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TOMOKO  作者: 麻島
プロローグ
6/16

プロローグ6

「おはよー朝だよー朝ー」

まどろみの中、徐々に意識が戻ってきている時に聞こえてきた声は女の子の声。

「……おも……い」

 耳にはキンキンとした声が響き渡り、上半身は重さを感じ取っていた。

「失礼な……」

「ならどいてくれ……」

「うん」

 俺の身体は無駄な重力から解放された。

「おはよう!」

「近いから」

 お互いの鼻先が触れそうな距離に智子の顔はあった。

「ちょっと離れようか、うん」

「わかった!」

 なんというか、どうせならもっと思春期の男子がドキドキするようなシチュエーションで起こしてほしいものだ。 いや、この状況も十分他人から見たらドキドキするものなのかもしれない。 そういう意味では俺は贅沢なのかもしれない。

「で、なんの用?」

「え? 何のって」

「朝なのに夜這い?」

「……っ!」

 夜這いの意味を知らないはずの智子の頬は一瞬にして赤く染まった。 そのまま爆発してしまいそうなほどに赤くなっている。

「……まさか」

 訊いてしまった?

「な、なんでもないから! 本当に、うん!」

 いや、訊いたな、この反応は。

「し、下で待っているから!」

 そう言うと智子は俺の部屋から飛び出して行った。 部屋の外からは階段をゴロゴロと転がり落ちる音がした。

「……オッサン、怒っているかな」

 俺は簡単に着替えを済ませ、部屋を出た。


「おはよう」

「おはようございます変態クソ野郎様」

 オッサンの目はギラギラと燃えている。 まるで長年追い続けたライバルとの最終決戦に挑む主人公のように、背後では炎が燃え盛っている。

「はいなんでしょう」

「誰が娘の性教育を頼んだ? 貴様は性獣か? この性獣大統領が!」

「はい」

「はい、じゃねえよ! どうしてくれんだよ! これがきっかけでうちの可愛い智子が淫乱黒光り女になったら!」

「なんだよ淫乱黒光り女って……」

 そっちの方が卑猥だ。

「うちの娘がピンク色に染まるネオン街に夜な夜な出かけ、そこで知り合った色黒のサーファー気取りの男と……ぬおおおおおあああああいいいいいいい! 淫乱な夜を過ごすことが趣味になったらどうすんだよテメェ!」

「なるか! それぐらいで! というか好きで色黒のサーファーをやっている人間に謝れ!」

「ピュアピュアな女の子なんだようちの娘はよぉ! ちっとは考えろこのタコ!」

「誰がタコだ!」

「お二人さん……」

 みじめな言い合いをする俺とオッサンの背後にはいつの間にか話題の中心である智子が立っていた。

「大きな声でそんな話をしないでください……」

「あ、はい」

「す、すまんな娘よ」

「まったく……。 それじゃあ裕也君、出発しよう!」

 気持ちの切り替えが上手な子でよかった。


「この辺り、覚えている?」

「さぁ」

 適当に町中を歩いてみるが、特に見覚えのある風景はない。 住んでいた町なのに、ほとんど見覚えのある景色がないというのは不思議なものだ。

 いや、本当に俺はこの町にきたことがあるのだろうか。 もしかしたら微かに残るこの町の記憶は他の誰かの記憶だったり、前世の記憶だったりするのではないだろうか。 まるで曇りガラス越しに世界を見ているように記憶がハッキリとしない。 

 人間の記憶なんてもんはとても曖昧で、昨日の記憶だと思っていたものが本当に昨日の記憶だとは限らない。 なんというか、だってそれを証明するものはないのだ。 そう、今日の自分が昨日の、過去の自分と同じ人間であることを証明することは不可能に近い。 この世の中、百パーセントの真実なんて存在しないのだから。

「何を考えているの?」

「いや、別に何も」

「ふーん」

 智子はあまり納得できていないようだ。

「あ、あそこの駄菓子屋、覚えてる?」

 智子の指を差すところ、そこには良い意味で古汚い店があった。 漫画に出て来そうな駄菓子屋そのものだ。 店先にまで多種多様の駄菓子が売られており、値札に書かれている数字は、小学生ぐらいの子どもがお腹いっぱいになるぐらいの量を一度に買えるほどの値段だった。

「……覚えている」

 この店には見覚えがある。 確か俺はこの駄菓子屋に、毎日のように通っていた気がする。 オッサンから小遣いをもらい、誰かと一緒に……そう、それは多分智子なのだろうと思う。 智子以外に一緒に遊ぶような友達もいなかったし、俺に姉や妹、弟はいない。 俺と一緒にここに通っていたのはきっと智子なのだろう。

「よかった! そうだよね~ここは覚えているよね~。 うんうん、思い出の場所だもんね」

「そうなのか?」

 この駄菓子屋にそんなに思い出があるのだろうか。 通った記憶は確かにあるが、忘れられない思い出があるかと言われたら、さすがにそこまではない。

「どんな思い出があるの?」

「え? うーん」

 智子はしばらく考える仕草をした。

「忘れちゃった!」

 そう言ってイタズラに舌をペロリと出した。

「思い出は忘れちゃダメだろ」

「ごめんね! でも、裕也君がここを覚えていてくれて嬉しいよ!」

「なんか説得力ないな」

「さ、次行こう~」

 ということで俺たちは駄菓子屋をあとにした。 どうやらすべてを忘れているわけではないという安心感が生まれていた。


 その後も色々な場所を散策した。 

 古びた商店街に、俺たちが昔通っていた小学校。 それらを見た時、俺の記憶に覆いかぶさっているホコリが少し払われたような気持ちになった。

 だけど、なんなのだろう。 この釈然としない気持ちは。 確かにまったく見覚えのない風景ではない。 だけど、具体的にそこで何をしたのか、どんな思い出があるのか、ハッキリとした描写を頭の中で思い描くことができない。 今日辿った場所のほとんどに霧がかかったように見えた。 そしてその理由はわからない。

「ここが最後!」

 気付いた時、町は黄昏に染まりつつあった。 最後に連れられてきたのは人気のない山の中。 俺の背丈の何倍もある木々に積もった雪はオレンジ色の夕焼けに照らし出され、この世のものとは思えないほどに幻想的に見えた。

「ほら!」

 しばらく山の中を歩くと、開けた場所に着いた。

「……きれいだな」

 まるでパノラマのように眼前に広がる景色は、今日俺たちが一日をかけて歩いてきた町並みだった。 どんなに両手を広げても収まることのないほどに広い町並み。 オレンジに染まるその町にノスタルジアを感じずにはいられなかった。

 やっぱり俺は知っている。 この町のことを俺は知っている。 

 そして町も俺のことを知っているのだろう。

「ねぇ裕也君」

「ん?」

「覚えてる?」

 今日何度目かわからないその言葉。 そのほとんどに俺は覚えていないと答えてきたが、今ならばはっかりと言える。

「覚えているよ」

 ここから見える町並みと微かに香る木々の匂い。 初めて心から懐かしいと言える場所に辿り着くことができた。

「ここから見る町並みが俺は好きだった。 だから何度も――」

 その時だった。

「うっ……」

 まるで金属を擦り合わせたような高い音と耳鳴りが頭の中を駆け巡った。 それは人間ならば当たり前にできるはずの二本足で立つという行為さえ奪うほどに強く激しいものだった。 

「裕也君? え、ちょっと大丈夫?」

 俺は……ここで……なんだよこれ。 

この場所で起きた何かを思い出そうとすると頭が割れるように痛む。 まるで開けようとしている記憶の扉を強い力で押さえ付けるように。 

 裕也――。

 お……ね……え……ちゃ……。


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