27.民主主義国家の重心
ペルテ共和国の最高意思決定機関は、首都での選挙で選ばれた450人の評議員からなる「大評議会」である。
国家元首である総統は、その450人の評議員の中から選出される。
現在の総統は人間族のベルナールだ。彼は4年前に38歳の若さで総統に選出されて以来、8つの種族が共生する国を無難に統治している。
首都アウリーフの官邸でモーリス司令官からの援軍要請を受け取ったベルナールは、すぐに「17人委員会」を招集した。
17人委員会は国の行政を担う機関であり、そのメンバーは総統と、総統が任命した16人の委員たちで構成されている。
サーペンス王国への侵攻を決めたのも、政府である17人委員会だ。
ベルナールは援軍派遣の是非についても、まずは17人委員会の会議にかけることにした。
「モーリスからの書状には目を通してくれたな? 私としては彼の要請に応え、援軍を派遣しようと考えている。諸君の意見は?」
ベルナールは円卓を囲むように居並ぶ委員たちを見回し、問いかけた。
その顔ぶれは実に多彩だ。天をつくような巨人もいれば、小鳥ほどの大きさの妖精もいる。
17人委員会の委員には、各種族から必ず1人以上を入れなければならないという規定があるのだ。
「総統の考えに賛成します」
そう答えたのは人間のオリヴィエ委員だ。彼はベルナールの腹心である。
「議論するまでもありません。勝つために援軍が必要なのであれば、迷わず派遣するべきです。遠征軍が何を得ることもなく撤退するようなことがあれば、国民の反発は必至です」
「オラもそう思うよう。援軍には巨人族の兵士を派遣してもいいよう」
のんびりした声で同意したのは、巨人族のロンガー委員だ。体が大きすぎて、1人で円卓の4分の1のスペースを占有している。
巨人の身長は人間の3倍はあり、パワーだけなら人狼族をもはるかに上回る。その代わり動きは鈍重だ。
「あたしは反対よ。勝ち目がないんなら、とっとと引き揚げなさい」
円卓の上でちょこまかと飛び回りながら不機嫌そうに意見を述べたのは、フェアリー族のピピ委員だ。
フェアリーは巨人とは対照的に、手のひらサイズの大きさしかない。背中の羽を使って飛翔できるが、あまり高くまで飛ぶことはできない。
「だいたいアルデアルドなんかを総司令官にしたら、あたしたちの命令を無視して勝手なことを始めるに決まってるわよ。論外論外」
「さよう、さよう。モーリスは2万人の増援を求めておるようじゃが、そんな大軍をおいそれと動かせるわけがないじゃろう」
樹人族のドローインドロース委員もピピに同意した。
樹人の外見は、まさに「木」である。肌は樹皮で、手は枝、足は根っこの形をしている。枝先に茂る葉が赤や黄に色づいているのは、彼が老人である証だ。
「そもそも1万人もの兵力を与えられていながら、女の兵士が300人しかいない城を落とせないとは、どういうことじゃ? 希少な魔法使いまで殺されたそうじゃが」
「モーリスによれば、敵の指揮官のスネイカーという男が強すぎるのだそうだ」
ベルナール総統が答えた。
「俺もガルズから個別に報告を受けてるぜ。スネイカーは今後のペルテ共和国にとって脅威になるから、今のうちに殺しておくべきだってな」
人狼族のシュリンガー委員も素っ気ない調子で続けた。
「将軍たちは自分の無能をごまかすため、敵を過大に評価しているのではありませんの?」
上品な口調で手厳しい発言をしたのは、エルフ族のサレンティア委員である。見た目は若い美女だが、その年齢は1000歳を超える。エルフは異常に長命な種族で、大きくとがった耳が特徴的だ。
「スネイカーは士官学校を出ているそうです。女性兵士を強力な戦力に仕立て上げたことといい、ルイを殺した手際といい、非凡な指揮官であることは確かでしょう」
人間のディアーヌ委員が語気を強めて発言した。「安全な場所にいる私たちが文句を言うよりも、現場の軍人の意見を尊重するべきだと思います」
それから委員たちは、喧々諤々の議論を繰り広げた。
「ここで軍を引き揚げたら、これまでに費やした戦費が無駄になるだろうが!」
「勝てない戦いを続ければ、さらに無駄なお金を使うことになるでしょ! 損切りができないのは頭が悪い証拠よ!」
「落ち着くんじゃ。わしらは国の代表なんじゃぞ。罵詈雑言は控えよ」
「一刻も早く援軍を送るべきです。もたもたしていると、王国の援軍がレイシールズ城に到着します」
「それは大丈夫だと思うわ。間者の報告では、リンカルス王は援軍を派遣する意志はないそうよ」
「援軍はともかく、兵糧はすぐに送らないといけないよう。兵士たちがお腹をすかせるよう」
「輸送隊にはそれなりの人数の護衛兵をつけないと、また奪われることになるぞ。敵地での輸送を甘く見ないほうがいい」
「ならば、やはり大軍を編成する必要がありますね」
「総統、これ以上の兵士を動員するには、予算が足りないのではありませんの?」
議論の趨勢が援軍派遣に傾きかけたところで、サレンティアが確認した。
「その通りだ、すでに予備費も使い切っている。政府予算の範囲内では、これ以上の兵士の動員はできない」
ベルナールは渋い顔でうなずいた。「レイシールズ城を落とすのに、こんなに時間がかかるとは想定していなかったのだ。モーリスの奴、口ほどにもない」
「軍に文句を言っても仕方ありませんよ。戦争を続けるなら、補正予算を組む必要があります」
ディアーヌがなだめるように言った。
「ならば、大評議会の議決を得る必要があるのう」
ドローインドロースが眉をひそめて続けた。
王が絶対的な力を持っているサーペンス王国なら、国庫の金の使い方は王が自由に決められる。
しかしペルテ共和国では、17人委員会が作成した予算案を大評議会に承認してもらわなければならない。
「ではすぐに補正予算を組み、臨時の大評議会を開いて承認を求めましょう」
オリヴィエが気負った様子で言った。「援軍派遣に反対する評議員など、いないはずです。これは時代遅れの専制国家であるサーペンス王国に対し、民主主義を広めるための正義の戦争であり――」
円卓がドンと激しく揺れたため、驚いたオリヴィエは口を閉ざした。誰かが拳を卓面に叩きつけたのだ。
「正義の戦争ですって!? あなたは本気でそう思っているのですか? ペルテ共和国はサーペンス王国よりも正しいと、自信をもって言えるのですか?」
今まで一度も発言していなかった、リザードマン族のジャクリーヌ委員だ。爬虫類のような目が、怒りに燃え上がっている。
「そ、それはそうでしょう。サーペンス王国の国民は、王や領主に搾取されるだけの哀れな存在です。それに対しペルテ共和国は民主主義を採用しており、すべての国民の人権が保障されています」
「そのすべての国民の中には、リザードマン族も含まれているのかしら?」
「もちろんですよ。ジャクリーヌさんも8種族協和の理念をご存じでしょう」
「私もその理念を信じておったのだがな」
苦虫を嚙み潰したような顔で口をはさんだのは、ドワーフ族のブブダラ委員だ。
「どうやらそれは勘違いだったようだ。戦場というのは、狂気に支配されている場所なのかもしれん」
「どういう意味だ?」
ベルナールは首をかしげている。
「総統は知らんのか」
ブブダラは呆れた様子で、窓の向こうを指差した。「あんたも街に出て、直接国民の声を聞いてみたらどうだ? そうすれば何が起こっているかわかるだろう」
―――
「政府が唱える8種族協和の理念は、嘘だったトカ!」
「レイシールズ城の戦いではリザードマンがひどい虐待をされていたカゲ! 無謀なハシゴ登りをさせられ、死ぬことを強制されていたカゲ!」
「サーペンス王国軍の指揮官の方が、よっぽど人道的だったゲト!」
3人のリザードマンを先頭に、500人を超える集団が首都アウリーフの街路をデモ行進している。
「リザードマンへの差別をやめろ」と書かれたプラカードを掲げているのは、リザードマン保護協会の会員たちだ。種族を越えて集まった、人権意識の高い者たちである。
「栄光ある共和国の軍隊が、そのような非道な行為をしていたとは許しがたいことです! リザードマンはドラゴンとはまったく異なる種族です! 偉大なる蛇神ムーズは、リザードマンに対する差別を決して許さないでしょう!」
リザードマンはドラゴンに似ているという理由で、昔から差別を受けてきた。現在の法律ではすべての種族が平等ということになっているが、国民の間の差別感情は根強く残っている。
特に軍隊のような閉ざされた組織内では、一般社会の倫理が通用しないことがある。
リザードマン族の兵士たちが危険なハシゴ登りをさせられていたのも、そのためだ。
フィリップ、ジェレミー、トテチテタの3人のリザードマンは、ハシゴを登っている時に守備側に捕縛されたが、説得されてスネイカーに協力することになった。
解放された彼らはモーリス司令官に除隊を願い出て許され、帰国して首都へやってきた。
そしてスネイカーの指示に従い、反戦運動を始めたのである。
サーペンス王国でそんなことをすれば間違いなく処刑されるが、ペルテ共和国では政府に対する批判が許されている。デモも合法だ。
「リザードマンが軍で虐待されていたことは本当だ! 俺たちもこの目で見た!」
声を張り上げたのは、戦場から帰ってきたドワーフの男だ。ドワーフの工夫たちもデモ行進に参加していた。
「それだけじゃないぞ! 軍は周辺の村を襲い、略奪を行おうとした! 相手はもちろん民間人だ!」
デモを見物する沿道の住民たちは、衝撃を受けている。
「軍は無法地帯なのか! いまだにリザードマンの差別が公然と行われていたとは!」
「正義の軍隊である共和国軍が、民間人から略奪をするなんて!」
「責任者はどこだ! すぐに処罰しろ!」
首都で平和に暮らす住民たちは、これまで政府の発表以外に戦争の実態を知る手段がなかった。戦場から帰ってきたリザードマンやドワーフたちがもたらした事実は、誰にとっても驚くべきものだった。
「17人委員会は国民の声を無視して、勝手に戦争を始めたトカ!」
リザードマンたちの糾弾の対象は、政府にも及んだ。これもスネイカーの指示による。
「共和国軍は休戦協定を一方的に破って、卑劣な奇襲で1500人の敵兵を皆殺しにしたんだカゲ!」
「そうすることを決定したのは軍ではなく、17人委員会なんだゲト!」
その言葉に、住民たちの怒りはさらに燃え上がった。
「共和国が通告なしに休戦協定を破っただと!? これは王国が仕掛けてきた戦争じゃなかったのかよ!?」
「政府は都合の悪い情報を私たちに隠していたのね!」
「嘘つきベルナールが、また国民をだましやがったのか!」
人々の間で、この戦争に対する疑問の声が高まっていた。
ペルテ共和国は少なくとも建前上は民主主義の国なので、世論が大きな力を持っている。
特に選挙権を有する首都の住民の支持がなければ、戦争を継続できない。予算議決権を持つ大評議会の評議員たちは、有権者の声を無視できないからだ。
スネイカーはそのことをよく知っていた。




