■第二章 胸の傷、心の傷
■第二章 胸の傷、心の傷
その夜、俺は妙な夢を見た。摩訶不思議大冒険の主人公になった夢だ。それも物語最終盤、神様より偉い王様のさらに上の神様でも倒せなかった魔人と戦うあたり。
合体アイテムのイヤリングを使って最強のライバルと究極合体するはずが、一番上の神様と合体しちゃったどうしよう、って変な夢。俺の能力との相性は良くて、でも戦闘能力がそんなに上がらなくて、さあ困ったというところで目が覚めた。夢見が悪かったせいかあまり寝覚めは良くない。
通学路で待っていた千佳が心配してくれた。
「どうした、キョオちゃん。脳波レベル、落ちてる」
「千佳、今日も元気だね」
「その切り返しができるなら大丈夫。でも元気ない。どうした?」
「大丈夫、変な夢見たから変な感じがするだけだ」
「夢占いする?」
「ユングやらフロイトやらが腹抱えて笑うだけだからやめておく」
「月面の天才女戦士?」
「千佳の知識はアニメ方面に偏りすぎ」
「あぅ」
中二病の幼児性が、漫画の主人公になる夢の形で発露しただけの話だ。夢占いとか夢診断なんかするまでもなく自分でわかるさ。しかし、こんな夢見ちまうってことは幼児性が残ってる=中二病が治っていないってことなんだよな。
「ほほう、硬派なキョオ君が同伴出勤、と」
「同伴出勤って何だよ、かおりッ!」
待ち伏せしていたかのように現れたかおりが、スマホで俺たちを写して言った。
「かねてから噂の二人のツーショット。いい絵撮れたよ」
「てめえ!」
「照れない照れない。千佳ちゃん、キョオ君のために一生懸命水着選んだんだよ?」
「べ、別にキョオちゃんのためじゃないんだからね!」
「千佳!? なぜそこでツンデレる?」
「それじゃ『可愛いの』ってリクエストしたの、誰よ? キョオ君でしょ?」
しまった! 一緒に水着選べばリクエストされたことは話さなきゃならないのか。そこからリクエストした奴(つまり俺だ)の存在を嗅ぎつけたら、あとは芋づる的に推理する……。
つくづくこいつの嗅覚は恐ろしい。
「わかった、抵抗はしない。でもここは通学路だからさ、後で独占取材させてやる。今は開放してくれ」
「交渉の余地はあるようね。じゃ、放課後改めて話を聞かせてもらうわよ」
「ごめん、キョオちゃん。私がうかつだった」
「いや、仕方ないよ。不可抗力ってやつだ。千佳はよくやってくれたよ」
俺たちは3人で通学路を歩き続けた。やはり言葉尻を取られないように会話するのは神経を使うものだな。
「この暑いのに何で学ラン着てるのよ?」
「ノーコメント」
「ふたりの関係はどこまで進んでるの?」
「籍は入れてないが子供は十を頭に3人」
「キョオちゃん!?」
「キョオ君! ふざけない!」
真っ赤になる女子ふたり。千佳は恥ずかしがって赤くなり、かおりは怒って赤くなる。いずれにせよ放課後には独占インタビューが待っているのだ。今まともに取り合う必要はないだろう。弱みを見せないためにも今は軽口を叩かせてもらうことにする。だが……。
「キョオちゃん、十が頭じゃ私たちが6歳の時の子……」
しまった、千佳はこういう冗談に耐性が無かったのか?
「千佳、千佳。落ち着け、冗談だ」
「でも、子供って、子供って……キョオちゃんと私の……」
千佳が湯気を吹きそうに真っ赤になってる。すまん千佳。困らせるつもりは無かったんだ。でも分かり易いな、そして可愛い。俺は千佳を落ち着かせようと頭に手を置いて撫でながら話しかけた。
「分かった。まだ早いな。うん。俺たちにはまだ早い。だから落ち着いて。俺が調子に乗り過ぎた。ごめんな」
「キョオちゃんの莫迦、キョオちゃんのエッチ、おたんこなす」
だがそれはどうも逆効果だったようだ。千佳はなぜか涙を浮かべて俺の胸をポカポカと叩き始めたのだ。どうしたわけか俺は千佳を混乱させてしまったようだ。どこが『分かり易い』だよ。女心って難しい。こういう時は『夫婦喧嘩は犬も食わぬから自分で食え』だ。
「すまん、俺が馬鹿だった。俺がエッチだった。俺がおたんこなすだった。俺が悪かったから謝らせてくれ。ごめん、千佳。許してくれ」
「莫迦、莫迦、キョオちゃんの莫迦! 私のこと、わかってない!」
「そうね、今のはキョオ君が悪いわ」
「かおりには分かるのか? 俺は何で泣かせちゃったのか判らないんだよ」
「これだから男子は! ほら、千佳ちゃん。こんなの放って先に行こう!」
千佳とかおりは走っていってしまった。何なんだいったい。でも考えてみると千佳を泣かせてしまったのは初めてである。暗澹たる気分のまま、俺はふたりを追って登校した。
◆◆◆
授業が始まる前に千佳に声をかけようとしたが、すっかりへそを曲げてしまったらしく相手にしてもらえない。こっそり付き合ってたのが裏目に出て、強く出る訳にもいかなかった。
「喧嘩しないバカップルほど気持ち悪いものはない」とあったのは、確かに千佳が夢中なあの作品の原作小説――千佳が薦めるから自腹で「お布施」を払った――だった筈なんだが、いざこの身に降りかかってくると、どうすればいいのかさっぱりわからなくて当惑するしか無かった。小説と違って、喧嘩の原因が分からないんじゃどうすれば仲直りできるか分からないもんな。
担任教師が来てホームルームが始まろうとした時、いきなりガツンと誰かに頭を殴られた。見回しても手が届きそうな所には誰もいない。何か飛んできた訳でもない。気のせいでないはずだが頭痛のようにズキズキと後に響くわけじゃない。何だ? いったい?
次の休み時間。声をかける前に千佳は女子トイレに逃げてしまった。仕方なくかおりから千佳が怒ってる理由を聞き出そうとしたら「自分の胸に聞きなさいよ!」となじられた。そして授業開始直前にまたガツン。原因不明。変な病気か?
2時間目が終わった後の休み時間も千佳は逃げてしまった。やはりかおりから聞き出すしかないと思い直し、頭を下げて頼み込んだ。
「俺が悪かったのはわかってる。千佳に落ち度はない。だけど俺、馬鹿だから自分のどこが悪かったのかがわからないんだ。頼むから俺の悪いところを教えてくれ!」
「キョオ君、あんたねえ……自分の恋でカンニングしようっていうの?」
「本当にわからないんだよ。俺、鈍くて女心なんてわからないから……せめてヒントだけでももらえないか?」
「ヒント……ね? ヒントは、キョオ君がまだ子供だってこと。あとは自分で考えなさい」
そしてチャイムが鳴って千佳が先生と一緒に入ってきた。またまたガツン。千佳と仲直りしたい気持ちからくる精神的なものなのかも知れない。
俺がまだ子供だってこと。それが千佳が怒っている理由。どういうことなのか考えてる内に3時間目は終わってしまった。俺は千佳に逃げられないように、授業が終わると同時に飛び出した。これがいわゆる『壁ドン』って奴か。
「千佳、待ってくれ」
「……何?」
「ちょっとここじゃ言いにくいんだけど、いいか?」
「……じゃ、ベランダで……」
俺たちは教室ごとに設えてあるベランダに出た。窓が全開だから大声は出せないが、アブラゼミがジージー鳴いて蝉時雨を降らせているから教室の中には聞こえないだろう。
「かおりに聞いたら俺がまだ子供だから千佳が怒ったといってたが、それは間違いないか?」
「……うん……」
「何かで読んだんだが、精神年齢が成長するのは男子より女子の方が早いんだってな」
「……」
「俺が、その、子供のことで『俺たちにはまだ早い』っていったから怒ったんだろ?」
「……」
千佳は恥ずかしいのかうつむいて肩を震わせていた。だが逃げる気配は無い。
「悪かった。俺も千佳のそういうところを直視してなかった。千佳も女の子だもんな。そういうことを直視せずにはいられない訳だもんな」
いわゆる毎月の『女の子の日』って奴は、お腹で赤ちゃんを育てる支度なんであって、女子はみんなそれを実感を持って真剣に直面しているものなんだろう。それを軽口で言ったりまだ早いって言ったりするのは俺が真面目に直視していなかったからだ。
大切な、本当に大切な千佳の体のことなのに直視していなかったのだ。それを今更ながらに後悔している。わかってしまえば納得できるのに、かおりにヒントをもらうまでさっぱりわからなかったのは、千佳が怒った通り俺がまだ子供だからなのだろう。
千佳がそういう行為を望んでる訳じゃなくて、ただ配慮が欲しかったんだと思う。只の友達ではなく、ひとりの女性として扱って欲しかった。そういうことだったんだ。
「ごめんな。これからは千佳のこと、大切にする。恥ずかしい話だったろう? 本当にごめんな。許してくれるか?」
「……許す。わかってくれたから許す。でもキョオちゃんはキョオちゃんのままでいい」
千佳は涙を目の端に溜めたままにっこりと微笑んだ。この笑顔を二度と曇らせるまい。俺は強く心に誓った。そして4時間目が始まるとき、頭痛が起きなかったことに一安心した俺がいる。やはり千佳とのいさかいが原因だったのだろうか。
4時間目の途中で俺はノートの切れ端で手紙を書いた。折り畳んで宛先――もちろん千佳宛てだ――を書いてクラスメイトに回してもらう。メール全盛とはいえ授業中にスマホを使うわけにはいかないから、こちらの方が実用性があるのだ。
『千佳へ。よければ弁当一緒に食わないか?』
程なくして千佳からの返事がきた。こちらはルーズリーフを1枚外して使ってる。
『はわ!? キョオちゃんどういう風の吹き回し? 嬉しいけど恥ずかしいから教室じゃない方がいいな』
返信。
『了解。とっておきの場所がある』
返信が届いた千佳は俺の方を見てコクコクとうなずく。実は千佳を昼メシに誘うのは初めてだから俺も照れくさい。だが、どうせ放課後になれば俺たちの仲はかおり経由で知れ渡るのだから、もう隠す必要もあるまい。
とっておきの場所、というのも、俺の秘密の場所だったのだが「千佳だけになら教えても良いかな」と前々から思っていたのだ。千佳との間に隠し事はしたくない。全てを分かち合いたい。心からそう思う。
◆◆◆
「ここがとっておきの場所。体育館の音響室だ」
「おぉ! 確かにとっておき! でもどうやって入る? 鍵は?」
「ちょっとした事情でな。合鍵を手に入れた」
少々狭いが、ここならそうそう人目にはつかないだろう。エアコンも使えるし、昼休みに隠れて弁当を食うにはもってこいだ。お約束なら校舎の屋上とかがありがちだが、ここなら天候に左右されないで済む。鍵もかかるからプライバシーも完璧だ。
「……キョオちゃん何か企んでない?」
「ん? 何も企んでないぞ?」
「……身の危険を感じる」
「身の危険? なんだそりゃ?」
「密室に恋人を連れ込もうとしてる。貞操の危機」
「てってってぇ!? 言われてみればそれは確かにそんなシチュエーションなのかもしれんが俺はそんなこと微塵も考えちゃいなかったぞ!」
「さっきの仲直りの流れ上、考えておくべき」
「く……すまん。俺が軽率だった。俺はただ千佳との間に隠し事をしたくなかっただけなんだよ。それだけは信じてくれ」
ちょっとへそを曲げた千佳は腕を組んで俺を睨めつけた。平謝りする俺。今日はこればかりだな。
「ではこれを。謝罪のしるし」
「……持ってきてたんだ、それ」
千佳がカバンから取り出したのは、いわゆるネコ耳カチューシャという奴だった。千佳は昨夜の俺の失言をネタにそれを持ってきていたのだった。
「こんなこともあろうかと。あらゆる事態を想定して備えるのは基本中の基本。大丈夫、誰も見てない」
一瞬「俺のほうが危機なんじゃ?」と思ったが、敢えて口には出さなかった。
「……中でな。とりあえず入ろう」
だが、誰もいないと思った音響室には先客がいた。3年の先輩が隠れてタバコを吹かしていたのだ。
「あっ! す、す、すんません、番長!」
「こらっ、何してやがる!」
誤解が無いように明言しておこう。前者が先輩で後者が俺だ。俺が喫煙していた先輩を叱責したのである。先輩は携帯灰皿でタバコを揉み消しながら慌てて逃げ出した。
「まったくアイツは……タバコは駄目だと言ってるのに」
「キョオちゃん? 今の人、『ばんちょ』って?」
「いや、その……そうだな。千佳に隠し事はしないって決めたしな。正直に話すよ。この学校にも不良って奴はいるんだよ。そいつらの天辺が番長。つまりそれが俺なんだ」
そう、小ッ恥ずかしいことに俺はこの学校の番長なのである。
過日俺達が付き合うきっかけになった事件のおりに不良たちと揉めて、俺は彼らを叩きのめしたのだ。後継者不足に頭を悩ませていた先代番長はそれを気に入って俺を指名して、その後なんやかやがあって俺は番長を襲名させられたのである。
その都合で俺は学ランを着ている訳だし、ここの鍵も手に入れたのだ。元々、ここは不良の溜まり場だったのである。
「キョオちゃん、不良だったの? 気づかなかった」
「俺も自分が不良だとは思っていないけどな。これがまた風紀委員と結託して学校の裏のバランスを保ってるっていうから洒落にならんのだよ」
「キョオちゃん、『何の因果かマッポの手先』?」
「マッポって警察? 違うよ……いや、そんなに違わんか」
「ヨーヨーに桜の代紋?『おまんら許さんぜよ』?」
「何だそれは?」
「未来に継ぐべき歴史的遺産。知らないことは不幸なこと。今度ビデオ見せる」
千佳がネタにしてるところを見ると、恐らく何かのアニメか何かなのだろう。それよりも、目の前の問題が黒光りしている。
「キョオちゃん、コレ付けて『ネコ耳番長』として全国平定に立ち上がるべき」
「それって俺たちが生まれる前に『未完』で終わって三十年後に連載再開したアレの話?」
「日本人全員から百円ずつカツアゲすれば百億円」
「そういう話だったっけ、アレ? あとカツアゲは犯罪」
「違う話かも。昔のことだから記憶があいまい。犯罪はダメ、ぜったい」
まあ、今朝の詫びにネコ耳付けろ、っていうなら嫌とはいわないさ。戦略シミュレーションゲームみたいに全国平定というのは勘弁だが。
そして俺たちは仲良くネコ耳をつけて(優しい千佳は自分用にお揃いのネコ耳を用意していた)弁当を食ったのだった。
夏休みで購買部も食堂も閉まっているから、生徒の昼飯はほぼ全てが弁当で賄われている。 更にそのほとんどが親に作ってもらった弁当なのだが、中には例外的に家の事情でコンビニ弁当という奴もいる。俺もそのひとりだ。
「時にキョオちゃん、お弁当は……」
「お袋が看護師だからな。大抵忙しいからコンビニ弁当だ」
「それじゃ、あの、その、えっと、もしよかったら、私が作ってもいいかな、なんて思ったんだけど、迷惑かな?」
「千佳の弁当は自分で作ってるのか? なら作ってもらうのも悪くない」
「いや、その、これはママが作ったんだけど……明日から私が作る。だからキョオちゃんのも一緒に作る! キョオちゃんに私の料理を食べてもらいたい!」
「ありがとう。でもアニメ料理は禁止な」
「ぶー。ちゃんとしたアニメ料理だってある。ミートボールスパゲティとか」
「ああ、城下町の酒場で食ってたアレか。アレは俺もやった。簡単だし」
「リクエスト、ある?」
「いや。強いて言えば千佳の一番の得意料理を食べたいな。何が得意なんだ?」
「うう……インスタントラーメン……」
「……正直でよろしい。千佳の手料理なら何でもいいよ」
「あぅ、そういわれると却って傷つく……」
「他にどう言えと?」
「まあ、そうだけど……あまり期待しないで欲しい」
「いや、そこは向上心を持とうよ。最初から上手い奴なんていないんだし。練習だと思って」
「練習……練習って……」
照れる千佳は本当に可愛らしい。何か恥ずかしいこと連想したんだろう。何か? は見当がつくから敢えて口にしてみる。
「その……愛妻弁当って、男の夢なんだぜ」
「はうっ、キョオちゃん!? 思考を読んだ!?」
「そりゃ……恋人同士が同じ事考えるのは気持ちが通じ合ってるからであって、不自然なことじゃないと思うぞ……」
何だか言ってる俺まで恥ずかしくなってきた。でも、言って良かったと思う。
だけどふたりとも二の句が継げずに黙り込んでいるうちに時だけが過ぎていった。俺はこんなに千佳との会話が繋がらなくなることは初めてだったから戸惑うばかりである。
やがて予鈴が鳴り、次の時間の用意をする時間になってしまった。次の時間は物理……プールでアルキメデスの原理の実験、という名目の自由行動だ。俺たちは早々に切り上げて水着に着替えることにした。
教室に帰る途中ふたりしてネコ耳を外すのを忘れてえらい恥をかいたことは抜群に秘密だ。
◆◆◆
そしてプールの時間になり、俺は自分の思慮の浅さを心から後悔した。
千佳の水着は、「鼻血もの」という予告に反して愛らしいものだった。大きすぎず小さすぎずといった理想的なプロポーションを包む青いビキニというかセパレートタイプの水着と腰を覆うパレオはよく似合っていて、ただ一点を除けば俺の劣情を刺激する姿だった。
ただ一点。胸元の手術痕を隠すトップスを除けば。
以前千佳は心臓の手術を受けた。それは俺たちの出会いからの繋がりなんだが、その手術で千佳の胸には傷跡が残ったはずだ。きっとそれを俺に見られたくなくて新しいこの水着を買おうとしたのだろう。その乙女心をわかってやれなかった俺の思慮の浅さが辛かった。
胸が痛かった。思い至らなかった自分の愚かさを悔やんだ。
それでも千佳は少しはにかみながら微笑んでいる。その健気さに俺は感動したのであった。
一生、大事にする。そう誓わせるのに充分な微笑みだった。まさしく「ベタ惚れ」である。
さて、プール利用となると体育教師の許可と監督が必要となる。そのへんは物理の高品先生が手配してくれたのだろう。監督の体育教師は(ふざけ半分なのだろうが)ボディビルのポージングをして笑いを取りつつムキムキの逞しい筋肉を誇示している。
むしろ問題は明らかに涼みに来たとみられる俺たちの担任の麻上英子先生、通称A子センセだ。高品先生が懸想しているのは学校では有名な話で、ご機嫌取りに呼んだのだろう。
確かに女子もいることだし、女性教諭を呼ぶのは道理に適ってる。担任となれば第一候補になるのも自然の成り行きだろう。
だがこのA子センセはいわゆるおっぱい野郎で、色気過剰なため女子のウケは非常に悪い(逆に男子や男性教師にはウケが良い)。
俺は、といえば悪く思ってはいないが、千佳の方が良いと思っている。過剰な色気は硬派の邪魔だ。
そのA子センセは豊満な肉体をあぶない水着で覆っている。本当に教師か? 早く準備体操して水に入りたいぜ。そんな教師たち3人を眺めていると、「じー……」という音が聞こえてくるんじゃないかってほどに千佳が俺の方を睨んでいるのに気づいた。
おいおい、俺はA子センセを見てるんじゃない。準備体操を待ってるだけだ。
躾のなってない餓鬼である俺たち男子は準備体操が終わり次第ドボンドボンと次々にプールへ飛び込んだ。ああ、涼しい。
そういえば女子と合同で学校のプールに入るのは実は入学以来初めてのことである。なにやら照れくさい。それはおそらく女子も同じことなのだろう、皆、一様に着飾った水着を付けている。ビキニが多いだろうか。
ウエストに自信のない女子にはビキニの方が目立ちにくい、という記述は割と硬派な漫画のヒロインのセリフだったが、女子の間ではもう普通に常識なのかもしれない。
俺は千佳に近づいて声をかけた。
「千佳、すまん。その……胸の傷のこと、思いやってやれなかった」
「? 胸の傷?」
あれ? 千佳は何のことか分からないようなきょとんとした顔をしているぞ?
「心臓の手術をしたときの手術痕、残ってるんだろ?」
「それ、脚」
「え?」
「脚からカテーテルを通して手術したんだよ。だから胸には傷はないよ」
「それじゃ胸元を隠してるのは……」
「こっちの方が可愛いから」
俺はその場で脱力して沈んだ。そりゃまあ「可愛いの」ってリクエストしたのは俺なんだけどさ。脱力で沈むだなんてコントじゃあるまいし、とは思うけど、実際にあるものなんだなあと思いつつ俺は沈んだ。
まあ、半分ホッとして気を抜いたのは認める。こういう油断が不幸につけ込まれる隙になるのだな、と思い知ったのはこのあとのことだった。
要するに、俺は溺れたのである。