とある商人
私はそれなりに有名な商人だ。元々は隣国で生まれ、そこで商売をしていたのだが、この国でも成功するチャンスを掴めた為、二つの国を行き来してかなり忙しい生活を送っていた。そのおかげもあってこの国での仕事も大成功を収めることができ、一気に大富豪へと成り上がる。私はそのことにとても満足していた。
お金を稼げたことより、自身が成功を勝ち取ったことへの達成感。それこそが私は喜ばしかったのだ。
しかしその成功という蜜ばかり見ていた私は、虫よりも愚かだった。そればかりに気を取られて、重要なことを見ることが出来ていなかったのだ。隣に居て欲しかった妻や子供たち、そしてそれを襲おうとする背後からの脅威。一つたりとも私は気にしていなかった。
結果、私は失ってしまう。故郷の国が魔王の手勢に攻め込まれ、妻も、息子も、守るべきものを全て奪われてしまったのだ。
気付けたはずだった。私には多くの人脈がある。有り余るほどの金がある。そして、情報を精査する能力がある。足りなかったのは、本当に大切な物を認識することだけ。
私一人で国を救えたなんてことはありえない。だが、家族というかけがえのないものを安全な場所に送るくらいは出来ていただろう。
しかし前しか向かず、振り返ることのなかった愚かな私にはそれが出来なかった。故郷の国が魔王に滅ぼされたと聞いた時には、もう何もかもが手遅れだ。
始めは少しの希望を胸に、亡命した少数の人々の中で私の知り合いがいないか探した。しかしどれだけ待っても家族は愚か、顔見知りでさえ見つからない。それほどまでに生き残りは少なかった。後悔し、時を巻き戻してほしいと何度祈ったか。結局そんなことは現実逃避にしかならないというのに。
気付いたら、私は生きる意味を失っていた。仕事なんてものは魔王の影響で全て破綻。元より働く気力はもう残っていなかった。
そんな廃人状態でしばらく過ごしていた私の胸に、ある感情が生まれる。それは真っ黒な憎しみだ。私に不幸が舞い込んだ全ての元凶。魔王への憎悪だった。
しかし私には財力と知力はあったが、武力なんてものは持ち合わせておらず、最低限の護衛兵くらい。金で強者を雇い入れることも考えたが私ごとき、一般人にしては金持ちというだけ。国や貴族様でさえ対応を考えなければならない魔王を倒すなど到底不可能。
憎しみだけが募っていき、狂ってしまいそうだった。そうして月日が過ぎていくのをただ眺めるだけになった私に、ある情報が入る。
それは魔王を討伐する勇者を決めるという話だ。この国で最も強き者を最大限支援して、その人に魔王を倒してもらうということだった。私は、数で対抗出来ないということを隣国が証明してしまったが故のやけくその策に思えた。
しかし興味はそそられた。復讐心しか頭に残っていなかった私にとって、最後に縋れるものだったのだ。
そうして大会を観戦することになったのが、転機となる。
「正体不明のダークホース。ここまでどんな男も瞬きの内に仕留めてきた小さな剣士ルナン。一撃必殺の剣技を今日も見せてくれるのかあ?」
大会を盛り上げる為、声を張り上げて紹介されているその少年こそが、その時の私にとっての生きる意味だった。
最初に見た時は驚いた。こんな小さな少年が魔王を倒そうと大会に参加している事に。明らかに相手より一回り小さかったのだ。
どうなるのか緊張して見守っていると、なんと少年は腰に付けている黒い剣を一振りするだけで相手をなぎ倒し、勝利してしまう。
息子と同じくらいの年齢だろうと推測して勝手に重ねて見ていた私にとって、それはとんでもない衝撃だった。この少年が魔王を討ち取るところを夢見てしまうほどだ。
応援する理由はそれだけで十分だった。私が心配するまでもなくどんどん勝ち進んでいって、その少年はとうとう決勝戦まで無傷で勝ち上がってしまう。
まさしくその姿は奇跡。魔王を討伐するならこの子しかいないと思っていた人は少なくないだろう。
そして決勝戦。いつものように攻撃することを待ち望んでいたが、その状況はなかなか来なかった。
「さすがに騎士団長には今までのように勝てないのか」
周りで見ていた観客からそんな声が上がる。しかし、私にはそうは見えない。何かを待っているような。そんな余裕さえ感じられる動きだ。
そうしてどのくらいの時間がたっただろうか。私たち観客でさえ何かがおかしいことを察する。防戦一方だと思われていた少年よりも、騎士団長の方が息が上がり始めたのだ。
そして会場の空気が変わったのを察したかのように、少年が武器を手に持った。その顔はどこか晴れやかだ。やはり、手加減していたのだろう。
「全力を出し尽くせたか? もう満足出来たか?」
高らかに、大きな声で言ったその質問が私たちにも聞こえてきた。観客たちも自体を理解したようだ。
その後は直ぐに決着がついた。少年の圧勝。ここは今までと同じように剣の一振りで一発勝利だ。勇者の称号。魔王討伐の旗印が誕生する事に、会場は大きく沸き立つ。
しかし、そんな大盛り上がりの中でも、観客の大勢の中に謎が残っていた。何故相手の全力を出させる必要があったのか。例えば少年の性格がねじ曲がっていて人が必死で攻撃しているのを見ることが好きだとかならあり得るが、これまで一撃ですぐ終わらせてきたことからそれは否定される。
ならどうしてなのか。しばらく考え込んで、一つの可能性が思い浮かぶ。彼はきっと、騎士団長に満足させてあげたかったのじゃないだろうか。
騎士団長はこの国の為にずっと戦ってきた正義の騎士だ。魔王討伐もきっと自分の手で行って、この国の安全を守りたかったに違いない。そしてそれはこの国に住んでいるあの少年も知っているだろう。
だからその騎士団長が本心から魔王討伐を託せるように、全力を一度受ける形で試合を進めた。騎士団長も心なしか終わった時は満足げだったように見えたから間違いない。それにわざわざ長引かせる理由なんてそれ以外にはないのだ。
その考えに至った時私は思った。小さいながらもなんて思いやりの詰まった人間なんだと。まさしく勇者だとしか言いようがない。
既にあの少年の親気取りになっていた私は、直ぐにその考えを広める。元々人気だったこともあり、凄い勢いでその話は伝わっていった。
そして期待は膨らんでいき、王からの正式発表が行われる広場には人々が溢れかえっていた。そのくらい勇者となる少年は光だった。私にとってもそれ以外の人にとっても。
その発表式が終わった時、私は涙が止まらなかった。私にはとても語れないような高尚なものだったからだ。あの少年、いや勇者様はきっと、私と同じように大切な人を無くした経験があるのだろう。だから、他人の犠牲を惜しむことが出来る。
勇者様は大切な人を無くしても、他人を思いやる優しさ。どれだけ大きい脅威に対しても立ち向かえる勇敢さが無くなることはなかった。
私も行動しなくてはいけない。失ったものを悔やむことも時には必要だ。だが、私は十分苦しんだ。家族を忘れることもない。だから前を向いて行動することを、空の上で私の大切な息子たちも望んでいるだろう。
決めた。魔王に怯える人々の為に。そして何よりあの偉大な勇者様の為に。まずは組織を立ち上げよう。私と同じようにあの勇者様に感化されていた仲間と一緒に。私の有り余る金の使い時は今しかない。
ああ勇者様。少しでも貴方を援助するために、私は行動していきます。