第1話 その7
「みんなー。ご飯できたわよ。降りてらっしゃい」
僕は母さんの声で目を覚まし辺りを見回す。
「寝てたのか?」
まず最初に天井が映る。どうやら仰向けでベッドに寝ていたようだ。
あれから部屋に戻った僕は、制服のままベッドに横になったところまでは覚えている。
けど、その後の記憶がない。
どうやらすぐ寝てしまったみたいだ。
「着替えないと」
僕は立ち上がってTシャツと短パンというラフな格好に着替えてリビングに向かう。
「あっ、強ちゃん。早く座りなさい。二人共待ってるわよ」
ちょっとビックリ。撫子さんもミョウも僕より先にリビングに来ていたのだ。
「こちらへどうぞ。強介さん」
僕は撫子さんに促されて彼女の隣へ。
撫子さんは袖のないノースリーブのブラウスに
ほっそりとした形のジーンズを履いている。
座ると僕の正面にいるVネックのシャツにホットパンツ姿のミョウと目が合う。
僕の目には、妹が相変わらず不機嫌そうに見えた。
「……強介」
そんなことを思っていたら、ミョウに話しかけられる。
「な、何?」
「寝てたでしょ。ヨダレの跡ついてるよ」
「ご、ごめん」
僕は慌てて口元を拭いた。
「謝らなくていい」
ゴシゴシと何回か擦る。多分取れたはずだけど、自分で確認のしようがない。
「強介さん。もう取れてますから大丈夫ですよ」
「ありがとう撫子さん」
「いえいえ」
撫子さんの笑顔が今の僕には癒しになっていた。
「むー」
ミョウがこちらを睨んでいる。怖い。
「はいはい。ご飯ですよ。ミョウちゃんそんな怖い顔しないの」
「……してないもん」
母さんは料理を全員分運び終わると、ミョウの隣に座る。
「それじゃ、いただきましょう」
「「「いただきます」」」
今はご飯に集中しよう。
僕はそう頭の中を切り替えて、目の前に置かれた夕飯を食べていく。
今日は母さんが父さんに会った嬉しさでご馳走を作ってくれた筈。
なのに、僕は母さん以外の二人の女性に挟まれて全く何を食べたか覚えていなかった。
結局僕はその日とても疲れていたのか、部屋に戻ってすぐ眠ってしまった。
僕が寝ていると、控えめに部屋のドアがノックされる。
「強介さん。起きていますか?」
ん? ミョウにしてはいつもと起こし方が違うような?
「起きてるよ〜。すぐ下に行くから。母さんにそう言っといて」
寝ぼけてる僕はそう言いながら、再び眠ってしまう。
まあ、ミョウの事だ。また起こしてくれるだろう。
すると、また控えめなノックが響く。
「強介さん。そろそろ起きてくださらないと学校に遅刻してしまいますよ」
「分かってるよ。けどもう少し寝かせて〜」
その後、何度かノックの音がしたけど僕は無視して眠ってしまう。
「強介さん。起きてください。ふ〜」
突然耳元で息を吹きかけられて、僕は飛び起きる。
「どひゃっ!」
「きゃっ!」
飛び起きた僕にびっくりして、隣にいた髪の長い女性も口に手を当てて驚く。
髪の長い女性?
「ミョウ。いつの間に髪長くなったんだ……あれ?」
髪の長い女性は妹のミョウではなかった。
黒い瞳、腰まで届く長い髪。
今日も暑いのに、制服のブレザーまできっちりと着こなしている。
「撫子さん……」
そう、彼女は昨日学校に転校して、僕のお嫁さんと名乗った人だ。
僕のお嫁さん。自分で言ってみると恥ずかしくなってくる。
「おはようございます強介さん」
撫子さんは両手を合わせて深くお辞儀する。
「お、おはよう。そういえばどうやって部屋に?」
「はい。愛子さんに言ったら、コレを渡してくれました」
納得。それは僕の部屋の合鍵だった。
「コレでいつでも、強介さんの部屋に来ることができます」
撫子さんは合鍵をギュッと握りしめる。
僕は想像する。彼女がいついかなる時も部屋に来ることを。
ヤバい。この部屋には男子が大好きなアレが隠されているんだ。
母さんやミョウにもまだ見つかっていないアレを、もし撫子さんに見られたら……。
『そんなモノ持ってるなんて、強介さんって最低ですね』
僕の想像の中で撫子さんは、笑っているのにとても冷たい目でそう言い放っていた。
「うわああああ!」
「ど、どうしました? どこかお身体の調子が……」
撫子さんが、頭を抱えて絶叫する僕を見て本気で心配してくれる。
「大丈夫。大丈夫だから。すぐ下に行くから撫子さんはリビングで待っていて。ね!」
僕は撫子さんを半ば押し出すように部屋から出てもらう。
「それと、合鍵は僕が後で母さんに返しておくから。起こしてくれてありがとう!」
「あっ、強……」
僕は撫子さんの呼びかけを無視してドアを閉めた。
しばらく耳を澄ましていると、部屋から遠ざかる足音が聞こえた。
「ふうー」
僕は深いため息をついてから、朝の準備を始めるのだった。
朝の準備を終えた僕は玄関にいた。
「待ってください。強介さん」
振り向くと撫子さんが小走りでこっちに向かってくる。
「一緒に行きましょう」
僕はそう言われて特に断る理由がなかった。
自分の靴を履いて、僕と撫子さんは二人揃って学校に向かう。
因みにミョウはいつもの朝練で、先に家を出ていた。
バスに乗って、いつも空いている席を見つけた。
「撫子さん。ここ座って」
「ありがとうございます」
そこを撫子さんに譲る。
よく考えると今まで空いていたのは、この為だったのかな?
僕はその席の前で立って、学校まで向かった。
道中何故か、周りの人からの視線を感じる。
何でだろう?
そんな視線を浴びながら学校に到着。
昇降口で靴を変えて教室に入った途端、みんなから一斉に注目される。
クラスメイト全員が僕の方を見ていた。
なんで、みんなもこっち見てるんだ? まさか!
慌ててズボンを確認するけど、大事なところはちゃんと閉まっていた。
ホッとしたのも束の間、今だに僕はみんなから見られている。
「あの二人、一緒に来たね」
「やっぱり仲良いんだ」
そんな女子達のヒソヒソ声が聞こえて、僕はやっと気がついた。
撫子さんと一緒に学校に来たからだ。
そりゃそうか。昨日いきなり僕のお嫁さん宣言をした撫子さんと一緒に登校したら、付き合ってると思われても不思議じゃないか。
僕は視線から逃げるように、そそくさと自分の席へ。
撫子さんはそれに気づいてないのか気にしてないのか、優雅に歩いて自分の席。つまり僕の隣へ。
席に着くと恵一くんがこっちに近づいて来た。
「よっ強介。撫子さん。朝から一緒に来るなんて、ラブラブだな」
「おはよう。やっぱりそう見える?」
「ああ、そうにしか見えない」
「おはようございます。高橋さん」
クラス中から注目される中、親友の恵一くんだけは普通に接してくれるようだ。
「おっ、俺の名字覚えてくれてるの」
「ええ。このクラスの皆さんのお名前はちゃんと暗記してあります」
「そりゃあ、どうも」
撫子さんに微笑まれて、恵一くんが照れてる。
まあ、そりゃ綺麗な彼女に微笑みけられたら誰だって照れちゃうよね。
それを見てると、何故か僕の胸がモヤっとした。何でだろう?
そんな事を思いながら、授業を受けた。
撫子さんは転校したばかりだというのに、いつの間に勉強していたのか、僕よりもよく授業を理解していた。
撫子さんが来てから一週間が経った朝。
コンコンと控えめなノックが聞こえてくる。撫子さんだ。
彼女が来てから、目覚ましを使って起きることがなくなった。
いつも撫子さんがこうやって起こしてくれるから。
僕もいつの間にかノックの音で起きるようになってしまった。
「おはようございます強介さん。起きてますか?」
「うん。着替えてるから待ってて」
「はい」
撫子さんは、突然部屋に入ることはなくなったけど、僕が着替え終わるまで扉の前で待っていてくれる。
「おはよう。撫子さん」
「おはようございます」
部屋から出て、撫子さんと共にリビングへ。
「あっ」
「…………」
向かう途中で妹のミョウに出会った。
「おはよう」
僕が声をかけても無視されてしまう。
ミョウは僕ではなく撫子さんを、ずっと睨みつけている。
「ミョウさん。おはようございます」
「…………」
ミョウは撫子さんの挨拶を無視して、家を出て行ってしまった。
「ごめん撫子さん。今日もミョウ機嫌悪いみたいで」
「いえ。私、気にしてません」
「そっか。じゃあ僕達も学校行こうか」
「はい」
けれどミョウはそれからずっと、撫子さんを無視し、僕にも、ほとんど話しかけなくなってしまった。
「はい。強介さん。あ〜ん」
「あ、あ〜ん」
昼休み。僕は、撫子さんが目の前に差し出してくれたご飯を口に入れる。
因みに今いるのは教室で、何人かのクラスメイトもいる。
そんな中、僕は撫子さんに「あ〜ん」をしてもらっている。
男子の視線が突き刺さるほど痛い。
僕だって恥ずかしい。恥ずかしいけど……。
「美味しいですか?」
撫子さんは下から覗き込むように僕の感想を待っている。
僕はしっかり味わって飲み込んでから、率直な感想を言う。
「……うん。おいしい」
今食べたのはご飯におかかと醤油、そこに少量のゴマをかけて、その上に海苔を敷いた、つまりのり弁だ。
醤油と海苔のいい香りと、おかかとゴマの風味が混ざってとても美味しい。
「よかった! 愛子さんに強介さんの味の好みを聞いて作ってみたんです。上手くいってよかった」
なるほど母さんから聞いたのか。
「でも、撫子さん料理上手だよね。最初の時のサンドイッチも美味しかったし」
「あの時はまだまだ慣れてなくて、でも強介さんが、美味しいって言ってくれて、それで、これからも作っていこうって、自信がついたんです」
「という事は、もし僕が、あの時おいしいって言わなかったら……」
「その時は、多分、今みたいにお弁当を作ってなかったと思います」
よかった。そんな事にならなくて。実際撫子さんの作ってくれるお弁当は美味しくてとても助かっている。
それに、いつも学食で消えていた僕のお小遣いも今は僕の懐の中で、出番を待っている状態だ。
「美味しいご飯、いつも作ってくれてありがとう」
僕の言葉を聞いた途端、撫子さんは自分の箸が止まってしまう。少し顔も赤くなっているみたい。
「い、いきなり、お礼なんて言われたら恥ずかしいです!」
撫子さんの顔はどんどん真っ赤になってうつむいてしまう。
そこで、周りからじっとみられている事に気づいて僕も恥ずかしくなって顔を伏せる。
結局昼休みは僕達二人とも顔を伏せたまま終わってしまった。
「そうだ。撫子さん。ちょっと僕寄るところがあったんだ。先に帰っててもらってもいいかな?」
「分かりました」
家の最寄りのバス停を降りた僕は撫子さんと別れて、ある場所へ向かった。
そこは近所の公園。そう、あの翡翠色の髪の少女と出会った場所だ。
あの少女と初めて会ってから、公園には来てなかったけど、改めて入ってみると特に変わったところはない。
ベンチにはおじさんが昼寝し、小学生くらいの男の子と女の子が、楽しそうにブランコで遊んでいる。
公園の中央にある噴水を見たけれど、金色の物体は突き刺さってはおらず、いつも通りに水を噴出し続けていた。
僕は空いているベンチに座る。
探している少女の姿はどこにもない。それどころか、さらに空に空いた穴から落ちて来たあの金色の物体も影も形もなかった。
最近暑い日が続く中、今座っているベンチはちょうど木陰の下で、しかも涼しい風が吹いている。
丁度いいや。ここで少し時間を潰そう。
最近、家にいる方が疲れている気がする。
撫子さんが来てからだろうか。
彼女が家に来てから、何故かミョウがすごく機嫌が悪い。
以前から嫌われてたけど、少しぐらいは会話もあったし、怒りながらも時々、朝は起こしてくれた。
けれど最近はそれもない。
撫子さんが僕を起こしてくれるからだ。
それだけじゃない。撫子さんは僕のお昼まで作ってくれる。
一度、ミョウの分も作ろうとしたらしいけど、断られてしまったらしい。
そういえば、ミョウは撫子さんも嫌ってるように見える。
最初は撫子さんと顔を合わせると、すごい怒ってたけど、今は話しかけられても無視している。
母さんも理由が分からないらしい。
そんなこんなで、家にいると中々休まる場所が今の僕にはなかったのだ。
こんなことを考える高校生なんて僕以外にいるのかしら?
風が吹いて、木の葉がザァザァと音を立てる。
今はその音も心地よく感じる。
そうだ。なんで撫子さんは僕のお嫁さんになりたいと言ってくれるんだろう。
その申し出はとても嬉しいけど、理由が分からない。
僕は彼女が転校して来たときに初めて会った。
でも向こうは僕のことを知っていて、そのまま家に住む事になった。
母さんが言うには父さんが、その理由を知ってるみたいだけど、全く帰ってこない。
電話で聞き出そうにも、こっちから掛けても全く繋がらない。
こういう大事な時にはちゃんと繋がる場所にいてほしいものだ。
高校卒業したら僕は撫子さんと結婚する事になるのだろうか。
ミョウはどう思っているか分からないけど、母さんは反対してないみたいだからな。
僕自身も、この言い方は上から目線だけど別に撫子さんは嫌いじゃない。
でも何も分からないまま、結婚となると何か嫌な感じがする。
それに僕にはどうしても気になる女性がいる。
それは勿論、あの翡翠色の髪の少女だ。
一目見たとき、全身を雷で打たれたような衝撃が走った。
アレはきっと一目惚れだったと思う。多分。
だからもう一度会って確かめたい。
多分会えば、この感覚の正体がわかるはずなんだ。
それにしても一体どこへ言ってしまったんだろう。
「ん?」
気づくと、日の光による降り注ぐような暑さがなくなっていて、辺りは暗くなっていた。
「あれ? 今何時だ? げっ、もうこんな時間!」
しまった。撫子さんにすぐ戻るって言ったのに。
僕は慌てて公園を出て家に向かう。
家までの道を急いでいると、前から女性が走ってくる。
夜道を女性が走るなんて珍しいなと思い僕はその人をまじまじと見つめる。
最初は暗くて分からなかったけど、街灯の明かりで誰かはっきりとわかるようになった。
「強介さん……よかった……帰ってこないから探しました」
女性の正体は黒の袖なしワンピースを着た撫子さんだった。
息が切れているので、どうやらここまで走ってきたらしい。
「ごめん撫子さん。すぐ帰るって言ったのに……」
「本当です。何かあったかと思っていても経ってもいられず……でも事件や事故に巻き込まれてなくて良かった」
撫子さんは深いため息をついた。
どうやら中々帰ってこない僕を心配して探しに着てくれたみたい。
本当に良い人だな。僕には勿体無いくらい。
「いっしょに帰りましょう強介さん」
「……うん」
僕が歩き出すと、撫子さんは僕の一歩後ろに付いて歩く。
今気づいたけど、撫子さんは僕の横を歩かないな。
「ねえ、撫子さん」
「何でしょう」
「何でいつも僕の後ろを歩くの?」
「はい。私はいずれ貴方の妻になります。その私が強介さんの前や横を歩くのは畏れ多いと本に書いてありました」
おそれおおい? 時代劇に出てきそうな言葉だな。
「ごめん。僕はそういう夫婦の事はよく分からないけど、隣にいてくれた方がいいな」
「……愛子さんや勇壱郎さんも、そうなのではないのですか?」
僕はいつもの両親を思い出してみる。
「いや。うちの両親はそんな感じじゃないね」
「そうなんですか?」
「うん。今でも二人は、お互いを勇さん愛ちゃんって呼び合ってるよ」
「そうなんですか……」
そんな会話をしていたら、家に着いた。
玄関を開けると、母さんにめちゃくちゃ怒られて夕飯抜きの罰を受けて、次の朝までお腹が空いて力が出なかった。
第1話 その8に続く。