第1話 その6
「ごめんなさいね。外で待たせてしまって暑かったでしょう」
母さんは椅子に座っている撫子さんの前に麦茶を置く。
「いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
そう言って撫子さんは麦茶を一口。
あれ、母さん僕にはくれないんでしょうか?
撫子さんの隣に座った僕には何も出してくれない。
すると僕の心の声が母さんに届いたのか、こちらを見て微笑む。
「あなたは要らないわよね?」
氷の微笑だった。一気に僕の体温が何度か下がる。
「はい。いらないです」
母さんは撫子さんの対面の椅子に腰掛ける。
そのタイミングを計ったかのように、撫子さんは麦茶をテーブルに置いて姿勢を正した。
「突然押しかけて申し訳有りません。私は風間撫子と申します。強介さんの妻となる者です。どうぞよろしくお願いします」
撫子さんは学校の時と同じように深々と頭を下げた。
「よろしくね。撫子ちゃん。あっ撫子ちゃんって呼んでも構わないかしら?」
「はい。構いません」
「よかった。それと、そんな畏まることはないのよ。今日から家族なんだから。ね?」
「あ、ありがとうございます」
撫子さんは緊張してたのだろう。母さんの一言で、肩の荷が降りたようだった。
「そういえば私の自己紹介がまだだったわね。私は風間愛子。この子の母親よ」
「愛子さんは、とてもお綺麗ですね」
「やだ、ありがとう。そうだ学校はどうだった?」
「はい。強介さんが親切にしてくれたので、こちらの学校でもやっていけそうです」
撫子さんがそう言って僕に笑いかける。
そう面と向かって言われると結構照れるな。
「それなら良かった。強ちゃんのお嫁さんが貴女ならお母さんも安心だわ」
その時、玄関のドアが勢いよく開かれて、誰かがこちらに走って来る。
「あら、ミョウちゃん帰って来たみたい」
母さんがそう言った直後、リビングに妹のミョウが走りこんで来た。
「お母さん大変。大変だよ!名字が僕たちと同じで、美人で強介のお嫁さんを名乗る人が転校して来て……どちら様?」
ミョウは撫子さんの姿を見つけて首をかしげる。
どうやら今日転校してきた生徒の正体が彼女とは知らないようだ。
母さんが撫子さんを紹介する。
「こちらは撫子ちゃん。今日から私達の家族になるのよ。撫子ちゃん。この子は娘のミョウちゃん。仲良くしてあげてね」
母さんに紹介された撫子さんは、「撫子です。今日からお願いします」と言いながらミョウにぺこりと頭を下げる。
「はあ、ボクはミョウっていうんだ。よろしく……ちょっと待ってあなたが撫子!」
「コラ、ミョウちゃん。年上の人を呼び捨てしないの!」
「ごめんなさい。じゃ、じゃあ。あなたが今日転校してきた撫子さん?」
母さんに怒られて、ミョウは撫子さんの呼び方を改める。
「はい。今日から強介さんのクラスに転校してきました」
「じゃあ、強介のお嫁さん宣言したのは……」
「ええ」
撫子さんは隣にいた僕を立ち上がらせて、いきなり腕を絡めてきた。
「私の旦那様です」
「「…………」」
僕とミョウは固まってしまう。そんな中、助けを求めようと母さんを見ると。
「あらあら。熱々ね」
頰に手を当ててそう一言呟くだけだった。
だめだ。助けてくれなそう。
気づくとミョウが顔を真っ赤にしてうつむき、僕の方に近づいてきた。
ヤバい。兄だからわかるけど、あれは怒っていらっしゃる。
「……強介」
RPGのラスボスのように、地の底から聞こえる低い声がミョウの口から発せられる。
「は、はい。な、何でしょうか?」
それを聞いてしまった僕は哀れな小動物のように、声が震えていた。
いや声だけじゃない。全身がガタガタと震えだす。
「撫子さんに何したの?」
ミョウは相変わらず、顔を伏せたままで表情が分からない。
「え、えっと、何って、何も……」
僕はチラリと撫子さんに助けを求めた。
「ミョウさん。私と強介さんは、とても深い絆で繋がっているんです。何もおかしいところはありません」
撫子さん。その答えは今は違うような……。
「そうなんだ」
撫子さんの言葉を聞いたミョウが顔を上げる。
その目には涙が溜まっていた。
「ミョウ、泣いてるのか?」
「泣いてないよ! バカ強介! こういう時は、人に頼らないで自分で考えて喋れ!」
ミョウはそれから撫子さんをキッと睨みつけて指を指す。
「それと僕は、強介との結婚なんて認めない。絶対認めないからニャ!」
「ニャ?」
「…………!」
僕に言われて気づいたのか、ミョウは顔を真っ赤にして、両手で口を押さえる。
「あっ、ミョウちゃん!」
そして母さんの制止も無視して、ミョウは走ってリビングを出て行ってしまった。
「あの撫……」
「強ちゃん。撫子ちゃん」
僕は何故撫子さんが、あんな事を言ったのか訳を聞こうとするが、それを母さんに遮られてしまう。
「お夕飯の準備をするから二人とも部屋に戻っていて。撫子ちゃんの部屋は二階よ。強ちゃん、隣の部屋だから案内してあげて」
「あの、私、手伝います」
母さんは撫子さんの申し出をやんわりと否定する。
「一人で大丈夫。出来たら呼ぶから、部屋で待っていて」
「分かりました」
「じゃあ、行こうか?」
「はい。失礼します」
僕は撫子さんを連れて、二階の階段を登る。
母さんの言った通り、僕の部屋の隣には朝にはなかった撫子さんの名前が書かれたプレートが下げてある。
「撫子さんの部屋はここだね」
「はい。ありがとうございます」
この部屋はもともと父さんの私物置き場。大量のハードとゲームが置いてあった筈だ。
女性の部屋を見るのは失礼なのは分かってるけど、撫子さんが開けた時チラリ中が見えてしまう。
寝るためのベッド。それと机があり、届いたばかりなのか大量の段ボール箱が所狭しと積んであった。
父の私物はどうやら別の場所に移したようだった。
「強介さん。そのミョウさんを怒らせてしまったみたいでごめんなさい」
「ミョウもいきなりのことでびっくりしてるんだよ。だから謝らないで」
「はい」
撫子さんが扉を閉める。
通路に残された僕は何だかとても寂しい気持ちになる。
撫子さんが僕のお嫁さんという理由が未だにわからない。
いつか教えてもらえるのだろうか。
撫子さんとミョウは仲良くできるのだろうか。
そんな事を考えながら自分の部屋に戻る。
この時は何でミョウは語尾に「ニャ」なんてつけていたのかなんて忘れてしまっていた。
第1話 その7に続く。