7 王太子殿下の側近選び
殿下の側近の方々に関する説明回。
長いので、読み飛ばしても多分大丈夫です。
笑いが挟まる隙がほとんどなくて申し訳ない……。
王族は、基本的には外部の教育機関へ通う事がない。
あるとすれば、本人の強い希望があった時だ。
そして私は、国内の最難関である超名門校・スタインフォード学院への進学を希望した。
理由は一つだ。
エリィと学生生活を送ってみたかったからである。
王族、とくに王位継承の決まった王太子・王太女の教育となると、国内でも最高峰の教師が用意される。主義・主張・思想に偏りがあってはならないので、教師の選定は非常に慎重に厳正に行われる。
それを修めているならば、いかな名門校といえど、通う必要は全くないのだ。
だが、エリィと共に学生生活というものを送ってみたい。
十八歳で成人してしまえば、今まで以上に王太子としての公務が増える。執務は言わずもがなだ。
今ですら、隙間時間を見つけてようやくエリィとお茶をできるくらいだというのに、もっと時間がなくなってしまう。
私の一度きりの我儘を聞いてもらえませんでしょうか、と両陛下にお願いしてみた。
もう少し渋られるかと思ったが、拍子抜けするくらいあっさりと「好きにせよ」と言われた。
王妃陛下には「貴方の初めての我儘です。叶えるのが親というものでしょう」と微笑んで言われた。
そうか。
私は、両陛下に『彼らの息子として』我儘を言った事がなかったか……。
心なしか嬉しそうに見えた両陛下に少し申し訳なく思いながらも、お二人の温情に有難く甘える事にした。
とはいえ、エリィにとっては寝耳に水の話だろう。
まだ年単位で先の話である。
年単位で先の話ではあるが、今からとても楽しみだ。
心置きなくエリィと学生生活を送れるように、今からしっかりと準備をしておかなければならない。
* * *
エリィとの楽しい学園生活の為に、とりあえず今まで脇に追いやっていた問題を片付けようと思う。
私には現在、『側近』という者が三名居る。
『側近』とは、私が将来即位し王となった際、それを傍で支えてくれる者だ。
私の傍に侍り、おべっかを駆使して、ただ私を気分良くさせてくれる存在では決してない。
そもそも、そうして持ち上げられても、私には不快感しかないのだが。
何故なのか、そこを勘違いする者がそれなりに居る。
「殿下のご婚約者様には、まだ会わせてもらえないんですかぁ~?」
私の執務室の机に抱えていた資料をどさっと置きつつ文句を垂れるのは、国内最大の規模を誇るネルソン商会の三男ポール・ネルソンだ。
歳は私の二つ上、現在十六だ。
独自の経済理論を持っていて、商会の会長となっても大成するだろうが、それよりもその頭脳を国の為に使ってほしいと無理やり引っ張り込んだのだ。
ネルソン商会には申し訳ない事をしたが、あの家は長男も次男も優秀だ。一人分けてもらうくらい、許してほしい。
「まあ、もう少し待て。いずれ、『側近』とやらを完全に定めたら、その時には紹介しよう」
「……だそうですよ。無駄口を叩いていないで、働いたらいかがです?」
呆れたような声で言うのは、アーネスト侯爵家の次男、レナード・アーネストだ。歳は私より一つ下。貴族の子らに多い年代だ。
レナードにぴしゃりと言われ、ポールは「はいはい、っと」と呆れたように呟き、自分に与えられた仕事へと戻っていった。
レナードは、アーネスト侯爵から預かっている存在だ。
侯爵曰く、きっと殿下の片腕となります、だそうだが。
現状、腕一本ほどの重みはないな。
彼はどうやら、己が私の側近となれると信じているようだが。
―――どうだろうね?
* * *
春先、アリスト公爵家にて、当主の代替わりがあった。
アリスト公爵家といえば、我が国の筆頭公爵家であり、エリィの初めての茶会を台無しにしかけた縦ロール嬢の家だ。
新たに当主となったのは、ロバート・アリスト。先代公爵の長男で、十八の成人を待っての交替だ。
……縦ロール嬢の名前が既に思い出せないが、まあ良かろう。
エリィが『縦ロール様』などと呼ぶから、それ以外の名が全く思い出せん。
その縦ロール嬢の御父上である先代当主だが、別に急逝しただとか、病床にあるだとかではない。いや、表向きは『病気療養の為』だったか。
この先代が、問題の茶会の際の娘への裁定を不服として、王妃陛下に奏上したのだ。
幼き娘に対して、罰が重いのではないか……と。
聞いた時、心底呆れた。
その茶会を取り仕切っていたのは、縦ロール嬢より更に幼いエリィだし、王家主催の茶会で取っ組み合いなどという前代未聞の不祥事をやらかしたのだし、更にその後、王妃陛下の不興を軽く買っている。
エリィ風に言うなら、チェックメイトだ。
当然、その奏上は王妃陛下の更なる不興を買った。
己が娘の過ちを詫びる事もなく、むしろ軽い罰としたにも関わらず。
それが『筆頭』などと言われる公爵家のあり方か、と。
全く同感である。
先代のアリスト公爵は、縦ロール嬢に『お前こそが未来の王妃となるに相応しい』などと吹き込み続けた人物だ。
幼子にとって絶対の存在である父親にそう言われ、溺愛され、甘やかされ続け……、結果がアレである。お粗末にも程がある。
それ以前に、公爵は『王妃』というものを甘く見過ぎだ。
この国における『王妃』とは、決して国王の添え物ではない。
『王妃』とは、国王と並び立つ者だ。
国王が背負わされるものと同じ重荷を分かち合い、共に歩むべき者だ。
故に彼女らは、国王と同じ『陛下』という尊称を用いられるのだ。
その王妃の不興を、自ら進んで買いにいくとは。
愚かに過ぎて、言葉もない。
そこで頭角を顕したのが、長男のロバートだ。当時は十六歳で、スタインフォード校に在籍していた。
彼は領地経営と並んで、法科を選択していた。
公爵家を継ぐのであるから領地経営は分かる。問題は、法科だ。
スタインフォードの法科というと、卒業生は王宮の法務局勤務となったり、各地の法廷の裁判官となったりが多い。現在の法務大臣も、ここの卒業生だ。
領地経営に法知識があって困る事はないだろうが、スタインフォードで学ぶとなると、片手間に出来るような勉強量でなくなる筈だ。
ロバートは実は、かなり以前からずっと、静かに機会を狙っていたのだ。
前公爵は娘を溺愛し、王家と縁続きにはなれなそうなロバートや、次男には見向きもしなかったらしい。
絶対に娘が王太子妃となると確信していたらしく、縦ロール嬢には出費を惜しまず、二人の息子は夫人に任せきりだったそうだ。
しかしそれが、ロバートにとっては僥倖だった。
王妃陛下に不敬を働き、それをそうとも気付かぬ愚物だ。
筆頭公爵家は王家にも並ぶなどと、ありもしない事実を思い込む阿呆だ。
その父から、距離を置けたのだ。
そして夫人は、とても聡明な女性だった。
彼女は息子たちに、父親を良く見ていなさいと告げたそうだ。
あれはいつか、何かをやらかす。
その際、あなた達は、自分で自分を守りなさい、と。
中々に見上げた根性の、素晴らしい女性である。
彼女は既に、娘の矯正は諦めていたらしい。
夫人が何か注意をすると、縦ロール嬢は父親に泣きつく。すると前公爵が娘を肯定し、夫人を否定する。
それを長年繰り返し、彼女はもう、娘に対する愛情は擦り切れてしまったのだそうだ。
夫への愛情などは、結婚後一年もしない内に枯れ果てたらしい。
……夫人を心から労いたい。
夫人は息子たちに、選りすぐった家庭教師を付けた。
息子たちが更なる教えを乞うのなら、その為に新たな教師を探してくれた。
夫が娘へドレスや宝石を与える代わりに、夫人は息子たちに知識を与えた。
そして公爵家の息子たちは、じっと機会を待った。
前公爵という、アリスト公爵家にとっての癌を排除できる日を。
ロバートが法科を選択した理由は、『法的に父を排除する為』だったのだ。
そもそも、アリスト公爵家が筆頭を名乗っていたのは、先々代、つまりロバートの祖父の功績だ。
四十数年前、国内に疫病が蔓延した際、ロバートの祖父が私財をなげうち治療薬の開発に乗り出したのだ。そして完成した薬は、タダ同然の値段で国内の診療所にばら撒かれた。
その無私の精神が人々の心を打ち、彼は人望を集めた。
彼の献身に報いる為、これ以上の陞爵も叶わぬ地位だった為、序列を一位とし筆頭としたのだ。
つまり、前公爵は何もしていない。
親の身代を食い潰す二代目だ。
前公爵がやらかした瞬間から、彼らは動き始めた。
まずは公爵に己の犯した過ちを知らしめ、彼が行っていた小さな不正を突きつけ、更に彼が縦ロール嬢の為に無駄に使用した金額を告げた。
前公爵は、絵に描いたような無能だった。
彼が縦ロール嬢の為に使用した金額は、いかな公爵家といえど見過ごせない額だった。
このまま貴方がその地位に居れば、いずれは貯蓄も底を尽きます。陛下の不興を買った者が……との誹りも受けます。それでもまだ、その座に固執しますか?
そう迫り、前公爵の領地への更迭が成った。
縦ロール嬢は自ら「お父様とご一緒しますわ」と言ったので、希望通りにしてやったそうだ。
数か月経過して以来ずっと、「王都の邸へ戻りたい」と手紙が届き続けているらしいが、全て握り潰しているらしい。
ロバートが成人するまで、公爵代理として夫人が表に立ってくれた。
そして、成人したと同時に、公爵の位を継いだ。
まず真っ先に、王妃陛下へ謝罪を申し込んだ。
降爵も辞さないと申し出たロバートに、陛下は「自身がすべき事を知る者を、わざわざその座から追う事はない」とお許しになられた。
ただ、周囲の納得の為、五つある公爵家の序列五位となった。
これによって自動的に序列が二位となったマクナガン家だが、エリィが「我が家もひっそり下げていただいて構わないのですが……」と訳の分からない事を言っていた。
何の罪もない家の格を、勝手に落とす事なんてできないよ、エリィ……。
そのロバート・アリストに興味を持ち、私から接触してみたのだ。
結果、妹とは全く違い、非常に優秀な青年である事が分かった。
祖父を心から尊敬している彼は、民の為、ひいては国の為、己の持つ力を使っていけたらいい、という考えの人物だ。
ならばその力を、私に貸してはもらえないだろうか。
そう言ったなら、彼は僅かに驚いた後、その場にすっと膝を折った。
「身命を賭しまして。殿下の為、ひいては国家の為、非才の身でございますが働かせていただきます」
とても綺麗な臣下の礼だった。
夫人は素晴らしい教育をしたものだ。
思わずそう零すと、彼は少し嬉しそうに微笑んだ。
「私……、いえ、私と弟は、母の事を祖父同様に尊敬いたしております」
良い者を手に入れた。
ロバート曰く、公爵位はなんなら弟に譲っても構わない、という事だ。
……公爵位の譲位を『なんなら』で済まさないで欲しい。
彼が、ノエル、ポールに続いて、三人目の側近となった。
ロバートは現在、スタインフォード校の卒業資格を持っているのだが、まだ学院に残って勉強を続けている。
どうやら、法改正をしたいらしい。
頼もしくて結構だ。
* * *
ノエルが側近となった経緯は、彼らとは少し事情が違っている。
王族には必ず、専属の護衛騎士が付く。
個人の『専属』とされる騎士の人数は、王族一人につき六名。
専属騎士は近衛騎士の中から選ばれる。
通常、専属騎士という者は、王族の側近となった者から筆頭が選任される。
父である現王の専属騎士筆頭は、国王陛下の乳兄弟であった男性だ。
筆頭のみを護衛される側である王族が選び、その筆頭が己の配下となる専属騎士を選ぶ。
故に、『専属騎士筆頭』という存在は、信頼できる者でなければならない。
私の乳母の子は女児であった為、その子とは交流がない。
まあ尤も、子が男児であったとしても、その子が騎士を目指すかどうかも分からないが。
生涯に渡り我らを守ってもらうのだ。年齢は近い方が良いとされている。
己の専属が決まらぬ内は、近衛から護衛が出される。
専属護衛となるべく訓練を受けた者たちだ。
いずれ誰かの筆頭が選任されたなら、彼らの数人が『専属』の名を貰うのだろう。
その中で、良く私の護衛に就いてくれる者が居た。
それがノエルだ。
当時はノエル・シモンズといった。シモンズ侯爵家の次男だ。
シモンズ侯爵家は武門の名家で、現侯爵は騎士団統括の地位に居る。以前、賊の討伐の際に利き腕に怪我を負い、一線を退いた。
戦えはしないが己にあるのは騎士の誇りだけだ、と、文官と武官の中間のような統括という役職に就いているのだ。
「シモンズ侯爵家の次男か」
「はい」
ある日の鍛錬帰り、私の後ろを歩くノエルに声を掛けてみた。
「いずれは家を出るのだろう?」
「はい。とはいえ、もう半分出ているようなものでしょうが」
ノエルは十二歳で騎士学校へ入学し、十四で卒業した。
その後は王立騎士団へ入団し、以降ずっと寮住まいだそうだ。
「君は今、何歳だ?」
尋ねると、「十六でございます」と返って来た。
ノエルと私の年齢差は八つなので、当時の私は八歳だ。まだ、エリィと出会う前だ。
「何故、護衛騎士に?」
十四歳で騎士学校を卒業し、騎士団へ入団。それだけでも、かなり早い方だ。
そこから更にたった二年で近衛になり、護衛騎士だ。
相当な資質があるか、それだけ鍛錬を積んでいるのか。どちらにせよ、非凡な才能だ。
「壊し、殺す剣ではなく、守る為に剣を振るいたいと思いまして」
少しだけ照れたように微笑んで言ったノエルに、私は軽く首を傾げた。
「守る為?」
「はい。臆病者よとお思いになられるかもしれませんが」
「いや。そんな事はない」
実際、『守る』という事は、『壊す』事の数倍難しい。
壊すのではなく、守る。言葉だけ聞けば、騎士を目指す者なら特に、臆病と揶揄する者もいるのかもしれない。
だが、それが言うほど楽ではない事は、どれくらいの者が理解できるだろうか。
「君は、中々難しいものを目指すのだな」
「そうですね。仰る通りです」
微笑んで頷いた彼を見て、中々見どころのある人物だと感じた。
専属護衛騎士という立場は、騎士たちの中でも一目置かれる。
その『名前』や『栄誉』を求める者もいる。
ただその手合いは、信頼しきる事が出来ない。
当然だ。
私たちは彼らに、命を預けるのだから。
栄誉だの何だのを求める連中に、それは出来ない。
私の専属とするには、彼は少し年が離れすぎているだろうか。
しかし、それでも構わないのではないだろうか。
そんな事を考え、決まらぬまま、時だけが流れた。
ノエルは常にそこに居る。
居る事を忘れてしまう程に、存在感を消している。
時折、隠密になった方が良いのでは?と思ってしまうが、隠密は『殺す』為の力だ。ノエルの求めるものではない。
ある日、エリィが騎士の鍛錬を見てみたいと言い出した。
絶妙な鈍臭さがあるエリィだ。
心配だったので、私も共について行く事にした。
騎士たちが鍛錬している修練場に着くと、案内役の騎士に安全に見学できる場所へ連れて行ってもらった。
騎士たちが模造剣でダミーを斬りつけている。
エリィはそれを「ほへぇ……」などと意味の分からない言葉を漏らしながら眺めている。
私たちが見学している事に、一人の少年が気付いた。
こちらへと駆け寄ってくる少年に、私は心の中で溜息をついた。
あれは、第一騎士団長の息子だ。
騎士団長から、「どうぞ殿下の剣とでも、盾とでもしてやってください」と押し付けられそうになり、その場は適当に誤魔化して流しておいたのだ。
ゆくゆくは私の専属筆頭としてくれ、というのだろう。
「殿下!」
まるでボールを見つけた犬のように駆け寄ってくると、私の前に膝を付いた。
「モリス・サンディル、参じましてございます!」
いや、呼んでない。
どうしようか、こいつ……。
エリィがその光景を不思議そうに見て、私の耳元にこそっと言った。
「お呼びになられたのですか?」
「……いや。勝手に走って来ただけだな」
私もエリィにだけ聞こえる程度の声で答えると、エリィが「あらぁ~……」と気の抜けた声を上げた。
勝手にやってきて勝手に膝を折っていたサンディルは、勝手に頭を上げて立ち上がった。
どこまでも勝手である。
サンディルは本来ならここに入れるような資格がない。けれど、自己鍛錬の為とか何とかで、騎士団長が連れてきているらしい。
服務規程違反スレスレだ。
特に悪意もないし、周囲からの苦情などもないようなので見逃しているが。
「こちらのご令嬢は?」
エリィと私を交互に見て尋ねたサンディルに、エリィが名乗ろうとしたのを手で制する。
特に名乗ってやる必要もなかろうよ。
「私の客人だ。君はここで何を?」
「はっ! 鍛錬をいたしておりました! いずれ殿下をお守りする剣となる為に!」
まあ、希望を持つのは自由だ。
それに、近衛や護衛でなくとも、広義では全ての騎士は『私(王)を守る』ものだろう。
「えー……と、サンディル、様?」
でしたっけ?と語尾が聞こえるようだ。
大丈夫、合ってるよ、とエリィに頷いて見せれば、エリィが少しほっとしたような顔をした。
「サンディル様は、護衛騎士になりたいのですか?」
「はい! 殿下の護衛となります!」
何故、確定しているかのように言うのか。
特にそんな事は定めていないのだが。
あと、声が煩い。
「そうですか……。殿下の……」
エリィが頷いているが、やめて欲しい。まだそんな事は一切決まっていないのだから。
「サンディル様は、護衛騎士となる為に、何が一番必要かと考えられます?」
「強さです!」
即答、という間で、サンディルが答えた。
だから、煩い。
「そうですか。不躾な質問に答えていただき、ありがとうございました」
深々と礼をしたエリィに、サンディルも「いえ!」と返事をしている。
どうでもいいが、こいつは本当に何をしに来たのだろうか。
「サンディル、君は鍛錬をしているのではないのか?」
いつまでここに居る気か、と言外に問うてみたが、サンディルは「その通りです!」とだけ答え動く気配がない。
エリィが小声で「あらぁ~……」と呆れたように呟いている。完全に出来ない子を見る目だ。
本当に、どうしてくれようかこいつ……。
そう思っていると、エリィがすっと立ち上がった。
「殿下、騎士の皆様のお邪魔になるといけませんから、これで失礼いたしましょうか」
「……そうだね」
エリィに気を遣わせてしまった。情けない。
予定より大分早く見学を切り上げ、余った時間で庭園で休憩する事にした。
「まだ子供なので、仕方ない……といったところでしょうかね……」
紅茶を一口飲み、ふー……と溜息と共に呟かれた言葉に、私は苦笑してしまった。
「どうだろうな? 彼は一応、私と同い年なのだが……」
「殿下を基準にされては、他の子らが立つ瀬がございませんでしょうけれど」
ふふっと笑うエリィに、中々私は買ってもらっているのだな、と笑ってしまう。
「ですが彼は……」
エリィは何か考えるように言葉を切ると、周囲をぐるっと見回した。
今日も今日とて、周囲には護衛の騎士たちが立っている。配置もしっかり型通りだ。
「護衛には、なれませんでしょうね」
きっぱりと言ったエリィに、私は軽く首を傾げた。
「私もそれはそう思うが……。エリザベス嬢は何故、そう思ったのだ?」
尋ねると、エリィはにこっと笑った。そして「私見でございますが」と前置きした。
「護衛とは『強さ』を第一義としないからです」
ああ、そうだ。確かにそうだ。
ノエルもそう言っていた。
「確かに護衛騎士の方々はお強いのでしょう。王族の方々をお守りするのですから、弱くては話にならないでしょう。ですが……こちらにいらっしゃる彼らからは、恐らくサンディル様が求めていらっしゃるであろう『強さ』を感じません」
「彼の求める『強さ』とは?」
「ただ単純な、純粋な『武力』という意味の『強さ』でしょうね。あの手合いは」
僅かに呆れたように笑ったエリィに、私も同意した。
恐らくその通りだろう。
ただ、サンディルはきっと、それ以外の『強さ』がある事を知らないのではなかろうか。
「そうかもしれません。ですが、『ただ強ければいい』『強ければ守れる』などと考えている人間は、きっとどこかで折れます」
パキッと、などと言いながらエリィは、小枝か何かを折るようなジェスチャーをしてみせる。
「折れる」
「はい。強く、強く……と、それを求める事が悪いとは言いません。ですが、ただ『強く』では、凝り固まって、硬くなってしまうと思うのです」
「そして、折れる……と」
「はい。硬いものほど、折れる時はパキッといきますでしょう?」
確かに。
一つの思考に凝り固まってしまった者は、それが否定された時に心が折れてしまうだろう。
言われてみれば確かに、サンディルにはそういう危うさがある。
「彼を殿下の護衛にとお考えでしたか?」
首を傾げるエリィに、私は素直に「いや」と否定した。
「むしろ、そう言って押し付けられて困っていたのだ」
「そうでしたか。……確かに彼は、少々扱いに困りますね」
「ああ。彼が悪い人間ではないから、余計にな」
そう。サンディルは悪い人間ではない。むしろ、素直な少年だ。……声がでかいのが難点だが。
それにあの腹芸の一つも出来なそうな少年に、将来王族の警護など任せても良いのだろうか。
市中の警邏などの方が合っているのではなかろうか。
「護衛騎士という方々は、ただ強くあれば良いだけでなく、それなりの頭脳の優秀さなども必要なのでは?」
「それは当然だな」
頷いて見せると、エリィも納得したように頷いた。
「そうですよね。ならば余計に、彼には難しいのでは?」
何故、と問うと、エリィは苦笑した。
「鍛錬に戻れ、という殿下のお言葉を、全く理解されないのですもの」
その言葉に、思わず小さく噴き出してしまった。
「全くだな。あそこまで通じないとは思わなかった」
「むしろ清々しい思いですわね」
エリィは頷くと、苦笑しつつ小さく息をついた。
「それに彼からは、そこはかとない脳筋の香りがいたしますから……」
聞いた事のない単語が出てきた。
「ノウキン?」
「あ、俗語、でございます。『脳味噌まで筋肉』、略して脳筋」
「それはまた……。えらく的を射た言葉があるものだな……」
「そうですね。便利な言葉です」
何故エリィがそんな言葉を知っているのかなどは、とりあえず突っ込まないでおいた。
しかし、私の専属筆頭が決まらぬ限り、あの脳筋少年が私の護衛になろうと頑張り続けてしまう。
それは鬱陶し……いや、彼の将来の為にもならない。
「エリザベス嬢は、自身の専属護衛を選ぶとしたなら、何を基準に選ぶかな?」
ふと思い立って尋ねてみた。
いずれ婚姻が成れば、彼女にも専属の護衛を付けねばならないのだ。
「私ですか……。そうですね……」
エリィは僅かに考えると、にこっと笑った。
「どれ程の間違いがあろうとも、私を背後から刺すような事のなさそうな者を選びます」
またそれは、何とも苛烈な……。
少々驚いてしまった私に、エリィはにこにこ笑いつつ言った。
「まあ、要は信頼できる者、でしょうね。……ですが殿下の場合、軍閥のバランスなども考えねばなりませんか?」
「まあ、それは多少はそうだな。とはいえ、軍部の掌握自体は別方向からでも可能だから、然程の問題でもない」
「では問題とは?」
エリィは単に興味で尋ねているのだろうが、私としては尋問でもされているようだ。
しかしまあ、それもいいだろう。
「年齢……だろうか」
実際、ずっとそこに引っかかっているのだ。
「年齢、ですか?」
「細かい決まりなどはないのだが。なるべく、護衛対象と騎士は年の近い者が良いとされている」
「何故?」
不思議そうに問うエリィに、その関係が生涯に渡るものであるからだとか、そういった話をした。それでもエリィは首を傾げている。
「そうは仰られても、騎士様ですから、いつ何時、剣を持てなくなってもおかしくはありませんよね? たとえそれが、護衛対象より年下の方だったとしても」
ああ、そうだ。
その通りだ。
「年齢などに囚われず、殿下が心から信頼できる方を選抜なされば良いのではありませんか? ……流石に、七十、八十のご老体の方では難しいでしょうが」
いや、流石にそれはない。
エリィに背を押してもらう形で、私はその後、ノエルを専属筆頭として選んだ。
エリィのおかげで良い選択が出来たので、とても感謝している。本人に言ったらどうせまた「ほへぇ……」などと意味の分からない呟きを漏らすのだろうが。
名門侯爵家の次男ではあるが、本人は騎士爵(準貴族位)だ。それに箔を付ける為にと、シモンズ侯が所有している爵位の子爵をノエルに譲った。
現在彼は、ノエル・グレイ子爵である。
領地もあげるよ?と侯爵に軽く言われたらしいが、管理も出来ないので断りました、とノエルは笑っていた。
* * *
エリィと婚約して、五年。
その間、私は余り公の場にエリィを伴った事がない。
エリィが未だ幼く、教育の途上にあるので……などと言い訳をしている。まあ、嘘なのだが。
驚く事に、エリィの教育は殆どが終了している。……ダンスレッスンだけは、特に進捗が見られないが。未だにステップの途中で足を挫いたり、パートナーの足を踏みつけたり、蹴りつけたりしている。
まあそれは仕方ない。エリィなのだから。
私の足に少し痣が出来る程度の問題だ。とても情けない顔で何度もぺこぺこ謝るエリィも可愛いので、痛みは全く気にならない。
公爵家にお願いし、小さな茶会などには出席するとしても、大きな茶会や夜会などには出席させていない。
それ程に外に出す事に難のある娘なのだろうか、などと囁く者がいる事は知っている。
将来の国母となられるのに……と、憂えると同時に心配する者もある。
それらの人々を、零した言葉を、今は記録している最中だ。
真に国の未来を憂える者は良い。彼らはエリィを知れば黙らざるを得ない。
そうでない者―――心配する振りをして、我欲を満たそうとする者は、これから長い時間をかけて、政治の表舞台から静かに退場を願う予定だ。
幾らでも代わりの居そうな歯車に、代わりの効かないエリィの足枷になどなられては堪らない。
私とエリィの『不仲説』とやらもあるらしい。
報告を聞いて、余りにくだらなくて笑いも出なかった。
不仲であって欲しいものが居るのだろう。
私を、エリィを、そして王族を、侮る人物が炙り出されている。
レナード・アーネスト侯爵令息も、その手合いだ。
アーネスト侯爵自身は特に何の問題もない。彼は内務大臣の地位におり、不正なども見られない。……尤も、特に仕事が出来るという事もないのだが。
レナードは次男で兄がおり、その兄が非常に優秀なのだ。
既にスタインフォード校を卒業しており、現在は十八歳で内務局に勤務している。今は一介の職員でしかないが、恐らく来年の春には昇進している事だろう。
その兄と比較されて育って来たらしく、中々に屈曲している。
承認欲求が非常に強く、褒めると調子に乗るし、間違いを指摘すると不貞腐れる、非常に扱い辛い少年だ。
……こんなのを、どうして片腕などに出来ようか……。
差し出すなら、兄の方を差し出して欲しかった。
それを御してこそなのでは?とロバートに笑われたが、ならばお前が御してみせろと言ってやったら黙った。
己が出来ぬ(やりたくない)事を、他人に押し付けるものではない。
それにアレを側近としたならば、お前たちもほぼ毎日アレと顔を突き合わせる事になるのだぞ?と続けたら、ロバートだけでなくポールも嫌そうに黙ってしまった。
レナードの無意識で無自覚な周囲への蔑みは、傍に居るだけで辟易するものなのだ。
ただ、彼を侯爵へ突き返すには、現状大きな理由がない。
彼に任せている仕事が余りに簡単なものである為、これと言ったミスもない。ならば大きな仕事を任せたらいいかというと、信用もしていない者にそれは出来ない。
さて、どうするか……と考え、エリィに何とかしてもらおうかな、と思い付いたのだ。
スタインフォードを受験する事に決まってしまって、エリィは暇さえあれば図書室へ通っている。論文のネタを探しているらしい。
ただ好きな分野の学術論文であれば、エリィなら幾らでも書き上げられるだろう。けれど、受験用の論文のテーマは『学びたい事』だ。
それはつまり、エリィが王妃となって何を為したいか、とほぼ同義だ。
エリィが何を書き上げるのか、彼女が将来に何を描いているのか、私も非常に楽しみにしている。
そういう理由で良く図書室に出没するエリィに、レナードをぶつけてみようかと思ったのだ。
他者を自然と下に見ようとする傾向のあるレナードなので、念のため、エリィにはノエルを護衛として貸し出す事にした。
私の専属護衛筆頭だ。彼が傍に控えるとはつまり、その者が私の庇護下にあるのだという証になる。
さて、レナードは何をしてくれるかな?
釣りは待つのも楽しみの内、というが、仕掛けてたった三日で結果が出てしまった。食いつきが良すぎて、楽しむより呆れた。
早いのは良い事なのだが、早すぎないだろうか。
本当にあのレナードという少年は、他者に噛み付かねば気が済まないらしい。恐らくエリィならこう言うだろう。『噛み付かないと死んでしまう病にでもかかっているのでしょう』と。
やらかしてくれたレナードを呼び、彼が何をやらかしたかの説明をし、側近候補から外れてもらう旨を伝えた。
彼は始終、血の気の引いた顔で俯いていた。
さてこれで、周囲から勝手に押し付けられた『側近候補』という名の羽虫の処理は終えた。
四人目の側近として、我が従兄弟であるオーチャード侯爵子息ヘンドリックを迎え、終了だ。
……本当は、四人目としては、エリィの兄であるエルリック・マクナガンを考えていた。打診したら恐ろしい速さで断られた。やはりマクナガン公爵家は良く分からない。
エルリックが打診を断った事に関して、後にエリィから謝罪があった。
曰く「私以外の人間に侍るなど、ありえない……と。……申し訳ありません。兄は頭の中が腐っているのです。ちょっとしたド変態なのです」だそうだが……。
『ちょっとしたド変態』とは、一体……。一言で矛盾するというのも、何だか凄い。
公爵からも「あれは妹至上主義の、手の付けられない阿呆でして……。能力だけは高いのがまた、如何ともし難いのです……」と言われた。
マクナガン公爵家の謎は、深まるばかりである。
ともあれ、身辺が一つすっきりした。
私はとても清々しい気持ちで、エリィとの茶会へ向かうのだった。