11.危険と苦痛を愛する女
リザードマンたちは丸い盾を頭上に掲げ、えっちらおっちらとハシゴを登ってきた。
女性兵士たちは胸壁の狭間から身を乗り出し、クロスボウで迎撃する。
「さあ、勇気を振り絞れ! 君たちより、登ってくる奴らの方がはるかに怖い思いをしているぞ!」
「はい!!」
スネイカーの督励に応え、兵士たちは先頭で登ってくるリザードマンを狙って矢を放った。矢を受けた哀れなリザードマンは、悲鳴を上げて落下していく。
撃ち終わった者はいったん列の後ろに下がり、装填を行う。その間に2列目の兵士が前に出て発射する。そうやって交代しながら矢の雨を降らせていくのだ。
この間の戦闘では、標的が粗朶や破城槌だったが、今回は生きているリザードマンが相手だ。
戦いに慣れていない兵士たちが、良心の呵責によって殺人行為をためらうのではないかと心配していたが、今のところその様子はない。
相手が同じ人間ではなく「異種族」であることが、殺人への抵抗感を軽減しているのだろう。
さらにクロスボウによる遠距離攻撃は、剣やナイフのような近距離攻撃に比べて、自分が殺しているという実感が薄くなる。だから殺人に対する心理的抵抗が小さい。
(リザードマンには悪いけど、ここで兵士たちに実戦を経験させることができるのは好都合だ)
寒さのため、リザードマンたちの動きは鈍い。
注意するべきなのは地上からの援護射撃だが、距離が遠く散発的で、あまり迫力は感じられない。人間の兵士たちはリザードマンを援護することに熱心ではないようだ。
攻撃側の本命は坑道戦であり、ハシゴ登りはそのカムフラージュに過ぎない。本気で城壁を越えようという意志はないのだろう。
守備側には余裕があった。
「将校殿、イイこと思いつきました!」
1人の女性兵士が手を挙げ、スネイカーに声をかけてきた。元気いっぱいな印象の女の子だ。
「なんだ?」
「矢を射るよりも、ハシゴを倒せばいいと思うんです! そうすれば矢を節約して敵を撃退できます!」
「あれはそう簡単に倒せるものじゃないぞ」
ハシゴは鉄製で、その上端は鉤状になっている。リザードマンの体重がかかることによって、その鉤が胸壁に食い込み、外れにくくなっているのだ。地上では複数人の敵兵がハシゴの下部をしっかりと支えている。
「確かにちょっと押したぐらいでは倒れないでしょうけど、きっとアタシならなんとかできます!」
「何をするつもりだ?」
「見ていてください!」
少女は胸壁に向かって走り出した。
「お、おい! まだやっていいとは言ってないぞ!」
スネイカーが止めるのも聞かず、少女は胸壁を飛び越えて空中に身を投げた。
(なっ!? 飛び降り自殺!?)
そう思ったが、落ちてはいなかった。体を反転させ、ハシゴをしっかりとつかんでいる。
少女の信じられない行動に、他の兵士たちはあっけに取られている。しかし彼女は、さらにとんでもないことをした。
「よいしょっ!」
両手でハシゴをつかんだまま体を反らし、両足で胸壁を強く蹴って、強引にハシゴを外そうとしているのである。
(バカか、あいつは!)
スネイカーは慌てて駆け寄った。
「おい死ぬ気か!? 早く戻れ!」
「ぐぐぐ……思ってた以上にしっかりと食い込んでます……もう少しでハシゴを倒せると思うんですが……!」
「ハシゴが倒れたら、君も墜落して死ぬだろうが!」
「大丈夫です、その前に城壁の上に飛び移りますから! アタシ、運動神経はいいんです!」
「そんな無防備な姿をさらしてたら、下から矢で狙われるぞ!」
「望むところです!」
(頭がおかしい)
300人も兵士がいれば、1人ぐらいは狂った奴がいても不思議ではない。
「ググ、やめろ!!」
ソニアが駆けつけて来て、少女を怒鳴りつけた。
「ですが兵士長、もう少しで――」
「やかましい!」
ソニアは身を乗り出し、ググと呼ばれた少女の両腕をつかんで強引に引っ張り上げ、そのまま歩廊に投げ捨てた。
ググは1回転して着地した。運動神経がいいというのは嘘ではなさそうだ。
(ふう……助かったか)
スネイカーはホッと胸をなで下ろした。こんなくだらないことで最初の戦死者を出してはたまらない。
「この、バカちくしょう!」
ソニアはググの顔面を拳で殴りつけた。「指揮官を無視して勝手なことをするな! おまえが死ぬだけならともかく、味方まで危険にさらすことになるんだぞ!」
「はい! 申し訳ありません!」
ググは元気よく謝った。
(なぜこの子は、殴られて嬉しそうな顔をしてるんだろう?)
日が暮れると敵は引き揚げていった。
地面にはリザードマンの死体が散乱しているが、味方に被害はない。
スネイカーはググを叱責するため自室に呼び出した。
「ググ、参上しました!」
少女はスネイカーの机の前に立ち、元気よく敬礼をした。その左右にはソニアとジェイドが苦々しい顔で立っている。
スネイカーは机の上で手を組み、少女の姿を観察した。
(彼女はまだ17歳ということだけど……)
年齢の割には幼い顔立ちで、パッチリとした大きな目が印象的だ。オレンジ色の髪をヘビの形のリボンで結んでポニーテールにしている。頭がおかしいのに、おしゃれには気をつかっているようだ。
「なんでそんなに嬉しそうな顔をしてるんだ?」
そう問いかけると、ググは興奮気味に答えた。
「だって初めて将校殿とお話ができるんですから! 後でみんなに自慢できます!」
「おしゃべりをするために呼んだわけじゃない。君を叱責するために呼んだんだ」
スネイカーは精一杯の厳粛な顔をつくって言った。「今日はなぜ、あんな無茶をしたんだ? いくらなんでも危険すぎるぞ」
そう問いただすと、ググは目をキラキラと輝かせて答えた。
「危険なことは大好きなんです!」
「……どういうことだ?」
「アタシ、6歳の時に雷に打たれたことがあるんです。全身に大やけどを負っただけで済んだんですが、その時の快感が忘れられなくて、それからは危ないことに首を突っ込むようになりました」
(やっぱりおかしい)
「……危ないことというのは、例えばどんな?」
「アタシの故郷のボヒット村では、男子は成人の儀式として断崖絶壁から滝つぼに、頭から飛び込む風習があるんです。アタシは女だけど、それを9歳の時にやりました。それ以来、毎年飛び込んでいます」
「成人の儀式というのは、毎年やるものじゃないと思うんだが……。他には?」
「馬に後ろから抱きついて蹴られたり、全裸で雪山に登って幻覚を見たり、素手でカバと戦って頭から喰われたり――」
「わかった、もういい」
スネイカーはソニアとジェイドに目をやった。2人とも申し訳なさそうに顔を伏せている。
「確かにググは、頭がおかしいです」
ソニアは釈明するように言った。「でも身体は頑健で、戦闘訓練では誰よりも強いんです。あたしでも彼女にはかなわないほどです」
「それはすごいな」
ソニアよりも強い兵士がいたとは驚きだ。
「それと……勇気がある、と言っていいのかどうかはわかりませんが、彼女は死を怖れません」
ジェイドが続けた。「むしろ自分から死に近付こうとする傾向があります。兵士に志願したのも、それが理由だそうです」
ググにとって、共和国軍が攻めてきたことは願ってもない展開なのかもしれない。
スネイカーは改めて彼女に問いかけた。
「なぜ君は、死ぬのが怖くないんだ?」
「アタシはまだ17歳ですから」
「意味がわからん。なぜ17歳だと死を怖れないんだ?」
「死を怖がるのは老人だけだって、おばあちゃんが言ってました。若者は自分が不死身だと思ってるから平気なんだそうです」
「俺は20歳だが、死ぬのは怖いぞ」
「うーん、20歳はそれほど若くないんじゃないでしょうか?」
スネイカーは気持ちを落ち着けるために深呼吸をした。狂った少女の言葉で、いちいち腹を立てるのもバカバカしい。
(ここにアダーがいたらなあ)
12歳ながら精神年齢が高いアダーなら、この怖いもの知らずの少女を正論で言い負かしてくれただろう。
アダーに席を外させたのは、子どもが見ている前で叱られるのはつらいだろうと、ググを気遣ったからだ。余計な配慮だった。
「若者は不死身じゃない。君より若い子たちが、戦争や病気でどんどん死んでいってるんだぞ。君だっていつ死んでもおかしくないんだ」
「それは知ってます。でもアタシはまだ死んだことがないので、死がどんなものなのか、よくわからないんです。
わからないなら知りたくなるじゃないですか。だから死が近付いていると感じた時は、背筋がゾクゾクして楽しくなるんです。体が痛みを感じただけでも気持ちよくなります。
身体的な痛みだけじゃなくて、精神的な痛みも大好きです。好きだった男の子に告白して、『消えろ変態女』と言われた時は、興奮して頭が沸騰しそうになりました」
「君はひょっとして、何かおかしなクスリを飲んでいたりしないか?」
「薬は飲んでませんが、時々実家からキノコを送ってもらってます。そのキノコを食べると吐き気がして、全身がしびれるんです。死に近付いていることを実感できます」
(ああ、もうこの子に関わりたくない)
話が通じない気がする。こんな兵士に対してどう対応するかは、士官学校でも教わらなかった。
(死を怖れないというのは、兵士にとって優れた資質と言えるかもしれないが……)
それでも指揮官の命令に従わないのは困る。兵士は生きるために戦うべき、というスネイカーの信念にも反している。
今日のような無茶な事を2度としないよう、厳しく注意しておかねばならない。
(叱るのは苦手なんだが、そうも言ってられないか)
スネイカーはコホンと咳ばらいをしてから、大声で怒鳴りつけた。
「死にたいなら軍をやめてからにしろ!! ここにいる間は俺の命令には必ず従ってもらう! 君が勝手な行動をすれば他の兵士まで死ぬかもしれないんだぞ! 規律を乱すような者は俺の軍には必要ないっ!!」
その剣幕に、ソニアとジェイドは息をのんでいる。
(厳しく言い過ぎたかな)
スネイカーは不安になった。叱ることに慣れていないため、言葉が強くなりすぎたかもしれない。
ググの様子をうかがうと、両手で自分の体を抱きしめ、なぜかウットリした表情を浮かべている。
「ハア……ハア……、あの……将校殿。もっと……強く叱ってもらえますか? 変態と罵ってくださっても構いません」
「ソニア、彼女のことは君に任せる」
「すいません、あたしの手には負えそうにないです」
2人で譲り合っていると、ジェイドが提案した。
「ググが死を怖れないなら、危険な任務を与えてやってはどうでしょうか? たとえば、1人だけで決死隊を結成するとか」
「さすが副兵士長! ぜひそれでお願いします! あ、イイこと思いつきました! 決死隊は夜が更けてから敵の陣地に忍び込んで、大将の寝首をかいてくるんです! どうですか?」
楽しそうなググを見て、スネイカーは頭が痛くなった。
「……考えておこう。だが当分の間は、君を戦闘には参加させない。勝手な行動をする者がいると、全員が危険にさらされるからな」
「えー、ひどいです。戦闘に参加できないなら、アタシは何をしたらいいんですか?」
「男たちと一緒に坑道を掘ってもらう」
ググの瞳が輝いた。
「坑道を掘ってたら、崩落して生き埋めになる危険がありますよね?」
「そんな危険はない。支柱を立て、天井や壁を木材で補強しながら、慎重に掘り進めているからな」
「えー」
ググは不満そうだが、スネイカーは譲らなかった。
「明日から君の仕事場は坑道だ。リーダーのフレッドの指示には必ず従え。もし従わなければ、ずっと安全な場所に閉じ込めておくからな」




