外面聖女、厄介事から逃げようとする
「この森のお肉は臭いし固いし美味しくないけど強くなれるから、街に持っていったんだ」
「なんですって? 森から出て街に行ったの!?」
「うん、そーだよー。でも獣の肉は臭いからいらないし、お前も臭いからあっちに行けって言われたよー」
この辺りは畜産が盛んだ。数年前に猟が許可制になったこともあって街の人々にとって肉と言えば豚や鶏あたりで、野生動物を食べることはほとんどない。
獣肉を見慣れていない彼らはココの持ってきたのが魔獣の肉だとは気がつかなかったのだ。
「あなた運がいいわね。禁忌の森で魔獣を捕まえて食べたなんて知れたら捕まるところだったわ」
「ふぇ?! そーなんだっ。じゃ、これもダメなのかな」
そう言いながらココは、ズタ袋の中から血と異臭のこびりついた手の平サイズの黄色い塊を取り出した。おそらくさっきのイノシシの魔石だろう。
「ちょっ、なんでそんなものカバンに普通に入れちゃうのよっ」
「あー、他のは洗ってるよー」
ココがズタ袋の頭を下にすると、ばらばらと大小の魔石が落ちてくる。
「これ、お金になる? みんなにあげたら喜んでくれるかな?」
「全部、捨ててっ!」
「ええー?! やっぱり捕まっちゃう?」
「あんたっ、気持ち悪くならないの? それだけの魔石を持ってたら普通は気分が悪くなるはずよ」
エミリアは魔力探知に長けているが、普段は魔力の気配を感じないように意識を遮断している。
そうやって身を守っていたため、今のココの異様な魔力量に気がつかなかった。
そういえば最初に会った時にはズタ袋は持っていなかったことを思いだし、改めて魔力探知でココを観察した。
ココの発する魔力の気配はほとんど魔石からのものだ。ココ自身に魔力はほとんどない。
(この子、魔力もないし魔法も使えないのに、禁忌の森で生き抜いてきたのね……)
ぼう然とするエミリアを尻目にココはマイペースに騒いでいる。
「あれー? なんか普通の石が混じってる? え、割れた?!」
「魔力が抜けたから割れたのよ。そのうちみんなただの土くれになるわ」
「あのでかいのも?!」
「いずれはね」
ココはペタンと尻もちをついた。分かりやすく耳と尻尾も力なく垂れ下がる。
「お姉さんにあげる物なくなっちゃったー」
(いらん、何にもいらん)
エミリアは本音を隠しながら笑顔を作った。
「いい? この森の物は何も持って出ちゃだめよ。石も肉も骨も皮も、それから血もね」
そう言いながらエミリアは、水魔法でココの体についた血をぬぐい風魔法で乾かした。
「すごい、お姉さん、すごい。聖女様だっ」
「ただのシスターよ」
(まあ、いずれは聖女と呼ばれるだろうけどね)
エミリアは本音を隠してさらに笑みを深くした。
「あ、そうだ。とっておきがあったんだー」
ココが腰のポシェットから何かを出そうとしている。エミリアは不吉な予感に震えた。
ココの手には金の台座にはめ込まれた楕円形の赤い石があった。
大きさはイノシシ魔獣の魔石の半分ほどだが、宝石ならばとんでもない価値になるだろう。
(ルビー? スピネル? 違う)
貴族でないエミリアには宝石の善し悪しも真贋も分からない。しかし魔法関連ならば話は別だ。
(これ――魔石だ)
魔獣の額に入っているような粗悪品ではない。特殊な鉱山から採掘される良質の魔石だろう。
金の台座は魔力を封じ、強すぎる魔力の影響から人体を守るための魔道具で、それ自体が希少価値がある。
「あのねー、これ、おばあちゃんに貰ったのー。いつかいい人が出来たらあげなさいだってー。お姉さん、いい人だからあげるねー」
いい人の意味が違う――。
しかし、そんなことよりもっと重要なことがある。
「あなたのおばさんは誰からその宝石を貰ったの」
「おじいちゃんだよー」
「おじいさんは誰から貰ったの」
「えーっと、多分、おじいちゃんのお母さんだよー」
「あなたの一族は普通の獣人なの? 貴族だったり、どこかの王家に仕えていたの?」
「さあ、分かんない。ココは貴族も王様も見たことないよー」
ダメだ。
何も分からない。
とりあえず厄介事に巻き込まれそうなのは分かる。
「そんな大事な物を貰うわけにはいきません。さあ、ここで起きたことはみんな忘れて森から出ましょう」
「でも、森の外じゃ、お仕事ないし、お肉食べないと不思議な力がなくなるよー」
涙声で訴えるココに、エミリアは銅貨が入っている小袋を渡した。
「しばらくこれで食いつなぎながら故郷を目指しなさい。誰かに不審がられたらシスターエミリアの施しだって言うのよ」
「ふええっ! お金いっぱい! やっぱりこれあげるねー」
「そんな大事な物は受け取れないわ」
ココが差し出した赤い魔石をエミリアは丁重に断った。
「赤い石はあげたり見せたりしないで隠しておきなさい。それから故郷で静かに暮らしてね」
エミリアの忠告をココは悲しげに聞いていた。
「ココ、お姉さんのために出来ることが何もないよー」
「その気持ちだけで十分よ。私はあなたが無事に森を抜けて故郷に帰ってくれることだけを願ってます」
自分の視界に入る範囲にこのトラブルメーカーにいてほしくない、そんな思いを胸にエミリアはココを説得した。
「さあ、森の入り口まで行きましょう」
「ふぇ、お姉さん、道が分かるの? ココは一回だけ森から出られたけど、あとはずっと迷ってるよー」
「魔法で印を付けているから迷わないの」
「お姉さん、すごい。魔法ってこんなこと出来るんだー」
「…………」
いつもは「聖女様」と呼ばれても何も感じないエミリアだが、ココの手放しの賞賛がなぜか心地よかった。
「あ、明るくなってきたー」
森の入り口までやって来たココは、さっと走り出そうとした。
「待って。森から出た所を人に見られちゃいけないわ」
エミリアは慌ててココを止める。そして魔力探知を始めた。
「お姉さん、何してるの」
「人の魔力を探してるのよ」
普通の人間でもごく微弱な魔力を持っている。弱い魔力を探ることで近くにいる人間を発見できるのだ。
「大丈夫みたいね。さあ、今のうちに森から出て」
「お姉さんは?」
「私は後で出るわ。いい? あなたは森の入り口の近くで倒れていたの。それを見つけたシスターエミリアがあなたに銅貨を渡した。――森や魔獣、あとさっきのませ――赤い石のことは絶対話しちゃだめよ」
「分かったー! お姉さん、ありがとう! だいすきっ」
ココは森から出て街に向かって行った。エミリアは用心深くココのまわりの魔力を調べる。辺りに人の気配はない。ココが森から出てきた事に気がついた者はいないだろう。
※
エミリアが森から出た時には東の空は白み初めていた。あたりには霧が立ちこめている。
朝靄の中から四人の男たちが現れた。服は乱れ顔は赤い。わかりやすく破落戸だ。
「あんた、聖女様かい」
「おい、聖女っていうなよぉ」
「でもよお、シスターだぜ、なあ……」
男たちは分かりやすく怯えていた。
シスター(くそ)ローズに雇われたドブネズミたちだろう。そんな連中でも聖堂のシスターを襲うのはさすがに躊躇するようだ。
「びびるな、仕事をしろ」
リーダー格らしい男が低い声で言う。
「なあ、シス……嬢ちゃん。あんた森からなんか取ってきたんだろ。そいつをこっちにくれねえか」
「何を収穫したとしても理由なく差し上げるわけには参りません」
「そうかい、やっぱり手に入れたんだな。なんとかってヤツをよ」
リーダー格の目がギラリと光る。
「私はこれを領主様に届けねばならないのです。あなたたちもこの土地の者なら領主様に恩を受けているはずです」
「関係ねえっ。おい、お前ら、腰の袋を探ってみろや」
「すまねえ、シスター……」
男たちは怯えながらもエミリアを羽交い締めにして動きを封じる。
そしてリーダー格の男が、エミリアのポシェットから小瓶を取り出した。小瓶を盆のような物にのせると中の液体が輝き始める。
「これだな」
「止めてください! それをどうするつもりですかっ」
叫ぶエミリアの口を誰かが塞ぐ。
「領主様は助けてやるさ」
リーダー格の男の腕がカッと光るのと同時に、エミリアの体に衝撃が走り、意識はそこで途絶えた。