第3話 王女への接触
俺は別れ際のマチアさんの言葉を思い出す。
「本当に行くんですか?」
「はい。行きますよ」
マチアさんは俺なんかを本気で心配してくれているようだ。
その瞳には薄っすらと光が浮かんでいる。
「もちろん、勝算はあります。なんとかなりますよ」
俺は気休め程度だがそうやってマチアさんを元気づけた。
それが気休めであることはマチアさんも分かっているだろうが、マチアさんはそっと微笑むと俺の手を握る。
「その、また来てくださいね」
その消え入りそうな言葉を聞いて、俺は彼女の孤独に触れたような気がした。
まだ会って一日も経っていないので、彼女がどういった生活を送っているのかは分からない。
だけど、もしかしたら彼女は頼れる人が居ないのかもしれないな。
俺は「また来ます」とだけ言って、王城の前まで来た。
今は彼女のことを考えている余裕はない。
俺は頭を切り替えると、目の前で喋り出した男に集中した。
「さて、本日は集まってもらって感謝する。今日集まってくれた諸君はルシル様を癒すために来てくれたのだろう」
(恐らくほとんどはお金のためだろうけどな)
成功すれば3000万ルピ。
普通に過ごせば十年単位で過ごせるだけのお金だ。
この王城の前まで集まった者達も、ワンチャンスを狙ってここまで来たのかもしれない。
台の上に上り、俺達に語り掛ける男は白い甲冑を着ていた。
恐らく王族に仕える騎士の類だろう。
そんな彼のとなりには人一人が入れるだけの大きな樽があった。
「だが、中には私利私欲のためだけに現れる偽物も居る。そして我々にそれを見極める手段はない。そこで、もしルシル様を治せなかった場合、こうなってもらう」
騎士の男が合図をすると、大きな台の上に何人かの騎士が槍を持って登場した。
彼らは樽を囲むと、いっせいにその槍を樽へと突き刺していく。
木を突き破る音が辺りに鳴り響き、空いた穴からは粘性の赤い液体が溢れてきた。
それを見て、観衆からも悲鳴が上がる。
(血は偽物か)
その血に似た液体が偽物であることは見る人が見れば明らかだった。
だが、それが偽物であったとしても恐怖は間違いなく刻まれる。
「さて、失敗すればこの樽の中身は諸君らになる。そのことを覚悟出来る真の者だけがここに残るがいい」
「お、おい。流石に症状すら教えんとはどういうことだ。それなら出来るかどうかも分からないじゃないか」
「症状は伝えられない。これは覚悟を問うているのだ。中に入れば詳しい話が出来るはずだ」
騎士の男の言葉に冷やかしに来ていた一人が立ち去った。
それを皮切りにどんどんと人が離れていく。
──失敗したら死刑
頭では分かっていても、ああやって目の前で見せられれば、その印象は大分変ってくる。
そもそも症状すらいまいち分かっていないのだ。
医者でない者はもちろん、正規の医者でさえ、症状が分からない状態では話を受けるはずもない。
「オニムス陛下は、おかしくなっちまったんじゃないか?」
「馬鹿にしよって」
立ち去っていく者達の言葉が俺の耳に届く。
オニムス陛下はこのルイアイセン王国の王様だ。
事前に調べた限りだと彼は賢王として慕われていたはずだ。
実際ルイアイセン王国が貿易を中心として一番国力を付けているのも彼の力によるところが大きい。
それを思えば、少し違和感の残るやり方だ。
明らかにこれは悪手と言わざるを得ない。
いや……
俺は少し自分の立場に置き換えて考えて見る。
もし自分の身内が病に倒れ、それを治せる者を探していたら、お金目当ての偽物だった。
そうなれば到底、許せるものではないだろう。
マチアさんに聞いた話では最初は報奨金だけが告げられていたらしい。
しかし、そこに現れた者達は何も成果を挙げられなかった。
いや、それどころか王女の症状を悪化させてしまったことも噂程度だがあるらしい。
国王としてもそれは何としてでも避けたいのだろう。
そのための、重い罰。
結局、その場に残ったのは俺だけだった。
症状も分からず、今まで何人も失敗しているとなると、こうなるのは必然だろう。
俺が残れたのも、最悪分身が殺されるだけだからだ。
別に本体がやられるという訳でも無い。
まぁ、そうなったら血が出ないことで偽物だとバレるため、非常にマズイ事態にはなるのだが、そこは最初から考えていない。
どの道、どこかでは危険が伴うのだ。
俺がその場に佇んでいると、台の上から騎士の男が俺を見下ろす。
「貴公はこのことを分かった上でそこに居るのだな」
「はい。失うものはありませんので」
俺は真っすぐと騎士の男の目を見つめた。
しばらくすると、騎士の男は台から飛び降りて俺の前まで歩いてきた。
まさか、切られたりしないよな? と、一抹の不安を騎士の腰に着いた剣に感じていると、騎士の男は俺の前で敬礼した。
「ありがとうございます。ご無礼を働いたこと、ここに謝罪させていただきます。どうぞこちらにいらしてください」
「え?」
俺はあまりの態度の変化に唖然としていた。
後ろに控えている騎士達も俺に敬礼をしている。
それを見て、なんとなく状況を察した。
(なるほど、あれはパフォーマンスか)
確かに必要以上に脅しているな、とは感じていた。
もしかしたら、本当は殺す気は無いのかもしれない。
俺は騎士の男に連れられる形で王城の中へと足を進めた。
◇◆◇
「陛下、治療してくれる者を連れてまいりました」
騎士の男が大きな扉の前で声を張り上げると、扉が開いた。
どうやらここは玉座の間らしい。
扉の先には広い空間があり、その奥には国王と思わしき人物が座っていた。
その周りには何人かの男が居り、衣服から上等な役職の者であることは理解できた。
(このあたりはセントエル王国と大差ないな)
そんなことを感じながらも、俺は騎士の男の一歩後ろを歩く。
程なくして、騎士の男が膝をついた。
俺も習って同じような体勢を取る。
「カイル、下がって良いぞ」
「はっ」
国王が告げると、カイルと呼ばれた騎士の男が下がる。
ただ、少し離れた位置に立っているだけで、いつでも俺を制する準備は出来ているようだった。
「顔をあげてくれ。よく来てくれたな。」
「はっ」
俺は顔を上げると国王の目をジッと見つめる。
その顔には深い皺と共に疲労の色が見えていた。
(最近、眠れていないのだろうか?)
よく見れば目の下が少し青黒くなっている。
「まずは我々が無礼を働いたこと、許してくれ」
「やはり、あれはパフォーマンスだったのでしょうか?」
「ああ、そうだ」
俺は何も言わずに国王を見続ける。
そこに非難の色を感じ取ったのか、国王は続けた。
「言いたいことは分かる。これが悪手なのもな。だが、これ以上ルシルを傷つけさせる訳には行かん。先ほど、あれはパフォーマンスだと言ったが、もしルシルに何かすれば、相応の罰はあると思ってくれ」
「それは覚悟の上です」
俺が声色を変えなかったことに満足したのか、国王も静かに頷いた。
「もちろん、ルシルを立ち直らせてくれれば、相応の謝礼はするつもりだ。金銭はもちろん、それ以外の便宜も図ろう」
「陛下! それは!」
その時、陛下の近くで控えていた男が立ち上がり、オニムス陛下に意見を申し立てた。
「なんだ、ワグナー侯? 問題があったか?」
「いえ、謝礼は金銭のみでよろしいかと。そのように約束してしまえば、後で何を言われることやら……」
「分かっておる。だが、それはルシルを治せたらの話だ。ルシルを治せるのなら、便宜は図るのは当然だろう」
「しかし……」
「これ以上は聞かん。我の言葉一つで結果が変わることもあるやもしれん。ワグナー侯分かってくれ」
「そうですぞ、ワグナー侯。陛下は少しでも確率を上げるために仰っているのです。ここは彼に任せてみようではありませんか」
「くっ、失礼致しました……」
オニムス陛下とワグナー侯の隣に居た人物に諭されたワグナー侯は渋々といった形で退いた。
そして、次に俺を注意深く睨む。
(良い家臣だな)
ああやって、直接意見を言ってくれる家臣は思っているより少ない。
彼が諭したことは正しかった。
実際、俺はスパイとしてこの国にやってきた訳だからな。
彼の心配はそのまま的中しているという訳だ。
そんなことなど露知らぬオニムス陛下は「そういう訳だ」と俺を見た。
「謝礼に関しては弾むつもりだ」
「はっ。感謝いたします」
結果的には俺にとって都合が良いようになったな。
ルシル様を治したとしても、お金だけ渡されてさようなら、となってしまえば目的を達成できない。
他に願いを聞いてくれるというのはありがたいものだった。
褒美に関しても全く異論はないので、早速治療の話に進む。
「それで、ルシル様はどういったご容態なのでしょうか?」
これを聞かなければ何事も始まらない。
一通り医療の心得はあるため、基本的なモノなら対処できるはずだ。
「そうだな。口で説明するのはたやすいが、一度見た方が早いだろう。ついて来てくれ」
そこでオニムス陛下自ら動き出した。
どうやら俺を案内してくれるらしい。
オニムス陛下に連れられる直前、俺は先ほどオニムス陛下に進言していたワグナー侯とその隣の人物を見る。
ワグナー侯はやはり俺を睨みつけており、その隣の男は無表情ながらもどこか笑っているような感じがした。
◇◆◇
長い廊下を歩いたオニムス陛下は一つの扉の前で足を止めた。
「ここがルシルの部屋だ」
俺は無言で頷く。
オニムス陛下は扉を軽く叩くと、ルシル様に確認を取る。
「ルシル、入るが良いか?」
「はい。お父様」
オニムス陛下が尋ねると、中から澄んだ声が聞こえて来た。
扉越しにでも聞き心地の良い声だと分かる。
程なくして扉を開けた先には美しい姫が居た。
窓を開け、外を眺めている彼女は物憂げな表情を浮かべており、長い銀髪が風に揺られて靡いていた。
扉を開けたことで、こちらに翠色の瞳を向けた彼女は最初にオニムス陛下を、そして次に俺を見た。
「あっ、ああ……」
俺を見たルシル様は目を大きく見開き、声にならない声をあげた。
俺は軽く会釈をしてみたが、どうやらお気に召さなかったらしい。
顔はみるみる青くなってき、この世の終わりでも見たかのように顔を歪めていった。
そこでオニムス陛下が動く。
「悪いが、少し外に出てくれないか?」
「了解致しました」
廊下に出た俺は扉越しに娘を宥めているオニムス陛下の声を聞く。
なるほど。対人恐怖症か、それに連なる何かということか。
つまり、ルシル様が患っている病と言うのは心の病という訳だ。
確かにこれは普通の医者には荷が重いだろう。
だが、ここで彼女に立ち直ってもらわなければ困る。
俺は彼女を治すために必要な手順を考え始めた。
シドを見るなり、顔を青くしたルシル。
ルシルの病は精神的なものでした。
まだ解決の糸口も見えない中、シドはどうするのか。
次回、王女への治療。お楽しみに。