息子がランドセルで火の鳥を飼い始めた
あるところに、母と息子がいた。
ある日のこと、息子が掛け算の宿題をしようとランドセルを開くと、そこに火の鳥がいた。
「私は予知夢を見た。近い将来人類は私の不老不死の血を巡って核戦争を起こし、地球は壊滅状態に陥る。その時、人類の救世主となるのが、あなただ」
火の鳥は、重大なことを告げた。
「すでに諸大国が私の血を狙って動き始めている。しばらくここに匿って欲しい」
その日から、息子は、ランドセルで火の鳥を飼い始めた。
母は、ペットを飼うのは子供の人格形成に良い影響を与えると考え大目に見た。
火の鳥は、インコの餌を好んで食べる。
息子は、ランドセルの底に新聞紙を敷き、火の鳥の糞の世話も怠らない。
「ほら、いつまで寝ているの。早く学校に行きなさい!」
ある朝、母が息子の布団を捲り上げる。すると息子が気怠そうに言った。
「僕はもう学校には行かない。ここで火の鳥の世話をする。僕が勉強をしてもしなくても、僕が救世主になることに変わりはない」
「掛け算は? がんばって九の段に挑戦していたじゃない」
「うるさい! そこまで言うならお母さんが学校へ行け!」
母は、息子のランドセルを背負って外へ出た。
「火の鳥よ、今すぐ旅立ちなさい」
近所の河原でランドセルを開いた母は、中にいる火の鳥にそう言った。
「嫌です。私はここがとても居心地がよい」
「ランドセルはあなたの棲み処ではない。これは教科書を入れる鞄だ」
「あの者は、将来地球の救世主になる。私には救世主を見守る義務がある」
「それがどうした。母には、我が子を育てる義務がある。息子の勉強の邪魔をするな。立ち去れ!」
火の鳥は、仕方なく大空へ飛び立った。
「お母さん、ランドセルを背負って、どこへ行くつもりだよ!」
息子が後から母を慌てて追いかける。
「学校よ。あなたの言う通り、お母さんが学校へ行く」
「冗談だよ。恥ずかしいよ。分かったから。僕が学校へ行くから」
息子が母からランドセルを奪う。二人は既に火の鳥との記憶を喪失している。
「くいちがく。くにじゅうはち。くさんにじゅうしち」
母と息子は、川沿いの通学路を仲良く並んで歩き、九の段を唱えながら学校へ向かった。
その頃、火の鳥は、遠い宇宙から地球を見下ろしている。
おや、母と息子の九の段が、宇宙まで聴こえくる。
希望の音だ。
耳を澄ませば、地球のあちこちから、さまざまな希望の音が鳴っている。
地球から鳴り響く希望の音に、
火の鳥は、今日も耳を傾けている。