18 エリザベス、フラグを立てて即回収。
殿下も長期お留守にするご公務は暫くないそうで。
殿下がご公務からお帰りになって以来、私にべったり張り付いてくる事あるんだけど。まあ、別にいいけど。
学院生活も、王城の暮らしも平和で何よりだわぁ~。
この世界に、この国に転生して十二年。
時折日本が恋しくもなる(主に食べ物と、様々な技術が)。
この国が日本より素晴らしい点はかなりあるが、個人的には以下の点を推したい。
まずその一、気候が安定している。
四季はある。……どうでもいいんだけどさ、良く『日本には四季がある』って自慢気に語る論調あるけどさ、世界中どこにでも四季ってあると思うのよね……。『日本の四季』って言うなら分かるけども……。
話が逸れた。
冬は温暖とまではいかないが、国の南方では積もる程の雪は降らない。王都でも、ちょっと積もってすぐ融ける。北の山岳地帯とその周辺はそれなりに積もるが、それはまあそうだろうね、というところだ。
気温はどんなに低くても、氷点下にはほぼならない。暖かし。素晴らしき。
夏は最高気温が三十度いかない程度だ。殺人酷暑も、殺人残暑もない。家の中でじっとしてるだけなのにシャツが絞れる……なんて事はない。
しかも湿度も50%程度で、非常に快適に過ごせる。
こちらに生まれてからというもの、夏が好きになった。
春と秋は日本同様、とても穏やかに過ぎていく季節だ。春はあげぽよ。
その二。自然災害が少ない。
災害大国ニッポンと比べたら、地球のどの国だって少ない気もするがな!
まず、台風は直撃しないでしょ。降雪量もそう多くないから、ドカ雪で交通障害とか、集落の孤立とかもないでしょ。ゲリラ豪雨みたいのもないでしょ。だから水害も少ないでしょ。
そんでもって、地震もほぼない!
建物見てると、ちょっと怖えんだよね。多分、震度5もある地震きたら、かなりの人数が犠牲になりそうで……。いや、地形からしてそんな地震こないんだけども。
以上だ!
少ねぇとか言うなよ! スゲー快適なんだぞ!
梅雨ねぇんだぞ! 放置したパンがカビる前にカッピカピになるんだぞ! 衛生的だろ!
地震だってねぇんだぞ! 夜中ダラダラしてるとこに、あの緊急速報のアラームでビックゥ!!てさせられる事もねぇんだぞ! ……あの音、すげー心臓に悪いよね……。警報としては正しいんだけどもさ。
現在は、七月の初め。
夏の前の少し強くなってきた日差しと、半袖だとちょっと冷たい風が吹く、とても気持ちの良い季節だ。
授業の休憩時間中、ふと外を見ると雨がパラついてきていた。梅雨のないこの国で、この季節の雨は珍しい。
朝からちょっと雲が多かったけど、とうとう降ってきたかぁ。
雨降ると、頭の中に自動的にポエムが流れるんだよねー。
女子っぽくない!? ポエムとか、女子力激高じゃない!?
……まあそのポエムが『雨ってゅうのゎ。。』で始まる、某掲示板の有名コピペな時点で女子力ないんだけども。
ぼーっと、窓の外の空から降る一億のきゅうりを眺めていたら、ふと同じように窓の外を眺めるマリーさんが視界に入った。
非常に物憂げな表情だ。
もしかして『雨の日のヴィオロンの……』とか諳んじていたりするだろうか。それは女子力高い。
文学少女力も高い。
何となくもしかして、元の詩が間違っているような気もするが……。あんまり詩は得意じゃないからなぁ……。
……エリちゃんも結構、本読むんだけどな……。文学少女力、どこに落としてきたかな……。
母さん、私の文学少女力、どうしたんでせうね? ……碓氷峠に落ちてるかな?
しかし彼女はどうしたのか。いつも無駄にバイタリティが溢れているというのに。
「どうかされましたか?」
不思議に思い声を掛けてみると、マリーさんはやはり物憂げな瞳でこちらを見た。本人「埋没系令嬢」と言ってはいるが、それなりに美少女だ。絵になる。
「あ……、雨が降ってきちゃったなぁって」
せやね。
頷くと、マリーさんはほぅっと溜息をついた。あら、アンニュイ。
「私……、寮の部屋の窓、閉めてきたっけかなぁ……って、心配で……」
ぅおい!! 女子力、クソ低いな!! 天気が良くても、外出時は窓は閉めろや!
「マリナ、彼女の部屋を見てきてもらえる?」
「畏まりました」
「あ、二階の南東の角部屋です!」
部屋の位置を告げたマリーさんに頷くと、マリナはさっさと出て行った。
「あー……これで安心です! エリザベス様、ありがとうございます」
うん、まあ、礼はマリナに言ってもらえればいいから。
ていうか……
「部屋を留守にする際には、窓はきちんと閉めた方が良いと思いますよ? あと、きちんと施錠もして」
「いえ、普段はちゃんとしてるんです。……ホントです!」
何故、目を逸らすのかね? 何故必死なのかね?
普段からちゃんとしてねぇな、これ。
年頃の女子だろうが! しかも、伯爵令嬢だろう!
その辺、もうちょっと危機感持とうや!
心配事がなくなったからか、既に彼女から物憂げな雰囲気は霧散している。
まあ、元気が何よりではあるが。この子、ホントに大雑把だな……。
私の同期となった学生の内、女子は私を含め四名だ。思ったより居たな、というのが正直なところだ。
……因みに、私は現在在籍する学生の中で、最年少だ。子ども扱いしたら、許さないんだから!(ツン四、デレ六で)
数少ない女子の一人が、マリーさん。
彼女の志望は経済科だそうだ。家が商売を営んでいるので、その販路の拡充や、効率の上昇などを重点的に学びたいらしい。
乙ゲーヒロインという業を背負っているが、強く生きて欲しい。ゲーム期間は、彼女が十五歳から十六歳の一年間らしい。「まだ開始前なんですよォ~」とか泣かれたが、泣かれても私には何も出来ん。
本人「婿入りしてくれる人以外は論外です」と言い切っていた。……王子ルートと、公爵閣下ルートは既に閉ざされている。
それで良いのか、乙ゲーヒロインよ……。陰険眼鏡の攻略とか、行ってこいや。私がちょっと見てみたいから(ゲス顔)。
もう一人は、エミリア・フォーサイスさん。本人曰く『由緒正しい庶民』。家系が五代くらい遡れるらしいけど、どこを見ても全員庶民なのだそうだ。
十五歳の、笑顔が優しい女の子だ。殿下が居ない日には、必ずと言っていいほど私にお菓子をくれる。優しい。いつもありがとう。おいちいよ。
三つ下の妹さんが病気がちだったそうで、良く診療所のお世話になっていたらしい。残念ながら妹さんは既に他界されたそうだが、彼女は最期まで尽力してくれた診療所の人々に強い感銘を受けたそうだ。
当然、志望は医療系。
「あの時もし私が居れば妹は死ななかった!て思えるくらいのお医者様になりたいんです」と微笑んで言っていた。強い口調ではなかったが、意志と決意の強さが伺えた。
ふんわりしたお嬢さんなので、恐らく患者に優しい良い医師となってくれるだろう。
そして最後の一人。イングリッド・エヴァートン嬢。エヴァートン侯爵家のご令嬢だ。
少し釣り勝ちの猫目で、常につんと澄ましているように軽く顎が上がっている。眉も細い山形で、「気ィ強いアピール、キッツ!」てなる。
美人さんで、不二子もハニーも真っ青なスタイルの持ち主だ。……え? 十六歳だよね?と確認したくなる。しないけど。
外見通り、気が強い。別に誰も何も言っていないというのに、周囲の男子を敵視している。ソウイウノ、良クナイネ。
あと何でか、私も敵視されている。おかげで殿下に警戒されている。あと、アルフォンスも彼女を警戒しているようだ。二人とも、ビークール、ビークール。まだ何もされてないからな! この先も何かされるとは限らんからな!
……殿下とアルフォンスを敵に回すとなると、オーバーキルにも程がある。単純な戦力的な意味でもそうだし、権力的な意味でも。
何をそうツンケンしてるのか知らんが、彼女はそこに気付いてほしい。
殿下は実は騎士の位をお持ちである。能力的には、護衛騎士相当というのだから恐れ入る。さす殿だ。
まあ、数少ない女子生徒だ。
皆、仲良く平和に過ごしたいものだ。
* * *
……って、別にフラグ立てた訳じゃないんだけどなー。
我がマクナガン公爵家は、平和主義のお家なんですよ! 諍いも嫌いだし、目立つのも嫌いな、『事なかれ・イズ・ベスト』なご家庭なんですよ!
そのエリザベス・コトナカレ・マクナガンに対して、イングリッド嬢が絡んで来るんすよ……。
ミドルネームが地味に様になってる感。使えんじゃね、この名前!? ダレ〇ガレみたいな感じで。
「ノーマン、あのご令嬢は一体何だ?」
現在はお昼休み。カフェテリアのテラス席にて、王城から持参したお弁当タイムである。
お茶はマリナが淹れてくれた、カモミール・ティー。
イライラしておいでの殿下の御心を鎮めたいですな。
「私にも分かりかねます。一体何がしたいのか、理解に苦しみます」
イラっとした殿下のお言葉に答えるアルフォンスの声も、ちょっとトゲトゲしている。
落ち着こうぜー、二人とも。……殿下、お茶美味しいですよ? おひとつどうです?
あ、マリナ、私おかわりちょーだい。
「エヴァートン侯爵の長女だったか。侯に少々話をせねばならんかな……」
「手配いたしますか?」
確認したグレイ卿に対して、殿下は「ああ、頼む」と即答だ。
今日も仕事が早いっすね! さす殿!
「エリィはなるべく、彼女に近づかないようにね?」
にこっと微笑んで、私の頭をよしよしと撫でて下さる。
ええ、近寄りませんとも、私からは。ていうか、今日も別に、近寄ってなんてないんですがね。
実は授業の後でここへ向かう最中、話題のイングリッド嬢が私にぶつかってこようとしたのだ。……当然、アルフォンスが居るので、私には何の被害もない。
ただ、彼女が故意に私に接触しようとしたのは、誰が見ても明白だった。
それが殿下とアルフォンスの気に食わない部分なのだ。
彼女の狙いは何なのか。
「今のところ、何の被害もないのが幸いだが……。一体、エリィの何が気に食わんと言うのだろうな」
溜息をつかれた殿下に、マリナが力強く頷いている。
イングリッド嬢、何がしたいのか分からんが、やめてくんないかなホント……。殿下もマリナもアルフォンスも怖いから……。
さて、それから一週間。
マリーさんから、「今日はちゃんと窓も鍵も閉めてきましたよ!」と鼻息も荒く報告された。
いや、それ、常識だから。『お出かけは 一声かけて 鍵かけて』って言うだろ、前世から。
大雑把なヒロインはさておき、イングリッド嬢である。
やはり事ある毎に、私に突っかかってこようとしている。殿下のイライラメーターと、アルフォンスの警戒度が爆上がりだ。
マリナに至っては「いざとなったら消しますか」と感情のない声で言ってくる。怖い。
エリザベス・K・マクナガンとしては、穏便にお願いしたい。
御父上である侯爵に、殿下からご注意もなされたらしい。侯爵は真っ青になって震えていたらしい(エルザ・談)。
……どうでもいいけど、エルザが最近、殿下付きみたいになってる。いや、いいけども別に。
殿下専属の暗部に鞍替えしたのかな? エルザが幸せなら、エリちゃんはそれでも良いのよ~。
御父上からの注意がいっているだろうに、それでも突っかかって来る。何がしたいんだ。
という訳で、私に突っかかって来る理由を考えてみようのコーナー。
ゲストは大雑把ヒロイン・マリーさんと、癒し系女子エミリアさんです。お二方、宜しくお願いします。
放課後のカフェテリアのテラスにて、今日も今日とてお土産持参のエミリアさんから貰ったクッキーを摘まみつつお送りします。
あ、殿下は今日は午後から欠席です。
「私が思うに……」
大雑把ヒロインの見解とは!?
「究極のツンデレなのではないかと……」
言ったマリーさんに、エミリアさんが「つんでれ?」ときょとんとしている。
エミリアさんにツンデレの説明を終えたマリーさんは、クッキーを咥えてパキンと前歯で割った。
「ツン九・デレ一くらいの」
「デレ要素、ありました? 彼女に?」
思わず尋ねると、マリーさんは軽く首を傾げた。
「いや、ないっぽいですけど。単に私たちが気付いてないだけかもしれないじゃないですか」
ねぇな。
何、このヒロイン。ポンコツなの?
「恐らくですけれど、エリザベス様に突っかかる事によって得られる『何か』が、イングリッド様にはあるんですよね……」
ぽつっと零したエミリアさんに、私も頷く。
横でマリーさんが「あ! それは私も思ってたんですよ!」としたり顔で頷いているが、どうせ嘘だろう。さっきまでツンデレ説唱えてたくせに。
「えっと、私は由緒正しき平民ですので、貴族の方々の事情などには疎いのですが」
大丈夫、その前置きいらないよ。だって貴女、そこの貴族令嬢ヒロインよりちゃんとしてるから。
「たとえば、エリザベス様を追い落とす事によって、彼女がエリザベス様の座に収まれる……というような事はありませんか?」
「早い話が、殿下の婚約者となれるか……という事ですか?」
「はい」
それは確かにちょっと考えた。けれど、答えは決まっている。
「ありません」
「私がお聞きしても大丈夫な範囲で、事情をお伺いしても?」
ホント、エミリアさんしっかりしてんなー。ポンコツヒロインは「えー、なれないんだー」とか言いながらクッキー貪ってんのに……。
クッキーのカスがスカートに落ちちゃってんじゃん! しっかりしろよ、ヒロイン!
「殿下と私の婚約には、政略があります。つまり、彼女が『私と同じ条件』のご令嬢であるならば、可能性はあります。逆を返せば、そうでない限り、殿下のご婚約者として選ばれる事はありません」
「ではイングリッド様は、その『条件』を満たされていない訳ですね」
「その通りです」
殿下と我が家の間にある『政略』とは、『可も不可もない』という、一見どうでも良さそうで、けれど意外とそうでもないという難しいものである。
娘が王家に嫁す事により、誰も損をしなければ、得もしない。
我が公爵家は権力欲のない事で有名で、実際家人の誰にも権力欲の強いものはいない。娘が王妃になろうと、たとえ神になろうと、それを笠に何かしようなどとは考えない人々だ。
そして積極的に閥などを囲わない為、それを推す者もない。
貴族社会にあって、非常に特異な家柄なのだ。
対して、エヴァートン侯爵家はそうはいかない。誰か利を得る者があり、誰か損を被る者が居る。
「イングリッド様ご本人は、そういった事情をご存じなのでしょうか。それによってまた、話は変わってきますが……」
そうなんだよねー。
殿下と私の婚約が『政略的なものである』という事は、恐らく誰もが知っている。でもその中身まで知ってるかって言うとねー……。
御父上の侯爵は知ってるだろうけど。
「愛のない結婚なんて、間違ってますわ! みたいに、勝手に盛り上がってる可能性がある……って事ですか?」
「それが一つですね。もう一つは、エリザベス様とのご婚約が『政略』であるならば、イングリッド様とも『政略』でご婚姻なされても良いのでは……とお考えになる可能性です」
うん、そうなるよね。
……しかし、伯爵令嬢である筈のマリーさんより、エミリアさんの方が話し方とかしっかりしてんな……。
「更なる可能性としましては……」
ちらりと、エミリアさんが私の背後を見た。
今日は会話が届かない程度の距離を開け、我が護衛アルフォンス君が控えている。
「あちらの騎士様も、狙っておられるか」
マリーさんが、はっとしたように私を見た。ちょっと怖いよ、顔。
「分かりました、エリザベス様! これが世に言う『ヒロインムーブ』ですよ!」
……えぇー……。
何か変な事言いだしたぞ、このポンコツ。
「勝手に悪役を仕立てて、『虐められる可憐な私』を演出! そしてそこにホイホイされる攻略対象! どうですか!?」
うーん……。
ていうか、彼女のやってる事ってさぁ……。
「どちらかというと、『悪役令嬢ムーブ』では?」
ハッ!?じゃねぇよ、マリーさん。
「ヒロインムーブ……とは……?」
不思議そうな顔になったエミリアさんに、マリーさんが乙女ゲームだの転生だのを伏せ、『物語のヒロインになりきってお話を進めようとする痛い女子』という感じで説明している。
マリーさんのちょっと要領を得ない説明に、それでもエミリアさんは納得したように頷いた。
「でもそれなら確かに、エリザベス様の仰る通り、『悪役令嬢』の方がしっくりきますけど」
だよねー。
「あと私、『エリザベス様を追い落として得られる物』、一つ分かったんですけど!」
はいはいはい!と手を挙げつつ、マリーさんが言った。
いいから、落ち着け。
「エリザベス様が居なくなったら、学院のアイドルの座を奪えるんじゃないかとか、思ってんじゃないですか!?」
……あ?
また、訳分かんねぇ事言い出したな、このポンコツ。
いや、エミリアさんも「確かに……!」じゃないからね?
え、何? この子のポンコツ、伝染すんの? やだ、何それ怖い。
こうして、第一回女子会議は幕を閉じた。
……エミリアさんが持ってきてくれたクッキー、殆どマリーさんに食われた……。悲しくなんてないやい!
小説などではよく、ヒロインが悪役令嬢に虐められる場面がある。……まあ、小説だと大体が花畑による自演だが。
ドレス破くとか、教科書破くとか、すれ違いざまに嫌味言うとか……。
……なんかどれもこれも、別にダメージなくね?
あと、上履きを隠されるってのも見た事あったけど、「この世界の学校、上履きに履き替えるんだ……」ってとこで衝撃を受けた覚えがある。ちなみにここスタインフォード校は、上履きなどない。というか、下駄箱がない。
もう一つの定番が階段落ちだが、小学生レベルの嫌がらせから、一気に殺意が上がっててビビる。
私が校内の階段を上り下りする際には、常に殿下が背を支えていてくれる。……優しさ、なんだろうけど……。落ちないように見張られてる感がすごい。殿下が心配してくれてんのは分かるけども!
下駄箱ないし、ダンスの授業とかないからドレスもないし、置き勉しない性質だから机に教科書も入ってないし。
階段は殿下が鉄壁のエスコートしてくださってるし。
通常の悪役令嬢ムーブなら、さして警戒する必要もなさそうだな、と思った。
まあ、彼女の目的が悪役令嬢ムーブとは限らないんだけども。
七月も半ばを過ぎ、大分夏らしくなってきたある日。
授業の合間の休憩時間に殿下とお話をしていると、エミリアさんがやってきた。
今日は殿下いらっしゃるから、お菓子の日じゃないよね?
「失礼いたします。エリザベス様、こちらを……」
それだけ言うと、畳んだ小さな紙片を机の上にすっと置き、一礼して席へ戻って行った。
なんじゃらほい?
畳まれた紙片を手に取ってみる。メモ用紙か何かを四つに畳んだものだ。カドがきっちり揃っていて、エミリアさんの几帳面さがうかがえる。
恐らくあのポンコツヒロインなら、もっと適当に畳むだろう。
「何だい?」
隣で殿下も不思議そうな顔をされている。何でしょうね?
開いてみると、エミリアさんの綺麗な文字が並んでいた。
『目標が”どうしてエリザベスは居なくならないのよ。私の方が絶対に相応しいのに”と呟いているのを聞きました。恐らくは3番です』
「……エリィ、これはどういう意味?」
ヒッ!? 殿下のお声が地を這ってらっしゃる!!
隣を見ると、殿下がにこにこ笑っておられた。……いや、笑顔、めっちゃドス黒いんすけど……。
別に悪い事をしている訳ではないのだが、何か言い訳をしたい気持ちにかられる。
いや、マジで、何も悪い事とかしてないんだけども!
「えっと……」
しかし、何から説明したら良いやら……。
そんな風に思っていると、始業の鐘が鳴った。
「後でね、エリィ」
逃がさねぇぞ、という笑顔ですね。分かります。
こくこくと頷くと、殿下は小さく笑って前を向くのだった。
「さて、話を聞こうかな?」
現在地は、殿下のお部屋の近くの庭園です。ええ、終業後、城へ真っ直ぐ連れ帰られましたよ。
殿下、お仕事は?と聞きたいが、怖くて聞けない……。
エリちゃん、長いものに巻かれる主義だから……。
「以前より、エミリアさんとマリーベルさんと、話をしていたのです。イングリッド様の目的は何なのだろうか、と」
「ふむ……。こちらでも探ってはいるが、まだ確証はないな」
やはり探っておいででしたか。
エミリアさんは「殿下にお任せになるのが最善では」と言っていた。ホント立派よね、君!
で、あのメモだ。
『3番』というのは、私たち女子会議における符丁だ。
1番は『殿下(王妃の座)狙い』、2番は『アルフォンス狙い』、3番は『全部取り』、4番は『学院のアイドル狙い』である。正直、4番は何なんだ……と思っているが、マリーさんが「なくはないですから!」と譲らないので入れてあるだけだ。
「……成程」
こういう事で~と殿下にお話したらば、殿下は溜息をつきつつそう仰った。
そしてにこっと微笑むと、私の頭をぽんぽんと撫でた。
「後は私に任せてもらえないかな? エリィは彼女に関わる必要はないから」
ね?と微笑む殿下に、頷く以外の選択肢はない。
はい、と頷くと、殿下は「ありがとう」と私の手を取り指先にキスされた。
ひゃー! 最近、殿下ホントにこういうの多くないっすか!?
その三日後、イングリッド嬢の退学の通知が、学内の掲示板に張り出されていた。『以下の者、入学試験の不正発覚により、除籍とする』だそうだ。
ひえー……。
何したんすか、殿下……。
殿下にお任せすると、乙ゲーが始まらないという事だけは分かった。
何たる安心感……。
しかし乙ゲーだったとして、今の私、何ポジションよ? ヒロインポジとか、超絶いらねんだけど。
* * *
「殿下、エリザベス様、おはようございます」
笑顔で会釈してきたエミリアさんに挨拶を返す。殿下も「おはよう」などと挨拶しておられる。
エミリアさんの笑顔は癒されるね。
イングリッド嬢の悪役ムーブのおかげで、クラスにたった三人しか居ない女子の結束が強まったのは良かった。どうせなら仲良くしたいもんね!
「エリザベス様に先日お薦めいただいた本、読んでみました。とても興味深かったです!」
にこにこ笑顔のエミリアさんに、お役に立てて何よりです、と答える。
由緒正しき庶民であるエミリアさんは、これまで余り学術書などを読んだ事がないらしい。まあ、ああいうの高価だからね。
そこで、とりあえず三冊程度、私が読んで興味深かった医療関係の本をお薦めしておいたのだ。
全て学院の図書館にある事も確認済みだ。
「またよろしければ、何か面白い本を教えてください」
「はい。構いませんよ」
医療関係、それほどの引き出しないけど。
まあ、とっかかりさえ作れば、彼女ならその先は自分で進めるだろう。
エミリアさんは殿下と私にぺこっと会釈をすると、自分の席へと移動していった。
「彼女は、医療関係志望だったかな」
「はい。きっと良い医師になると思っています」
何しろ、向上心がすごい。見習いたいくらいだ。
「王太子殿下、エリザベス様、おはようございます!」
また声をかけられそちらを向くと、我らがポンコツヒロインが笑顔で立っていた。
エミリアさんの笑顔がふんわり癒し系としたら、彼女の笑顔は気が抜ける脱力系である。……時々、この子が乙ゲーヒロインっていうの、『自称』なんじゃね?と思う。
女子力もヒロイン力も足りなすぎねぇか? それとも、昨今の乙ゲー界隈では、そういうヒロインが流行っていたりするのだろうか。
「……ところでマリーさん、スカートに何か、染みのようなものがありますが……」
すげー目立つ訳でもないけど、全然気付かない訳でもない……くらいの、絶妙な大きさの茶色い染みがある。
指摘すると、マリーさんはその部分を隠すように、手でぎゅっと握った。
「これは……その……」
言い辛そうに僅かに顔を伏せるマリーさん。
もしや乙ゲーヒロインとして、嫌がらせでも受けてるのか!? ……ないだろうけど。
「朝……食堂でコーヒーを零してしまい……」
クッ……、じゃねぇからな!?
「着替える時間もなく、泣く泣くそのまま……」
私以上に、女子力どこに落として来た!? 日本海溝あたりか!?
「……洗ってきたらいかがです? マリナ」
「はい」
マリナは頷くと、マリーさんに「染み抜き、お手伝いいたします」と声を掛け、教室を出て行った。
殿下は「すごいご令嬢だな……」と、少し言葉を失っておられる。あの子多分、前世からああいう感じなんだろうな……。
折角の乙ゲーヒロインなんだから、女子力磨けよ……。
ふと教室内を見ると、エミリアさんは『一般教養の主』である主先輩と楽し気にお話をしている。
どうやらエミリアさんは彼が好きらしく、周囲の空気までもがキラキラしている。
マジで、『ヒロイン』てエミリアさんの間違いなんじゃねぇの?
キラキラした可愛らしい笑顔のエミリアさんを見て、そう思うのだった……。




