25.名前
自ら軍神と名乗ったことで、自分が本当に軍事の天才であるような気がしてきた。高揚感で痛みも熱さも気にならない。
「俺は君たちの指揮官であることを誇りに思っている! 君たちの一人ひとりが俺の宝だ!」
スネイカーはそう言うと、部屋の隅にいる上品な顔立ちの兵士に視線を向けた。
「マイラ、君は重傷を負っているにもかかわらず、今日の戦いに参加していたな。驚くべき根性だ」
「気付いてくださったのですね」
マイラは心から嬉しそうに答えた。「はい、まだ右腕は治っていませんが、この城を守るためなら痛みなんて気になりません」
彼女はこの防衛戦における最初の重傷者だ。右腕に敵の矢を受け、その矢を抜いた時に矢じりが残ってしまったため、ソニアによって肉を削り取られたことがあった。スネイカーはその間、ずっと手を握っていてやった。
「いいなあ、マイラは名前を覚えてもらえて」
「仕方ないじゃない。初めての重傷者なんだから」
後ろの方で2人の兵士がうらやましそうな声を出した。スネイカーの耳は、その小さな声を拾った。
「シエンナ、それからリリアン、俺は君たちの名前も知っているぞ。シエンナは踊りが上手で、その明るさで仲間たちを元気づけてくれる。リリアンは常に冷静で、誰よりも視力が優れている」
名前を呼ばれたシエンナとリリアンはポカンと口を開けた。
「えっ、嘘……?」
「なぜ私たちの名前を……?」
「君たちの一人ひとりが俺の宝だと言っただろう」
スネイカーはそう言うと、最後列に並んでいる兵士から順に声をかけていった。
「サマンサ、君は高いところが苦手にもかかわらず、いつも胸壁から身を乗り出してクロスボウを撃っている。素晴らしい勇気だ。
レティーシャは毎日欠かさずに武器の点検をしているな。その几帳面さはすべての兵士の模範となるだろう。
パティは誰よりも声が大きい。そのよく通る声で皆の士気を高めてくれている。
ケイト、君は乗馬が得意だそうだな。この戦いではその能力を発揮させてやれないのが惜しい」
兵士たちのざわつきが、これ以上ないほど大きくなった。
「そんな、私の名前を……」
「影の薄さに定評のあるケイト先輩のことまで知ってるなんて」
「ひょっとして、全員の名前を覚えてるの? 300人もいるのに」
「まさか。将校殿がここに来てから、まだ1か月ほどしか経ってないよ」
誰もが信じられないという顔だ。最高司令官の地位にある者が300人もいる一般兵士の名前を覚えているなど、普通は考えられない。
「スネイカーさん、あなたは本当に……すべての兵士の名前を覚えたんですか?」
アダーが唖然とした表情で言った。
「そうだ。きっかけは以前に君が言った言葉だ」
“みんなスネイカーさんに会いたいし、話をしたいし、自分の顔と名前を知ってもらいたいんです”
その時のアダーの言葉は、とても納得できるものだった。
兵士は盤上の駒ではない。誰もがこの世にたった1人の人間であり、個性を持っている。
そのことに気付いたスネイカーは一人ひとりの兵士に声をかけながら、彼女たちの名前を覚えたのだ。
(さすがに300人も覚えるのは大変だったな)
記憶力が並外れている人間であっても、短期間でこれほどの人数の名前と顔を覚えるのは、普通は無理である。
それができたのは、スネイカーが兵士たちのことを好きだったからだ。自分の指示に従って戦う彼女たちを、これ以上ないほど愛おしく思ったからだ。
人間の脳は、興味のないことを覚えるようにはできていない。
「トレイシー、立ったまま眠れるのが君の特技だ。その特技が今後役に立つこともあるだろう。
サラ、故郷にいる妹に再会できるといいな。そのために絶対に勝とう。
アイリーン、君は――」
スネイカーは一人ひとりに声をかけていった。
その中には特に印象深い兵士がいた。着任初日にスネイカーに向かって「頼りなさそうな男」と言い放ち、ソニアに殴られた少女だ。
「ラン、君は今でも、俺のことを頼りないと思っているか?」
「思うわけがないじゃないですか!」
ランは目に涙をためて言い返した。「スネイカー様は最高の指揮官です! 私はスネイカー様の下で戦えるなら、何も怖くありません!」
これまでの戦いを経て、ランもまたスネイカーに心服していた。協調性がなく孤立していた少女の姿は、そこにはない。
そんな彼女に対し、他の兵士たちも暖かい目を向けている。共に命をかけて戦う兵士の絆は、家族や恋人よりもはるかに強い。
スネイカーはこの大広間にいる兵士たちの名前を、さらには医務室で休んでいる重傷者たちの名前も挙げていった。
手元の資料を見ながら、ではない。そんなものを見なくても頭に入っていた。
「君たち全員が俺の宝だ! 俺は何があろうと君たちを見捨てない!」
誰一人としてその言葉を疑わなかった。
スネイカーは名前を覚えてくれている。一人ひとりを個性ある人間として認めてくれている。
自分のことを理解してくれる指揮官のためなら、兵士は命をなげうってでも戦うだろう。
「残念ながら、戦死した者たちもいる」
スネイカーは続けて、戦死した者の名前も挙げていく。
「まずはソニアだ。ソニアは俺たちを助けるため、最後まで残って戦ってくれた。彼女は最期まで勇敢に戦ったはずだ」
誰からも信頼されていた兵士長の名前を出され、兵士たちは沈痛な面持ちになった。アダーは懸命に涙をこらえている。
「多くの兵士がソニアと共に、壁上に残って戦った。仲間のために死ぬことを選択した、勇気ある者たちだ。
グレンダはまだ17歳だった。毎晩欠かさず蛇神ムーズに祈りをささげていたと聞いている。
パーディタはオルガ村の出身で――」
そしてスネイカーは78人の戦死者の名前もすべて言い終えた。
内通者のニーナの名前は出さなかった。彼女は残念ながら、共に戦う仲間ではなかったからだ。
それでも初めて自らの手で殺した人間の名前を、スネイカーが忘れることは決してない。
「それから共和国軍の来襲を知らせてくれた、従騎士のカイルがいる。全身に大やけどを負いながらも駆けつけてくれた彼のことを、君たちも忘れないでほしい」
「カイル君の名前まで、覚えていてくださったのですね」
ジェイドは片方しかない目をスネイカーに向け、感慨深げに言った。
「もちろんだ。彼が知らせてくれたおかげで、俺たちは戦う準備を整えられたんだからな」
スネイカーは死んだ者の名前も覚えている。
それは生きている兵士たちにとって、これ以上ないほど勇気づけられる事実だ。
「俺は君たちに対して、生きるために戦えと言った。しかし残念ながら死んだ者もいる。それでも俺は死んだ者たちを称える。それは決して意味のない死ではないからだ」
兵士がもっとも避けたいと願うのは、無意味な死である。無能な指揮官をもってしまった兵士は、そうなることを運命づけられている。
だが勝利のため、仲間のための犠牲となるならば、それは無意味な死ではない。
自分が死んだとしても、指揮官や仲間が名前を覚えていてくれる。自分が生きた証がこの世に残るのだ。
ならば死を怖れる必要はない。
「明朝、敵は全兵力で攻めてくるだろう!」
スネイカーは再び大声を張り上げた。もはや痛みは感じなかった。「だが、俺はまったく負けるとは思っていない! ここに君たちがいるからだ! 君たちが必ず勝利をもたらしてくれると信じているからだ!」
「はい! 絶対に勝ちます!」
「私たちはこの主塔を守り抜きます! 死んだ仲間たちのために!」
「軍神様に勝利を捧げるために!」
兵士たちの体から噴きあがる闘志で、大広間は熱気に包まれた。
怖れている者は誰もいない。
「この戦い、絶対に勝つぞ!!」
スネイカーは拳を天に突き上げた。自分が重傷を負っていることは、完全に忘れている。
「オオオオオオオオオオッ!!」
兵士たちは勇ましい絶叫で応えた。
(勝った)
彼女たちの目を見て、スネイカーは確信した。
不利な要素はいくらでも挙げられる。
ただでさえ少ない兵士の数が、さらに減ったこと。
ほとんどの城域を制圧されたこと。
唯一の指揮官が重傷を負ったこと。
援軍が来るかどうかわからないこと。
そんなことは、もはや些細な問題だ。
すべての兵士が、死んでも守り抜くという断固たる意志を持っていること。
防衛戦において、それ以上に重要な要素は存在しない。




