17.燃焼菌
ルイはクロスボウの射程に入ることを承知の上で、城壁に向かって走った。護衛兵たちも必死でついてくる。
「火の精霊サラマンダーよ、契約に従い我に力を与えよ」
ルイは走りながら魔法を詠唱した。
「汝の強靭なる鱗にて、あらゆる攻撃を弾き返せ。火精霊鱗!」
護衛兵たちの持つ大盾の表面が炎に包まれた。火の精霊の鱗によって盾を強化したのだ。
「なっ、た、盾が燃えた!?」
「いいから、そのままオレ様を守り続けろ!」
護衛兵たちを叱咤しつつ、矢の雨の中を走り続ける。
城壁に近付いたところで、再び魔法を詠唱する。
「火の生命体よ。分裂し、増殖し、燃え広がれ。
燃焼菌!」
詠唱を終えると同時に、城壁に手のひらを押し付けた。
「よし、急いで戻るぞ!」
手を離し、城壁に背中を向けた。
「え? もう終わったんですか?」
護衛兵たちは不審げだ。一見しただけでは、特に変化があったようには見えない。
「おまえら、オレ様の魔法を疑うのか?」
「い、いえ、そういうわけではないのですが」
「ふん、まあいい、いずれわかる。いずれこの城壁は焼け崩れることになる」
―――
敵は引き揚げていった。
魔法使いを仕留めることはできなかったが、土を使った消火作業により、敵が積み上げた粗朶の山は完全に鎮火している。
スネイカーは、とりあえず胸をなでおろした。
だが安心するには早い。
「ルイはあの辺りで城壁に手をあて、魔法を使っていたようです」
ジェイドの指摘に、スネイカーはうなずいた。
「ああ、俺も見ていた。城壁がどうなっているか確認しよう」
とはいえ城外に出るのは危険だ。魔法が使われた箇所を視認するため、南東に張り出した塔まで移動した。
「何やら赤い粒のようなものが、城壁に点々とついているような……」
ジェイドが指差した部分に、スネイカーも遠くから目を凝らす。
「ああ、確かに何かあるな。パッと見ただけではわからないほど小さいが、赤く光っている。あれは魔法による火か?」
「ハハッ、ずいぶんとしょぼい火ですね」
ソニアが笑い飛ばした。「あんな芥子粒みたいな火で、城壁がダメージを受けるわけがありませんよ」
(そうだろうか? ……なんだか嫌な予感がする)
「あの……私は近くにいたので、魔法使いの詠唱の言葉が聞こえたのですが」
1人の女性兵士が口をはさんできた。「最後に燃焼菌と言っていたような気がします」
「燃焼菌だと!?」
「知っているんですか、スネイカー殿!?」
「ああ、士官学校に付属する図書館で、その魔法に関する本を読んだことがある。あの図書館はすごいんだ。まさに『知識の城』と呼ぶにふさわしく――」
「士官学校の図書館の素晴らしさは、以前にも聞きました」
ジェイドがさえぎった。「それで、それはどんな魔法なのですか?」
「えーと……君はものが燃える仕組みを知っているか?」
「薪のような燃料に熱を加えると発火する、ということでしょうか?」
「さすがジェイドだ。それで大体合っているが、加えて空気も必要になる。土をかけると火が消えるのは、空気の供給が断たれるからだ」
「あ、はい、わかります」
「学者の言葉では、燃焼には『可燃物』と『支燃物』と『熱』の3要素が必要になる。可燃物というのは、薪や油や炭などの燃料だ。支燃物というのは、一般的には空気のことだ。そこに一定以上の熱が加わると発火する」
「それで燃焼菌というのは、どんな魔法なんですか?」
ソニアがじれったそうに先をうながした。難しい話には興味がないようだ。
「言葉通り、燃える細菌を生み出す魔法だ。細菌というからには、生物だ」
「生物!? ひょっとして、あの小さな火は、1つ1つが生きてるんですか?」
「おそらくな。燃焼菌は自ら発火する生物なんだ。
その細胞には燃焼に必要な3要素、可燃物と支燃物と熱がすべて備わっている。
自分の体が可燃物だから、石の上でも燃え続けることができる。
自分の体が支燃物だから、周囲に空気は必要ない。
高熱も、自らの体内で生み出すことができる。
そして魔法で生み出された燃焼菌は、外部からの働きかけによって死ぬことはない」
「死なないってことは、つまり――」
「そうだ、あの火は消せないということだ。燃焼菌が生きている限り、継続して燃え続ける」
「そんな……何をやっても火が消えないんですか?」
「外部からの働きかけでは消えないが、細胞が燃え尽きれば細菌は死滅し、自然に消火する。だが燃焼菌の恐ろしいところは、死滅するよりも、分裂し増殖する速度の方が早いということだ」
ソニアとジェイドは、驚愕に目を見開いた。
「分裂増殖するんですか!?」
「そうだ。燃焼菌は周りに何もなくても、細胞分裂を繰り返すことによって燃え広がる。どんどん数を増した火は城壁全体を埋め尽くし、いずれは城壁を越えて城内にまで浸食するだろう。そうなれば俺たちの居場所はなくなり、全員が焼け死ぬ」
「そんな……」
「まあ、その前に城壁が熱で焼け落ちるだろうな。城壁が失われた時点で、俺たちの負けだ」
「城壁が焼け落ちるまで、どのくらいの時間がかかるでしょうか?」
「見た感じでは増殖スピードは遅いようだから、それなりの日数はかかると思う。だが分裂増殖では等比級数的に数が増えるから、のんびりと構えているわけにはいかない」
「外部からの働きかけでは火が消えないという、スネイカー様の言葉を疑うわけではありませんが」
ジェイドが進言した。「それでも一度は消火を試みるべきだと思います」
「ああ、その通りだ。古い本の知識を鵜呑みにするわけにはいかない。本当に燃焼菌を殺せないかどうか、土や水をかけて試してみよう」
「消火作業は1人でもできると思いますが、そのためには城外へ出る必要があります」
ソニアは険しい顔で言った。「城外へ出れば、敵が襲ってくる危険があります。それに万が一、体に燃焼菌が付着すれば、悲惨な死に方をするでしょう」
ググが現れた。
「お呼びですか?」
「お呼びでない」
「でも将校殿、こんなことになったのはアタシが魔法使いを挑発したからかもしれません」
ググはめずらしく神妙な顔つきで食い下がった。「どうかその責任を取らせてください!」
「責任はともかく、こういう作業はググが適任だと思います。彼女ならそつなくやってのけるでしょう」
ソニアがそう言うので、ググに消火作業を任せることにした。
燃焼菌が体に付着しないように全身を防具で覆い、暗くなってから城外に送り出した。
彼女は30分ほどで戻ってきた。
「将校殿、残念です」
ググは悲しそうな顔で報告した。「水をかけても、土で押し固めても、火は消えませんでした。敵は襲ってこないし、体に菌がつくこともありませんでした」
「後の方は残念じゃないからな」
ともかくこれで、燃焼菌は殺せないことがはっきりしたわけだ。
「打つ手なしってことですか。魔法とは恐ろしいもんですね」
ソニアは深刻な顔で嘆いた。
夜になったので、赤く燃える無数の細菌がはっきりと目に見えるようになった。兵士たちも憂い顔だ。
(このままでは、まずいな)
士気の低下を防ぐため、彼女たちの不安を打ち消す必要がある。
「問題ない。燃焼菌を全滅させる方法が1つある」
「え!? そうなんですか? その方法というのは?」
スネイカーは力強い声で答えた。
「術者であるルイを殺すことだ」
この世界では「酸素」がまだ発見されていないため、会話の中では空気という言葉を使っています。




