外面聖女、魔獣あふれる森へ行く
全四話で完結します。
「聖女様、本当に行かれるのですか?」
「せめて供を――」
大聖堂の裏口に向かう廊下で数人の男女が一人の少女を囲っていた。
「心配していただいてありがとうございます。しかし皆さんを巻き込むわけにはいきません」
銀髪にスミレ色の瞳の少女は、自分を見つめる不安げな人々をはげますようにただ穏やかに微笑む。
「聖女様……」
「私は聖女ではありません。どうかシスターエミリアとお呼びください。それでは失礼いたします」
「ああ、聖女様」「どうかご無事で」という声を背に、少女エミリアは歩く。
(聖女って呼ぶなって言ってんだろっ。とり頭かよ)
エミリアはカンテラに魔力で火を灯し、裏庭に出た。月は西に傾いているが東の空はまだ暗い。
「まあまあ聖女様ではございませんかぁ」
甲高い声と共に、誰かがカンテラの光でエミリアの目を潰す。そこには三人の女がいた。
「おはようございます。シスターローズ、シスターセ――」
「おまえ、本当に禁忌の森に行くの?」
エミリアの言葉をさえぎり、真ん中の女が喋る。貴族令嬢ローズだ。
大聖堂の教え――人はみな平等でありシスターは互いを尊重せよ――を、この女は教えを守る気はない。
「言い伝えによると万病に効く月待草は深い森にあると言われています」
「言い伝え? ああ猟師の昔話ね」
ローズが嘲ると周りの女たちも笑う。シスターとしての清廉も高潔も彼女らは持っていない。
(まあ、私もないけどな)
内心で舌を出しながらエミリアは軽く頭を下げると、さっと女たちの横を通りすぎて、庭を突っ切り裏門から外に出た。
※
大聖堂の背後にあるのは禁忌の森だ。ここから出てくる魔獣を防ぐために大聖堂は建てられた。森に入るには許可がいるが、そもそもここに入りたい者はいない。
明るい満月の光も鬱蒼と木々が生い茂る森にはまともに届かない。
エミリアは魔獣の溢れる禁忌の森に躊躇せず入っていく。
いや、内心かなり迷った。さすがに怖い。めちゃくちゃ怖い。
しかしやるしかなかった。
自分の名声のため……ではなく病に苦しむ領主様のために。
エミリアは魔力を伸ばして魔力探知を始めた。
【月待草はね、満月の光を花びらにためるの。そして朝日に溶けて消えてしまうの】
懐かしい母の言葉を思い出しながらエミリアは空を見上げる。
黒いシルエットの広葉樹の向こうに星空がある。月はさらに西に傾いていた。
(魔力に満ちて月明かりが届く場所。そこに月待草があるはず)
エミリアは更に魔力を伸ばす。
!?
ふいに背後に気配を感じた。
(まさか、狼?)
魔獣のことは考えていたが、普通の生き物対策を怠っていた。魔力はなくとも森の生き物は脅威だ。
それはエミリアの腰の辺りをすばやくすり抜けた。
(人?)
カンテラの光が細長い手足の小柄な人間を照らしだす。ボサボサの髪から尖った大きな黄色い耳が突き出ていて、半ズボンの後ろからのぞいているのはフサフサの尻尾だ。
(獣人……の子どもがどうして?)
「ねえ、坊や。どうやってここに入り込んだのか知らないけど――」
「ココは坊やじゃないよー、女の狐獣人で十五になるんだよー」
お前のプロフィールなんて知らんわっ。
心の中で毒づいたエミリアだが、次の瞬間凄まじい瞬発力でココに近づくと、彼女が手に持っていた物を奪った。
「ほえーっ、お姉さん速いねー」
「あんたがなんでこれ、持ってるのっ」
エミリアがココから取り上げたのはソーセージだ。
「これは毒よ! 私が持ってきた魔獣用の罠だからね?!」
「ええ、毒なんだー。じゃ、美味しくないのかあ」
「そういう問題じゃないでしょ。だいたいね――」
エミリアがココを問い詰めようと近づくと、周囲に甘い香りが漂っていることに気がついた。エプロンドレスのポケットに手をやると、あるべきふくらみがなくなっている。
「あ、あんた……私のクッキーを――」
「美味しかったよお」
「あれは大聖堂の料理人が私のために焼いてくれたのよ」
「うん、うん、大聖堂のクッキー美味しいねー」
こいつっ!
思わず殴りたい衝動を抑えながらエミリアは考えた。
(この子は森で迷って空腹で、甘い香りに我慢できなかったんだ)
エミリアはシスターエミリアの微笑みを浮かべる。
「可哀想に。お腹が空いて心細かったのね」
「ううん、さっきツノのあるウサギ食べたからお腹いっぱいだよ」
別に空腹じゃなかった!!
しかも魔獣食ってる?!
(この子なんなの……。しまった、そんなこと考えてる場合じゃない)
エミリアは本来の目的を見失いかけていた自分に気づいた。森の中は暗いが夜明けは確実に近づいている。
「あなた、ここは禁忌の森よ。入ったことが分かったら罰を受けるの」
「じゃ、お姉さんは何で入ってるのー」
「私は許可を貰ってるの。さあ、暗いうちに早く森から出て。見つかったら大変よ」
ココが何者でどんな目的で森に入ってきたのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。この邪魔者をさっさと追い出さなければならない。
「うん、分かったー。お姉さん、ありがと、バイバイ」
「ちょっと、そっちは――」
ココは街の方角ではなく森の奥に消えてしまった。
(ま、いっか。私には関係ないし)
エミリアは再び魔力を伸ばし、魔力の濃い場所を目指して歩み始めた。そして三カ所目でついにそこを見つけたのだ。
暗い森の一画が、仄白く輝く白い花で覆われていた。
逸る気持ちを抑えながら可憐な花園に近づいたエミリアはそっとひざまずいた。
ポシェットから小瓶を取り出し蓋をあけ、四つの花弁のひとひらに瓶の口を近づけた。すると花びらの上の光がするりと小瓶に吸い込まれる。
エミリアは残りの三つの花びらの光も瓶に取り込んだ。光は液体となり小瓶を満たした。
(これが……月待草。この光は何なのかしら? ああ、もっと大きな瓶があれば……)
【欲張っちゃだめ。神の恵みは必要なだけしか貰っちゃいけない。ただ、神様ありがとうって言うだけにしなさい】
母の言葉を思い出したエミリアは神に祈りと感謝の言葉を贈る。
これで私は名実ともに聖女。そしたらあの女を追放してやる――などと言うことは欠片も考えていない。
月待草のしずくを手に入れたエミリアは足早に森を抜ける。
しかし突如現れた強い魔力を察知してエミリアは歩みを止めた。魔力は後ろから近づいてくる。そう、動いているのだ。
(魔獣! だめだ、速い――)
木々がなぎ倒される音と共に大地が揺れる。魔力探知などしなくても恐ろしい獣が近づいてきているのが分かる。
毒入りソーセージを取り出した時には、すでにむせかえるほどの強い魔力が体中にまとわりついていた。エミリアは恐怖で身動きがとれない。
(何も分からないまま死ぬもんかっ)
死を覚悟しながらエミリアは振り向いた。