第1話 その3
ネレジナさんと一緒に、難易度ヘブンの最初のミッションをクリアしてから数日が経った。
特に何も変わらない、いつもの日常を過ごしていたある夜、僕のスマホが着信を告げる。
「……こんな時間に誰だろ?」
今は夜の十一時を回ったところだ。
イタズラか何かだろうと無視しても、スマホはずっと鳴り続ける。
非通知や知らない番号なら、着信拒否してやろうと決意して僕はスマホに手を伸ばす。
「あれ? 珍しいな」
画面に表示された番号は、僕のスマホに登録されているものだった。
けど滅多に電話なんか掛かってこないし、こちらから掛ける用もなく、取り敢えず万が一のことを考えて登録だけはしておいた人。
僕の父さんからだった。
「もしもし」
僕は若干気恥ずかしさを覚えながら電話に出る。
父さんとは、一年前に冒険に出ていったきり、会話をしていない。
「よう、強介。久しぶりだな」
いつもと変わらない元気そうな父の声だった。
「うん。久しぶり……」
しまった。それ以上何を話していいのか、言葉が出てこない。そもそも息子と父親って普段、何を話すんだ?
部活とかしてるなら共通の話題でもあるだろうけど……。
「そっちは元気でやってるか?」
「う、うん。僕は元気だよ。もちろん母さんもミョウも」
「そうかそうか。愛ちゃんとも話したかったんだが、ちょっと忙しくて時間が合わなくてな」
父さんは母さんのことを愛ちゃんと呼ぶ。
「それで僕に何の用? 母さんと変わる?」
父さんが僕に電話したのは、きっと母さんに用があったのだが、繋がらないのだろう。
そう思って、自分の部屋を出ようとする。
「いや違うんだ。今日はお前に用があるんだ」
「僕に?」
僕は、ベッドから降りようとしたところで止まる。
「そう。最近やってるか? SDU」
「もちろん。今もプレイしようとしていたところ」
「それは悪い事をしたな。しかし、いいなぁ。俺はこの仕事は好きだが、忙しいからどうしてもゲームが出来なくてな。はぁ」
ため息をつく父は、とても残念そうだった。
父さんは超がつくほどのゲーム好きで、子供の頃から様々なジャンルのゲームをプレイしていたそうだ。
家には今でも、父のコレクションであるソフトとハードが大切にしまわれている。
「そのことを話すために電話を掛けてきたの?」
「うん? ああ、本題を忘れてた……お前に先に教えておく。いいか強介。よく聞けよ」
「う、うん」
今まで聞いたこともない。父の真剣な口調に僕は思わず身構えてしまう。
「実はな……近々家族が増える。暖かく受け入れてやってくれ」
「分かった……はっ?」
それを聞いた僕は、思考だけではなく身体もフリーズした。
「彼女はとっても良い子だ。最初は色々と大変だろうけど、お前ともすぐ仲良くなれるはずだ」
「ちょ、ちょっと待って待って! 何を言ってるのか、さっぱり……」
一年ぶりに電話して来たと思ったら、何ちゅうことを言ってるんだウチの父さんは!
「つまりな……ん? すまん! こっちもいろいろ忙しいんだ。悪いな。詳しい事は俺から愛ちゃんに後で伝えておくから。じゃ!」
「あっ、父さん……」
父は慌ただしく電話を切ってしまった。
「切れちゃったよ。一体何だったんだ?」
僕は、通話を一方的に切られたスマホを見つめながらそう呟くのだった。
父から謎の電話が来てから一週間が過ぎていた。
今の所、何も変わったことは起きていない。
僕は相変わらず、スペースディフェンスユニオンをやっていた。
今日は、まだネレジナさんは現れないので、ソロでゲームを始め、ひとつ下の難易度でアイテム稼ぎ。
今は要請した戦闘ロボットに乗って、敵モンスターを倒している。
今回の敵は遠距離攻撃を持たないので、距離を取って一方的に攻めることができた。
クリアと同時に、ネレジナさんがオンラインになった事の知らせが来た。
「あっ、来たみたい」
僕はネレジナさんにメッセージを送る。
直ぐに向こうからも返事が返ってきた。
『今、合流しますね』
しばらくするとネレジナさんがSDUに合流。
『キョウ。よろしくお願いします』
『よろしくお願いします!』
『今日は遊ぶ前に、ひとつお伝えしたいことがあります』
『? はい何でしょう』
もしかして、今日で一緒に遊ぶのは最後ですとかだったらどうしよう。
僕は何か気に触るような事を言ってしまったのかと、画面の前で身構えてしまう。
『実は、忙しくて今日はあまり時間がないのです。なので、そんなに長くは遊べません。ごめんなさい』
「あっそうなんですね。それは残念です」
良かった。嫌われたわけではなかったみたい。
僕はメッセージを書きながらも、ホッと胸を撫で下ろした。
『キョウ。それじゃあ、今回のミッションはどうしますか?』
『はい。じゃあ……』
僕は気を取り直して、ネレジナさんと行くミッションを選択するのだった。
選んだのは難易度ヘブンのミッション。
一人でやるよりも二人で攻略した方が、はるかにクリアできる確率が高いのだ。
それでも初回クリアは今の所、一回もないけどね。
僕達二人は、今は三面のミッションをやっている。
これで五回目の挑戦だ。
五回目にして、やっとミッションの終盤までやって来た。
『ネレジナさん。援護して下さい』
『任せて』
いつものようにネレジナさんが狙撃で援護し、僕は持って来たショットガンで突撃する。
最後の一匹を撃破したその時だった。
こんなメッセージが表示される。
『ネレジナさんが離脱しました』
「?」
僕はフェアリーの姿を確認しようとしたけど、その前にミッション完了で確認できなくなってしまう。
ミッションが終わりロビーに戻っても、ネレジナさんはいなかった。
「おかしいな。回線が切断されちゃったのかな?」
ネレジナさんは退室するときは、いつも一言メッセージを残す。
少し経ったら戻ってくるだろう。
僕はそう思いながら、ネレジナさんが戻って来るのを待つ。
けれど、結局ネレジナさんは戻ってこなかった。
「……ネレジナさん戻ってこないな。げっ! こんな時間! もう寝ないと駄目か」
僕は名残惜しくも、ゲームの電源を切って充電ケーブルにつなぐ。
そしてメガネを外してベッドに潜り込もうとした時だった。
突然、窓の外でまばゆいほどに緑の光が輝いた。
「何だろう?」
本当に一瞬だったけど僕はその光がとても気になって、カーテンを開ける。
「空に穴?」
僕が見たのは、夜空に裂け目が出来て夜の闇よりも更に暗い穴が開いていたのだ。
そこから細長い金色の物体が垂直に落下する。
落ちたところは家の近くの公園だった。
「大変だ!」
何かとんでもないものを見てしまった僕は、寝間着がわりのスウェットのまま、メガネをかけて慌てて部屋を飛び出して気づく。
「おっといけない。静かにしないと……」
寝ている母さんと妹を起こさないように、出来る限り静かにかつ急いで家を出た。
「ハッ、ハッ」
僕は急いで何が起きたか知りたくて全速力で公園に向かう。
夜中でも気温は高く、ちょっと動いただけで、全身から汗が吹き出る。
運動神経が悪く体力もない僕は、数メートル走っただけで、息が切れて来た。
それでも走り続ける。
あんな眩しい光が辺りを照らしたにも関わらず、誰も外に出ていない。
気づいたのは僕だけなのだろうか?
走ること数分。僕は公園の入り口に到着した。
「ハー、ハー……」
僕は入り口前に置いてある車止めに手をついて息を整えた。
見た所、公園には何の異変も見当たらない。
けどあの緑の光と空に開いた裂け目は、見間違いでも夢でもない筈だ。
そして裂け目から落ちたあの金色の物体。
確かめなくちゃ!
僕は公園の中央に向かう。そこには小さい噴水があったのだが、細長い金色の物体が突き刺さっていて噴水は跡形もなくなっていた。
僕は両目をこすって自分のほっぺを思いっきりつねる。
ちょっと後悔するほど痛かった。
けどそれで一つわかった事がある。
「やっぱり、夢じゃなかったんだ」
その金色の物体は長さは三メートルぐらいだろうか?
幅は人一人が入れるぐらいかな。
見たこともない黄金の金属で出来ていて、所々が緑色に発光している。
僕は恐る恐る近づいて、手を伸ばして触ってみる。ヒンヤリと冷たい。
すると、僕が触ったのが引き金になったのか、目の前で金色の物体が、バシュッと音を立てて開く。
そこからドライアイスのような白煙が溢れた。
「うわっ!」
僕は驚いて腰を抜かしてしまう。
もし地球を征服しにきたエイリアンだったらどうしよう?
そんな映画みたいな事を考えながら、煙が晴れるのを待つ。
煙の中で何かが地面に降り立つ音が聞こえ、動く緑色の触手みたいな物が見えた。
やっぱり、地球を侵略しにきたエイリアン?
僕は激しくこの場に来たのを後悔した。腰を抜かしたまま、後ずさる。
何とか逃げようとしている間に、白煙が完全に晴れ、そこにいる何者かの全身が現れた。
「……えっ?」
僕は、素っ頓狂な声を出して、逃げる事も忘れ全神経を両目に集中させる。
僕は見惚れていた。
そこにいたのは、不気味なエイリアンではなく、とても美しい女性だったからだ。
歳は僕と同じくらいだろうか。身長もあまり変わらないように見える。
最初緑色の触手かと思ったそれは、腰まで届く長い髪で光沢のある翡翠色だった。
肌は白く、顔立ちは整っていてとても美しい。
瞳は夜空に浮かんでいる満月のように輝いていた。
来ている服は、まるで全身タイツのようにピッタリと体にフィットしていて、胸やお尻の形がはっきりと分かる。
彼女を見ていると、全身に雷が落ちたかのような衝撃が走る。
頭の中で一つの言葉が浮かび上がる。
『一目惚れ』と。
人見知りの僕にしては珍しいほど、目の前の女性から目が離せなくなっていた。
その女性、いや少女が口を開く。僕の姿にはまだ気づいてないみたい。
「危ない危ない。夢中になりすぎて、危うく事故を起こしてしまうところでした。彼、怒ってないといいんで……嘘!」
そんな独り言を呟きながら、地面に降り立った彼女は、腰を抜かしている僕に気づいて、手で口を抑える。
「貴方は……何故ここに……」
彼女の口から紡がれたのはとても流暢な日本語だった。
けどそれ以上は何も言わなくなってしまう。
僕も何を言っていいのか分からずに、少女の次の言葉を待つ。
その沈黙を破ったのは、僕でもその少女でもなかった。
「何だこりゃ〜?」
僕と少女ではない、第三者の声が聞こえて来た。
そちらを見ると、サラリーマンぽいスーツを着た顔が真っ赤のおじさんがいた。
「この金ピカは、一体なんなんだ?」
おじさんは酔っ払いらしく千鳥足でこっちに近づいて来る。
ヤバい。こういうシチュエーションはいいことが起きないんだよな。
「んん? おお、なんだ! とんでもない美人がいるぞ!」
やっぱり。
酔っ払いというものを初めて見たのか、キョトンとしている少女を、おじさんが指差す。
おじさんはズカズカ歩いて、いきなり彼女の手を掴んだ。
「な、何ですか?」
少女はとても嫌そうな顔をしている。
「お嬢ちゃん。キレイだね。どこの国の人」
「は、離してください。私は大事な用があるんです!」
「いいからいいから。ちょっとだけ話に付き合ってくれよ。なっ?」
酔っ払いのおじさんは、さっきから同じことばかり言っていて、少女が嫌がっているのに気づいてない。
助けないと!
そう思った途端、腰が抜けた筈の僕の身体が自然に立ち上がる。
「あのっ!」
少女はこっちを向いたが、おじさんは聞こえてないのか、完全に無視されてしまう。
「すぅー。あのっ!」
息を吸い込んでもう一度、声を張り上げる。
今度は酔っ払いの耳にも届いたようで、僕の方を睨みつけてきた。
「くっ……」
僕は一瞬ひるんだけど、何とか酔っ払いを睨み返す。
「何だ。文句あるのか?」
僕の膝が笑い出し、怖くて逃げ出したくなる。
少女の方を見ると目が合った。今にも泣き出しそうで瞳が震えている。
そうだ。彼女の方が怖いに決まってる。
勇気を出せ! 風間強介!
「そ、そ、そ、その……」
僕は拳を握りしめて、相手を鋭く睨みつけた。
「その人は僕の彼女だ。離れろ!」
「うおっ」
酔っ払いのおじさんが、僕の迫力に負けたのかは分からないけど、掴んでいた少女の手を離した
「ごめんなさい!」
「ぐわっ」
僕はそのチャンスを逃さずに、酔っ払いに体当たりして、何故か頰がリンゴのように真っ赤な彼女の手を掴む。
「こっちだよ」
「えっ? きゃあっ!」
返事を待たずに僕は少女の手を引いて走り出す。
一瞬振り向くと、おじさんは尻餅をついて、何かを喚いていた。
きっと「止まれ」とか言ってるんだろうが、僕はそれを無視して少女と共に公園を後にする。
全速力で公園の出入り口まで来た僕は、またそこで息を整える。
チラリと横を見ると、少女の横顔が目に入る。
彼女はとても驚いたのか、まだ不安そうな顔をしている。
何か声をかけなきゃ。
「あの、もう大丈夫だと思い……」
「待てー!」
僕が後ろを振り返ると、衝撃的な光景を目撃した。
さっきの酔っ払いのおじさんが走って追いかけて来る。
「うわああああっ!」
僕は絶叫しながら少女の手を引いて逃げる。どこへ向かうかなんて決めてなかった。
とにかく走って住宅街の路地を駆け抜ける。
僕は何度も角を曲がって、酔っ払いを撒こうとする。
けど、酔っ払いはまだ追いかけて来る。しかも、どんどん距離を詰めて来た。
僕はもう息が切れそうだし、足がもつれそうだけど、それでも少女の手を引いて逃げる。
ただ、ひとつ問題があった。それは逃げ込む場所がない事。
家に行けば、母さんや妹に迷惑をかけてしまう。
この深夜に通りがかる人もおらず、知らない家に助けを求めるのも気がひける。
一番近くの交番は、十分ほど走れば辿り着く。
僕はそこに向かうことにした。
問題はいっぱいある。僕の体力がそこまで持つかどうか。
彼女のことをなんて説明すればいいか。
そんな事を考えるのは後だ。今は少女を取り敢えず安全な場所へ。
振り返ると酔っ払いはまだ追ってくる。なんてしつこいんだよ。
その時、前方の曲がり角から明かりが伸びてきていることに気づいた。
「もしかしたら……」
僕は少女の手を引きながら、思い切って、その光に突っ込んだ。
その光の正体は自動車のヘッドライトだった。
しかも白と黒のツートンカラーの車体。パトカーだ。僕達が角から飛び出したので、パトカーは慌てて急ブレーキをかけて止まる。
ごめんなさい!
今度はお巡りさんに心の中で謝りながら、止まらずに車の脇を抜けて走り抜ける。
少し遅れて、後ろから酔っ払いのおじさんが角を曲がって来た。
「げえっ!」
酔っ払いは、パトカーに気づいたみたいだけど時すでに遅し。
「ちょっと、止まりなさい!」
車から二人のお巡りさんが降りて、酔っ払いの前に立ちふさがる。
大人三人が言い争っている間に僕は少女の手を引いてその場から急いで離れるのだった。
何とか酔っ払いから逃走することに成功した僕達は静かな深夜の住宅街を歩く。
流石に走るだけの体力は、少なくとも僕にはもうない。
今向かっているのは、色々考えて結局僕の家だった。
とりあえず酔っ払いの脅威からは解放されたけど、恐らく宇宙? からやって来た少女を連れて行くところは自分の家しか思いつかなかったのだ。
今僕達がいるのは家の前にいる。
ミョウは嫌がるかもしれないけど、きっと母さんなら受け入れてくれるはず。多分。
「あ、あの……」
それにこんな夜中に、こんな綺麗な人を一人にしてたら、またさっきの酔っ払いみたいなのが絡んでくるかもしれない。
この女性に嫌な思いはさせたくなかった。
「あの、すいません!」
「は、はい!」
何度か少女に呼ばれていたらしい。考え事をしていて気づかなかった。
僕は首が壊れても構わない早さで振り向く。
「ひゃっ!」
あまりの早さに少女に驚かれてしまったようだ。
「す、すいません。何で、しょうか?」
振り向くと少女の満月のように輝く瞳と目が合う。
改めて見ると……
「……とても綺麗……」
「えっ?」
しまった。つい声に出してしまった。
「すいません。何でもないです。何も言ってません。すいません!」
僕は頭を下げて、玄関前で夜中ということも忘れて大声で謝る。
「そんな謝らないでください。ほら頭を上げてください」
彼女に言われて、僕は頭を上げた。
目が合うと彼女が僕に向かって微笑む。
ボンと音がするほど、僕の顔が一瞬にして真っ赤になる。
「ここが貴方の家ですね?」
「そ、そうです。はっ! あの、別にやらしい事とか、下心があって連れて来たわけではないです。
その、家には母も妹もいますし、もしかしたらまた、さっきみたいに変な人に絡まれる可能性もありますので、取り敢えず家なら安全かと思って……」
取り乱す僕を見て、少女が自分の口に手を当てて微笑む。
「分かっています。貴方は聞いていた通り、とてもいい人ですね。それにこのお家もとても素敵です」
「あ、ありがとうございます……って聞いたって誰から?」
「それはまだ秘密です」
そう言って、自分の唇に指を当てながら少女が僕に顔を寄せる。
僕は反射的に頭を後ろに下げようとするが、後ろの扉に阻まれてしまう。
息がかかる程の至近距離で彼女と目が合う。
「今日はありがとございました。お陰で助かりました」
そう言いながら少女は両手を僕の頰に寄せる。
彼女から凄くいい香りがする。
その香りを嗅いでいると、だんだん気持ちが落ち着いて来た。
するとプシュッと音がした途端に、僕の瞼が重くなってくる。
急に睡魔に襲われた僕は、足に力が入らずそのままぺたんと床に座り込む。
「……待って……」
なんとか手を伸ばそうとするが、眠気に抗えない僕の耳に、少女の声が染み込んでくる。
「また直ぐ会えます……強介さん」
なんで僕の名前を? それを口に出す前に僕の意識は深い闇の底に落ちていった。
第1話 その4に続く。