還元祭4 Hearts of McNagan
第四弾、意外と需要があったようなので、兄回。
兄視点とかは、私のSAN値的に無理だったので、エリザベス視点で。
もし兄視点を望まれていた方には、申し訳ないとしか……。(そんな人が居るのかは不明ですが)
タイトルだけストラテジー風。やってることはドタバタコメディ。
王太子妃となって二年目の夏に、その報せは届いた。……届いてしまった。
恐れていた事が起きたのだ。
「エリザベス様、失礼いたします」
「どうしたの、エルザ」
気付いたらすっかり殿下付きになっていたエルザが、私の執務室を訪ねてきた。これは珍しい。
薄々分かってたけど、エルザ、殿下付き『侍女』じゃなくて、殿下付き『諜報員』になってるよね。いや、いいんだけど。殿下はそういうの無理強いする方じゃないから、エルザが志願したんだろうってのは分かってるし。
「どうぞお心を落ち着けて、お聞きください」
何じゃい? いやに重々しいな。
まさか、公爵家のお父様やお母様に何か……!?
「……アレが、領地を脱走いたしました」
……何やて?
アレが?
領地を脱走……。
「どうしてぇぇぇ!?」
理解した瞬間、叫んでいた。いや、叫ぶわ。
何で!? 脱走!? ていうか、『アレ』って『アレ』よな!?
「エルザ、一応確認するけれど……。『アレ』っていうのは……」
「クソ坊ちゃんでございます」
「何でぇぇぇ!?」
嘘だ! あの陸の孤島状態(兄限定)の領地から脱走なんて! どうやったんだ、兄!
相変わらず、無駄に能力高えな!!
「私はこれから公爵邸へ戻り、トーマス様のご指示を仰ぎたいと思います」
エルザの目が鋭い……。完全に、『梟』の目だ。獲物を狩る、猛禽の目だ……。
「エリザベス様」
部屋の隅に控えていたマリナが声を掛けてきた。
マリナの目も怖い。完全に座っている。
「一時、お側を離れます。あのクソ虫を、ひねり潰さねば……」
ぐっと握った拳が震えている。流石はクソ虫絶許マンだ……。頼もしい……。
「私も明日には時間を作るわ。それまで、何とか持ちこたえてと、トーマスに」
「畏まりました」
「了解です」
短く返事をすると、二人はさっさと部屋を出て行った。
ヤバい。
今エルザが報せを受けたという事は、兄が脱走したのは半日程度前か、それ以前だ。
脱走したという報せだけで、公爵邸へ戻ったとは言われていない。ならば、兄はまだ王都へも入っていない可能性が高い。
ただ、包囲網を敷くには時間がない。
公爵邸で待ち構えていた方が得策だ。
お父様、お母様、トーマス……。
今日一日、何とか持ちこたえてください……!
祈る気持ちで、私は手元の仕事を片付け始めた。明日の早朝までには、公爵邸へ入っていたいからだ。
執務を早めに終え、明日の予定の調整をし、私室にて殿下のお戻りを待つ。
あー……気が急く。どうしよう。兄対策か……。久々過ぎて、加減が分からん。
しかしあの兄は、今は二十歳。気力体力共に充実のお年頃だ。
うん。
加減、いらんじゃろ!!
今こそ、マクナガン公爵家の恐ろしさを、骨の髄まで教え込むべき時!
せやろ!? せやな!! せやせや!!
やったんでー!と一人脳内会議を終了したところで、殿下がお戻りになられた。
「お疲れさまです、レオン様」
「うん。ただいま、エリィ」
殿下は私の腰を抱き寄せると、頬にちゅっとキスをした。毎日の事なので、もう照れるような事はない。
私も成長するのだ。しっとり落ち着いた大人のレディーとなる日も近いだろう。フハハハハハ!
「お帰りなさいませ。……あの、早速で申し訳ないんですが、ちょっとお話がありまして……」
殿下に促され、ソファに並んで座る。
「エルザに聞いた。エルリックが脱走したと……」
「はい。お話というのは、まさにその事でして。私は今からでも公爵邸へ戻り、全力で兄を滅殺して参りたいと思っております」
「滅……殺……」
ん? 殿下が絶句しておられる。
大丈夫ですよー、殿下。
黒くてキモくて素早い世界中の嫌われ者のあの虫は、頭と胴体切り離しても死なないんですから。
兄もちょっとやそっとじゃ死にませんて。クソ虫仲間ですし。
「兄の事です、どうせ協力者など居ないでしょう。敵は単騎。負ける道理がありません。王都マクナガン公爵邸、総力を挙げて兄を叩き潰して参ります」
さぁて、久々に唸れ! 私のゲーム脳よ!
戦場は慣れ親しんだ我が家だ。マップは当然、完全に頭に入っている。しかしそれは兄も同じだ。こちらにあるのは、物量・地理的な優位だ。
見ると、殿下が絶句されたまま固まっている。
殿下ー? どうしましたー?
「レオン様?」
声をかけたら、ハッとして私を見た後、深い溜息をつかれた。
「ああ……、いや……。何でもない」
そうですか? めっちゃなんか言いたそうですけども。でもエリちゃんお利口だから、自ら藪を突くような真似はしないけども。
「では、私は公爵邸へ参りますね。早ければ、明日には戻ります」
明後日の予定も一応空けた。最悪、明日で片が付かない可能性があるからだ。
「エリィ」
呼ばれて、殿下を見ると、何やらめっちゃ苦笑されている。
「無理はしないようにね」
「はい。大丈夫です。……では、行って参ります」
殿下のほっぺにちゅっとキスをして、ソファから立ち上がる。既に馬車の手配も万全だ。後は公爵邸に乗り込むだけだ。
殿下に礼をして部屋を出たが、その部屋の中で殿下が頭を抱えて「マクナガン公爵家とは……」と深い溜息をつかれているなど、私には知る由もない事だった。
* * *
外側からは物々しさなどない、静かな貴族の邸宅だ。おお、愛しの我が家よ。今帰りましたよ。
夜中というのに、邸中に煌々と明かりが灯っている。エマージェンシーの度合いを窺わせるね。不夜城って感じだわね。
馬車を降りると、玄関の扉の前に立つ従僕が、私を見て深々と頭を下げる。
「お待ちいたしておりました。……既に皆、揃っております」
うむ。流石は我が家だ。
何も言わずとも、このノリの良さよ。
何か言いたげなアルフォンスは無視だ。君はこの後は、のんびり茶でもしばいててくれたまえ。
あと、殿下が「何かあった時の為に」と護衛騎士を一人貸してくれた。いや、何もないと思いますけどね。
アレックス・コックス君という、まだ二十代前半から半ばくらいの若者だ。やたらと落ち着き払っているアルフォンスやグレイ卿と違い、彼は何だかピチピチ感がある。やはり若さというパラメータは強い。
従僕が、玄関の重たい扉を開けてくれる。
本当は裏からこっそり入ろうかとも思ったのだが、兄の最終目標は恐らく私だろう。ならばせいぜい目立つ入り方をして、兄の注意を思い切り引いてやろうと思ったのだ。
なので馬車も、がっつり王家の紋の入った豪華な物を使った。
あのクソ虫は、どこぞでこの様を見ているだろうか。さあ、来い。迎え撃ってやる。
玄関の扉が開くと、広いホールにはお父様とお母様をはじめとした、公爵家の家人たちが揃っていた。
……いや、お掃除メイドちゃんとか、料理人とか、戦闘力ない人は持ち場に戻っていいよ。ていうか、寝ててくれて大丈夫よ。
「良くぞ戻った、エリィよ」
お父様、声ひっく! しかも何だ、その言葉遣い!
「始めましょうか、エリィちゃん」
お母様、また作画が違いますね……。そしてお母様も、声低いですね……。
「トーマス以下使用人、支度整いましてございます」
ぴしっと綺麗に礼をするトーマス。静かに軍隊式なトーマスは、何だか恐ろし気で良い。
私の背後で、ヤング護衛騎士コックス君がびっくりしているようだ。
君もどうか、アルフォンスと一緒に茶でもしばいていてほしい。我が家の茶は中々美味いぞ。
私がゆっくり歩くと、その進路を空けるように使用人たちが二つに割れる。
このどこまでも芝居がかった人々よ! 帰って来た感、ハンパねぇぜ!
私の後を、お父様とお母様が揃ってついてくる。あなた達の娘で良かった! 両親からしてノリが良すぎる!
ホールの奥にある階段を上り、全員が見渡せる程度の場所で足を止める。私の一段下にはお父様とお母様。その更に下には、王城の護衛騎士。いいねー、豪華だねー。
さあ、いっちょぶちかますぞ!
「皆、集まってくれてありがとう。今日はきっと、我がマクナガン公爵家において、忘れられない日となるでしょう」
広間はしんと静まり返っている。
「今日を無事に乗り越えられた者は、来年・再来年の今日という日が訪れた時、恐らく誇りに思う事でしょう。今日を乗り越えられた者は老いた後、この日が来るたびに腕まくりをし『この傷はあの日についたものだ』と自慢する事でしょう」
有難う、大昔の文豪よ。素晴らしい演説を遺してくれて。
「人は忘れる生き物です。歳を取り、何をかもをも忘れていくでしょうが、今日この日の事は大袈裟な程に幾度も思い出すでしょう」
うろ覚え&超アレンジバージョンで申し訳ないが。
「私たちはとても幸せな一団です。今日を共に戦う者は、皆兄弟となりましょう。今、領地に居る者たちは、きっと今日の戦いの話を聞いて、そこに居たかったと悔しがることでしょう」
かの有名な演説は、ここで終了だ。
なので私は、眼下の一同を見回して、にっと笑った。
「さあ、始めましょう」
その一言に、ホールから大歓声が起こった。
いいね! やっぱ戦いの前は士気を上げんとね! ありがとう、シェイクスピア大先生! よっ! 大文豪!!
使用人たちは私の言葉を合図に、それぞればらばらと散っていく。
その様子をアルフォンスは何やら遠い目で見ているし、コックス君は呆然と眺めている。慣れって大事だな、アルフォンス。コックス君も、おいおい慣れてくれたらいいと思うよ。
ばらばらと散った使用人たちが居なくなると、玄関ホールにテーブルと椅子が運び込まれた。
もうここを本営とする作戦だ。どうせ部屋に立てこもっていても、来るときは来る。ならば、広くて迎撃が容易な場所で待っていた方が良い。
玄関前のポーチでもいいんだけど、暗いから……。あと、明かりに虫が寄ってくるから……。
ここなら、蚊も寄って来なくて安心。虫よけのハーブ置いてあるし。
このハーブでクソ虫も散らねえかな……。ムリか……。
テーブルの上には、公爵邸の敷地全体の俯瞰図。そして、所々にピンが立っている。このピンは、現在の使用人たちの位置だ。
「ところでトーマス、お兄様は今、どこに居るのですか?」
「まだ報告が入っておりません。捜索は、エルザとジャクソンが」
「まだ王都に居ない……という事は?」
「それはまずないでしょう。お邸の周辺に居る事は、確かかと思われます」
そうよな。
エルザは元『梟』。諜報専門部隊で、隠密と格闘のエキスパートだ。ジャクソンは元『鷹』。こちらは監視専門で、隠密特化型だ。戦闘能力は護身術プラスアルファくらいである。
その二人をもってしても見つからない兄とは……。何と、無駄に才能溢れる事よ……。
とりあえず、今の使用人たちの持ち場は、普段曲者が入り込んだ時のそれと同じだ。
だが、相手はあの兄だ。
たまーにやって来るコソ泥紛いの連中とは、訳が違う。
「お兄様は、どこから入ってくるでしょう……」
「普通に考えましたら、ご自分のご生家なのですから、正門からですが……」
そう。普通はそれしかない。
自分ちに帰るのだから、普通に玄関から入るに決まっている。
「念のため、玄関前をもう少し手厚くしておきましょうか……」
恐らくだが、兄は正面からは来ない気がする。とはいえ、手薄にしておくのも不安がある。
玄関前には、普通に警備の為の兵が居る。彼らは騎士に近い人々なので、使用人たちとは立ち回りが異なる。
使用人をそこに、二人ばかり配置しておく。
さて、問題はどこから入るかだ。
普通に考えたら、裏の雑木林だ。そこにはいつもの監視役の隠密さんたちが居る。
裏手の雑木林から実家に入る事を『普通』と言って良いのか、という問題は、この際棚上げしておこう。
トーマスと二人、ああでもないこうでもない……と人員を配置し、兄を待つ事暫し。
既に私がここへ到着してから、一時間以上経過している。
ホールの階段を、使用人が足音少なく駆け下りてくる。あの速さで音をあまり立てないのは見事だ。
「ご報告いたします。目標を発見いたしました。現在、9-1から10-1あたりです」
「了解。持ち場に戻れ」
「はっ」
使用人は礼をして、また階段を駆け上って行った。
彼は伝令で、邸内の至るところに散った他の伝令や使用人のハンドサインを読み取り、ここまで伝えに来る係だ。因みに、待機場所は屋根の上だ。転げ落ちる事だけはしないで欲しい。
そして彼が伝えてくれた数字は、公爵邸の敷地の地図に振られた番号だ。
9-1から10-1という事は、雑木林の外側だ。
流石は兄だ。正面から入ってこようとしないとは。
「……坊ちゃまは、正門から堂々とお入りにはなられませんでしたね」
「領地を抜け出すのに手間取った時点で、正面からは入れないものと気付いたのでは?」
「まあ、そうだろうな。……何故、その優秀さが、全て『無駄』になっているのか……」
お父様、気を落とされずに。どうぞお茶でも召し上がってらしてください。
「では、罠方向へ誘導を。10-3へ」
お母様の言葉に、控えていた使用人が「は」と返事をし、走っていく。
「……これ、何なんです?」
コックス君が、アルフォンスにぼそっと尋ねている。
因みに彼らは今、私たちから少し離れた場所で椅子に座っている。どうせ夜を徹する事になるのだ。突っ立っているのも辛かろうと用意した。
小さなテーブルも用意され、そこには軽食や茶菓子が置かれている。
勿論、お茶はおかわり自由だ。
「私に訊かれても困る」
溜息をついたアルフォンスに、コックス君が「……そうですか」と小さく返事をしていた。
現在時刻は十一時を回ったところだ。兄発見の報から一時間程度経過している。
兄は雑木林の中を逃げ回っているようだ。
……実家で追いかけられまくる状況を、兄は一体どう考えているのだろう。それとも日常の風景なので、どうとも思っていないだろうか。
そして何故あの罠だらけの雑木林で、地図もなく無事に逃げ回る事が出来るのか。何たる優秀さよ。そして、何たる無駄さよ……。
雑木林の中からは、兄を追う勢子のような役目をする隠密たち以外の使用人を退かせてある。
本職でもなければ、きっと兄を捕まえるのは不可能だからだ。
代わりに、雑木林の出口を固めてある。普通なら、これで捕まる筈である。
だが、あの兄だ! 『普通? 何ソレ美味しいの?』とでも言いそうな、あの兄だ!
因みに、正面玄関以外の出入口は、全て封鎖してある。
施錠のみならず、閂や家具による封鎖など、あらゆる手で扉を閉じてある。一人で破れない事はないだろうが、かなりな時間を要する筈だ。
それに、大きな音もする。
開かないと分かった段階で、兄は諦めるだろう。
全ての出入り口付近にも、使用人を配置済みだ。彼らは単なる監視役のようなものだ。「何かお手伝いを!」と引き下がらなかった、戦闘能力のない人々にお願いしてある。
……監視だけでいいから、その手に持った箒や調理器具は片付けておいて欲しい。危ないから。ね?
因みに、他の戦闘能力のない者たちは、隠し祭壇に祈っているらしい。
殿下のご利益、すげぇもんな! 祈りたくもなるよな! でも君たちも、寝ててくれて大丈夫よ?
他に侵入できそうな窓などは、鎧戸が閉められている。
ご先祖のどなたかが、取りつけられたものなのだろう。やたら頑丈だ。
便利に使わせてもらっておりますよ、ご先祖。
これで、普通の侵入先としては、正面のみだ。
だが、兄が狙いそうな場所がもう一か所ある。
私の部屋だ。
部屋のバルコニーには、ボウガンを持たせたメイドを一人配置してある。某国武器工廠の開発部だったリリーと私が協力して作り上げた、オリジナルより強力なボウガンを持たせてある。
ただ、間違っても頭部や胸部を狙わないように、とは言いつけてある。
当たり前だが、別に本当に殺したい訳ではないからだ。ホントダヨ?
威力は流石に現代の地球のものほどではないが、それでも当たり所によっては人くらい殺せる代物だ。間違って『貴族殺し』などになって欲しくない。
射手は、以前家人で『第一回ボウガン的当て選手権』を開催した際、準優勝したメイドである。腕は確かだ。
開発者であるリリーや、他の選手権入賞者たちは、私厳選の『玄関を狙うならここから!』ポイントに潜んでもらっている。
慣れた我が家だ。射線の通る場所など、確認せずともすぐに判断できる。ゲーム脳、舐めんな!
……兄が捕まらない。
既に日付が変わってしまった。
どういう事だ……。雑木林の周辺の使用人たちにも、動きはない。
伝令からの連絡も途絶えている。
クッソ! 右クリックで戦況分かるとか、そういう機能ねぇかなぁ! ファンクションキーでショートカット開くとかさぁ!
ないわなぁ……。
ステータスオープン! とか叫んだら、ウインドウ出ねぇかなぁ……。そんなの叫ぶ勇気ないけども。
しかし、連絡が途絶えるとは……。
考えられる可能性としては、二つ。
一つは、伝令が何らかの事情があり動けない場合。
もう一つは、本当に動きがない場合。
どっちだ?
今から敷地中の伝令の無事を確認するのは、かなり手間だ。だが、やらない訳にもいかないか。
「ディーを呼んで」
私の声に、メイドが一人ささっと邸から出て行った。
因みに、ディーとセザールは、最終兵器扱いだ。あの二人はちょっと規格外なので、玄関前待機である。
狭い場所でやりあうと、加減が出来ない可能性があるからだ。
本気のあの二人相手では、兄も流石に無傷とはいかなくなるだろう。そしてあの二人は元が元なだけに、窮地になると急所を狙うクセがある。危険極まりない人物なのだ。本来は。
「お呼びっすか?」
「お呼びっすね」
言いつつディーに手招きし、テーブル付近まで来てもらう。
そして伝令が潜んでいるポイントを、地図で指さし覚えてもらう。
「至急、確認してきて」
「了解」
それだけ言うと、ディーはさっさと出て行った。
三十分程度が経過し、ディーが戻ってきた。
「お待たせしましたー」
「はい、お待ちしましたー。……で?」
尋ねると、ディーは「ふー……」と溜息をついた。
その溜息は何だ? 何があった?
「林の中の伝令二人、木に拘束されてたんで、助けてきました」
……何、だと……?
「んで、ソイツらから伝言っす。クソ……いや、エルリック様ですが、何かデカい荷物背負ってたとかで。その『荷物』、お嬢の昔のドレス着てたらしーんすけど……」
ピシっと、自分の中の何かが凍った音がした。
私のドレスを着た。
デカい荷物。
それってもしかして……。
「坊ちゃまの『私のエリィ人形』……でしょうか」
トーマス! 何故はっきり言った!
「でしょーね」
ディー! お前もはっきり肯定すんな!
だから何なんだ、その人形!! いや、知りたくなんてないけども!
そんなモン連れてきたのか、兄よ!!
「ディー、それで、坊ちゃまの現在地などは……」
「不明っすね。隠密の連中も綺麗に撒かれちまって。……本気で見つけようと思ったなら、林全体を一斉にローラー作戦しかないでしょーね」
「そうか……」
ディーの報告を聞き、トーマスが「ふむ……」と顎に手を当て、地図を睨む。
「ローラー作戦は、無理だわね」
その網に引っかかってくれたら良いのだが、引っかからずに逃した場合、捕まえるべき人員が不足する。それはいただけない。
「そうですね。このまま膠着でしょうか……」
「もしかしてなんだけど……」
何かに気付いたように、お母様が声を上げた。
「あの子、寝てるんじゃないかしら? ……夜だし」
ありそう!!
超、ありそう!!
あの兄なら、「夜だし」で寝そう!
「そんなら、狙い目は今っすかね?」
「どこに潜んでおられるかも分からないのにか? 坊ちゃまが動き出すのを待つ方が早い」
「一応、隠密の連中は捜索続けてますけど」
「それは継続で。見つけ次第捕獲も変わらずで。伝えてきてくれる? ディー」
ディーは「了解」と返事をして、また出て行った。フットワークの軽い馬丁で有難い。
「さて。思ったより持久戦になってきたわね……」
「坊ちゃまの行動が、読めな過ぎて……」
深い溜息をついたトーマスに、何だか申し訳ない気持ちになってしまう。
お父様もそう思われたのだろう。
「少し休んできたらどうだ? トーマス」
その言葉に、トーマスはにやりと笑った。わー……、ニヒル~……。
「まだいけます。土砂降りの山の中での待機などより、大分楽ですから」
過去が気になり過ぎるわ!!
流石に待つだけだと眠くなるなー……。
ふぁ……と欠伸をかみ殺していると、伝令が階段を転げる勢いで駆け下りてきた。
「坊ちゃまが雑木林を突破されました!」
来たか!!
例のAAの如く、ガタっと椅子から立ち上がってしまった。
さあ、ここからが勝負だ。来い、兄よ! 捕らえて領地へ送り返してくれるわ!
ディーとセザールを呼び、トーマスと四人でさっと打ち合わせをする。
「りょーかい」
「分かりました」
それぞれ頷くと、二人は外へ出て行った。
それを見送って、私も玄関から出る。
……ただし、兄に見つからないよう、トーマスの背にぴったりと張り付いている格好だ。
入り口を全て閉じてあるのだから、もうここへ来るしかない。
ディーとセザールが、隠れている狙撃部隊にハンドサインで作戦を伝えている。
さあ、ここからは一発勝負だ。
「……いらっしゃいました」
トーマスがぼそっと呟くように言った。
その声に合わせるように、裏手へと続く小径から、兄が駆け出して来た。
……マジで、背中に何かしょってるんだけど……。おんぶ紐みたいなので括りつけてあるんだけど……。
どうしよう。めっちゃイヤだ……。
兄に向って、ディーとセザールが一気に距離を詰め、飛び掛かる。が、兄はそれを難なく躱す。
二人には、本気でやる必要はないと伝えてある。単なる足止め要員だ。二人はきちんと、庭の中ほどで兄の足を止めてくれている。
それを見て、トーマスがすっと右手を挙げた。
白手袋が、闇の中で僅かに光を反射している。これが、第一の合図。
私は一つ深呼吸をすると、トーマスの背から出た。
「お兄様」
決して大きい声ではない。が、あの化け物じみた兄の耳には届くはず。
これが、第二の合図。
案の定、兄はこちらを見て、ぱぁぁぁっと大輪の花が開くかのような笑顔になった。キモい。
「私のエリィ!!」
誰がじゃ!!
私をそう呼んでいいのは、殿下だけだ!!
ディーとセザールが、同時に兄から距離を取る。
そしてトーマスが上げていた手をさっと下ろし、兄を真っ直ぐ指さし良く通る低い声で一言。
「撃て」
瞬間、三か所から同時にボルトが放たれた。
ガガガッと耳障りな音をたて、それは兄の背負った『荷物』に命中した。
兄が「何が起こったか分からない」という顔をして、硬直している。ただし、表情は笑顔だ。怖い。
「再装填、撃て」
トーマスの無慈悲な声に、再度三本のボルトが『荷物』に命中する。
狙撃部隊、素晴らしい腕だ。君たちには『好きなパンの具材を選べる権』を贈呈しよう。
呆然と立ち尽くしていた兄は、背中の『荷物』を括っていた紐をゆっくりと解くと、背負っていた『荷物』をそっと地面に下ろした。
その背中には、合計六本のボルト。しかも一本は後頭部に見事に突き刺さっている。
中々にシュールな光景だ。
「あ……、あぁ……、……うわぁぁぁぁーーーーー!!!」
喉も裂けよとばかりの大絶叫が響き渡った。
私含め、この場に居る全員の、兄を見守る目が冷たい。
「私のエリィィィィ!!!」
人形、な!!
人形に取りすがって泣く兄を、使用人たちが慣れた手つきで拘束していく。
相変わらずのカオスだ。『我が家』って感じだ。
お母様の「エリィちゃ~ん、パンが焼けたんですって~。一緒に食べましょうよ~」って呑気なお声が、カオス感を増しますよ……。
ていうかパン職人、何でこんな時間にパン焼いてんだよ……。いいけども……。
* * *
「騎士様もどーぞー。焼きたてっすよー」
呑気な笑顔で、アルフォンスとコックス君にパンを配るパン職人。
玄関ホールの大階段に、綺麗に並んで座ってパンを食う使用人。何故かそこに混じっているお父様。
作戦テーブルで優雅にお茶を楽しむお母様。
片や困惑し、片や遠くを見つめている護衛騎士二人。
そして、用意されていた兄専用の頑丈な椅子に、兄を拘束する侍従たち。
その椅子でずっと泣き続けている兄。
あー……。このカオス感。我が家だわぁー……。
何だろう、落ち着くわぁ……。多分、これで落ち着いてちゃダメなんだろうけど、落ち着くわぁ……。
ディーとセザールには、敷地中に散っている人々に、「終わったよー」と伝えに行ってもらっている。なので、近場に陣取っていた人々から、続々と邸に戻ってきている。
「あー、何かイイ匂いするー」
「あ、ホントだ」
そんな事を言う使用人に、パン職人が「パン焼いたよー」と笑顔で声をかける。
「やったぁ! 一つくださーい!」
「俺もー!」
……そこで誰も「何で?」とか言わないあたりが、我が家らしさを感じさせるね。
いつの間にかホールの隅に、テーブルが用意されている。その上には、お茶のポット、水のボトル、オレンジジュースのサーバ……と、ドリンクバーが出来上がっている。
何だ、この平和な空間。
「さて、エルリック……」
パンを食べ終えたらしいお父様が、階段から立ち上がった。
手をぱんぱんと払いながら歩いてくる。……お父様、上着にパンくず付いてますよ。
「お前に任せた仕事は、まだ終わっていないな? 何故、勝手に領地を抜け出した?」
兄が涙に濡れた顔を上げた。相変わらず、無駄に美形だ。滂沱の涙に濡れているが、無駄に整っている。
これで中身がアレじゃなきゃなぁ……。
父の質問に、兄が僅かに掠れた声で答えた。
「私のエリィに、会いたかったからです……」
うっわぁ……(ドン引き)。
「もう六年も! 私のエリィに会っていないなんて! しかも婚姻の式典にも呼んでくれないなんて!」
わぁぁ…………。
ドン引いている私を、兄が見た。兄は泣き笑いの表情だ。
「ああ、私のエリィ……。大きくなったね」
何の嫌味だ? おぉん!?
「しかも、とても綺麗になって……。そうだ。今日はお兄ちゃんと一緒に寝よう! そして一緒にご飯を食べて、一緒に領地へ帰ろう!」
馬鹿を言うな。
兄を婚姻の式典に呼ばなかった理由は、兄をじっとさせておくのは、三歳児を葬式で大人しくさせておくより困難だろうと思われたからだ。しかも、家人全員の意見が一致した。
国賓勢ぞろいのあの場で、兄を暴走させる訳にはいかないのだ。
我が家だけの問題でなく、国際問題になってしまうからだ。
「私のエリィ……、どうか声を聞かせておくれ。ホラ、お兄ちゃんだよ?」
キーモーいー!
イケメン無罪とか、あんなの嘘だ! どんだけ顔が良かろうが、有罪は有罪だ! そしてこの兄は罪が重すぎる!!
そこへ、ディーとセザールが戻ってきた。
ディーは肩から兄の『荷物』を担いでいる。
「私のエリィ人形! やめろ、ディー! 手荒に扱うな!!」
騒ぐ兄を尻目に、ディーは人形を放り投げる様に床におろした。
「あぁぁぁーーー!!!」
うるっさい!!
「ああ……、私のエリィ……」
兄の中では、あの人形も『私のエリィ』なのか……。
……ていうか、この人、マジで大丈夫か? 色んな意味で。
そんでもって、この人形がヤヴァイ。
十二歳当時の私そのものだ。……多分、身長とかも同じなんだと思われる。
素材、何で出来てんだろ……。関節、可動式なんだけど……。
コレ、夜中に見たら叫ぶ自信ある。無駄にリアルで怖い。しかもモデルが自分。怖い。
因みに、私は父とトーマスから、兄の前では極力口を開くなと言われている。何が兄の暴走のトリガーとなるか分からないからだ。
開けっ放しの玄関から、マリナとエルザが入ってきた。
二人ともお疲れーという気持ちで見ていると、まず先を歩いていたエルザが、人形を思い切り踏みつけた。
「うわぁぁぁ! エルザ! 何をするんだ!!」
兄の絶叫を完全スルー決め込んだエルザが歩いていき、次にマリナが人形を思い切り蹴り上げた。
「あぁぁああぁ………!!!」
断末魔のような兄の悲鳴を、マリナも完全無視だ。
一メートルほど上に飛んだ人形は、ドサっと重そうな音を立てて床に転げた。
「ネイサン、私にも一つ貰える?」
「はいはい、了解っすよー」
「私にもちょうだい」
「どーぞ、どーぞ」
パンを受け取る二人。声もなく泣き崩れる兄。
もう、何が何やら。
「エルリック、エリィにも会えたのだ。大人しく領地に戻り、仕事の続きをしなさい」
キリっとした表情ですが、お父様、手に持ったパンが色々台無しです。
そして台詞の後にパンを食わないでください。絵面が面白いので。
「嫌です!! まだ私は、私のエリィと手も繋いでいません! 一緒にお茶もしたいですし、食事もしたいですし、お風呂も入りたいですし、添い寝もしたいのです!!」
おい、要望がヒデェな!! 特に後半二つ!!
「ふむ……。おい」
お父様がパチンと指を鳴らす。
それに使用人たちが動き始める。……のは構わんが、パン咥えてるヤツ、まずそれを何とかしようや。
兄と向かい合う位置に椅子が置かれた。距離は因みに、三メートルは離れている。
「エリィ。そこに座りなさい」
はい。
椅子に座ると、使用人が今度は小さなテーブルを運んでくる。
そのテーブルに、マリナがお茶の支度をした。給仕が皿に乗ったパンを運んでくる。
ああ、分かった。
兄の要望の『お茶』と『食事』を、ここで片付けてしまおうという作戦か。
私は心の中で「いただきます」と手を合わせ、焼きたてのパンをちぎって口に運んだ。
あ、おいちい。
焼きたてって、やっぱ格別だわ。
チーズとベーコンとか、フツーにすんごい美味しいわ。
やるな、パン職人め。
そんな私の向かいでは、侍従が兄の口に無理やりパンを突っ込んでいる。兄はそれをもぐもぐと食べながらも、目はしっかり私を見て微笑んでいる。
怖い。
パンを食べ終え、ふっと一息つくと、給仕がささっと皿を下げてくれた。
兄はリスかハムスターの如く、パンで頬がぱんぱんになっている。……パンでぱんぱん(笑)。いや、そんなダジャレで笑っている場合ではない。
次はお茶だ。
マリナが淹れてくれた、いつも通りのお茶を口に運ぶ。いつも通り美味しい。
向かいでは、侍従が兄の口元にカップを傾けている。だが兄の頬袋は、未だパンが詰まっている。故に、お茶が口に入りきらず、だらだらと零れてしまっている。
それでも兄は私を見て笑顔だ。
……もう嫌だ。お城帰りたい。助けて殿下……。
優雅さの欠片もないが、お茶を一気に飲み干し、私はカップを置いた。
空になったカップを、マリナがさっと片付ける。
「満足したな、エルリック」
ご自分もパンを食べ終えた父が、兄に向ってそう問うた。
が、兄の口の中はものでいっぱいだ。話せる状態ではない。
それ以前に、兄はただ私をじっと見てにこにこしている。いや、口元はもぐもぐし続けているが。
……怖い。
兄は暫くもぐもぐと口内のものを咀嚼していたが、やがてそれらをごくんと飲み込むと、父を見た。
「まだ、私のエリィと手を繋いで散歩をしていません!」
しれっと『散歩』が増えてんじゃねぇか!
「よく聞きなさい、エルリック」
あ、お母様の口調が厳しい。対兄仕様だ……。
「エリィちゃんは既に王太子妃なのです。貴方如きが軽々しく触れてはならない、尊き身分なのです。分かりますか?」
「分かりません!」
そこは分かれや!!
「私のエリィは私の天使なのです! それと共にありたいと願う事の、何がいけないと仰るのですか!?」
ほぼ全部だ!!
父はそれに深い溜息をつくと、「トーマス」と声をかけた。
トーマスは一つ頷くと、兄の背後に立ち、兄の首に腕を回しグッと締め上げた。
兄は暫く抵抗していたが、やがてぐったりと動かなくなった。所謂、『落ちる』という状態だ。
放置していると危険なのだが、誰も気付けなどを行う様子がない。
お前は落ちとけ、と言う事か……。
「……エリィ、疲れただろう。今日はどうする? 少しここで休んでいくか?」
深い深い溜息をつきつつ言う父に、私も思わず溜息をついた。
……疲れた。
「いえ……。申し訳ありませんが、城へ戻りたいと思います……」
殿下のお顔見て、癒されたいです……。
「そうね。それがいいわね。エルリックが居たのでは、エリィちゃんもゆっくり出来ないでしょうしね」
お母様は頷きながらそう言うと、椅子から立ち上がった私をぎゅっと抱きしめてくださった。
「またね~、エリィちゃん。今日のエリィちゃんも、カッコ良かったわよ~」
「ありがとうございます。……また遊びに来ますね。今度は、ゆっくりと」
「ええ。待ってるわ~」
お母様がそっと離れると、次はお父様だ。
やはり私をそっと抱きしめてくださった。
「エルリックは任せておけ。何としても領地に放り込む」
「はい。お父様を信じております」
「ああ。お前は何も心配せず、王太子妃として殿下をお支えして差し上げなさい」
「はい」
決める時は決めるお父様、カッコいい。
抱きしめられた服から、香水などではなくパンの良い香りがするのも素敵だ。さてはお父様、どこかのポケットか何かに、パン隠し持ってますね?
お父様がそっと離れると、その後ろに使用人たちが列を作っていた。
……え? 何コレ? アイドルの握手会?
しかも全員、何かワクワクした顔してやがる……。
「ハグはダメよ~。あと、一人十秒ですからね~」
私の脇に立たれたお母様が言う。
お父様は懐から時計を取り出し、それをじっと見ておられる。
……この二人、『剥がし』やる気か……。トーマスまで剥がしに加わっている。頼もしいよ……。
* * *
やっと城へ戻ってきた……。
現在時刻は午前四時を過ぎたところだ。
既に空は明るく、徹夜明けの目に朝日が眩しい。
五十人からの握手会は、中々にヘヴィーだった……。アイドルってスゲェな。あれを千人単位でやるんだもんな……。
戻って来てざっと湯浴みをして、寝間着に着替える。
……数時間でも寝させてくれ……。肉体的な疲労だけでなく、精神的な疲労もすごい。
よろよろとした足取りで寝室へ行くと、広い寝台で殿下が眠っておられた。
わー……。癒されるゥ……。
殿下、すやっすやだわぁ……。寝顔も綺麗だわぁ……。ああ、我が神よ……、今日も私の心の安寧を保ってくれて、ありがとうございます……!
寝顔に向かって一度手を合わせると、そっと寝台に上り、空いているスペースに横になった。
あ゛ー……、疲れた……。
すぐ隣には、殿下のお美しい寝顔がある。
思わずそれに手を合わせていると、隣で動いた気配を感じたのか、殿下がうっすらと目を覚まされた。
ぅおっと! いけねぇ! と慌てて合わせていた手をぱっと直す。
殿下に見つかると、めっちゃ嫌がられるからね。相手の嫌がる事は、しちゃダメよね。(どの面下げてとか言うなよ?)
「……エリィ?」
「はい。ただいま帰りました」
「ん……、おかえり」
殿下、寝惚けてるゥー。わー、珍しーい。
「もう朝か……?」
ぼんやりとした、少し掠れた声で言う殿下に、私は小さく笑った。
「いえ、まだ起きるには早い時間です。……もう少し、休みましょう?」
「うん……。お休み、エリィ……」
「はい。お休みなさい、レオン様」
殿下は寝惚けつつも私をぎゅっと抱きしめると、またすぅすぅと寝息を立て始めた。
あーー…………。癒されるぅぅ……。マイナスイオンの比じゃないくらいの癒し効果ぁぁ……。
流石は我が神だ……。あっちゅー間に眠くなってきた……。殿下の効能、『癒し』がすげぇ……。温泉並にすげぇ……。
寝て起きたら、殿下に『私のエリィ』って呼んでもらおうかな……などと考えながら、私もすぐに眠りに落ちたのだった。
* * *
さて、その後のド変態だが。
兄が気を失っている間に、まずは人形を兄の手の出せない場所に隠したそうだ。
そして目を覚まし、私が居ない、人形が居ない、と騒ぐ兄に対し、お母様が慈母の笑顔で仰った。
「あの人形は、天へ還りました。もう貴方の手の届くところには居ないのよ」
……何だそれ。
私はその台詞を伝え聞いて、すんっと真顔になってしまったが、兄は違った。
兄はハラハラと涙を零し、天を仰ぎ見たそうだ。
「そうなのですか……。ああ……、とうとうその日が、来てしまったとは……!」
……どう突っ込めばいいの? 兄の中であの人形って、どういう位置付けなの?
一人静かに涙を零す兄を放置し、その後暫くは家人でお茶をしていたそうだ。話題は「エルリックはマジでヤバいのではないか」だったらしい。……言っちゃなんだが、その話題、今更過ぎねえか?
一通り涙を流しスッキリしたらしい兄に、お父様、お母様、トーマス、マリナで今後の協議を始めた。
そこで決まった事が、以下の通りだ。
・まずは領地の改修を無事に完遂する事。
・完遂までは、基本的に領地で暮らす事。
・ただし、年に一回だけ、エリザベスを交えた食事会を王都で催す事。
・エリザベスに無闇に触らない事。
・当然、一緒に風呂に入ったり、添い寝をしたりは厳禁。
・王太子殿下に攻撃をくわえない事。
・王城に忍び込んだりしない事。
だそうだ。最後二つ、子供でも知ってそうな常識になってるんだが……。
中々納得しない兄を、最終的には使用人総出でぎゃんぎゃん責め立て、何とか納得してもらい領地へ送り返したらしい。
因みに、今年の『食事会』は、あの向かい合わせでパン食ったアレで終わりだそうだ。
毎年あんなんでいいよ。ちゃんとした食事とか、時間長くて面倒臭いよ……。
そういう事になりましたんで!と殿下に報告したら、殿下が深ぁーい溜息をつきながら「そうか……」とだけ仰った。
年一でなんか変な行事が出来てしまったが、年一で公爵邸へ帰れるのは嬉しい。
良かった探し、大事だよね!
うん。年一で絶対に里帰り出来るんだから、良かった!
兄を領地へ追い返した後、あの恐ろしい人形をまずはバラバラに壊し、その後一片も残さず燃やし尽くしたそうだ。燃やした灰は雑木林に蒔いたらしい。人形の材質は木だったらしく、良く燃えたそうだ。
あのまさかの精巧さのおかげで、斧でバラバラにされた様は、あたかも私の惨殺死体のようだった……と、後にディーに聞いた。怖いわ。
その後、領地へ帰った兄は、領地改革を猛スピードで進め、公爵領の発展に多大なる貢献をする事となる。
その傍ら、『私のエリィ人形(十八歳・夏)』を製作していた事が発覚するのは、それから数年後の話である……。
兄が出ると、テンションが異常になる説。




