第1話 その5
「初めまして強介さん。」
「えっ、はあ、初めまして……って、何で僕の名前を?」
反射的に挨拶を返してしまったけど、初対面の人、しかも女性に名前を呼ばれたぞ。
「はい。初めまして、と」
「違う違う。その後だよ。その後! 何で名前知ってるの?」
「はい。私はあなたの妻になる為にやってきたからです」
「「「えええええええ!」」」
僕達の会話を聞いて、今まで静かだったクラスメイト達が絶叫する。
「あの二人一体どういう関係なの?」
「恋人を飛ばしていきなりお嫁さん宣言。しかも教室で」
「あの美少女が風間の嫁!」
僕達を見る皆んなの視線がチクチクと痛い。
とんでもない事を言った撫子さんは、何故みんなが騒いでいるのかわからず、キョトンとしている。
「ほら静かに、静かに。風間さんも戻って皆に自己紹介をしてください」
「はい。すいません先生」
風間さんと呼ばれた少女は先生の隣に戻る。
何で僕と同じ名字なんだろう。
「改めまして、私の名前は撫子、風間撫子と申します。今日からよろしくお願いします」
そう言って、撫子と名乗る少女は深々と腰を折って頭を下げた。
先生が後を引き継ぐ。
「はい、ありがとう。それで要望通り席は空いている風間の隣にしてあるから」
「はい! ありがとうございます。先生」
風間撫子さんが、僕の隣の席につく。
「よろしくお願いしますね。強介さん」
「……よ、よろしく」
僕はそれだけしか言えなかった。
というよりも、頭がパニックで、何も考えることができなくなっていたのだ。
一時間目の授業が始まった時だった。隣の撫子さんが、僕の方に寄ってきて囁きかけてくる。
「あの、強介さん」
「うわっ!」
「コラ! 風間うるさい!」
「す、すいません」
驚いて大声を出したので、国語の先生に怒鳴られてしまった。
「すいません。私のせいで……」
「そんな事ないですよ。ところで何ですか? な、撫子さん」
「はい。あのですね。私まだ教科書とかもらってなくて……」
「ああ、なるほど。じゃあ僕の見ますか?」
「いいんですか! ありがとうございます」
そう言って撫子さんは「失礼します」と言って、自分の机を僕の机にくっつける。
彼女が近くに来るとフワリといい香りが僕の鼻をくすぐる。
僕の心臓はドキドキと周りに聞こえてもおかしくないほど強く鼓動していた。
その香りを何処かで嗅いだことがあったんだけど、この時は全く思い出せなかった。
チャイムがなって午前の授業が終わったと同時に、僕は机にぐったりと突っ伏す。
教科書がない撫子さんとずっと至近距離で授業を受けていたので、半日でとっても疲れてしまったからだ。
因みに他のクラスメイトはというと、撫子さんに興味津々で皆集まって来る。
特に女子達は彼女と一緒にお昼を食べようと誘っていた。
みんなに囲まれた撫子さんはというと……。
「ごめんなさい皆さん。今日は用事があるのです。ですからまた後日に誘って下さい」
そうやんわりと断っていた。
女子達は渋々と解散し、教室には僕と撫子さんの二人だけとなった。
「強介さん。よろしいでしょうか?」
僕は声を掛けられたので机に突っ伏していた頭をあげる。
「あの、お昼を作ってきたんです。一緒に食べませんか?」
「お昼……?」
「はい。コチラです」
正直いうと、この時の僕は疲れていて食欲はなかったんだ。
彼女が取り出したものを見るまではね。
撫子さんが鞄から取り出したのは清潔な白のランチボックスだった。
蓋が開くと、中には箱一杯のサンドイッチが入っている。
「あまり時間がなかったので、大したものではないのですが……」
「僕のために作ってくれたの?」
撫子さんはこくりと頷く。
「あ、ありがとう」
僕はサンドイッチの一つを手に取る。
挟まれている具は、ハムにレタスというシンプルなものだ。
手に取ったそれを見ていると、僕のお腹が空腹を訴えて来る。
「い、いただきます」
僕は撫子さんに見つめられながら、サンドイッチを口に運ぶ。
食パンは耳を切り落として口当たりが良く、ハムの旨味は口一杯に広がり、レタスはシャキシャキと瑞々しい歯応え。そして塗られているマスタードが全体を引き締める。
「おっ、おいしい!」
「本当ですか! お口にあって良かったです」
「お世辞じゃないよ。本当に!」
「……地球の食材で作ったのは初めてですが、強介さんが喜んでくれて良かった」
サンドイッチに夢中だった僕は、彼女のその言葉を聞き逃していた。
僕は一つ目を飲み込むと、すぐさま二個目を手に取り、それも飲み込むように食べる。
三個目を取ろうとした時、中の具が違うのに気づいてそれを取り出し齧り付く。
挟まれていたのはりんごジャムだった。
りんごの爽やかな甘さが、ちょうどいい口直しになって、サンドイッチを取る手が止まらない。
他にもイチゴやオレンジのジャムもあって飽きが来ない。
夢中で食べている僕はある事に気づいた。これを作ってくれた人が食べてないのだ。
ランチボックスの中は半分以上底が見えていた。
「僕ばっかり食べちゃってごめん! 撫子さんの分のこと全然考えてなかった」
「そんな、謝らないで下さい。強介さんが美味しそうに食べる姿が見れて、私とても嬉しいですから。全部食べても大丈夫ですよ」
「いやいや駄目だよ。僕だけ食べるなんて。一緒に食べよう」
僕はサンドイッチを一つとって、撫子さんに手渡す。
「ありがとうございます強介さん」
撫子さんは、僕から渡されたサンドイッチを大事そうに持って口に運ぶ。
「美味しい。好きな人と一緒に食べると一段と美味しく感じます」
そう言って彼女は僕に満面の笑顔を見せてくれた。
「ちょっと失礼しますね」
お昼を食べ終わって満腹な僕に、撫子さんがそう話しかけて立ち上がる。
「何処かに行くの?」
「はい。今の内に職員室に行って教科書を取りに行こうかと」
それを聞いて僕はある事に気付いた。
「そっか、じゃあ僕もついて行くよ」
僕は、いっぱい食べてちょっと重くなった身体に鞭を入れて立ち上がらせる。
「いいんですか?」
「うん。まだ、学校に慣れてないでしょ。だから道案内」
「ありがとうございます」
僕と撫子さんは一緒に教室を出て、一階の職員室へ。
本当はお腹いっぱいで動きたくない僕だったけど、彼女について行くのは二つの理由があった。
もちろん一つはお昼を作ってくれたことの恩返し。
そしてもうひとつ。多分力仕事が待っているからだ。
「大丈夫ですか?」
僕の方を見る撫子さんは、横を歩きながらすごい心配そうな顔で僕を見ている。
「う、うん。大丈夫だよ」
僕はにっこりと笑って彼女を安心させる。
「でも、顔から凄い汗が……それに腕もすごい震えてますよ」
「そりゃ、今日は暑いから汗もかくよ」
「そういうものでしょうか。でも両腕もすごい震えています」
撫子さんは依然として僕を心配している。
そんな辛そうに見えるのかな。自分的には隠してるつもりなんだけど。
「やっぱり、半分持ちましょうか?」
「いいのいいの大丈夫。全部持っていけるから!」
そう僕は、今一階の職員室からある物を持って二階の自分の教室に向かっていた。
それは、撫子さんの教科書だ。
うちの学校では教科書と一緒にノートが貰える。
いつも金欠の学生にはとてもありがたいんだけど、問題がある
それは教科書と同じ数のノートがつくので、嵩張るし重さが倍になるのだ。
さすがに彼女一人では無理なのは分かっていたので、僕がついて来たというわけだ。
僕はいつもの倍の時間をかけて、二階の教室の前までたどり着く。
「……撫子さん。ひとつお願いがあるんだけど」
「はい。何でも仰ってください」
「扉を、開けてもらってもいいですか?」
「あっ、ちょっと待ってください! 今、開けますね」
僕は両手が塞がっていて、どうしても開けることができなかった扉を彼女に開けてもらい教室の中に入る。
撫子さんの机の上に置くと、そこには教科書とノートで塔が出来上がっていた。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ。お安いご用ですよ」
僕は額の汗を拭いながら笑顔を見せる。
「おっ、戻って来たな強介」
僕を呼んだのは、昼食を終えて戻って来ていた恵一くんだ。
「さっき、妹さん来てたぞ。お前に用があったみたいだ」
「ミョウが? 何の用だろう? 」
妹が僕の教室に来るなんて、今まで無かったのに。何かあったのかな?
「何か言ってた?」
「お前がいないって言ったら、すぐ戻ってったな。なんかすごい怒ってたみたいだったぞ」
恵一くんに「心当たりはあるのか?」と聞かれても、僕には全然思い当たることはなかった。
でも、自分の教室に戻ったという事は、そんな緊急の用事ではないみたい。
帰ったら聞けばいいか。僕はそんなことを思いながら自分の席につく。
それと同時に昼休み終了のチャイムが鳴る。
おかしいな。今日は全然休んだ気がしない。むしろ疲れてる気がするのは気のせいだろうか?
今日一日の授業が終わり、僕は下駄箱で靴を変えて外に出ていた。
もちろん一人ではなく、隣には僕のお嫁さんと名乗る撫子さんが歩いている。
一緒のバスに乗り、同じバス停を降りた僕達は、特に話す事なく、しばらく無言で歩いていた。
そして僕は自分の家の前に着いた。
さて、門を開けようとしたところで、ふと手を止めて、僕の後ろにいる人に話しかける。
「あの、撫子さん……」
「何でしょう」
「どうして僕の家までついて来てるの!」
僕はつい大声で突っ込む。
「私はあなたのお嫁さんです。だからこのお家で暮らす事になっています。聞いてませんか?」
「聞いてないんですけど……」
「おかしいですね。連絡が入ってると思ったのですが」
「ちょ、ちょっと待ってて」
僕は玄関の前で撫子さんを待たせる。
「ただいま。母さんいる? 学校に行ったら大変な事が……」
リビングのテーブルに座っている母の姿を見て僕は言葉が出なかった。
「あらあ〜強ちゃん。おかえり〜」
母さんはテーブルに頬杖をつきながら、幸せそうにニヤニヤしている。
しかも頭からハートが浮かんでいる。ように見える。
「一体どうしたの?」
「んふふ。今日ね。とってもいい事があったの。聞きたい〜?」
そういう母さんは、すぐにでも言いたそうな顔をしていて、とても聞きたくないという雰囲気ではなかった。
「うん。聞きたい」
「実はね強ちゃん達が学校に行った後に、何と勇さんが帰って来たのよ〜!」
やっぱり。だろうと思った。母さんがこんなに上機嫌なのは、父さんと会った事ぐらいしか考えられないからね。
「もう、久しぶりに勇さんとお話しできたから、天にも昇る気分。うふふ、今日はご馳走にするからね!」
「本当!」
やった。一体何を作ってくれるんだろうか。楽しみだな……じゃなかった。
「母さん。大変な事があったんだよ!」
「どうしたの? あっ、もしかして恋人さんができたとか?」
母さんは人差し指を立てて、僕に訪ねて来る。
「ち、違うよ。恋人じゃなくて、突然僕のお嫁さんを名乗る女の子が転校して来たんだよ! 父さんは何か言ってなかった?」
それを聞いた母さんは、ポンと手を打った。
「もしかして撫子ちゃんの事?」
「知ってるの!」
「ええ、勇さんから聞いたわ。今日来るのよね。何処にいるの?」
「今、玄関のところに」
「まあ、女の子を外で待たせるなんて駄目じゃない。早く中に入ってもらいなさい!」
「は、はい。今すぐ!」
僕はダッシュで玄関前で待っていた撫子さんを迎えに行った。
第1話 その6に続く。