23.勝利の雄叫び
肩から腹にかけて、大きく肉を削り取られた。
傷は内臓には達していないようだが、かなりの重傷を負ったことは間違いない。
(ねらいは、俺だったのか)
その人狼のしてやったりという顔を見て、スネイカーは悟った。
実に効果的な戦術だ。指揮官が倒れれば、残された兵士たちは途方に暮れるしかない。
(ここで死ぬわけにはいかない)
人狼の追撃をかわすため、なんとか距離をとろうとする。
だが、相手の方が動きが速かった。
「とどめだ!!」
ガルズが再び鋭い爪を振りかざす。
「させるか!!」
駆けつけてきたソニアが戦鎚で殴りつけた。ガルズは身をよじってそれをかわす。
「女、邪魔をするな!」
「黙れ、犬ちくしょう!」
ガルズの爪とソニアの戦鎚が激しくぶつかった。
ぶつかり合いは互角だ。激しい衝突で互いにバランスを崩した。
ソニアは後ろに倒れ込み、ガルズも後方にふらついて胸壁に足がかかった。
「やあああああっ!!」
いつの間にか現れたググが、ガルズに向かって体当たりを敢行した。体重では大きく劣る彼女でも、速度が加われば大きな衝撃が生まれる。
「ウォッ!? き、貴様っ!」
ガルズの体がのけぞった。その後ろには何もない。ググのねらいは、地面に突き落とすことだ。
「落ちろーっ!」
「くっ! スネイカーの死を確認するまでは、俺は死なぬ――」
ガルズは必死に体勢を立て直そうともがく。そうはさせまいと、ググはしがみつく。
「どっこい……しょっ!!」
ググはガルズに組み付いたまま床を蹴り、そのまま空中へと押し出した。自分も一緒に落ちようとする勢いだ。
「ぬうっ、指揮官を助けるために自ら犠牲となるか」
ガルズは思わず感嘆の言葉をもらしたが、ググに悲壮感はない。子どものように無邪気な笑顔を浮かべている。
(あいつ、死を楽しんでるな……!)
スネイカーはググを怒鳴りつけようとしたが、声が出ない。
そのままググは躊躇なく体を預け、やがて2人は組み合ったまま地上に落下していった。
――と思いきや、落ちたのはガルズだけだ。ソニアが身を乗り出して、ググの足をつかんでいた。
ソニアはググを城壁の上まで引っ張り上げると、大声で叱りつけた。
「おまえはいつもいつも、簡単に死のうとするんじゃねえ!」
そしてポンと頭を小突いてから、続けた。「だが、よくやった」
(無事だったか)
安心したスネイカーは、ひざをついた。足に力が入らない。出血が多すぎる。
「スネイカー殿!」
「将校殿! しっかりしてください!!」
ソニアと兵士たちが駆け寄ってきた。
「大丈夫だ」
と答えたいのだが、やはり声が出ない。
痛い。熱い。現実感がない。
意識がもうろうとしていて、自分が立っているのか倒れているのかもわからない。
「すぐに治療を! いや、まずはスネイカー殿を安全なところへ!」
あせったようなソニアの声が聞こえる。
澄み切った青空が見えた。自分は仰向けに寝かされていた。
(寝ているわけにはいかない。このままでは……)
自分が指揮をとらねば、敵の攻撃を防げない。しかし気力だけではどうしようもなかった。
「ここまでだ! 外城壁を放棄し、主塔へ撤退する!」
ソニアの号令が聞こえた。妥当な判断だと思った。そうしなければここで全滅する。
「早くスネイカー殿を主塔まで運べ! それ以外の者たちも順次撤退しろ! ジェイド、指揮を頼む!」
「わかりました! ソニアさんは?」
「あたしはここに残る!」
(だめだ)
「ソニア……おまえも撤退しろ……」
ようやく声が出た。
「スネイカー殿、誰かが残って敵を食い止めなければ、主塔にまで侵入されます!」
(ああ……いまいましいことに、まったくその通りだ)
「兵士長! 私も残ります!」
「私も兵士長と共に戦います!」
「将校殿や仲間たちを助けるために死ぬなら、本望です!」
兵士たちが、次々に声をあげた。
「よく言った! ではおまえらは、あたしと共に死ね! 国のために死ね!」
(違う! 生きるために戦えと、俺が最初に言ったのを忘れたのか!)
そう言いたかったが、口からはヒューヒューと息がもれるだけだ。
スネイカーは指一本動かせないまま、即席の担架に乗せられて運ばれていった。
もはや考える力も残っていない。
ゆっくりと目を閉じた。
きれいな青空だけが、目に残った。
―――
「おりゃああっ!」
ソニアは戦鎚を振り下ろし、登ってきた人狼の頭を叩き潰した。人狼は低いうめき声と共に落下していった。
ふうっと息をつく。壁上歩廊から中庭に目を向けると、兵士や男たちが主塔へと退避していく様子が見えた。
(なんとかここで敵を食い止めねえと)
壁上歩廊に残っている兵士は、ソニアを含めて80人ほどだ。
スネイカーや仲間たちが主塔に退避する時間を稼ぐため、残った者たちだ。
死ぬ覚悟を決めた者たちの士気は高い。彼女たちの必死の応戦により、なんとか踏みとどまっていた。
踏みとどまれているのは、敵の攻撃がぬるくなったことも理由だ。
絶対的な指揮官であるガルズが城壁から落下し、生死不明のまま後方に運ばれていったため、人狼の兵士たちの士気が大きく下がったのである。
それでも撤退せずにハシゴを登ってくるのは、攻撃の意識が共有されているからだ。
やはり人数の圧倒的な不利はどうしようもない。各所で壁上への侵入を許し始めていた。
兵士たちはクロスボウを剣に持ち替えて迎え撃つが、女性兵士用の軽い剣では、分厚い毛皮に覆われた人狼の体を傷つけることはできない。
「剣を持ったら斬ろうとするな! 突け! 体ごとぶつかって突き殺せ!」
ソニアは戦い方を指示した。斬るよりも突けというのは、スネイカーが内通者を殺した時に言っていた言葉だ。
「ボヒット村の一の太刀!」
ググが気迫のこもった掛け声と共に、人狼の胸を剣で刺し貫いた。
ソニア以外で人狼を相手に有利に戦えているのは、彼女だけだ。
(こいつは当たり前のように残ってるな。頭はおかしいが、有能な奴だ。ここで死なせるわけにはいかねえ)
スネイカーの傷は致命傷ではない。意識が戻れば、きっと敵を撃ち破ってくれる。
ソニアはそれを疑わないが、そのためには優秀な部下が必要だ。ググならば、きっとスネイカーの力になってくれるだろう。
「おいググ! てめえは主塔に戻れ! そしてスネイカー殿を守れ!」
ググにとって思いもよらない言葉だった。
「え!? 今さら逃げろと!? でも兵士長、アタシは――!」
「これは命令だ!!」
「――――っ!」
命令と言われて、ググは言葉を詰まらせた。
「スネイカー殿は今後のサーペンス王国を背負って立つ軍人だ! この防衛戦が終わった後も、力になって差し上げろ! おまえならできる!」
「だったら兵士長も生きるべきです! アダー君のためにも!」
アダーの名前を出されて、ソニアの気持ちが揺らいだ。
(ググのくせに、まともなことを言いやがる)
愛する息子と一緒にいたいのはもちろんだが、それはできない。自分がここを離れれば、戦線が完全に崩壊する。
(あたしは母親失格だな)
「ググ、あたしの代わりにアダーのことも守ってやってくれ。頼む」
ソニアに見つめられたググは、諦めたようにうなずいた。
そんな彼女の背後に、1人の人狼が迫ってきた。
「危ないググ!! 後ろだ!」
「え?」
振り返ったググの頭に、人狼が爪を振り下ろそうとする。
「てええええいっ!」
兵士の1人が人狼に横から体当たりをすると同時に、その脇腹を剣で貫いた。
「ルイーズ隊長!」
ググを助けたのは、第5小隊隊長のルイーズだった。
「ググ、早く主塔へ行きなさい!」
ルイーズは倒れた人狼にとどめを刺しながら、叫んだ。
彼女だけではない。近くにいた兵士たちもググを守るように壁をつくった。
「ここは私たちに任せて!」
「ググ、あなたならできるよ!」
「私たちの代わりに将校殿の力になってあげて!」
「みんな……うん、任せて!」
ググは泣き顔でうなずくと、ビシッと敬礼をしてから背を向け、階段を駆け下りて行った。
それを見届けたソニアは、残った兵士たちに声をかけた。
「よし、あたしたちは1匹でも多く、ここで犬を仕留めておくぞ!」
「はい!!」
兵士たちは声をそろえて答えた。
(あたしはいい部下を持ったな)
だからこそ、死なせたくない。ここに残った勇者たちを、1人でも多く生き残らせたい。
だが、それはできなかった。味方の避難が終わるまで敵を食い止めるためには、彼女たちの力が必要だ。
「この戦いは、あたしたちの勝利だ!!」
ソニアは人狼たちにも聞こえるよう、声を張り上げた。「スネイカー殿は生きている! あたしたちが主塔へ逃がしたんだ! だから勝ったのは、あたしたちだ!」
普通の攻城戦なら、外城壁を越えられた時点で守備側の敗北だ。
しかしスネイカーが指揮をとれば、主塔だけが残された状態でも勝つ。ソニアはそれを確信していた。
「勝った!」
「勝った!」
「勝った!」
兵士たちは勝った勝ったと叫びながら戦った。
城壁を越えてきた人狼は、鬼気迫る形相の女たちによって次々と突き殺された。
しかし多勢に無勢はどうしようもない。「勝った」と叫ぶ声は徐々に減っていった。
壁上歩廊には、味方と敵の死体が散乱していた。
(ここまでだな)
すでに傷だらけのソニアは、3人の人狼に取り囲まれた。周囲にはもう、立っている味方の姿はない。
ちらっと後ろに目を向けると、すでに主塔の門が閉じられているのが見えた。味方の避難は終わったようだ。
(スネイカー殿、どうかこの国を守ってください)
「おりゃあああっ!」
正面にいた人狼の頭をねらって戦鎚を叩きつけた。ねらいたがわず、人狼の頭ははじけとんだ。
しかし別の人狼の爪で、脇腹をえぐり取られた。致命傷だ。
ソニアはよろけながらも遠心力をつかって戦鎚を振り回し、2人の人狼を同時に吹っ飛ばした。
そしてバランスを失って尻もちをついた。
大量の血と共に、ソニアの生命力が流れ出していく。もはや立ち上がる力は残っていない。
「……様……あたし……頑張りましたよ……」
そうつぶやくと、仰向けに倒れこんだ。
見上げた空は、真っ暗だった。




