■第一章 語るに堕ちる夏季講習
■第一章 語るに堕ちる夏季講習
「ねえ、キョオちゃん。『魔道書・厚』持ってきた?」
「あんなもん持ってきたのがバレたら没収だろ! 高かったんだぞ、あの攻略本」
「『魔道書・薄』は?」
「それも無し。てかゲーム機持ってきたのかよ? 没収されないように隠しとけよ」
夏休み。と言えばバカンス。な訳もなく。俺たちは高校の夏季講習に参加していた。
一応ウチの高校は私立だが、体育系でも職業校でもない。つまりは進学校だ。だからデキる生徒はより上を目指し、デキない俺たちはそこそこの成績アップを目指して夏休みも勉強することになっている。まあ、進学校だって成績の順列は付くからね。
どこが夏『休み』なんだろうとは思うし、普通に夏休みの宿題(他校と同じような業者製のドリルだ)も出るから他の高校と比べると遊ぶ時間はかなり削られるんだろうけど。
でも、まあこうして毎日おおっぴらに千佳と会えるんだから文句はない。
恋は盲目とはよく言ったものだ。なんか最近の脳科学では恋をするのは感情ではなく衝動だとかいってたけど、どうやらそういうことらしい。毎晩の電話が切るに切れずに長電話して、勉強に身が入らないのは学生の本分にもとるとは思うんだが……分かっちゃいるけどやめられない、とまらない。ドーパミン(だっけ?)御礼・大・大・分泌中。
「わかってる。ちゃんと隠す。どのみち魔道書がなくては攻略は不可能」
「俺は昔ネタバレして感動し損ねたことがあるから、攻略本はできるだけ見ないようにしてるんだけどな」
「でも『魔道書・厚』買ってる。なぜ?」
「攻略本は旬の品だから。出たときに買っておかないと。本屋の店頭から消えたら入手が困難になるんだよ。あとでオークションで高値で買う羽目になる」
「買って、でも読まない? キョオちゃんは意思が強い。尊敬する」
「ハハ、そうでもない。詰まったら読んじまうし」
「詰まった時のために買うんだから間違ってない。やっぱりキョオちゃんは意思が強い」
「ありがとうな。ホレ、そろそろ授業が始まるから席に戻れよ」
千佳を促して俺は教科書を机から引っ張り出した。今日もアブラゼミがけたたましく鳴いている。哭いている訳じゃない、と心の中でひとりツッコミをした。今日も暑くなりそうだ。
暑がっているのは俺たち生徒だけではなかった。先生も人間だし、教室の冷房も快適とは言い難い暑さだし、期末テストの平均点も悪くなかった。となればみんなでプールにでも入りたいね、と話が逸れるのも無理からぬことである。しかし今日は夏期講習だ。水着を持ってきているのは水泳部ぐらいである。
「じゃあ明日の分も今日済ませて、明日はプールで『アルキメデスの原理』の実験な!」
「よっしゃあ!」
報酬があるとやる気のスイッチが入る、というのは事実らしい。今日の物理の授業は内容が二日分詰め込まれたにもかかわらず大変はかどった。
何か値踏みするような視線が飛び交っているのは男子の悲しいサガゆえの不埒な下心、だというのは女子にも見透かされているような気がする。女子の水着姿を想像して鼻の下を伸ばすのが男という生き物なのだ。まあ、女子は女子同士で牽制し合ってるのかも知れないが。
俺だって『千佳はどんな水着を着るんだろう』とか思ってしまう。やはり千佳の好きなアニメのヒロインみたいなゴスロリ水着なのだろうか? 独り占めしたい、誰にも見せたくない、という悋気が無いではないのだが、やはり見たいものは見たいのであった。
◆◆◆
放課後。その機会は想像以上に早く訪れた。そもそも俺たちの高校は標準服という奴はあるものの、基本、私服だ。従って水着も授業で使う標準水着と、私用水着を状況で使い分けることになっている。
ちなみに普段は俺は『とある事情』で学ラン姿だ。この目茶苦茶暑いにも関わらず昔の漫画の主人公みたいに学ランである。千佳は半袖ブラウスと赤いチェックのスカートにスクールベスト着用だが、これも例のアニメのヒロインの制服(夏服)のコスプレだ。イベントで着飾るコスチュームプレイヤーとかいう連中ほどではないが、手先の器用な千佳は自作のアニメ制服を見事に着こなしている。
閑話休題。この夏、泳ぎに行く機会がまだ無かった千佳は、授業用の標準水着(競泳用とかいう奴らしい)しか持っておらず、新しい水着を買いに行くと言いだしたのだ。
「もしかして、俺に付き合ってくれ、と?」
「そう。どうせならキョオちゃんの好みの水着が着たい」
嬉しいことを言ってくれる。こんな健気な子が俺の恋人だなんて、なんと幸せなんだろう。
「だが断る」
俺は本音を押し殺して建前を口にした。
「あぅ、なんで?」
「恥ずかしい。女の水着売り場なんて男の立ち寄る所じゃない」
「……キョオちゃん、硬派だもんね」
そう、俺は以前読んだ小説の影響で『硬派でストイックなのが恰好良い男だ』という信念を持っている。だから俺がフリルやら水玉やらで華やかな水着売り場で買い物だなんて、想像の域を大きく越えるのだ。
もちろん本音では千佳の水着が気になっている。恋人の水着が気にならない男がいるだろうか? いやいない(反語)。売り場で「どっちがいい?」とか聞かれたら、絶対に本気で悩むだろう。だがそこで鼻の下を伸ばさずにいられる自信がない。それに、千佳が試着室に入ったりしたら、俺は水着の花園のど真ん中でひとりきりになる。その時平常心でいられるほど世慣れしていないし、いたたまれなくなって逃げ出すのも恰好悪い。
つまり、どうするのが一番俺らしく恰好良いことか、を考えたとき、最初からその場に行かないのが最良の選択だと思うのである。『君子危うきに近寄らず』ということだ。
想像以上に早く訪れた千載一遇の機会を、俺は俺自身の矜持のために敢えて見送ったのである。だが俺は昔の漫画の主人公みたいに漢一直線ではないから千佳に一声かけてやるのを怠らなかった。
「一緒に買いにいってやれないけど、明日楽しみにしてるからな。可愛いの、期待してるぞ」
「うん、期待してて! きっと可愛いの見つけてくる!」
頭に手をのせて声をかけてやると、途端にぱあっ、と千佳が明るい笑顔になる。こういうのを満面の笑みというんだろうな。横にリボンで束ねた髪がぴょんと跳ねる。本当に愛らしい。
千佳はどちらかというと綺麗というより可愛い子だ。もちろん綺麗なのだが、こういう時に見せる愛らしさが千佳の本当の魅力である。『アバタもエクボ』とか『のろけ』とか思われるかも知れないが、紛うこと無き本心なのだから臆することはない。
だから、だ。千佳が無理して『セクシー路線』に脱線したりしないように『可愛いの』と予防線を張っておくのである。
幸い千佳は服飾のセンスは良い。可愛いの、という俺のリクエストと千佳のセンスが噛み合えば、千佳は抜群に似合う水着を選んでくるだろう。これは確信であり、信頼だ。
「じゃ、また今夜。電話待ってるね」
「莫迦、バレるだろ」
「バレるって何が?」
会話に割り込むなりツッコミを入れたのは俺たちのクラスメイト、通称『報道部のパパラッチ』こと橘かおりだった。俺たちのように内緒で付き合ってるカップルにとっては天敵みたいな奴で、秘密にしたいことには抜群の嗅覚を持つという噂だ。
小学校から俺と一緒だったらしいがよく覚えていない。まあ、下の名前で呼ぶ程度には知ってるという知り合いだ。
「お前には関係ない。この前保健室のコイバナスクープが誤報だったのに懲りてないのか?」
「あれは事実だよ。組織が隠蔽工作したから誤報ということになったけど」
「そのニセ中二病設定、やめろ。おちょくってるだろ?」
組織が隠蔽工作、とか中二病設定っぽいことを言ってるが、こいつは全然中二病ではない。
俺の中二病時代を知り、かつ、千佳が中二病アニメのファンだということを知っているからふざけているのだ。その辺の知識を知っていること自体、こいつの情報収集能力の高さを物語っているのだが。
「かおりん、ちょうどいい所に。水着を買いたいから付き合って」
千佳がいきなりとんでもないことをいいだした。これは想定外だ。さすがの俺も背筋に冷たいものが走るぜ。女子同士の交友関係なんか知らないが、うかつだぞ、千佳。バレたらどうするんだ。
だが千佳はかおりの目を盗んでこちらにウインクを飛ばした。察するに『ここは私が食い止める。だからお前は先に行け!』ということだろうか。片目が眼帯なので目をつむったようにしか見えないのだが。
千佳を残して敵前逃亡というのは硬派としてどうかとは思うが、往かなければ千佳の厚意を無にするし、ショッピングにも付き合わされかねない。
「じゃ、俺、先に帰るから。またな」
千佳の温情に報いるため、と自分に言い訳しながら、俺は想像上の尻尾をクルンクルン巻いて逃げ出した。
◆◆◆
そして夜。夕食を済ませて明日の準備(プールだけじゃない。ちゃんと授業もある)を済ませて、お待ちかねのテレフォンタイムである。
昔は無料通話アプリどころかスマホすら無かったと親父がいっていた。ポケットベルという物だったと聞くが、それがどういうものなのか、想像の域を出ない。
だが親父も毎日お袋に電話をかけてハートをキャッチしたのだから、息子の俺もそれは見習おうと思う。恋愛に一番大切なのはマメさだと言われて育ったわけだし。
というか、ウチの両親、息子にのろけていたのか。
「キョオちゃん、遅い」
「遅いかな? 定刻どおりに只今到着のはずだけど?」
「違う、待ちどおしかった。こういうときはもっと早く電話するべき」
「お待たせしました。買い物、大丈夫だった? かおりに何かされなかったか?」
「大丈夫。邪鬼王瞳は無敵」
「それ好きだね、千佳。水着は良いのあった?」
「あった。乞うご期待。鼻血もの」
「鼻血ものなの!?」
「今キョオちゃんが何を想像したか問い詰めたい」
「誘導尋問!?」
「でも許す。キョオちゃんはお年頃」
「なにか後ろめたいこと考えてたことになってるの?」
「違うの?」
「……違わないw」
「キョオちゃんのエッチ」
「許して! お年頃だから!」
そもそも千佳が振ったネタじゃないか、という抗議は飲み込んだ。『夫婦喧嘩は犬も食わぬから自分で食え』というのが親父の教えである。父よ、息子はあなたの後をきちんと継いでいます。
「キョオちゃんの水着はどんななの?」
「俺の? 普通のトランクスタイプだよ」
「赤い褌か黒のビキニパンツを所望」
「無理!」
「仕方ない、妄想で我慢する」
「千佳ちゃんのエッチ!」
「仕方ない、お年頃だから」
「うまく切り返したと思ったら更に切り返された!」
万事この調子だから、千佳にはとてもかなわないな、とつくづく思う。でもそれが楽しくて面白くて仕方ない。毎晩こういう莫迦話を繰り返しても一向に飽きない。恋って本当に素晴らしいものだ。
そして今夜も夜ふかししてしまう、と。楽しい時間は早く過ぎるという言葉を毎晩実感している。これも「恋は盲目」ってやつかな。
でも今日の次には明日が来るのが連関天則だ。明日はプールで水着(あと面倒なことに夏期講習も)だからそろそろ寝なくちゃ。
「千佳、名残惜しいがそろそろタイムアップにゃ」
「にゃ?」
はぁっ! しまった、舌がもつれて語尾が『にゃ』になっちゃった!
「にゃん、にゃん、にゃんにゃんにゃん! キョオちゃん猫しゃんにゃ!」
……千佳が無邪気に喜んでいる。さて、困った。
「ビキニパンツでなくていい。ネコ耳装着を希望」
「そっちの方がよっぽど小ッ恥ずかしいわい!」




