4 王太子殿下、婚約者を語る。
婚約者が可愛い。
エリィは今、彼女の大好きな喫茶店のケーキを食べて、キラキラした笑顔を浮かべている。
どうにも彼女の好みは渋めで、今居る喫茶店も八歳の女の子が喜ぶような店ではない。とてもシックな内装は洒落ているが、この年頃の子供が好みそうな『可愛らしさ』などは皆無だ。
けれど彼女は、この店の磨き抜かれた重厚なカウンタテーブルに目を輝かせ、出てきたカップの美しさに感動し、ブランデーの効いたドライフルーツのケーキに舌鼓を打っている。
このお店の全てが素敵なんです! と力説された。
頬を紅潮させ、少し興奮気味に語るエリィが可愛かった。
私とエリィが訪れるようになって以来、店の雰囲気にとてもそぐわない踏み台が用意されるようになった。いかにも日曜大工でこしらえたような、手作り感満載の踏み台だ。
背の高いカウンタ席に、エリィが一人で座るのが難しかったからである。
「どうぞ、リトルレディ」と店主に踏み台を用意してもらい、エリィは初めえらく恐縮していた。お店の雰囲気を壊して申し訳ない、と。
恐縮してペコペコ頭を下げるエリィも可愛い。
店主もそのエリィを微笑まし気に見ていた。そうだろう。可愛かろう。
先日、エリィは教育の一環として、初めてお茶会の主催を任された。
とはいえ、大きな枠としては『王妃主催の宮廷茶会』だ。招く客は王室典範によってあらかた決まっている。
そこから更に厳選し、招待状の文面を考案し、席次を決め、当日の滞りない進行を行う。『たかが茶会』ではない。歴とした政治の場だ。
私と同世代の貴族の子らは、人数が多い。
国王(当時は王太子)の成婚に合わせた結婚ラッシュがあり、妃の懐妊に合わせたベビーブームがあったからだ。
私と同世代の子であれば、男子なら側近として、女子ならば妃として、生家ともども重用される可能性があるからだ。
エリィは四つ年下なので、そのブームからは外れているが。
私より一つか二つ年下に、非常に人数の多い世代があるのだ。
人材が豊富なのは良い事なのだが、要らん欲を持つ者も多い。
その『要らん欲を持つ』者が、エリィの初めての茶会でやらかした。
報告を受け、呆れてぽかんとしてしまった。
どうもエリィの周囲は予想外の事が多すぎて、表情が取り繕えない事がままある。私が表情を取り繕えないような事があると、エリィの笑みや目線が生温くなる(孫を見るような、あの目だ)ので嫌なのだが……。
流石に、少し呆けてしまったのは許してほしい。
よもや誰が思うだろう。
筆頭公爵家の長女ともあろう令嬢が、茶会の会場で他家の令嬢と『掴み合いの喧嘩』をするなど……。
令嬢は令嬢らしく、言葉で優雅に応酬してくれないだろうか。
騎士見習の小競り合いなら、手が出るのも珍しくはないが。
喧嘩している令嬢を、エリィは何とも言えない目で見ていたらしい。
王妃陛下が楽し気に笑いながら教えてくれた。
『あの二人を見るエリィちゃんの目は、わたくしのお祖母様がお庭を眺める目にそっくりだったわねぇ』と。
……だから何故、祖母の目線になるのだ、エリィよ。
母から見てもエリィは、祖母のように見えるのか。
しかも『孫』を見ているのではなく、『庭』を見ている目なのか。……状況的に、心情は分からなくもないが。
やらかした片方、筆頭公爵家のご令嬢は、不本意ながら私も良く知っている人物だ。
王宮内でやたらと『偶然』出会うからである。
「レオナルド殿下、ごきげんよう」と、茶で口を漱ぎたくなるくらいに甘ったるい声をかけてくる。
私は甘い物は得意ではないのだ。
言葉の端々に高慢さが見え隠れする、鼻持ちならないご令嬢だ。
エリィに対する不満を持っていたようだが、彼女が匂わすそれらがことごとく的外れで、小物臭さが否めないご令嬢である。
一度、騎士の修練場から城へ戻る途上で出くわした事がある。
急な突風が吹いたのだが、彼女の巻かれた髪に何の乱れもなく驚いた。
あれはもしや髪ではなく、金属か何かで出来た装飾品なのかもしれないと思ったものだ。
何の根拠もなく、己の方が王太子妃に相応しいと思い込む愚物。
私の彼女への評価はそれだけである。
一応、それを彼女に思い込ませた大人も、きちんと調べはついている。その人物にはいずれ、静かに王宮からフェードアウトしていただく予定だ。
……いや『それだけの評価』と言ったが、彼女の髪は気になる事を一応付け加えておこう。
エリィもやたらと彼女の髪を褒めていた。曰く、掴み合いの喧嘩をしても、一筋の乱れもないマーベラスな髪であった、と。
あれ、どうやって作るんですかね!?と、えらく興味津々でもあった。……頼むから、エリィはあの髪型を真似ないで欲しい。
お願いだから、侍女を掴まえて相談するのもやめて欲しい。侍女も乗り気になって整髪用の器具類を調べないで欲しい。
隠密行動専門部隊の長も、「公爵邸のご令嬢の部屋に調べに参りますか?」など訊かないでほしい。お前の仕事はそうではない筈だ。あと、堂々と出てくるな。
……権力の使い方、間違えているよ、エリィ……。
婚約が調って三年。
初対面ではただただ私が驚かされるばかりで終わってしまった。
その後対話を重ね、半年もするとエリザベス・マクナガンという少女の事が少し分かってきた。
彼女は、私の想像を超える人物だった。
いや『超える』というと語弊がある。『想像だにしない人物』の方が正確か。
ドレスにも宝石にも花にも興味がなく、贅沢にも全く興味がない。
とてつもない贅沢をしてしまったとエリィが難しい顔をしていたので尋ねてみたら、古代史に出てくる戦場の詳細地図集を購入してしまったのだと告げられた。
確かにアレは書籍としては高額だ。安めのドレスが一枚購入できる程度の値段がついている。大判の地図帳で、通常の書架には収まらない大きさと厚さである。
軍議・戦略などの授業で、私もお世話になっている書である。歴史の授業でも、度々登場する。
何故それを購入したのかと尋ねたら、輝かんばかりの良い笑顔が返ってきた。
「もっと効率の良い、死者の出ない戦略があったのでは……と、検証してみたいのです!」
何故!?
「あと、浪漫です!!」
浪漫!?
エリィは私の学問の師であるナサニエル師と、今では親友と言って過言でない程に懇意である。
彼女のこの発言を師に伝えると、師は「エリザベス様は良く分かっておられる」と頷いておられた。
私には良く分からないのだが、謎の疎外感を覚え少し寂しい。
正直に言えば、混ざりたくない気持ちは多少はあるのだが。
エリィが私と居るより楽しそうなのも気に入らない。
四つ年下の少女という事で、当初は平易な言葉を選択するようにしていた。
けれどエリィはすぐにそれに気付き、わざと難解な言葉を選んで話してくれた。それはつまり「この程度までなら理解できるので、噛み砕く必要はありません」と教えてくれたのだ。
それを理解してからは、エリィと話すのが格段に楽になった。
楽になったどころか、楽しくなった。
「私にだって、剣は使えると思うんです!」と、その年頃の子供特有の無邪気な全能感で発言したかと思えば、試しにと持たせた模造剣の構造を騎士たちと真剣に論じていたりする。
その際のエリィの発言を受け、騎士たちに支給されている剣の改良が行われたのは記憶に新しい。
ただ、エリィは鈍臭い。
時折、何もない場所でこける。転んだりする前に、私や護衛たちで支えているので大事ないが、彼女にはどうやら透明な段差やでっぱりが見えているらしい。
あそこにちっちゃいでっぱりがあったんです!と、照れつつもむくれた表情で言い訳をする。可愛い。
試しにと持たせただけの模造剣で、何故か自身の足を打ち据え、小さな青あざを作っていた。どうしてそうなったのかが、見ていたにも関わらず理解できなかった。
エリィはやはり「思っていたよりも重量がありまして……」だの、「子供の手には剣が大きかったのでは!?」だのと言い訳をしていた。残念だけどエリィ、あれは『幼年用の模造剣』だよ。
馬に乗ってみたいというのでやってみたら、馬に完全に舐められていて、歩き出す事すら叶わなかった。どうしても一人で乗ってみたいのだ!と言うエリィの為に、王家所有の馬の中でも一番賢く美しいとされる馬を用意していたにも関わらず、だ。
最終的に座り込んでしまった馬の背で、エリィは諦めて眠ってしまっていた。
エリィの言う事を聞かなかった馬にエリィは「走らない馬は、ただの馬よ!」と訳の分からない文句を言っていた。いや、それはそうだろう。そして走ったとしても、馬は馬だろう。
厩務員に後でこっそり尋ねたら、「恐らく、自分が動いてしまってはエリザベス様が落ちてしまわれると、馬なりに気を遣ったのだと思われます。……あの子は、特別賢い子ですので」との事だった。
馬にも気を遣われるエリィ、鈍クサ可愛い。
そういった微笑ましい日々(感想には個人差はあるだろうが)を重ね、婚約から一年が経った頃、私は国王と王妃に呼び出され尋ねられた。
「エリザベス嬢を未来の伴侶と定めるか」と。
婚約者と定め据え置きはしたが、まだ正式な披露目は済んでいなかったのだ。
彼女が事実、その座に相応しいのかどうかの選定が済んでいなかったからである。
そして、私と彼女の相性も不明であったからだ。
一年。
彼女と共に過ごしてみて、ただ聡明なだけではないと知った。
知識も興味も多岐に渡り、独特な視点を持ち、けれど決してそれらに驕る事も鼻にかける事もない。
見目は物語に出てくる妖精もかくやという程に可憐であるが、口を開くと驚くような事ばかり言う。そして無駄な行動力もある。
己を弁え、出過ぎるような事はない。けれど、引き過ぎる事もない。
私は両陛下をまっすぐに見据え、はっきりと頷いた。
「エリザベスを、我が妃にと望みます」
そう。
初めは『このご令嬢でいいか』と定めた相手だった。
けれど、今は違う。
『彼女でいい』ではなく、『彼女がいい』。
私の返事を受け、両陛下も納得したように頷かれた。
そしてその二か月後、私とエリィの婚約者としての披露目の宴が開催された。
まあ主役が子供であるので、私とエリィは挨拶をして早々に退場となったのだが。緊張して右手と右足を一緒に出しそうになっているエリィが可愛かった。
その披露目の宴に先駆け、私からエリィにそれを伝えた。
「その宴を終えたら君は、国内の貴族全員から正式に『王太子の婚約者』であると認められる。つまり、それ以降は準王族と扱われるようになり、婚約の撤回などは余程の事がない限り不可能となる」
「はい」
真剣な顔でエリィが頷く。
まあ、今更言われなくとも、エリィなら分かっているだろう。
けれど、訊いておきたかったのだ。
「こちらが勝手に選定し、君の意思などを問わずその座に据えた。不満などがあるのならば、これが最後の機会となる。……私の妃となる事を、了承してくれるだろうか?」
現時点でも充分、撤回などは難しいのだが。
それでももし、エリィが心底嫌がるとすれば、何としてでもなかった事にしてみせよう。
ただ、エリィが己の意思で私を選んでくれるならば、私は何を賭けてもエリィを守ろう。
エリィは一度軽く目を閉じると、ふー……と静かに深く息を吐き出し、ゆっくりと目を開けた。
「これで、私の退路は断たれる訳ですね」
とても静かな声だった。六歳の女児の発する声ではない。覚悟を決めた女性の声だ。
「退路を断たれたとするならば、貴女はどうするのだ?」
彼女の言う『退路』はつまり、婚約を撤回なりなんなりする事を指すのだろう。
尋ねた私に、エリィはにっと口の端を吊り上げるように笑った。
「退路がないなら、前方に血路を開くのみです」
軍略や戦略が好きな彼女らしい言葉だ。頼もしく、力強い。
恐らく、エリィの前になら、自ずとその道も開かれよう。
だが――
「ならば道は、私が拓こう。それを共に進んではくれないだろうか」
本当ならば、背に庇いたい。けれど彼女はきっと、それを良しとしない。露払いくらいはさせてくれないだろうか。
「いいえ、殿下」
静かな否定の声に、思わず軽く瞳を細めてしまった。けれどそれにエリィはにっこりと笑った。
「共に、道を拓きましょう。そして共に参りましょう」
僅かに好戦的な光を目に宿し微笑んだエリィの顔を、私は恐らく生涯忘れないだろう。
「もしも互いの道が分かたれるような事があるならば、沢山お話をいたしましょう」
「ああ……、そうだな。最後まで、互いを理解する事を諦めないと約束しよう。……では、レディ」
微笑むエリィに向け、私は手を差し出した。
「貴女を生涯エスコートする栄誉を、私にいただけるだろうか」
「殿下がそれをお望みである限り」
そっと添えられた小さな手を、思わず両手で握りしめた。それをエリィは、微笑んで見つめていた。
可愛い妹のような存在であった彼女が、私の唯一無二の愛しい女性となった瞬間だった。
エリィはとても楽しそうに、喫茶店の店主とカップについて語り合っている。
店主がカウンタに出してくれたアンティークのカップに、エリィは手を触れないように気を付けながらも見入っている。
店主はにこにこと微笑みながら、お手を触れても大丈夫ですよ、などと言ってくれているが。
やめておけ、店主。エリィは何をするか分からないぞ。
ティーカップ談義、カトラリー談義を心ゆくまで堪能したエリィは、無謀にも踏み台を使用せずに椅子から降りた。
案の定、降りた瞬間にこける。
私がそれを支えると、エリィは少し恥ずかしそうに、そして少しだけ不満そうに「ありがとうございます」と礼を言う。
今日も私の婚約者が可愛い。
殿下にじんわりポンコツ臭がするんですが……。
一応、優秀設定ですよ! ええ、一応!