君の最後の夏、僕らの最初の春
時は8月の上旬。
蝉が鳴きてはその命を散らす今日この頃。
「……はぁ」
1人の少年が金色の楽器を片手に教室の隅にある椅子に腰掛け、ため息を1つ発する。
彼は思い悩んでいた。
彼の名前は朝霧優希。
私立奏高校2年の恋する乙女系男子である。
彼の外見は中の下。茶色がかった髪に無気力そうな目。少し緩んだ口元。
背丈は160後半。背筋はよくはない。力は人並みより少しある程度。学力はそこそこ。
これを聞いて最初に思う印象はなんだ?
そう。パッとしないのである。
うわぁ、かっこいい!などと騒がれるほどイケメンでもないし、うわぁ、ないわぁ……と言われるほどなくはない。
即ち個性が薄いのだ。
趣味は読書、テレビ鑑賞、ゲーム。友達は優しげな奴らばかり。部活は吹奏楽部。悪ぶることもなく通常平凡そのもの。
…………はぁ、少しはどうにかしろよ。このステータス。
とでも言ってやりたい。
……だが、彼には隠している趣味が……!
なんてこともなく、面倒臭いほどに平凡そのものであった。
そんな彼が恋したのは部活の先輩の色咲 沙奈である。
色咲は美人の多い吹奏楽部の先輩陣の中で上から2、3番目くらいの美少女だ。
黒い髪を肩より少し下くらいまで伸ばし、顔は厳しめではなく優しそうなゆるい目とふわっとした口元が色咲の優しそうなオーラを引き立たせている。
胸は小さく背筋は綺麗に伸びていて、清楚な印象を受ける。
背丈は160前半。朝霧とはいい勝負だろう。
学力は中の上。運動は苦手である。
決して完璧過ぎない。それが彼女の魅力なのだ。
高嶺の花子さんは最近の男子高校生は欲しがらない。
少し隙があるくらいが狙い目なのだ。
故に男子からは大好評。
だが、彼女に告白した奴らはみんな死んだ魚の眼をして帰ってくる。
そして、友人を見つけて喚き出すのをよく目にするらしい。
色咲は告白された際に決まって言うことがある。
「私、今は付き合えません」
その『今』が一体いつまでなのか?
それが朝霧のことを一層悩ませていた。
ーーー
気づけば朝霧の見る空は暗くなり始めていた。
「……あ、そろそろ帰らないと」
ボソッとそう呟く。
今は6時半。早くトランペットを戻さないと楽器室が閉まってしまう。
朝霧のやっている楽器はトランペットだった。
実力は中学からやっていることもありそれなりに上手だった。
入った当時は先輩から上手い、上手だねとすごく褒められた記憶がある。
朝霧は中学でやっていたからという理由で、
「もう朝霧君はトランペットパートなのは多分確定だから2年生と練習してていいよ」
ということを体験入部2日目に言われ、2日目からはもうほぼ本入部状態で部活が始まった。
そこで出会ったのが色咲であった。
色咲もトランペットパートで彼女は小学校の頃から習っていたこともあり人を魅了する音を出すことができ、3年からも一目置かれる存在だった。
そして朝霧は弾くのは得意だったが楽譜を読むのが苦手であった。
それにより音源がない時はトランペットの先輩に聞くしかなかったのだ。
もう1人の先輩は朝霧よりかは実力不足で聞く時は全て色咲に聞くことになってしまうのは必然だったと言えるだろう。
色咲は教える時とても丁寧に親身になってくれた。
そして何よりわかりやすく、わかるまで教えてくれる。
そして1年の時間を掛けて、朝霧に幼い恋心が芽生えたのだ。
話すだけで鼓動が高鳴る。
彼女の全てが魅了的に見えて仕方がない。
それが朝霧の恋路の始まりだった。
「ああ、早く楽器を戻さないとな」
来週は年に1回のコンクールだ。
そして、色咲にとって最後のコンクールなのだ。
朝霧はどうしても金賞を取って3年、いや色咲のために金賞を取りたいのだ。
奏高校は今まで金賞を取ったことは何回かある。
だが、最近は銀賞ばかりなのだ。
「……色咲先輩のために、どうか金賞を……」
「私がどうしたの?」
びくっ!!と朝霧の体が跳ねた。
気づくとドアが開いていてそこに朝霧の憧れの女性である色咲が立っていた。
「ほら、もう楽器室の鍵閉めちゃうよ?」
「は、はい。すぐに片付けます」
「練習熱心なのは良いけどコンクール前に体調崩さないようにね」
「大丈夫ですよ。体だけは強いですから」
朝霧はそう言って胸を張る。
「そんなこと言う人ほどお腹とか下すんだよ」
そう言いながら色咲は出席簿で朝霧の頭をポンっと軽く叩いた。
「はい。気をつけます」
「よろしい。ほら、早く楽器戻してきて」
「わかりました」
このやりとりが朝霧にとって最高の時間だ。
お互い気を使わず話し合える友達のような関係が朝霧にとって理想的だった。
そうして楽器室に戻ってトランペットを戻した。
「そういえば、朝霧君」
「どうしました?」
「朝霧君は大学どこ行きたいとかあるの?」
「えー……っと、今の所は決まってないですね」
「そっか。早めに決めて置かないと受験落ちちゃうよ」
「そ、そんな不吉なこと言わないでくださいよ」
「私だって大変なのに」
そこで朝霧はふと思った。
「先輩はどこの大学に行きたいとかあるんですか?」
「もちろんあるよ。というかないと受験出来ないし」
「どこか教えてもらえたりしますか?」
「え〜、どうしようかなぁ」
色咲は悩むようなそぶりをする。
ああ、可愛い。
朝霧はそんなことをぼーっと考えていた。
「そこをなんとか」
「秘密。まだ教えないよ」
そう言うと朝霧は外に出ると色咲は鍵を閉めて職員室に向かい、帰路を別れた。
ーーー
(先輩、どこの大学行くのかなぁ)
家に帰りベットに寝転んだ朝霧はそんなことを考えていた。
「メッセージで聞こうかな……?」
だが、その手を止めた。
(しつこく聞くのは悪いか……)
そうするとスマホをベットの隣の机に置く。
「ほら、優希!ご飯できたから早く降りてきて!」
「はーい!姉さん!」
朝霧は足早に階段を降りて行った。
そうして飯を食べ終わると朝霧は風呂に入っていた。
「……はあぁ〜」
湯船に浸かりながら親父みたいな声を上げる。
1日の疲れが取れて行くのを感じた。
そうだ、告白。
ふと朝霧は思い出す。
朝霧は決めていることがあった。
この夏、色咲に告白すると。
やっと腹決めたかこの野郎、と言われると思うがこれが彼にとっての精一杯の覚悟だった。
だが、なんと言えば良いのだろうか……。
切実な悩みである。
告白なんてものは意志を込めれば込めるだけ成功率は上がるかもしれないが、振られた時のショックはでかいものだ。
故に朝霧は意志を込めることを怖がっていた。
(……でも、本当になんて言えば良いんだろ………)
風呂に浸かりながらそんなことをぼーっと考えていた。
その後のぼせることになるのは当然の結果だったといえるだろう。
ーーー
コンクールの日が近づくに連れ、朝霧の帰宅時間は遅くなっていった。
ただでさえ大変な合奏練習の後に朝霧はわざわざ残って自主練を積んでいたのだ。
「……音源通りに行かないな」
片耳にイヤホンをはめてスマホで音源を流しつつ戻して止めては同じところを練習する。
楽譜が読めない朝霧にとってやれることはこれしかなかった。
そもそも先生の指揮の振りが悪いんだ、
あんな指揮の振り方じゃ見てる側が反応しきれないじゃないか。
あのままだとコンクールの曲の指定時間を越えちゃうのに……。
吹部の顧問の教師はもとクラリネット奏者であった。
それにより音楽教師になったのだが、奏でられれば指揮が上手いかと言われるとそうでもないものだ。
決して悪い教師ではない。
だが、指揮と音楽のズレには敏感なのだ。
そこが厄介なのである。
彼の指揮は少しずつ遅くなってしまうからだ。
「また音楽が走ってるだろう!もう一回だ!」
そんなことを言って同じところを何回も繰り返す。
その時間があればもっと他のところを個人で強化した方がいい。
そして、今日も合奏後の個人練である。
だが、今日は朝霧の目の前の席に色咲がいる。
彼女も残り3日という時間の中で「一緒に練習したい」と言った。
朝霧は断ることなどできるはずもなく2人で練習になったというわけだ。
「そういえば朝霧君。しっかりコンクールの1週間後の夏祭りの曲練もしとくんだよ」
「はい。それなんですけど、ここがわからなくて……」
「見せて」
夏祭りの曲練とは、コンクール後の町内祭りで演奏がある。それの練習である。
曲は比較的簡単なものですぐできる。
だが、その夏祭りの合奏が3年との最後の演奏になる。
だから、朝霧はそこで色咲に告白をしようと考えた。
夏祭りの合奏の後は自由時間になる。
その時に、自分にできる精一杯の告白をするんだ。
朝霧はそう決めたのだ。
そして、色咲は説明を一通り終える。
「……わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ」
そんな会話を交わして、朝霧は席に戻る。
そうして、時間は過ぎ去って行った。
ーーー
辺りも暗くなり、時間は最終下校時間を過ぎた。
「……そろそろ帰りましょうか」
朝霧はそう言うと席を立ち楽器を片付けに向かおうとする。
「ねぇ、朝霧君」
それを呼び止めたのは、もちろん色咲であった。
「は、はい!」
びっくりしたように朝霧は色咲の方を向く。
「この後、時間空いてる?」
清純高校生、朝霧の脳内は爆発した。
(え?あ、あれ!?それって、それってどういうこと!?)
ショートしそうなほどの思考が回る。
「え、ええと、空いてますけど」
「あのさ、ちょっと来て欲しい場所があるんだけど」
その台詞を聞いた朝霧の脳は飛んだ。
「はい。どこへでも」
「いや、結構近場のところなんだけどね」
そう言うと色咲は、学校の外に出て手招きをする。
(あぁ、可愛い)
朝霧は呑気にそんなことを思っていた。
そうして、朝霧と色咲は2人で少し暗い夜道を歩く。
夏だから、まだ少し明るく夜道と呼ぶにはまだ空は赤い。
ただ2人は無言で、しかしその無言は重くなくどこか暖かさを感じるものだった。
朝霧はこの空気を堪能しながら、この時間を大いに楽しみ、色咲はその空気に対してホッとした感情を抱きながら、夕日が傾いていくと共に2人もゆっくりと、しかしてどこか足早にその場所へと向かった。
「ここを、登ったところ」
色咲は上を指差した。
指差す先には石でできた階段がある。
「……ここがどうしたんですか?」
「いいから、おいで」
色咲は誘い気な笑みを浮かべて階段をテンポよく登り始めた。
それにつられるように朝霧も階段を登りだす。
少し長い階段だ。
周りには木々があり、昼に来ても涼しいだろう。
故に、夜には少し肌寒い。
そんな階段の道を2人はリズムよく登って行った。
階段を登る音以外は何も聞こえない。
まるで、2人以外に誰もいないかのように。
「……ほら、ついたよ」
そして、その2人きりだった世界は登りきった瞬間に広がる景色により、現実に引き戻されるような感覚と、どこか非現実的な感覚でいりまじる。
「……うわぁ………」
夜景、である。
とても美しい夜景だ。
地上に光る、星ほどある灯。
空を見れば、正真正銘の星。
「ここはね、地上と空の星。その中間の場所なんだ」
色咲は少し自慢気に言った。
朝霧は、その景色に圧倒された。
どこまでも広がる地上の星と、空には延々と映される空の星。
その2つは、朝霧の心を打つ。
そして、色咲はその朝霧の表情を見ると満足そうに頷いた。
「綺麗でしょ?」
「……はい、とても」
「ここはね、私が小さい頃からよく来る場所なんだ」
「そうなんですか」
「ここで演奏するとね、凄い元気が貰えるんだよ」
すると、色咲は話を始めた。
「私ね、少しトランペットに行き詰まってたことがあってね」
「え?」
「実は、トランペットでの演奏に自分で納得できなくてね。中学最後とかは休んでた時期もあったんだ」
その言葉を終えると、色咲は2つの星を見つめながら感慨深い顔をした。
「でも、ここに来たときにね。『悩んでるなんて、下らない』って気づいたんだ」
そうすると、色咲は朝霧の方を向いてこう言った。
「ねぇ、朝霧君。知ってる?」
「はい?」
「星ってね、追いかけても追いかけても届かないんだよ」
「……そうですね」
果たして、この言葉が正解だったのか。朝霧にはわからなかった。しかし、色咲は止めずに続けた。
「届かないものに手を伸ばし続けるって、無謀だって思う?」
「えー、と」
朝霧は言葉に詰まった。ここはなんて答えるのがいいのだろうか。それもあるが、彼の中で答えはできっていなかった。
「私は、凄いロマンがあると思うの」
色咲は空の星を眺めてそう言った。
「届かないものって、届きたいものなんだよ。欲しくてたまらない、手に入れたいって思う。それでも、永遠に手に収まるものじゃない」
そして、色咲は最後に策によりかかって、朝霧の方を向いて笑顔を見せた。
「だからこそ、追い求めたいじゃん?手に入らないものでも、言葉にすれば、きっとそれは形になる。偉い人だって言ってることだよ」
色咲はニコリと笑いながら朝霧の方を向く。
その顔は、星に照らされて影もありながら、意志の強い笑みだった。
「だから、ここは私の思い出。私の成長を常に助けてくれた、大切な場所」
「………」
その言葉を聞き、朝霧はまた彼女に恋をする。
赤い実が弾けるように、また彼は1人の女性に想いを向ける。
「あと、夏祭りはここで花火を見るといいよ。人とかいないし、ゆっくり見られるから」
「へー、穴場なんですね」
「そうだよ。誰か女の子でも連れてゆっくりすればいい感じの雰囲気になること間違いなしだね」
その言葉を聞くと共に、何も飲んでいないのに朝霧は吹き出してしまった。
「ど、どうしたの?やっぱり寒い?」
「い、いえ。くしゃみじゃないです」
少し不安そうな顔をした色咲だったが、朝霧は大丈夫です、と伝えるように笑うとすぐにその表情を直す。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい、帰りましょう。駅まで送ります」
「あ、本当?ありがとう」
色咲は笑いながら階段を降り始めた。
朝霧は、この場所をしっかりと覚えた。
(ここに、夏休みの花火を見に2人で来よう)
ここで、彼は決心する。
告白する。ここで、告白するんだ。
ーーー
時とは、足早に過ぎ去って行く。
1週間全力で走り、やってきたコンクール当日。
「いよいよだね」
「そうですね」
バスの中で揺られながら、2人は会話をしていた。
座席はたまたま隣。というわけではなく、たまたまとは違う。
座席は指定制で同学年は端数なので1人溢れる。
そして、それは色咲の方も同じであった。
「朝霧君、私と隣でも大丈夫……かな?」
色咲は同学年の女子(女子しかいないが)に「朝霧君と曲について話しながら行ったら?」と言った影響で色咲の意見を取り入れる前に決められてしまった。
「……やっぱり緊張しますね」
「そう?私はあんまり緊張はしてないかな」
朝霧は、それはそれは酷いほど緊張していることだろう。
何故なら好きな人の最後のコンクールだ。
どうにかしてでも金賞を取りたい。
意思など彼女に伝わらなくとも、金賞という実績をどうか、彼女に渡したい。
たとえそれが彼の自己満足だとしても、彼の気持ちが伝わらなくとも。
対して色咲の方は緊張などまったくしていない。
緊張するだけ、ミスが増えるとわかっているからかかもしれないが、そういうわけでもない。
彼女は、あまり不安に思っていない。
そして結果にもあまりこだわりを持たない。
しかし、仲間を疑っているわけではいっさいなかった。
それは、彼女が人の努力を疑わないからである。
実りのある努力をしてきたと、仲間を信じているからだ。
それは、朝霧に対しても同じ信頼を抱いている。
「ねぇ、朝霧君」
「はい、どうしましたか?」
色咲は、ふと朝霧に声をかけた。
「実はね、私、今日で部活引退するんだ」
「………え?」
何故、このタイミングで朝霧にそれを伝えたのか。
それは、色咲が彼を信頼するから、だからこその行動だった。
彼女は、この話を大切な人間にしか話していない。
そしてそれを今話す理由。
それは彼女の臆病が響いたのだ。
本来はあの場所を教えた時に話す予定だった。
ただ、彼女は恐れたのだ。
そして、その臆病は朝霧を混乱へと導く。
(そ、そんな……。先輩が夏祭りに来なかったら、告白……できない………?。……というか、じゃあ今日が先輩との最後の演奏……?)
だが、その考えが脳に浮かんだと共に彼の意識は不安からスイッチが切り替わった。
(……絶対に、金賞を取らなくちゃ。そして、金賞をとったら、今日、告白しよう)
そう決めると自然に緊張で固まっていた体がほぐれ、熱が回ってきた。
全力で誰かのために戦おうと決心した男は、強い。
その強さで、絶対に色咲先輩のために俺は戦うんだ。
彼は心に言い聞かせる。
不安な心を捨て、何も考えず朝霧は全力を尽くすと決める。
そして色咲は、ただ素晴らしい演奏をできるようにモチベーションを上げる。
そんなことをお互い考えながら、他愛のない会話をする。
それは、朝霧にとっては緊張をほぐすもの。
色咲にとっては、モチベーションを上げるためだ。
バスは彼らをゆらしてゆっくりと、それでも時としては早く目的地へと運んで行く。
そうして時間を本番へと運び、待機室に入り部員は音出しを始めていた。
だが、待機室であまり楽器は鳴らしすぎない方がいい。
それは舞台上で楽器の温度が上がってしまい、チューニングが狂ってしまうからである。
しかし、この考えを持っているのは色咲と朝霧だけである。
ちなみに、この方法が正解というわけだはない。
個人の解釈である。
朝霧の音は、悪くない。
本調子とも言えないが、決して悪くはない。
曲の最高音は普通に出る。
だが、高音を保つのが少しきつい。
流れるようには出ない。
しかし、そこで音を出しすぎるのはよろしくはない。
軽く基礎練をすると、曲の一部を抜き出して吹き終えて楽器を下ろした。
色咲の音は、絶好調だ。
素晴らしいほど本調子。何も文句の言いようがないくらいにいい。
この曲には、彼女のソロがある。
楽譜に乗っているように演奏すると、恐ろしいくらいにスラスラと奏でられる。
(これなら……)
色咲は、モチベーションを最高まで持ち上げた。
そして彼女は楽器を下ろした。
「私立奏高校、吹奏楽部のみなさん。そろそろ本番ですので舞台裏までお願いします」
黒いスーツを着た担当の人がそう言うと、吹奏楽部の部員と顧問は素早く準備を整え、舞台裏に向かった。
その時の朝霧は、緊張をしてたまらなかった。
あれだけ大口を叩いておいて、なんなんだこいつ。
と、思うかもしれないが。
やはり本番。一回きりの大切な本番へと向かう彼の心は、やはり気がおかしくなりそうなほど緊張する。
それを抑えようと深呼吸を歩きながらしてみるが、なかなか静まらない鼓動。
ぽんっ。
ビクッ、と体が動きその肩に乗った手の主を見る。
「緊張しすぎだよ?ほら、リラックス!」
色咲の笑みが、朝霧の眼に映る。
すると自然と肩の力が抜けて、笑みが浮かぶ。
「……そうですね、緊張しすぎてました」
「うん。朝霧君、頑張ろうね」
「はい!」
そんな会話をする。
ただ、何も考えずに交わす言葉はどこか優しく、そしてその緊迫感を忘れさせるようなものだった。
それは、この仲の良い2人だからこそできるもので、この2人だからこそ、その時間を楽しめる。
やってきた舞台裏。
1つ前の学校の演奏がよく聞こえる。
「……上手いですね」
ぼそっとそう呟くと、
「そうね。負けないように頑張らなくちゃ」
色咲は答える。
緊張が走る舞台裏。
その中で2人は周りとは違い、緊張などしていない。
同じパートの他の3年はガチガチになっている一方で、2人だけは全く別だった。
「続いて、エントリーナンバー34。私立奏高校の演奏です」
紹介を司会が語る。
それを聞くと共に彼らは舞台上に上がって行く。
それぞれ無言で観客、審査員には目もくれず自分の演奏のコンディションを整えている。
ただ、無言で。
そしてメンバーは椅子に腰掛け、背筋を伸ばし観客や審査員の方を初めて向く。
そこには、多くの人、人、人。
ただ人がいるばかり。
部員を照らすライトは明るく暑く彼らを引き立たせる。
紹介が終わり、指揮者の顧問が一礼すると拍手がおこる。
始まりの合図だ。
指揮台に立ち、指揮棒をあげてみんなを見回す。
顧問の顔には緊張が見られたが、すぐにその顔は笑顔に変わる。
そうして、最後の演奏が始まった。
指揮棒を振ると、それに合わせて壮大な音が奏でられる。
指揮者の動きに合わせ、それぞれのパートは大きな音、小さな音、繊細な音、豪快な音。
多くの音色を鳴らし、それぞれが音の叫びをあげる。
審査員に伝える意思を、楽器は美しいメロディーに変えて、叫ぶのだ。
その叫びの中で、特に強い意思を持つ音色が1つ。
そう、朝霧の音だ。
朝霧は隣に腰掛ける彼女、色咲のためだけにその暖かくも繊細な音を叫んでいる。
届くかはわからない。
それでも、届けたい意思は変わらないのだ。
そうして、曲の中盤。
色咲は席を立った。
そう、ソロパートである。
顧問は色咲に目を向けると指揮を思いっきり振り、盛大な音を出す指示を出した。
そして、それに応えるように色咲の出した音色は、
楽譜に無い、全く新しいメロディーだった。
演奏時間の遅くなればなるほど、審査員の疲れはたまる。
そして、たまに演奏なんてそっちのけで眠気と戦い、適当に意見を書く審査員も中にはいるのだ。
だが彼女の音を聞くと、
審査員のみならず他の校の生徒までもが、彼女に注目した。
顧問は驚きの言葉を少し漏らしたが、すぐに楽しそうなものを見るように指揮をさらに盛大にした。
彼女のソロは、アレンジソロなのである。
アレンジソロとは楽譜通りに引かなくてもいい、独自でアレンジしてソロを作るというものだ。
色咲は練習の最後までこの作り上げたソロを隠し、本番に使うと決めていた。
そして、そのソロは、確かに楽譜よりも綺麗に優美に仕上がっていた。
高く聞き応えのあるそのメロディーは、観客を魅了し審査員をも魅了し、
そして、隣に座る朝霧をも魅了する。
(……この人には、やっぱり勝てないな)
朝霧は心でそう思いながら、演奏を続けながらもその美麗なメロディーに聞き入っていた。
そして、最後まで目立ったミスはないまま演奏は終盤を迎え、そして指揮者と部員は最後まで今までの努力を存分に活かし、演奏を終えた。
指揮者は指揮棒の持たぬ手をぐっと握り演奏を締めた。そして、指揮棒を下ろすと共に部員は一斉に楽器を下ろし、顧問は指揮台を降りて、審査員の方を向くと一礼をする。
大きな、そして讃えるような拍手が会場に鳴り響いた。
ただただ、それが部員たちは嬉しかった。
ーーー
退場して舞台裏から待機室に戻る。
「シキ!すごかったねアレンジソロ!」
「やっぱりあんたはすごいよ!あんなの本番ぶっつけで演奏できるなんて本当に肝座ってるよねぇ」
「色咲先輩!本当にすごかったですよ!審査員もみなさんもびっくりしてました!」
部員からの大きな歓声は全て、あのソロを演奏した色咲に注がれた。
「あ、ありがとう」
少し照れ気味になりながらはにかみ笑いながら感謝の言葉を言う。
「先輩、アレンジソロかっこよかったです」
「本当?ありがとう」
色咲は笑顔で朝霧にそう言った。
そして部員たちは口々に、
「ねぇ、今回金賞行けるんじゃない?」
「そうだよね!絶対いけるよ!」
今回の演奏に満足したようにこんなことを言いながら喜びを分かち合った。
「……朝霧君、今回の演奏どうだった?」
色咲は朝霧に聞いた。
それは、自分の評価ではなく曲全体の評価を聞いていることを理解した朝霧は特に喜ぶなどのことはせず静かに答えた。
「出来はよかったです。できる限りの努力がしっかりと身を結んでいました。私は、いい結果を楽しみにしています」
そうはっきりと言うと色咲は笑いながら、
「そっか。楽しみだね」
そう朝霧に向かって言った。
朝霧は、正直驚いていた。
もしかしたら、本当に金賞を取ることができるかもしれない。
金賞を取って、先輩に想いを伝えられるかもしれない。
そう考えるだけで、またひどく緊張し、しかしとても嬉しくも感じる。
「吹奏楽部、早く座席に戻ってくれ!次の団体がここの待機場所を使う!速やかに撤収を!」
顧問がそう言うと生徒は緩んだ空気の中でしっかりと返事をしてすぐさま撤収した。
座席に戻った後の時間は過ぎるのがやけに早く感じられた。
本番からの開放感からか空気は軽く、みなそれぞれ楽しそうに話したり他校の演奏を聞いたりしていた。
静かであってもやはり気分は浮いている。
しかし、顧問はそれを注意はしなかった。
そして、結果発表の時がやってくる。
「それでは、演奏順に発表していきます。1番、私立宵ノ宮高校 銀賞。2番、私立……」
空気は冷える。
そして、結果を発表するたびに一喜一憂の声が会場に湧く。
1つ1つ進んでいく結果発表。
奏高校の部員達は、自分の発表が近づくたびに鼓動が高鳴るのを感じた。
銅賞だろうか、銀賞だろうか。はたまた金賞だろうか。
そんな不安と期待の感情が入り混じり、彼らの鼓動をさらに早める。
「33番、私立月ヶ丘高校 金賞」
1つ前の学校の発表が終わるといっきに歓声が上がった。金賞の発表を受けて、生徒はお互いに喜び合っている。
だが、そんなのは全く奏高校の生徒には聞こえていなかった。
次、次が奏高校の結果発表だからだ。
彼らの中で、鼓動の音が歓声をかき消す。
ただ、結果を待っていた。
「34番、私立奏高校 銀賞」
しかし、そんな期待はむなしく一言で壊された。
無情な言葉を朝霧、いや部員一同が認めることができなかった。
それからあとの結果など入ってこない。
彼らの中で絶望がその結果全てを聞き入れる聴覚をシャットアウトした。
早くも涙を流す者もいる。
だが、朝霧は堪えていた。
泣いたら、先輩に何もいえない。
謝罪も、応援も、何もかも。
だからこそ、朝霧は堪えるしかなかった。
金賞をもらえなかった、送れなかった悲しみ。
告白をできない絶望。
約束すら果たせない、愚かな自分。
ただひたすらに、その事実が彼の心を抉り、涙を出せと言わんばかりに現実を突きつけてくる。
だが、耐えるのだ。
それでも耐えるしかないのだ。
それをわかっている朝霧は、涙を必死に止めた。
ーーー
そうして結果発表も終わり、帰りのバスは早々にコンクール会場を後にし学校に着くと解散の指示を受けた。
「朝霧君」
1人帰ろうとする朝霧を呼び止めたのは、勿論色咲であった。
「いっしょに帰ろ?」
「……………はい」
長い沈黙を作り、しかし朝霧は断ることをしなかった。
帰り道、色咲を駅のところまで送る途中。
重い空気の中、色咲は話を振った。
「コンクール、お疲れ様」
「………はい」
そんな無造作な会話はすぐに途切れてしまうと感じた色咲は、何か話題を考えた。
だが、考えてもわからない。
その結論が出る前に勝手に口が喋り出した。
「朝霧君、そんなに責任を感じることないよ?」
「………」
「朝霧君は頑張ったよ。それを私はわかってるしみんなもわかってる」
「……でも、頑張ったって届かなかったんですよ……?なら、それは実力不足ってこ……」
「違うよ」
色咲はきっぱりと言い切る。
「実力不足とか、そんなんじゃない。朝霧君は自分を卑下しすぎだよ」
「……先輩は、優しいですよね」
「優しさなんて大層なものじゃないよ。先輩として本心で答えてるだけ」
「…………」
「………朝霧君。私、君に感謝してるよ」
色咲は、朝霧の俯き顔の下に顔を持って行き目を見て言った。
「私は、朝霧君のおかげで頑張れた。諦めかけた時もいつも励ましてくれる君が私の支えだった。それを忘れないで」
そうして、顔が上がった朝霧の涙の堤防を壊すように、
「私は、君がいなかったらここにいなかった。伝えきれないほど感謝してる。こんな時に今更だけど」
そう言い、最後に、
「ごめんね。そして、ありがとう」
朝霧は、涙をこぼした。
いや、こぼしたなんて小さな表現ではない。溢れたが近いだろう。
色咲はそんな朝霧の頭を震えながら、しかし優しく撫でた。
恐れもあり、だが感謝を伝えるために。
声も漏らさず、朝霧は静かに涙を流した。
一頻りなき終えると、朝霧は色咲に謝罪と感謝を述べて、駅まで送った。
これからは、色咲のいない部活が待っている。
しかし、朝霧は不安ではなかった。
たとえ、告白ができなくても。
彼は最後の色咲の言葉で満足できたからだ。
ーーー
そして、夏祭りの演奏が終わった。
8月最後の週。
夏祭りの演奏は、色咲先輩は見にこなかった。
まぁ、引退したのに見になんて来ないだろう。
そうして演奏を終えると「地域の夏祭りを楽しめ」と自由時間となり、各自解散になる。
朝霧は、あの場所に来ていた。
色咲の思い出の場所に。
「……なんで、来たんだろ」
朝霧は正直何も考えていなかった。
部活仲間と地域の夏祭りを楽しんでもよかったのだが、なんとなく朝霧の足がここに自らを運んだのだ。
「………花火、綺麗に見えるって言ってたな」
ふと、そんな色咲とした会話が思い出される。
ひらけた場所にベンチが2つほど置いてあり周りは木で囲まれている。
夏の夜にはやはり肌寒い。
しかし、綺麗な星が見えるほど晴れた空はそんな寒さを忘れさせてくれる。
綺麗な夜景もあり、やはりベストポジションなのだろう。
ブーッ、ブーッ。
バックの中が振動し始めた。
多分スマホだろう。
朝霧はバックからスマホを出して着信相手をみた。
『色咲先輩』
この名前を見ると朝霧は酷く驚いた。
な、なんで先輩から?
朝霧は動揺を隠せない。
しかし、早く出なくては。
息を整えると朝霧は電話に出た。
「もしもし」
『あ、朝霧君?電話に出られるってことは演奏終わったのかな?』
色咲の声は普通だ。
特に何か重いわけでもなくいつも部活にいた時と同じテンションだった。
「はい。もう終わりましたよ」
『そっか。お疲れ様』
「……先輩は、塾の講習ですか?」
『そうなんだよねぇ……。夏期講習が入ってしまって行けなかったんだよ、ごめんね』
「いえいえ、受験生ですからね。当然ですよ」
他愛のない会話は弾む。
また、少しの時間を忘れるように。ずっと楽しく笑って話していた。
そんな時、ふと朝霧はあることを考える。
告白、どうしようか。
ここでするべきか?
でも、今告白するのは、先輩の受験に響いたりするのかもしれないし……。
……思いくらいは伝えるべき?
いや、だけど、それで先輩に申し訳ない思いとかさせたら………。
ドンッ!
そんなことを考えていると、そんな音がさらに響き、色鮮やかな光が空を彩る。
『「花火」』
2人は思わずそう言ってしまった。
そして、お互いが見えるわけでもないのに口を押さえて少し時間が経つと笑ってしまった。
「そっちからも見えるんですか?」
『うん。綺麗に見えるよ』
「……先輩の思い出の場所くらいですか?」
『うーん……、同じくらい、かな?』
そんな会話をした後、しばしの沈黙を置き、
「……すごい、綺麗ですね」
『そうだね』
2人はそう呟いた。
『やっぱり、花火の音とかで声が聞こえなくいね。ちょっと大きくしないと』
「そうですね」
そこで、朝霧はふと思いついた。
スマホ越しからまだ色咲の声が聞こえる中、朝霧はスマホをベンチに置いた。
そうしてなるべく花火に近いところに行き、大きく息を吸うと、
朝霧は、全力で色咲への思いを叫んだ。
好き、なんていう短いものではない。
息が何回も切れるほど、叫んだ。
感情を、意思を、思いっきり惜しげも無く叫んだ。
今日で、終わりにしよう。
この花火と一緒に散ればいい。
僕の思いも全部。
そうすれば、きっとスッキリするはずだ。
また、明日を歩けるはずだ。
終わりにしよう。先輩への思いも全部。
すぐに区切りはつけられないかもだけど、それでも一歩ずつ進んでいこう。
それで、いいんだ。
『「ねぇ!今!なんて言ったの!!」』
そんな声はスマホから聞こえる。
だが、聞こえるのはそこからだけではない。
朝霧は、聞こえた背後を向く。
そこに立っているのは、いるはずも色咲だった。
「………え?」
朝霧は驚きのあまり何もできない。
だが、そんな朝霧には御構い無しに色咲は朝霧の隣まで走り、落ちないように設置されている柵を思いきり掴んで、
「私も!!朝霧君が好き!!」
花火の音にかき消されるかもしれないそんな小さくも全力で、そして意思の強い言葉を、朝霧は聞き逃さなかった。
そうすると、色咲は朝霧の方を向く。
「ねぇ、朝霧君。さっきの叫んだ言葉。もう一回聞かせてくれる?」
その言葉を聞くと、朝霧は考えるよりも早く答えていた。
「…….僕は、色咲先輩のことが好きです。ずっと、好きでした。届かなくてもいい、そう思ってたのにいつのまにか、欲しくなっていました。だから、もう届かなくてもいい。だから、せめても」
朝霧は最後の言葉を躊躇しながらも呟く。
「好きって、伝えたい」
その言葉を聞くと、色咲は嬉しそうに朝霧の手を握った。
「……朝霧君、私はね、君が思うほど立派な人じゃないよ?」
「そんなことありません」
「……付き合ったら幻滅しちゃうかもよ?」
「絶対ありません」
朝霧はきっぱりと言い放った。それを聞くと、色咲はうつむいてしまう。しかし、朝霧は顔が赤くなっているのがわかった。耳まで真っ赤だ。
「……ねぇ、朝霧君」
「なんですか?色咲先輩」
「私も、君のことが好きだよ」
「はい。だから、付き合ってください」
「あ、だ、だから!それを先に言いたかったの!」
色咲は、顔を赤くしながらそう言う。そして、そんな会話の後は、2人の笑い声が聞こえた。
最後の大きな花火が上がる。
その花火が2人を照らして作り上げたシルエットという名の影は、
やけに、恋人らしかった。
ーーー
時は過ぎて、3月の初め。
あの場所には、1人の少年がトランペットをもって立っていた。
まだまだ寒い3月の早朝。霧も少し煙っている。
立っているだけではとても辛い。
だが、少年はそんなことなど考えていないかのようにトランペットを鳴らした。
その音はとても響きがあり、優しく暖かなものだ。
「今日も朝から練習?優希君」
階段を登って1人の同い年くらいの少女が現れる。
その少女を見ると少年は安心したように笑った。
「そうですよ、沙奈先輩」
「まだ先輩呼びは変えてくれないの?」
「……どうしても抜け切らなくて」
「まぁ、徐々に変えていってくれると嬉しいなぁ……」
「はい。頑張ります」
色、咲き乱れる季節。朝、霧が少しばかし煙る中。
2人は、今日も暖かな『愛』を奏でる。