第9話 王女の治療6
まだ日も昇っていない時間に俺はこの事件について考える。
あれからカイルさんにここ数か月の王城への出入記録を見せてもらった。
一日ずつ王城へ入った人物の数と出て行った人物の数を見比べたが、そこにおかしな点は無かった。
まぁ、流石にこんな目に見える形の証拠は残っていないだろう。
それでも調べて行くうちに不審点が見つかった。
それはハーベルク侯が何度か王城へ運び込んだという大型の馬車だ。
当然荷台のチェックは行われているが、三度目に王城へ来た時のチェックは甘かったとその時担当していた人物から聞いた。
これならその馬車の中に二枚底を引くなどして十分人を中に入れることは出来ただろう。
そして、先日エリッサさんと共に行った目安箱作戦。
そこでも収穫はあった。
何人かの生徒が目安箱に紙を入れた訳だが、明らかにハーベルク侯傘下の貴族の発言だけ自分達を擁護するような発言だった。
もし俺がハーベルク侯を疑っていなかったら、その言葉に惑わされていただろう。
俺は調べるうちにそのことに気付いたがハーベルク侯の娘であるエリッサさんに伝えることはしなかった。
俺の横で必死に情報を整理しているエリッサさんがルシル様を裏切っているとは考えにくい。
恐らく、彼女はこのことを全く知らないはずだ。
もしこのことを伝えれば、彼女がどんな行動をするかは予想できない。
恐らく良い結果にはならないだろう。
もう一人の容疑者であるワグナー侯も少し調べたが驚くべき白さだ。
どこにも怪しい要素が無い。
逆にそれが怪しく色々と調べたが、彼の真面目さ故の行動なのだろう。
これらの理由より、俺はこの事件の犯人がハーベルク侯だとほぼ確信していた。
だが、今俺が調べたのはあくまで「怪しい」というレベルのことだ。
黒だと断定できる証拠はない。
だからこそ、あの人に接触する必要がある。
そろそろ貴族が王城にやってくるというタイミングで俺は部屋を後にした。
◇◆◇
「おはようございます、ワグナー侯。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
ハーベルク侯が犯人だと考えた俺はワグナー侯爵が現れたタイミングで声を掛けた。
ワグナー侯爵は俺が初めてオニムス陛下に謁見した時に俺を信用していなかった人物で、オニムス陛下にも俺の危険性を説いていた人物だ。
あれからもたまに俺とすれ違う時はあったが、その度に疑いの目を向けられていたのはよく覚えている。
「貴様! 待ち伏せなど、失礼だぞ!」
ワグナー侯の秘書的な存在だろうか。
ワグナー侯の側に控えていた男が俺とワグナー侯の間に割って入る。
俺は彼の言葉を無視してワグナー侯を一点に見つめた。
「ルシル様の件で少しお話したいことがあります」
俺がこういえば、彼は話を聞かざるを得なくなる。
普通ルシル様に何かあったならオニムス陛下に言えば良い。
それが一番早く、その情報を必要としている人物でもあるのだから。
それなのに自分に話が来た。
そうなれば、彼ほどの人であればすぐさま国王に知らせると危険な情報であることを悟ってくれるはずだ。
俺の目を見たワグナー侯は冷たい目をした後、側に控えていた者を下がらせる。
「下がっておれ。私に何の用だ?」
「ここでは話せない内容です。人払いを求めます」
「貴様! そんなこと──」
「──私は今、武器を一切持っておりません。必要であれば口以外全て縛り上げていただいて結構です。私はワグナー侯と二人での対話を求めます」
「ほう」
俺の目を見て彼は何を感じたのか、ワグナー侯は側に控えていた者に「皆には少し遅れると伝えてくれ」と言った後、俺の前を歩き出した。
「ついてこい。話を聞いてやろう」
「ご厚意に感謝いたします」
こうして俺とワグナー侯の二人きりの話し合いが行われた。
◇◆◇
「して、この私に何の用だ?」
遊びの時間を設けるつもりは無いらしい。
かなり厳格で堅い性格。
そして、必要であればただの怪しい人物にしか見えない俺と二人きりの時間を用意するだけの合理性。
これらを併せ持つ彼だからこそ、この役を任せられるのだ。
「はい。実はルシル様を治療する中で幾つか不可解な点が浮かび上がってきました」
「不可解な点、だと?」
俺は知り得た情報を全て話していく。
「はい。まず初めに気付いたのはルシル様の部屋の天井裏に人が居たことです」
「なんだと!」
やはりワグナー侯もルシル様の天井裏の件は知らなかったようだ。
俺の言葉を聞いて、少し取り乱す。
「それは嘘偽りのない真実なのだろうな?」
「はい。間違いありません」
少し思い悩む素振りを見せたワグナー侯はそのまま俺に続きを促す。
まだ信用している訳ではないだろうが、ひとまず話は聞いてくれるみたいだ。
「そして、もう一つ不可解な点。それはルシル様が学園で陰口を叩かれていたことです」
「……」
どうやら、このことはワグナー侯も知っているようだった。
「ワグナー侯も同じお気持ちだとは思いますが、貴族の方々にとって王族とは絶対の存在。そんな中、お人も良いルシル様の陰口を学園内で叩くでしょうか? しかもその出所はまだ見つかっていません」
「何が言いたい?」
こちらの考えを探るように目を光らせるワグナー侯に俺は決定的な言葉を放つ。
「貴族の中に、王族への反逆を考えている者が居ると邪推いたします」
「……」
俺の言葉に何を思ったのだろうか?
何も反応を返さないワグナー侯は俺の推理については触れず、質問してきた。
「それを何故私に言ったのだ? そして、言ってどうなる?」
「はい。それはワグナー侯が私から見て一番信頼できる陛下の家臣に見えるからでございます。恐らくワグナー侯はここまで話した私のことをかなり疑っているでしょう。ここまで考えている奴は危険だ、と。その注意深さと忠誠心。その上、必要とあらばどこの馬の骨とも知れない私と対話する合理性。そして陛下への進言も臆することなく出来る。それほどのお方だからこそ、この話をさせていただきました」
「……」
「私は今、ワグナー侯の警戒心を解くだけの材料を持ち合わせておりません。しかし、この国が危険に冒されているのは事実。その事実があれば疑わしい私と一時的に協力関係になることも厭わないと判断したからこそ、お話をさせていただきました」
これは俺の本心だった。
彼ならば俺の話を聞いてくれるという確信があったからこそ、話しかけた。
そんな俺の言葉を聞いて、ワグナー侯は一つため息を吐く。
「はぁ、恐ろしい男だ。私も最近、言葉に出来ない違和感を感じていた。恐らく今お主が言ったことは正しいのだろう。今はお主の口車に乗ってやろう」
「ありがとうございます」
「それで、私は何をすればいい」
「ハーベルク侯爵について調べて欲しいのです」
「ハーベルク侯か……」
「何か心当たりでも?」
「いや、思えば不可解な点は多かった。ルシル様に最初の医者を用意したのもハーベルク侯。そして、医者の餞別のために失敗すれば処刑するということを提案したのも彼だ。その結果、ルシル様はさらに引きこもり、陛下の評判は下がった。それに武家の中で一番力のあるハーベルク侯なら王城の警備についても口を出せる」
そんなことがあったのか。
これはほぼ確定だな。
「では、ご協力いただける、ということですね?」
「ああ、国が脅かされているのであれば動くほかあるまい。だがお主も怪しいことには変わりない。変な行動を取れば、すぐさま罰せられることを努努忘れるな」
「ありがとうございます。承知しております。ではこの件は内密に」
「分かっておる。そこは安心してくれ」
俺はもう一度ワグナー侯に礼をすると、ワグナー侯が立ち去るのを見送った。
(彼を引き込めたのは大きい)
作戦の最後の要になるのは恐らく彼だろう。
ワグナー侯がどれだけの情報を集めるか。
それが作戦の成功率を大きく左右することになる。
◇◆◇
ワグナー侯との話し合いを終えた俺は孤児院へと向かっていた。
俺が孤児院に着くと同時に誰か出て行く人が居た。
(客人だろうか?)
俺はそこでは深く考えずに、孤児院の中に入って行くと、そこには少し暗い顔をしたマチアさんが居た。
だが、俺に気付くと、顔を明るくして出迎えてくれる。
「あ、シドさん! 来てくれたんですね」
「はい。少しの間、来れなくてすみません」
「気にしないでください。こうして元気な姿を見せてくれるだけで子供達も喜びますから」
「そう言っていただけるとありがたいです……それで、先ほどの方は……?」
俺は少し気になったことを尋ねる。
すると、マチアさんの顔に一瞬暗い表情が浮かんだ。
「先ほどの方ですか……えーっと、その……」
あまり嘘を吐くのは得意では無いのだろう。
何か事情があるのは明らかだが、俺に話してくれそうな様子はない。
(あまり、詮索するのは野暮か)
「いえ、すみません。深い意味は無いんです。孤児院のことを気にかけている人が多いのは喜ばしいことですから」
「……そうですね……」
俺はその暗い顔に何かを感じつつも、話を逸らすことにした。
「それで、ここに来た要件なんですが……」
「あ! そうでしたね。何でも言って下さい」
「少し前に相談させていただいたルシル様の件で……」
俺がそう切り出すとマチアさんも合点がいったように頷いた。
「明日からお願いしようと思うのですが、大丈夫でしょうか?」
「もちろん、それは大丈夫なのですが、ルシル様に任せてしまって良いんでしょうか?」
「それがルシル様のためにも彼らのためにもなると思います」
「シドさんがそう仰るのであれば、こちらからもお願いします」
俺は内心でマチアさんに謝る。
これからこの孤児院は危険に晒されることになるだろう。
だが、ここしか最適な場所が無かった。
俺は笑顔を浮かべるマチアさんを見て鈍い頭痛を感じながら、愛想笑いを浮かべた。