9 王太子殿下、マクナガン公爵家の謎に迫る! ……と見せかけて、迫らない。
殿下のマクナガン公爵家ミステリーレポート。
略してMMR。
三月のある日、エリィがとてもご機嫌な笑顔で私の元へやって来た。
エリィが執務中の私を訪ねるのは、結構珍しい。
けれどきっと、今日の用件は『あれ』だろうな、と当たりは付いている。
通すように告げ待っていると、満面の笑顔のエリィがやって来た。今日も可愛い。
「お時間いただきまして、ありがとうございます」
いつも通り、丁寧に一礼する。
こういうところを疎かにしないエリィが、私はとても好きだ。
エリィをソファにエスコートし、隣に座る。
「それで? 今日はどうかした?」
尋ねると、エリィは持っていた小さなバッグからいそいそと、畳んだ紙片を取り出した。
それを両手で開いて持つと、表が私に見えるように掲げた。
「合格しました!」
エリィが余りに笑顔なので、思わずつられて笑ってしまう。
エリィが得意げに広げているのは、スタインフォード校からの合格通知だ。同じものを、私も先日受け取った。
「おめでとう」
「レオン様はいかがでしたか?」
合格通知を大切そうに畳みなおし、またバッグに片付けると、エリィはにこにこと笑いながら尋ねてきた。
ただ、形式上は質問だったが、エリィの口調は私が受かる事を疑っていない。
「受かったよ」
「おめでとうございます!」
満面の笑顔での祝福だ。
これ以上ない合格祝いである。
エリィはまた、小さなバッグをごそごそと漁っている。
何が出てくるのか……と見ていると、小さな箱を取り出し差し出してきた。
「これ、合格のお祝いです!」
「受かったとも言ってなかったのに?」
箱を受け取りつつ言うと、エリィは楽し気に笑った。
「レオン様が落ちる筈がありませんから」
本当に、エリィは私を買ってくれている。
「ありがとう。開けてもいいかな?」
「どうぞ。……もし気に入らなかったとしても、そこは受け取っておいてください」
急に神妙な顔になったエリィに笑うと、その小さな箱を開けてみた。
ジュエリーケースだ。しかもこれは、王室御用達の高級宝飾品店のものだ。エリィにしては珍しいプレゼントだ。
開けてみると、中身はカフスボタンにタイピンのセットだった。
上品なシルバーで、エリィの瞳によく似た丸いエメラルドがちょこんと嵌っている。
「ありがとう。嬉しいよ」
本当に嬉しい(特に、エリィの瞳の色のエメラルドが)。
そう告げると、エリィはほっとしたように微笑んだ。
「喜んでいただけて、何よりです」
「うん。使わせてもらうよ」
勿体なくて、しまっておきたい気持ちもあるが。
「私もエリィに合格祝いを用意しているのだけれど、まだ出来上がっていないんだ。ごめんね」
そう告げると、エリィは「ほへ?」と気の抜けた声を出した。
「……殿下こそ、私が合格するかも分からないのに、用意されてたんですか?」
また、『殿下』になってる。
エリィをじっと見ていると、エリィが気付いたようで、小さな声で「レオン様」と言い直した。
中々、エリィは私の呼び名に慣れてくれない。
言ってしまえば、『様』などという敬称も不要なのだが……。
「エリィが落ちる訳がないと思っていたからね」
そう言うと、エリィが苦笑する。
無上の信頼は、重いだろう? 君がいつも私にくれるのが、それだよ?
* * *
五月からの学院入学に際し、私やエリィの警護体制を幾らか見直した。
基本的に王城に居たこれまでと違い、一日の大半を学院で過ごす事となるのだ。
学院内にも、護衛の人間を配置する必要がある。
その打ち合わせで、学院へ出向いた。
学院にも、そちらで雇っている護衛が居る。その統括をしている兵長と、学院長と、私とノエルとで、兵の配置や人数の割り振りなどを決めていく。
……エリィが居たら、喜んで参加してきそうだな。
連れてきたら良かったかな。
そう思ったのだが、エリィは今日は王妃と共に診療所の視察へ行っている。
エリィにも、徐々に公務が割り振られるようになっているのだ。
まあそれも、暫く休みだが。
一通りの警備体制を決め、後は実地で臨機応変に……と片付いた。
「しかし、エリザベス様はとても優秀なお方ですね」
お茶でもどうぞと言われ、今はのんびり学院長とお茶をいただいている。
「ああ。知っているよ」
微笑むと、学院長は「これは失礼いたしました」とおどけて頭を下げた。
入試の成績は、私が一番だったらしい。
この学院に限って、王族への忖度などしないだろうから、恐らくそうなのだろう。……過去に、ここを受験し落ちた王族も居るくらいだ。
そしてエリィは、私と僅差の二位だ。
よりによって、エリィの大得意な歴史で、スペルミスをやらかしていた。本人に教えたら落ち込むだろう。黙っていよう。
「学院長、彼女の論文は、お借り出来るだろうか」
「ご用意してございます」
学院長は席を立つと、自分の机から紙の束を持って戻って来た。
彼女が一体何を書いたかが気になって、学院長に事前に頼んでおいたのだ。
手渡されたそれは、確かにエリィの丁寧で綺麗な文字が並んでいた。
「治水工事……」
論文のタイトルは『エーメ河の氾濫と、その抑止・防止 ――治水・灌漑計画とその経済効果』だ。
エーメ河とは、マクナガン公爵領にある大きな河川だ。数年に一度程度の頻度で氾濫を起こす。
抜本的な対策が取られないまま、対症療法を行っている状態だ。
これは予想外だった。
大がかりな土木工事の詳細と、それによる経済効果にまで言及した論文である。
「エリザベス様は視点が広いですな。史実の引用も、実に多い」
「彼女は、特に歴史が好きだからな……」
「史学の講師が喜んでおりました。歴史を『過去の教訓』と捉え、未来に生かそうとしておられる、と。史学を選択してくれたなら嬉しい、と。ただ、工学や経済学の講師も、エリザベス様を欲しがってましたな」
楽し気に言う学院長に、私も思わず笑ってしまった。
確かにエリィのこの論文では、彼女が何を専門としたいのかが分からない。予想外なのがエリィなので、全く斜め方向に進むつもりかもしれない。
「それと、もう一つ……」
もう一つ?
学院長が差し出しているのは、薄い紙の束だ。枚数にして、四枚か五枚程度だろうか。
受け取って、怪訝な表情になってしまった。
やはりエリィの文字で『奇跡の検証』と胡散臭いタイトルがつづられている。そして用紙の下の方には『化学、物理学の講師各位の見識を求む』と書かれている。
捲って読んでみて、思わず溜息が漏れた。
何をしているんだい、エリィ……。
それは、エリィが以前作ったクッキー(仮)についての文章だった。
要は『手順通りにやったのに、何故か味がないし、歯が立たないくらい硬い。どうしたらそうなるのか考えてみて欲しい』という内容だ。
きちんとクッキーの材料や、行った手順などが書かれている。
そして硬くなる可能性、味が無くなる可能性を上げ連ね、一つずつ反証している。
最後は『考えても分からず思考を放棄しそうになったが、学究の徒としてそれは犯すべからざる愚行である。故に、知賢ある講師各位のお力をお借りしたいものとする。』と纏められている。
そんなに悔しかったのか、あのクッキー(仮)……。
「化学と物理学の講師陣に、大好評でした」
「……大好評」
そんなにか。
「はい。爆笑が起こっておりました」
「爆笑……」
これは、エリィには絶対に言えない。
学院長にクッキー(仮)の愚痴を綴った紙を返すと、学院長は楽し気に笑った。
「化学講師からは、これで合格にしても良いくらいだ、との意見も出ておりました」
「それはまた……」
何と言っていいのか、既に分からない。
「とにかく、我々は殿下とエリザベス様を歓迎いたします。学院での生活が、良いものでありますように願っております」
「ありがとう」
笑顔の学院長に、こちらも笑顔で礼を返した。
* * *
単にエリィと一緒に通学したいとお願いしに行った公爵家で、また私の想像を超える出来事が起こってしまった。
以前からマクナガン公爵家は謎だらけだったのだが、訪問して謎が更に深まるとはどういう事だろうか。
訪問した私を一家で出迎えてくれた。
エリィは淡い青色の、綺麗なワンピース姿だ。首元には私が合格祝いに贈ったネックレスがある。
歴史好きくらいしか知らないであろう品物だが、エリィなら絶対に気付くだろうと確信していた。トップの飾りの裏の文字にも、エリィは気付いただろうか。まあ、気付かなくても大事ない。ただの私の自己満足だ。
ともあれ、身に着けてくれるのは嬉しい。
学院への送迎をさせて欲しいと申し出た私に、公爵が大袈裟な程に喜んだ。
……正直、引いた。
何をそこまで喜ぶのだろうか。いや、反対されるよりは都合が良いのだが。
夫人も喜んでおられる。
彼らは、己の娘が王太子妃となるからと、それを振りかざすような人種ではない。
では、何だろうか。
単に娘が大切に扱われている事を喜んでいるのだろうか。……それとも違う気がするが。
ただ、エリィだけは少し遠慮を見せた。
そのエリィに対し、夫人がきっぱりと言った。
「……アレと毎日、朝夕二十分間、狭い馬車に閉じ込められるのですよ」
アレとは? 馬車に閉じ込められるとは?
良く分からないが、とにかく穏やかでない。
……あと、気にしすぎかもしれないが、先ほどからずっと窓の外で使用人たちがおかしな動きをしている。あれも何だろうか。
夫人の言葉の意味を尋ねると、公爵と夫人は目を見合わせ頷き合った。
そして、神妙な口調で言い出した。
「今日は、殿下に聞いていただきたい話があります」
「隠していた訳ではないのですが、結果的にそのような形になりました事を、まずお詫びいたしておきます」
えらく重々しい。
そんな重大な秘匿事項が、公爵家にあるのだろうか。
……結果として、とんでもない話を聞かされた。
私の隣では、エリィが大きな目に涙を溜めて、小刻みに震えている。
「エリィ、大丈夫かい?」
背を撫でてやると、私を見て少しほっとしたような顔をする。
その背も、プルプルと震えている。
公爵家の懸案事項は、嫡男エルリックの事だった。
エリィが生まれたばかりの頃からエリィに異常な執着を見せ、今もエリィを異常に可愛がる少年。
その執着の仕方と、溺愛の仕方が、理解の域を超えていた。……というより、理解出来たら駄目な代物としか思えない。
……エリィがブラッシングした際に抜けた髪を集めて持っているだとか、誰から見ても恐怖でしかないだろう。
エリィが震えるのも無理はない。
執事を呼び、エルリックはどうしているか尋ねると、恐ろしい答えが返って来た。
「……自室にて『私のエリィ人形』に着せる服をお選びです」
何だ、それは。『私のエリィ人形』? 嫌な想像しか出来ないが……。
「だから、その人形何なのォォォ!!」
エリィが壊れた。
彼女がこれほど取り乱すところを、初めて見た。
いや、語られる内容がアレ過ぎて、取り乱すなという方が無理だ。
エリィはもう泣いてしまっている。
少しでも落ち着けるよう、背をさすってやるしか出来ない。
更に執事からは、エルリックが勝手にエリィの部屋へ侵入し、クローゼットから衣類を持って行っているという、恐ろしい情報まで飛び出した。
エリィは更に取り乱し、嗚咽まで零している。
一生懸命にワンピースの袖口で涙を拭うエリィは、目がどんよりと濁っている。心なしか、焦点も合っていない。
これは駄目だ。
この家は危険だ。
エリィをここから連れ出さねば……。
その一心で、私は公爵に告げた。
「エリィを、城に連れ帰って構わないだろうか」
と。
そう言った瞬間、公爵と夫人、エリィ、室内に居た執事や侍女までもが、私を縋るような目で見てきた。
……どれだけ追い込まれているんだ、全員揃って!
娘を他家に預けるというのに、恐ろしいほどとんとん拍子で話が進んだ。
私が提案した数分後には既に、執事から「荷物の準備が整った」と驚きの報告があった。
マクナガン公爵家とは一体、何なのだ……。
少し呆気に取られていると、エリィが窓の外をみてぽかんとしている。
つられて私もそちらを見、そこにある光景が全く理解出来ず、思考が見事に停止してしまった。
窓の外には、メイドや従僕のみならず、庭師らしき男性、更には衣装からして普段は隠密業務をしているのであろう男性たちまでが揃っていた。
そして彼らは皆晴れやかな笑顔で、エリィに「おめでとうございます」などと言いながら拍手をしているのだ。
……何だ、これは。どういう光景だ?
意味の分からなさに呆然としていると、珍しい事にノエルが発言した。
『そこに控える』事が仕事であるノエルは、話題を振られない限り口を開かない。
余程気になる何かでもあったか?
「先ほどからやり取りしているあれは、何なのですか……?」
あれ、と言いつつ、ノエルは使用人たちがやっていた手の動きを真似た。
それに公爵は、実に晴れやかな良い笑顔を浮かべた。
「我がマクナガン公爵家に伝わる、ハンドサインです」
……公爵家に伝わる? ハンドサイン? 何故そんなものが伝わっているのだ?
晴れやかな良い笑顔だが、言っている事が意味不明だぞ、公爵。
そして私はまた、マクナガン公爵家の謎を見るのだ。
執事は『当面の荷物』と言っていた筈だし、整ったと言われた時間もえらく早かった筈だ。
なのに、エリィの荷物は、公爵家の馬車二台にぎっちりと詰め込まれていた。仕事が早いとかいうレベルではない。やはり意味が分からない。
エリィを私の乗って来た馬車へ乗せると、恐らくエルリックを除く公爵家の全構成員がそこに居るのでは……という人数が見送りに来た。
……後ろの方、料理人まで居るな。
「では殿下、くれぐれも娘を宜しくお願いいたします……」
深々と頭を下げる夫妻に、「任された」と返すと、使用人たちも頭を下げてくる。
……何だろう。私に向かって手を合わせて拝む仕草をする者が多数居る。
使用人たちの私を見る目が、崇拝する対象を見るそれに似ている。……怖い。
王城までは十分程度だ。
公爵家という人々の王都の邸は、全て比較的王城に近い区画にある。爵位が高ければ高いほど、王城に近い距離となり、離れる程爵位は低くなる。末席近くの男爵家のタウンハウスとなると、貴族の邸宅の立ち並ぶ区画でなく、民家の中にまぎれているものもあったりする。
動き出した馬車の中で、エリィが私に向け、深々と頭を下げてきた。
「殿下、ありがとうございました……」
声に疲れが滲んでいる。
あれだけ取り乱した後だ、仕方ない。
また呼び名が『殿下』になってしまっているが、今はそっとしておいてやろう。
「いいよ。礼を言われるような事じゃない」
「いえ! 殿下が私を王城へ……と仰って下さった瞬間、殿下に後光が見えました! それくらい、私は救われたのです!」
……後光、が……。
もしやあれか? あの手を合わせていた人々も皆、私に後光を見たのか……?
「これでもう、部屋に鍵を三つかける生活から脱出できます! 着替えの際に窓の外に怯える日々ともお別れです!」
……そんな日々だったのか……。
何だろう。一般的な『貴族の生活』とは、大分異なっているような……。
向かいの席に座るノエルが、エリィを少し憐みの目で見ている。
気持ちは分かるが、やめてやれ。
「ただの私の我儘なのだ。それ程に感謝されるような事ではないよ」
そう。言ってしまえばそれだけなのだ。
これでエリィとの時間も取り易くなるという下心もある。
毎日すぐそこにエリィが居てくれるなら、それはとても嬉しい。
しかしエリィは「殿下……、何と……」と言葉を詰まらせると、すっと両手を合わせようとした。
だから何故拝む!!
エリィの手をはっしと掴み、拝むのをやめさせる。
「うん、拝まなくていいから」
「ですが……」
何が『ですが』かな!?
……少しだけ分かった事がある。
エリィの言動が少々斜め上方向だと思っていたのだが、そうではない。
マクナガン公爵家自体が、斜め上一直線なのだ。
* * *
エリィを城に拉致同然に連れてきて、一週間程度経過したある日。
私とエリィを、公爵夫妻が訪ねてきた。
「殿下、この度は本当に、娘を助けていただき感謝に耐えません……」
頭を下げて感極まったように言う公爵の隣で、夫人も深々と最敬礼をしている。
そこまでか!? ……そこまでなのだろうな。あの追い込まれようからして。
何度も何度も礼を言う夫妻を宥め、席へと促す。
「エルリックの隔離に成功いたしましたので、ご報告をと参じました」
お茶で口を湿らせ、公爵が開口一番に言ったのは、そんな台詞だった。
隔離……。貴方の嫡男ではなかったか……。
「お兄様の捕獲に成功したのですか!?」
エリィの声が弾んでいる。
『兄の捕獲』という、聞いた事のない言葉が飛び出したが、突っ込むのはやめておこう。
「ああ。これ以上野放しにしては、アレは必ず学院で何かやらかす」
「アレを監禁する為の、新たな拘束具も完成しました。エリィちゃんは、何の心配もしなくて大丈夫よ」
えらくキリっと引き締まった表情で夫妻は言うが、内容が酷い。新たな拘束具という事は、旧い拘束具もあるのか……。
エリィは「素晴らしいです……」と僅かに頬を紅潮させて喜んでいる。
……どうしよう。付いていけない。
「まだ入学前ですが、学院には一年間の休学届を提出いたしました。その間に、アレを多少なりとも矯正出来たら……と考えております」
「そうか……」
以外に、何を言えるというのか。
マクナガン公爵家の人々と話すと、どうにも言葉に詰まって困る。
「アレの部屋から色々とアレな物が出てきたけど……、エリィちゃんは聞きたくないわよねぇ~?」
エリィを心配そうに見て微笑んだ夫人に、エリィは凄まじい勢いでぶんぶんと頷いている。
「ないです!! むしろ絶対に聞かせないでください!! 世の中には、知らない方がいい事があるんです!!」
「そうよね~。……皆で庭で一つずつ燃やしたのよ~。そうでもしないと、呪われそうな気がして……」
東の方の宗教儀式に、不浄の物を火によって浄化する『お焚き上げ』なる儀式があるとは知っているが。よもやそれだろうか……。
「ついでにお兄様も燃やすというのは……」
エリィ!? 何、怖い事言ってるのかな!?
「それは流石にねぇ~……。……どうやっても足がついてしまうわ」
問題点はそこじゃないだろう、夫人!!
「二人とも、物騒な事を言うのはやめなさい」
宥める様に言う公爵に、そうだよな、とほっとした。しかし、次の瞬間―――
「問題はそこではないだろう。アレなら絶対に逃げる。そんな愚行を犯せんだろう」
そこでもないよな!?
大貴族のお家騒動で、家人が数人不審死を遂げるなどというのは、ままある事ではある。
だがこの家は何か違う。
騒動の原因が、根本から違う……。
「エリィがスタインフォード校の受験に際しまして、論文を提出したのですが……」
「ああ、見せてもらった。エーメ河の治水だろう」
頷くと、公爵も頷いた。
「はい。御存じでしたら話は早い。……実はあれは、エルリック矯正プログラムなのです」
……うん?
怪訝な顔になっていたのだろう。
エリィが深い溜息をつきつつ説明してくれた。
「兄は非常に優秀なのですが、とにかく残念な要素が多すぎて、全体の評価がド変態となる人物です」
……うん。否定は出来ないけれど、その言い方はどうなのかな?
「本来、スタインフォード校にも通う必要はないのです。修めるべき学問は修めておりますし、出仕するつもりもありませんのでスタインフォード卒などと箔を付ける必要もありません」
出仕するつもりはないのか……。どうしてこの公爵家は、そう表に出たがらないのか。
「ならば何故、スタインフォードを受験したかというと、単純に私が受けたからに他なりません」
それだけの理由で合格するエルリックも凄いな!
「兄は基本的に、誰の言う事も聞きません。ご自分の好きなものの為にしか動きません」
「それがエリィか……」
呟くと、エリィが嫌そうに「はい」と頷いた。
「そこで私たちは考えたのです。私が長期間を必要とする施策を考案し、それを兄に実行させる事によって、兄を長期に渡り領地に監禁できるのでは、と!」
天啓を得た!というように、エリィが軽く天を仰いでいる。
公爵夫妻も、うんうんと頷いている。
「エーメ河の治水は、マクナガン領の長年の懸案事項でもありました。ならばそれを、私が立案し、兄に実行させたらどうか……と」
……色々と言いたい事はあるが、とりあえず黙って聞こう。
「兄に実行させるという不自然さを隠すため、スタインフォード校の受験を利用させていただきました。あたかも『以前より考えていて、これから私が実行したいと思っているのだが、私では時間も力も足りず難しい』と思わせる為に」
無駄に壮大な計画だ。
妹に執着する兄を引き離す為だけの計画とは思えない。
「あの論文には、実行に移すに当たり、調整をかけねばならぬ箇所が多数あります。無駄に優秀な兄です、それらをきちんと調整するでしょう。わざと机上の空論と理論値のみで話を進めた箇所もあります。それらの修正も行ってくれるでしょう。……恐らく、それだけで一年はかかります」
確かに、そういう箇所があった。
エリィにしては珍しい、穴のある理論だとは思っていたが、まさかそんな裏があったとは……。
「エリィがこういう事をやりたいらしいが、お前は手伝わんのか?と、焚きつけてやりました。赤子の手をひねるより簡単に、アレは計画に乗ってきましたよ。クククッ……」
……悪役のような台詞だな、公爵よ。
「論文では完遂まで十五年計画としてあります。ですが、あの兄です。必ず、期間を短縮してくる。なので、経済圏の構築に五年、と枷を設けました。これで少なくとも、五年は領地に隔離できます」
確かに、それも書かれていたな……。
治水を施した後、現在は氾濫危険域として不毛の地となっている土地に、商業施設などを配して経済圏を構築する、と。五年後利益で工費を補填する計画になっていた。
あの『五年』に、まさかこんな意味が……。
「最速で五年から六年ですが、アレを領地に隔離しておけます。アレは現在『エリィとの初めての共同作業♪』と張り切っております」
「いやぁぁぁぁ!!!」
頭を抱えて悲鳴を上げたエリィを、私はまた背を撫でて宥めた。
反対側からは、夫人もエリィの髪を撫でてやっている。
先日は気付かなかったが、夫人はとても慈愛に満ちた、穏やかな表情の女性だったのだな。
……先日は、裏稼業の人間のような鋭い目をしていた気がするが。
「大丈夫よ~、エリィちゃん。五年もあれば、エリィちゃんはもう王太子妃となっている筈ですもの。アレにだって『王太子殿下と妃殿下に手を出すとヤバイ』くらいの常識はあるわ~」
雑な常識だな!?
何とも言えない気持ちで寄り添い合う母子を見ていると、公爵がまた私に頭を下げてきた。
「殿下には、本当に感謝しております……。エリィを伴侶にとお選び下さり、ありがとうございました……!」
「いや、頭を上げてくれないか。こちらこそ、エリィのような素晴らしいご令嬢を差し出してくれた事に感謝しているのだ」
「殿下……」
感極まったように呟くと、公爵は頭を下げたままで手を合わせ始めた。
だからそれをやめてくれ!!
「本当に、娘が王太子妃殿下となってしまえば、わたくし共も気軽にお会いできる立場ではなくなりますが、アレとて同じ事。娘を守るのにこれ以上の地位はございません。……心より感謝いたしております……」
夫人までもが頭を下げ手を合わせ始めた。
エリィ! だからエリィも手を合わせないでくれ!
何とか三人の頭を上げさせ、手を合わせるのをやめさせた。
……非常に疲れた。普段の公務より気疲れする……。
晴れやかな笑顔でお茶を飲む公爵に、やはり晴れやかで穏やかな笑顔で夫人が言った。
「長年の重荷が、少々軽くなりましたわね~」
「そうだな。全て殿下のおかげだ」
うふふ、あははと笑い合う二人を、エリィが微笑んで眺めている。
……もう状況についていけない。
「使用人たちも殿下には感謝いたしておりまして」
思い出したように公爵が言った。
「街で殿下の肖像を購入してきて、祭壇を作って拝んでいるようですよ」
笑顔で! 言うような!! 事じゃない!!!
夫人も「あれは良い出来でしたわね~」と微笑まないでくれ!
「私も拝みに行きたいです」じゃないだろう、エリィ!
……どうやら公爵邸では、私は『王太子』ではなく『神』になっているようだ……。
勘弁してくれ……。……いや、本当に、どうか……。
その後、祭壇とやらを撤去してもらうように公爵に告げ、渋る公爵夫妻を説得するのに時間を要するのだった……。
マクナガン公爵家は、謎というより、既に魔境の域だ。
そう認識を改めた春の日であった……。