19.火の罠
日を経るごとに燃焼菌はどんどん増殖し、今や赤い絨毯は城壁全体を覆っていた。
共和国軍の陣営では、すでに戦勝気分が漂っている。
「菌は城壁の内部にまで侵食しているはずだ。熱で焼け崩れるのは時間の問題だな。オレ様に感謝しろよ」
ルイは相変わらず横柄な態度だが、モーリスもその功績は認めざるを得ない。
「感謝しているさ。おまえの活躍は本国にも報告しておこう」
気難しい人狼族のガルズも同調した。
「うむ、たいしたものだ。城壁がなくなれば、もはや奴らに抵抗する手段はない。ようやく攻め入る時が来たようだな」
「おう、攻め入るのもオレ様に任せておけ! 早く生きてる人間の体を焼きたくて、ウズウズしてるんだ」
3人でワインを酌み交わしながらそんな話をしていると、ドワーフ族のバージが天幕に入ってきた。
「司令官殿、報告がある」
「ああ、坑道のことだな。そろそろ守備側の坑道とつながるか?」
バージは首を横に振った。
「音と振動から察するに、すぐ近くに敵の坑道があるのは間違いない。だが、今はその話じゃない。掘っている途中で、おかしなものが出てきたんだ」
「おかしなものとは、なんだ?」
「蛇神ムーズ様の御姿が描かれた、木の板だよ。その板がルートをふさいでるから、その先へ掘り進めねえんだ。間違いなく敵が設置した板だろうから、報告しておこうと思ってな」
モーリスとガルズは顔を見合わせた。
「蛇神ムーズの絵が描かれた板か。ガルズ将軍、スネイカーは何を企んでいると思う?」
「考えられるとすれば、俺たちがこれ以上坑道を掘り進めないよう、板で進路をふさいだというところか」
それを聞いたルイは鼻で笑った。
「ふん、木の板なんか叩き壊して先へ進めばいいだろ」
バージが目をむいた。
「とんでもない! そんな畏れ多いことができるもんか!」
ドワーフ族もヘヴィン教の敬虔な信徒である。
ヘヴィン教では、蛇神ムーズはもっとも偉大な神として崇められている。その教義によれば、ムーズは世界を守るため、悪の龍神ビケイロンと戦い続けているのだ。
そんなムーズの画像を破壊するような、冒涜的なことができるはずがない。
「くだらねえ、実にくだらねえ」
ルイはあざけるように言った。「所詮は人間が描いた絵じゃねえか。それを壊したからって、どんな祟りがあるってんだ?」
ルイにはヘヴィン教徒の気持ちがまったく理解できない。
魔法使いである彼は、龍神ビケイロンの眷属である四大精霊と契約を交わしている。
つまりルイは蛇神ムーズと敵対する勢力についているのだ。矮小なヘビの神など、取るに足らない存在だと思っていた。
「司令官殿、もう1つ付け加えることがある」
バージはルイを無視して報告を続けた。「ムーズ様の絵の下には、赤い字でこんな言葉が書かれていた。『魔法使いの汚れた火では、偉大なるムーズを傷つけることはできない』と」
ルイの目が暗い輝きを帯びた。プライドの高い彼が、自身の魔法を侮辱されて黙っていられるわけがない。
「なんだと!? バカにしやがって! 傷つけることができないかどうか、レイシールズ城の奴らに見せてやる!」
「つまらん挑発など、放っておけ」
モーリスはルイをなだめた。もう少しで城壁が崩れるというのに、無駄なことをする必要はない。
「オレ様の魔法がなめられてるんだぞ!? 引き下がるわけにはいかねえだろ!」
「必要もないのにムーズ様の絵姿を傷つけるのは、俺も気に入らぬな」
ガルズがそう言うと、ルイはますますムキになった。酒杯をテーブルに叩きつけて立ち上がると、
「ヘビの神がなんだってんだ! おいドワーフ、その絵のところまで案内しろ! オレ様の魔法の力を見せてやる!」
そう言って、返事も聞かずに天幕を出て行った。
―――
ルイはバージに案内されて坑道の奥までやって来た。
周囲には数十人のドワーフたちが集まり、不安そうな顔で成り行きを見守っている。
ランプの明かりに照らされた坑道の突き当たりに、例の木の板があった。思っていた以上に大きな板だ。
「それが、さっき話してたムーズ様の絵だ」
板にはあざやかな色使いで、写実的な絵が描かれている。とぐろを巻いたヘビが、こちらを向いて舌を出している絵だ。
ただし普通のヘビとは違い、頭部がふっさりとした毛で覆われている。頭髪があるのは蛇神ムーズの特徴だ。
ムーズの絵の下には赤い字で「魔法使いの汚れた火では、偉大なるムーズを傷つけることはできない」という文章が書かれていた。
「クソッ、たかがヘビのくせにオレ様をバカにしやがって」
その冒涜的な言葉に、ドワーフたちがいきり立った。
「おい、あんた、ムーズ様に対して不敬だろうが!」
「やかましい! 地を這うしか能のないニョロニョロの分際で、天空を駆けるドラゴンの神に戦いを挑むとは、身の程知らずもはなはだしいっ!」
ますます怒声をあげるドワーフたちを無視して、ルイは詠唱を始めた。
「火の精霊サラマンダーよ、契約に従い、その力を行使せよ――」
「お、おい貴様、ムーズ様を燃やすつもりか!?」
「そのために来たんだ。黙って見てろ」
ルイは蛇神ムーズが描かれた木の板に向かって、両手の手のひらを突き出した。
「火!」
詠唱を終えると同時に、手から炎が放出された。
これはもっとも単純な火属性魔法だが、火力は術者の能力に左右される。ルイの出した火は、板全体を覆い尽くすほど巨大なものだ。
「よし、燃えろ燃えろ! このまますべてを焼き尽くしてやる!」
蛇神ムーズの絵は炎と煙の中で焼け崩れていく。ルイは満足すると同時に、違和感を覚えた。
(どうも燃え方が変だな)
だが何が変なのか、深く考えることができない。意識がもうろうとしているためだ。
ルイだけではなく、周囲のドワーフたちも頭がふらついている。
「なんだ……頭が痛い……」
「これは……やはり神罰が……」
ドワーフたちは次々と地面に倒れこんでいった。隣にいたバージも、ぐったりして意識を失っていた。
ルイは驚いて魔法を止めた。
「お、おい、おまえらどうした……グッ……!」
ルイもひどい頭痛を感じて、たまらず膝をついた。
(なんだ、こりゃ……吐き気がする……)
周囲に充満する煙で目が痛くなってきた。たまらず煙から逃れようとするが、足が動かない。
ルイの目に、木の板の向こうにある黒い土が、大量の煙を上げているのが見えた。
(いや……土から煙が出るわけがねえな……あれは……)
木炭だ。
それに気付いた時には、すでに意識を失っていた。
翌日、魔法使いのルイと、近くにいたドワーフ16人の死亡が確認された。
共和国軍の軍医は彼らの死因について、煙を吸ったことによる窒息死と判断したが、この世界の化学がもう少し進んでいれば、より正確な死因を割り出せただろう。
すなわち、一酸化炭素中毒である。
―――
城壁を覆い尽くしていた燃焼菌が消滅した。
つまり、術者であるルイが死んだということだ。
レイシールズ城の女性兵士と男たちは、歓喜の声を上げた。魔法使いを殺したのがスネイカーであることを、彼女たちは疑わなかった。
とはいえ、どうやって殺したのかを理解している者はほとんどいない。
説明を求められたスネイカーは、主だった者たちを自室に招いた。
「ググに蛇神ムーズの絵を描いてもらい、その絵が描かれた板を敵の坑道のルート上に設置しておいたんだ。そして板の手前には、木炭の山を積み上げておいた」
スネイカーは椅子に浅く腰掛け、机の上で手を組んだ体勢で、一同に向かって説明した。
「つまり魔法使いは、ムーズ様の絵と一緒に木炭を燃やしてしまったのですね?」
そう確認したのは、司祭だ。
神に仕える聖職者ならば、ムーズの絵を利用することを不快に思うかもしれない。スネイカーはそれを心配していたが、少なくとも司祭の表情から不満の色はうかがえない。
「そうです司祭殿。敵の側からは、板に隠れて木炭の山が見えなかったのです。見えたとしても、薄暗い坑内では土と区別するのは難しかったでしょう」
「もし木炭があるとわかっていれば、火の魔法を使おうとは思わなかったでしょうね。木炭を燃やす場合は、外でやらなきゃいけないってのが常識です」
坑夫のリーダーのフレッドが口をはさんだ。
「どうしても屋内で木炭を燃やしたいなら、充分な換気が必要です」
ソニアが続けた。
「その通りだ。ドワーフたちも換気には気を使っていただろうが、地下に掘った坑道の中では限界がある。換気が不十分な状況で発生した煙は狭い坑内に充満し、それを吸った者たちはすぐに意識を失っただろう」
酸素の供給が不十分な環境で炭素を含む物質を燃やすと、不完全燃焼を起こして有害な一酸化炭素が発生する。
坑道と火属性魔法。スネイカーはこの組み合わせに気付き、火の魔法を使わせることによって罠にはめたのである。
「スネイカーさんはルイを誘い出すため、蛇神ムーズの絵の下に挑発的な文章を添えておいたんですね?」
アダーもしっかりと話についてきていた。
「そうだ。ルイは自分の魔法をけなされると、やり返さずにはいられない性格だからな」
「なぜ将校殿は、魔法使いの性格を知っておられたのですか?」
第1小隊隊長のトレイシーが、不思議そうな顔でたずねた。
「共和国軍が火攻めを仕掛けてきた日、ルイは城壁の上に立つググから『魔法の火なんてたいしたことない』とバカにされ、激高していた。だからこそ奴は危険を冒して城壁に近付き、燃焼菌の魔法を使っていったんだ。このことから、ルイは挑発されるとすぐにキレることがわかる」
「おっしゃるとおりです」
一同は納得したようにうなずいた。
「そして魔法使いは龍神ビケイロンの配下の精霊と契約しているから、蛇神ムーズの絵を燃やすことには抵抗がない」
これにも全員が納得した。
「スネイカー様は最初から、魔法使いは怖くないと言っておられましたね」
ジェイドは、スネイカーが以前に言っていたことを指摘した。
「ああ、魔法使いが使える魔法の属性は火、土、風、水、蛇の内の1種類だけで、ルイの場合は火属性の魔法しか使えないことがわかっていたからな。火の魔法は野戦では強力だろうが、城壁で守られた城を攻撃するには向いていない」
「でも実際には燃焼菌という特殊な魔法を使われて、その……危なかったのではないですか?」
家令が遠慮がちにたずねた。
「そのとおりだ」
スネイカーは認めた。「今だから言うが、火の魔法しか使えないからといって、決してあなどってはいけない。魔法は超自然的な力であり、俺たちの想像を超えてくるからだ」
「スネイカーさんは僕たちを不安にさせないよう、気をつかっていたんですよ」
アダーがニヤニヤしながら解説した。
「そうだな。ただ、俺が魔法使いは怖くないと言ったのには、もう1つ理由がある」
「なんですか?」
「魔法使いは魔法しか使わないから、怖くないんだ」
意味がわからないのか、一同は首をかしげている。
「俺が怖いと思う敵は、状況に応じて臨機応変な対応をしてくる敵だ」
スネイカーは教え諭すように説明する。「問題に対処するやり方は、押すことが正解のこともあれば、引くことが正解のこともある。何もしないことが最善の場合もある。でも魔法使いは、どんな問題も魔法を使って解決しようとする。だから行動を読みやすいんだ」
「なるほど、ルイは火属性魔法という強力な武器を持っているからこそ、それ以外の手段を使って問題を解決するという発想がなかったんですね。だから坑道内でも火の魔法を使って自滅することが予想できたわけですか。さすがです」
アダーは一同を代表して、スネイカーの洞察力を称賛した。
「あたしは確信しました」
ソニアが改まった口調で言った。「スネイカー殿は天才です。古今無双の軍事指揮官です。スネイカー殿がいる限り、サーペンス王国が戦いで負けることはないでしょう」
「古今無双は言い過ぎだと思うが……」
「言い過ぎではありません!」
ソニアはスネイカーの前に進み出て、片ひざをついた。「どうかそのお力で、未来永劫サーペンス王国をお守りください!」
(未来永劫ときたか……。やはりソニアは並外れて愛国心が強いようだな)
ソニアだけではなかった。この部屋にいる者すべてが彼女にならい、真摯な表情で片ひざをついた。
自分たちの指揮官、スネイカーに対する敬意と信頼感が極まっていた。




