第1話 その4
「ぶわっはははは! あっはははは!」
朝のホームルーム前の自由時間。
僕の目の前にいる恵一くんの笑い声が教室中に響き渡る。
「ちょっと恵一くん。声が大きいよ!」
僕が注意しても、彼の大声は暫く止まらなかった。
あまりにも大声で笑うから、周りのクラスメイト達が何事だと僕達の方を見てくる。
僕は恵一くんの笑いが収まるまで、ひたすら周りに頭を下げていた。
「ひー、ひー。す、すまんすまん。全く朝から笑わせてくれるぜ。あー、腹いてえ」
そんなことを言いながら、ずっと笑いっぱなしだった恵一くんは、自分のお腹をさすっていた。
なんで彼が大笑いしたのかというと、今から数時間前に僕が体験した不思議な出来事を話したからだった……。
「う、う〜ん。ん? ここは……?」
眩しい日の光で目を覚ました僕は、自分がどこにいるのか、最初は、よくわからなかった。
辺りを見回すと、見覚えがある門とドアを見つける。
見覚えがあって当然。そこは僕の家の玄関前だった。
僕はその間で寝ていたようだ。
「なんで僕、こんなところで寝てるんだっけ?」
何が何だかわからなくて、とりあえず身体を起こす。
「痛てててっ」
背中が痛い。そりゃそうか、こんな硬い地面で寝てれば痛くもなる。
でも、なんでこんなところで寝てるんだろう?
確か……そうだ! 夜中に公園に金色の物体が落ちて、そこで少女に会ったんだ。
そして玄関前まで一緒に来たところで、急に眠くなって……あの子はどこに行ったんだろう?
もう一度辺りを見回すが、少女がいた痕跡は見つからない。
一瞬、夢なのかと思った。けれど本当に微かだけど、自分の手に、彼女の手を握っていた感触が残っている。
あれは夢じゃなかったんだ。
取り敢えず家の中に戻ろう。僕は持っていた鍵を使ってロックを解除してからドアを開けた。
家の中から、ミョウと母さんの声が聞こえてくる。
「……ら、いないんだって! ほんとだよ。家中見たけどいないんだよ!」
「……ついて、ミョウちゃん。それにしてもどこに行っちゃったのかしら?」
二人が何を話してるかはよく聞き取れないけど、とても慌ててる様子だ。
僕は声がするリビングに向かって、二人に声をかけた。
「おはよう。母さん、ミョウ」
僕がそう声をかけた途端、二人の会話が突然止まり、ゆっくりと僕の方に首を向けた。
「……お、おはよう」
二人に見つめられた僕は鼻の頭をかきながら、もう一度、朝の挨拶をした。
「強ちゃん。あなたどこに行っていたの? ミョウちゃんが、部屋にいないって、すごく心配してたのよ」
母さんが腰に手を当てて僕を問い詰めてくる。
「ちょっと、お母さん。ボクはこんな奴の心配なんてしてないから!」
ミョウは顔を赤くして母さんの言葉を否定する。
妹よ。それはそれで酷くないかい?
僕はそれを言葉に出さずに、母さんの質問に答える。
「ごめん。えっと、実はですね……」
僕は夜に起きたことを全て隠さずに話す。
空に穴が開いてそこから金色の物体が落ちてきた事。
何があったのか確かめに公園まで行って、そこでとても綺麗な少女に出会ったことも話す。
何故かそこまで話すと、ミョウに怖い顔で睨まれてしまった。
取り敢えずそれを無視して、僕は話しを続ける。
最後に酔っ払いに追いかけられ、少女と一緒にここまで逃げて来たことを話した。
「そう。それは大変だったのね」
「お母さん。コイツの言うことを信じるの?」
「ええ。困ってる女の子を助けるなんて凄いわ。やっぱり勇さんの血を引いてるからね。私もあの時……」
「お母さん。昔話は今はしなくていいの!」
意外にも母さんは信じてくれて、ミョウは信じてないみたいだ。
まあ、それが普通の反応だよな。
そんな事を思っていると、ミョウがツカツカとこっちに近づいて来た。
僕の目の前で止まって、キッと睨みつけてくる。
「ど、どうした? ミョウ」
「……えい!」
僕の質問を無視して、ミョウがある行動をとる。
とっさのことで僕は避けられなかった。
「いてててててて!」
ミョウは僕の両方の頰を思いっきりつねって来たのだ。
十秒以上つねられてから、やっと解放された。
「いったー。何するんだよ」
僕は熱を持ったほっぺを摩りながらミョウに抗議の声を上げる。
「ふん。美人と会った夢なんか見て、寝ぼけてる強介なんて、大っ嫌いだ! 行ってきます」
ミョウはそう言い残して、学校に行ってしまった。
「いってらっしゃいミョウちゃん。あらあら、ほっぺたが真っ赤よ強ちゃん。ちょっと待ってね」
母さんはそう言うと、冷蔵庫から、熱が出た時にオデコに貼る冷却シートを二枚取り出す。
「これでよし」
それを僕の赤く腫れた頰に貼り付けたくれた。
痛みと熱が嘘みたいに瞬時に収まっていく。
「ありがとう母さん。全くミョウの奴……痛っ」
そこまで言ったところで、母さんが僕の頭をコツンと軽く叩いた。
「こら。妹のことを悪く言わないの。それにミョウちゃん。お兄ちゃんがいなくなって本当に心配してたんだからね」
あのミョウの態度からは信じられないけど、いつも怒らない母さんが怒ったところを見ると、多分嘘は言ってないんだろう。
「……ごめんなさい」
だから僕は素直に謝る。
「それでよし。ところで強ちゃん。時間大丈夫?」
「時間?」
母さんが壁にかかっている時計を見ているので、僕もつられて見る。
時刻はいつも出る時間の五分前だった。
「うわっやばい!」
僕は頰に冷却シートを貼ったまま、急いで着替えて家を出るのだった。
そして学校に着いた僕は、恵一くんに真っ赤な頬を指摘されて、事の次第を話した。
それを聞いた恵一くんは、知っての通り大爆笑である。
「笑いすぎだよ。恵一くん」
「いやー悪かった悪かった。しかしそんな面白いことがあるなんて羨ましいぜ。まさか宇宙人と会う夢を見るなんて……くくくっ」
恵一くんはまだ笑いが収まりそうにないので、僕から話題を変えることにする。
教室に来てからひとつ気になることがあるのだ。
「ねえ、ひとつ聞いてもいい」
「どうした?」
「隣の席空いてるけど、何かあったの?」
そう、僕の右側の席がひとつ空いているのだ。
いつも隣にいた人が前にずれていて、そこに置かれた机は真新しく中には何も入っていない。
「あー、それな。俺も聞いただけだから詳しくは知らないんだが、なんでも今日転校生が来るらしいぞ……しかもだ」
恵一くんはとっておきの情報を持っているようで、僕の方に顔を寄せてくる。
「聞いて驚け……何と女子で、しかも超がつくほどの美少女らしい」
「へーそうなんだ」
「何だよ。リアクション薄いなー。もっと驚けよ。お前の隣に来るんだぞ。その美少女転校生。羨ましい」
と、恵一くんはニヤついているけど、僕にとってはそんなに嬉しくない。
ただでさえ、人と話すのが苦手なのに、隣に転校生、しかもかなり綺麗な人が来る。
想像しただけで、胃がキリキリと痛くなってくる。
できれば恵一くんと僕の席を代わってもらえないだろうか。
彼なら、女子でも物怖じすることなく話せるだろうに。
そんなこと思っていると、チャイムが鳴って、恵一くんは「じゃあ、また後でな」と言いながら、自分の席に着いた。
チャイムが鳴ってから数分後。教室の扉が開かれて、担任の先生が入って来て扉を閉める。
よく見ると、扉の磨りガラスに人影が映っていることに気づく。
きっとあれが転校生なのだろう。周りのクラスメイトたちもそれに気づいたのか、ざわついている。
「静かに、え〜、今日はホームルームを始める前に、この学校に新しく転校して来た生徒を紹介します。入って」
先生の言葉が終わると同時に、扉が開いた。
そして入って来た少女を見て、教室が静かになる。
僕を含めた皆んなが、少女の姿に言葉を失っていた。
恵一くんの情報通り、転校生はとても美しい少女だった。
人というよりも、まるで天使とか女神とか、そんな住む世界が違う美貌を持つ少女だった。
彼女が歩く度に、コツコツと履いている上履きが音を立てる。
僕は教室の床ってこんないい音するんだ。と思いながら、少女を見つめていた。
気温が高くて暑い教室が、彼女が教室に入った途端、爽やかに涼しくなっていく気がする。
先生の隣までやって来た少女は、クルリとこちらに振り向く。
腰まで長い艶々とした黒髪。瞳も黒い宝石のように煌めいている。
身長は僕と同じくらいかな。
彼女はキョロキョロと忙しなく首を動かして、誰かを探しているようだ。
そして僕と目が合った。
「!」
僕はいつもの癖で目を逸らしてしまう。
でも、何で僕を見てるんだ?
気になってもう一度彼女の方に目を向ける。
すると今度はニコッと僕の方に笑いかけてくる。
「では、自己紹介を……あっ、ちょっと!」
少女は先生の制止を聞かずに、こちらに歩いてくる。
生徒達の間を抜けて、どんどんこちらに近づき、そして僕の前で止まった。
僕は座っているので、立っている彼女を見上げる形になった。
少女は僕の隣に立つと、胸に手を当ててこう口を開いたんだ。
「初めまして強介さん」
第1話 その5に続く。