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短編(和もの)

姉の恋人

作者: 月鳴

「恋に似た病」の和実サイドです。なかなか酷い男の独白なのでそれでもいいよという方はお読みいただければと思います。

 


 彼女にとって僕という男は絶対に意識されない位置にいる。


 だって僕は彼女の姉の恋人なのだから。


 正しいはずのその距離がどうしようもなく苦しいと感じてしまうのは、きっと僕が許されない想いを抱えているせいだ。





 ***



「和くん?」


 甘く爽やかなその声に呼ばれるのが好きだった。どこに触れてもやわい身体も、花のような香りも、意外とうぶな仕草も、何もかもをかわいいと、思っていた。


「なに?」

「考え事してる」


 ちょっとヤキモチやきなところも好きで。話す時は必ず目をのぞき込んでくるのも、ちゃんと話を聞こうとする姿勢に感じられて好きだった。


「うん、まあね」

「研究忙しいの?」

「そうだね」


 すべてはもう過去形でしか語れない僕。


 ──彼女は今、何をしているだろう。


 自分の恋人とふたりきりでいるというのに、不意に思い出すのは別のひと。


 姉と二人で暮らしている彼女は、今はきっと家で一人で過ごしているはずだ。僕と同じで大人しく外出をあまりしないらしいから、静かに読書でもしていそうだ。


「ねえ」


 強いアクセントで呼ばれて僕は右腕にくっついている恋人のことをようやく思い出した。上の空だった僕を見て拗ねているのがわかる。


「なに?」

「さっきから私の話聞いてる?」

「聞いてるよ」

「嘘」

「……ごめん」

「キスしてくれたら許す」


 一瞬の戸惑い。僕らは恋人同士、誰に気兼ねせずキスを出来る間柄なのに戸惑う理由はひとつしかない。


 自分が抱えてる想いを漏らすことなく穏便に済ませるならキスの一つや二つ、すればいいだけだ。


 なのに僕は。


「もういい! 帰る」


 引き止めもせず。


「バカ!」


 ガツンとしまる扉を見ながら僕はただ、恋人の帰るその家を羨ましく思ってしまって。


 自然と終わりなんだと思った。


 僕にこのまま恋人でいる資格はない。それさえもあの子と縁を繋ぐためだけのものになっていたと、気づいてしまったから。




 ***




 レモンイエローのスカートが視界の端で揺れている。


 研究室で煮詰まった頭を休ませるため、外に出てコーヒーを飲んでいると彼女がやってきた。少し遠慮気味に話しかけてくるのは、僕と彼女の関係性をまざまざと感じさせるようだ。


「お疲れですか」


 低めのかすれた声。恋人とはあまり似ていないなと思いながら僕はつい間抜けな返事をする。

 彼女は、僕のところの学生ではなく、学科さえ違うから履修すらしていない。研究内容を説明してもたぶんよくわからないだろう。これが恋人だったらきっと問題部分について質問されて一緒に解答を探すために議論を戦わせて、そのまま研究室に逆戻りだ。それはそれで、いいのだけど。


「風邪とか引かないように。せめてご飯はちゃんと食べてくださいね」


 ああ、こんな陽だまりを与えてくれるのは彼女の方だった。人を比べるなんてろくなもんじゃないと、わかってはいても。どこを切り取っても彼女が魅力的に見えてしまって、もう僕はほんとうに。


「ありがとう」


 それだけしか、言うことができなかった。だから何故彼女がどこか棘が刺さったような笑みを見せたのか、僕には考えが回らなかった。





 まだ彼女と出会って間もない頃のこと。会話のきっかけはなんだったか。確かどうして僕達が付き合うようになったかとかそんなことだったと思う。


「姉は私の自慢なんです。優しくて可愛くて明るい。全然似てないのに影響ばっかり受けちゃって、私、自分から好きになったものってほとんどないんです。和実さんが惹かれたのもわかるような気がします。姉はいつも綺麗に輝いているから」


 ──私とは違って。


 俯いた彼女を見てどうにか慰めたいと思った。

 初めて会った時から目が離せないのも、どうにか慰めたいと思ったのも全部同じ理由。


「──そんなことないよ。君のこといいと思う人はきっと現れる。必ずね」


 それはきっと僕ではない誰かで。ふと気がついて自分の拳を見る。コーヒーを持っていない方の手が白くなるほどきつく握られていて、すっと開いた手のひらにはくっきりとついた爪の跡が。


 誰かが彼女を求めたら。その隣を許す誰かができたなら。


 僕は死にたくなるくらい後悔するのだろう。手を伸ばせないこの位置に、出会ってしまった関係に。それらを覆すことを恐れている自分に。


 そう思うのは、案外早かった。


 彼女と、知らない男。ふたりきり。近しい距離。年頃の男女が二人で歩いているとなれば、答えは簡単だ。恋愛関係かそれに付随する何か。どちらかが恋情を抱いているか、あるいは二人とも……。


 胸糞悪い。


 ああ。馬鹿な。


 あまりにも愚かしい感情に支配されかけて、我に帰る。このままじゃいられない。激しい焦燥が自分を殺していくのがありありと感じられた。早くなんとかしなければ。





「今から僕は君を傷つける」

「……え?」


 ピンクのシフォンブラウスを着たいつも通りの彼女に僕は告げた。


「もう君と恋人でいることができない。他に好きな人ができた」


 彼女は一瞬息を呑んで、ゆっくりと吐き出した。思っていたほどその顔に驚きはない。薄々気づいてはいたのだろう。それほど僕はわかりやすく浮ついていたから。


「……誰って聞いてもいい」


 もちろん聞かれた素直に答えるつもりだった。身構えいたはずのことにどうしてか体が固まる。これこそ彼女を一番傷つけるだろう言葉だとわかっていたからかもしない。


「…………もしかして、史ちゃん?」


 彼女の方が先に答えを明示する。もはやそれは疑問というよりは確認のニュアンスに聞こえた。ここで黙っているのは酷く罪深い。


「そうだよ」


 僕の返事に、一拍置いて「……そっか」という小さい声が聞こえた。


「許してほしいとかそんなことは言わない。許されるとも思ってない。けど史ちゃんを責めないでほしい。これは僕の勝手な懸想なんだ」


「そんなこと、しないよ」


 強くそう言い切った彼女の瞳は今日一番に傷ついた色をしていて、僕は己の失敗を悟る。姉妹の絆をきちんと理解してないなかったようだ。


「でも、認めては、あげられない。……いまは、」


 顔を上げた彼女は、泣いてはいなかった。


 悲痛な声が告げたその言葉が、最大の許しに聞こえたのはきっと僕の彼女への最後の甘えだった。





 ***




 僕が壊したたくさんのもの。代わりに手に入れた最愛の人。壊すだけ壊して一人だけ幸せになろうだなんてきっといつかバチが当たるかもしれない。


 柔らかい体と、どこか似た、けれど全然違う香りを思い切り抱きしめて、ささやいた。


 ふたりだけの秘密を。



 耳を赤くして必死にしがみ付くこの人を、僕は一生離さない。









お読み下さりありがとうございました。


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