で暮らす者たちが顔をそろえている。
彼らは一様に、すがるような目でスネイカーを見つめていた。
(僕は、彼らの命を握っているんだ)
おびえる者たちの顔を見ているうちに、スネイカーの胸に責任感がわきあがってきた。
「立場が人をつくる」という言葉があるように、立場が変われば、人はその立場にふさわしい態度を示すようになる。
今のスネイカーがそうだ。ただの見習い将校から、300人の兵士を率いる指揮官へと立場が変わったのだ。
ならばその立場にふさわしい態度をとらねばならない。
スネイカーは自分が理想とする指揮官の姿を思い浮かべた。
勇敢で、冷静で、社交的で、誠実で、統率力と知識と想像力に優れる。そんな最高の指揮官を演じる必要がある。
「みんな聞いてくれ、僕は――」
(いや、これじゃだめだ)
強い指揮官を演じるなら、言葉づかいから改めねばならない。スネイカーは言い直した。
「俺はスネイカーだ! 戦死したサー・レックスに代わり、これより君たちの指揮官となる!」
その声は周囲を圧した。戦場で指揮をとる指揮官にとって大声は必須の技術であるため、士官学校で発声の訓練は行っていた。
「聞け! 誇り高きサーペンス王国の兵士たちよ!」
スネイカーの姿が一変していた。
その表情は獲物をねらう肉食獣のように鋭く、獰猛になった。
目は昼行性のヘビのようにギョロリと見開かれ、その瞳の奥には黒い炎が揺らめいていた。
体全体から闘気が立ち昇り、漆黒の髪は重力を無視して逆立ち始めた。
「俺たちの仲間は共和国軍の卑劣な奇襲によって全滅した! 断じて許すわけにはいかない!」
さっきまでの弱気な青年の姿は、そこにはない。
ソニアとジェイド、そしてアダーは、スネイカーの変貌ぶりに目を丸くしている。
「1万人の敵軍が、明日にもレイシールズ城を攻めてくるだろう! だが怖れる必要はない! 俺がここにいるからだ!!」
今までのスネイカーならば決して言わなかったであろう、自信過剰なセリフだ。
(うう……恥ずかしい。でも、恥ずかしがってる場合じゃない)
ここにいる者たちの不安を打ち消すためには、スネイカーが優れた指揮官であることを信じさせねばならない。
「確かに俺は士官学校を卒業したばかりだ! だが案ずるな! 実戦経験はないが、俺は戦史を学んだ! 歴史には過去の偉人たちの知恵が詰まっている! その知恵を踏まえれば、どんな不利な状況からでも勝利をつかむことはたやすい!」
(我ながら、ひどい大言壮語だな)
「その通りだ!」
ソニアが大声を上げて同意した。「スネイカー殿は王立スペイサード士官学校を首席で卒業しておられる! 最強世代と呼ばれる『花の第8期』の卒業生の中で第1位と認められた方だ!」
「同期生には『常勝』の異名を持つ、女騎士エステルもいました!」
ジェイドも続けた。「スネイカー様はそんな天才たちの上に君臨されていたのです!」
女性兵士たちがざわついている。軍に身を置く者でエステルの名を知らぬ者はいない。
「あのエステル様より上なの!?」
「花の第8期なら、あたしも聞いたことがあるよ!」
「私も! 『常勝』のエステル以外にも、『完璧』のリンクードとか、『堅実』のフィディックとか、すごい人たちがそろってたそうだよ!」
「あの将校さん、そんな人たちを押しのけて首席だったんだ……!」
彼女たちは口々に驚きの声をあげた。
(学友の名声に助けられたな)
こんな自慢の仕方はみっともない気もするが、兵士たちの不安を取り除くためには仕方がない。
スネイカーはさらに声を張り上げて演説を続けた。
「しかもレイシールズ城は国内でも屈指の堅城だ!
城は高台に建っているため、攻撃側は傾斜を上らなくてはならない!
周囲は堀と強固な城壁によって守られている! 外城壁の高さは24ラーグ(約12メートル)を超え、厚さは6ラーグもある!
それでも城壁を越えようとする敵兵は胸壁の狭間から、さらには側防塔からクロスボウで撃ち殺せ!
城門は木製だが金属で覆ってあるので、魔法使いの炎でも燃えることはない!
万が一城内に侵入されたとしても、高くそびえる主塔が最後の砦となる! 各所に備え付けられた射眼から矢を撃ち続ければ、敵は手も足も出ないだろう!
敵は大軍のため糧食が尽きるのも早い! それに対し俺たちは人数が大幅に減ったから、兵糧の備蓄には余裕がある! ソニア、そうだろう?」
「はい、1年でも籠城が可能だと思います! それにしても……スネイカー殿は今日着任されたばかりなのに、どうしてそんなに詳しいんですか?」
「自分が守る城のことは、知っていて当然だ」
「おおっ! さすがは将校殿です!」
「もちろん1年も籠城を続ける必要はない!」
スネイカーは続けた。「その前にきっと王都から援軍が来るだろう! 俺たちは援軍が来るまで、そして敵軍が撤退するまで、この城を守り抜けばいい!」
「はい! あたしたちは死ぬまで敵の侵攻を食い止め続け、援軍が来るまでの時間を稼ぎます!」
ソニアの心意気は立派だが、スネイカーは訂正させることにした。
「ソニア、『死ぬまで』ではダメだ。俺たちは生きるんだ。生きて、この城を守り抜くんだ」
「ですが国のために死ぬなら、意味のある死と言えるのでは?」
「意味があろうとなかろうと、死ぬつもりで戦ってはダメだ」
スネイカーは再び兵士たちに向き直った。
「君たちが戦うのはなんのためだ? 生きるためだろう! 俺は君たちを死なせるつもりはない! どんな絶望的な状況になったとしても、最後まで生きることをあきらめるな!」
勇敢で愛国心が強いソニアは死を怖れないが、他の兵士はそうではないことをスネイカーは見て取っている。
そんな兵士たちに向かって「死ぬまで戦え」などといっても、士気が上がるはずがない。
それにスネイカーと彼女たちは初対面である。初めて会った指揮官に無茶なことを命令されても、内心で反発するだけだ。
もちろん指揮官ならば厳しいことを言わねばならないこともあるが、そのためには事前に兵士たちと強い信頼関係を築いておかねばならない。まず兵士たちの心をつかむことが優先だ。
「この戦いの目標は最後まで生き残ることだ! それ以上に重要なものはない! 生きるために戦え! それが勝利への道だ!」
城の防衛戦においては、兵士たちは生きるために戦わねばならない。
なぜなら、兵の補充ができないからだ。
通常の戦いにおいても、死のうとする兵士は周りが見えなくなり、味方まで巻き込んで死ぬことになる。それでは勝利から遠ざかるばかりだ。
騎士道においては死を怖れずに戦うことが美徳とされている。
だから騎士たちは負け続けた。死ぬことは、勝利に対してまったく貢献しないのだ。
「スネイカー殿、あたしが間違ってました。生きることと勝つことは同じ意味なんですね」
「その通りだ、ソニア。みんなもわかってくれたな?」
ここでスネイカーは、兵士たちに向かってニコッと微笑みかけた。ソニアが「女みたいな顔」と評した優しい笑顔である。
今まで険しい顔で演説していた指揮官が、急に親しみやすさを見せた。女性兵士たちはそのギャップに惹かれた。
「はい!」
「わかりました! 将校殿!」
「私は最後まで生き残ります!」
兵士たちは先を争うように答えた。彼女たちの顔から、おびえの色が消えていた。
人を従わせるには優しいだけではいけないし、厳しいだけでもいけない。兵士たちの心をつかむための最善の態度を、スネイカーは自然に選択していた。
これは演技が上手いだけの人間には不可能なことだ。本人に自覚はなくとも、スネイカーは指揮官としての才能を確かに持っていた。
筆記試験の成績だけで首席をとれるほど、王立スペイサード士官学校は甘くない。
「よく言った! 君たちが生きる覚悟を決めたなら、今の状況は決して絶望的ではない! この防衛戦、俺には勝利への道が見えている!」
(そんな道は見えないけど、押し通すしかない)
内心では不安だらけのスネイカーである。
だが女性兵士たちの気分は高ぶっていた。
兵士にとってもっとも悲惨な事態は、愚かな指揮官を持つことである。それは自分たちの死に直結するからだ。
この新任の指揮官は違う。自分たちを生かし、そして勝利をもたらしてくれる。彼女たちはそう信じた。
優れた軍事指揮官とは、力強い言葉や態度によって兵士の士気を高める者のことだ。
スネイカーは兵士を得たことで、ただの見習い将校から有能な指揮官へと進化した。
1000年に1人と呼ばれることになる軍人の才能が、ついに覚醒したのである。
「あたしたちは生きるために戦う!! そして勝つ!!」
ソニアが腕を高く突き上げて絶叫した。
「私たちに勝利を!!」
ジェイドも続けた。
「勝利を!!」「勝利を!!」「勝利を!!」
誰もが勇ましい声で、口々に勝利を叫んだ。
体の内からわき上がってくる闘争心を、声に出さずにはいられないかのようだった。