兵隊の仕事
兵隊の仕事
まだ日の登らない薄暗い部屋の中、酒瓶を抱きながら波護は目を覚ました。
二日酔いの頭を抱えゆっくり起き上がる。部屋を出ると店に入るが真っ暗で何も見えない。
ただ、台所の方からジュージューとゆう音と共に香ばしい匂いが漂ってきた。
電気のついた台所の暖簾をくぐるとそこには兎都がフライパンの上のベーコンをテーブルに並んだ皿に移す所だった。
「おはよう。うさぎ」
「酒臭い」
鼻をつまんで顔を歪ませてこちらを睨んでくる少年の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「あいさつしろ、あいさつ」
「食べてくでしょ」
「あー。いや、水だけ飲んで行くわ」
「……食べてくでしょ」
ことごとく波護の言葉は無視され、兎都は味噌汁をよそいはじめた。
波護は渋々テーブルについた。
「あぁ、気持ち悪い」
玄関で靴を履く。兵隊用の革靴の匂いがより一層気分を悪くさせる。
「吐いたら刺すから」
すぐ後ろで見送る準備をしている兎都は真顔でそんなことを言う。
「物騒なこと言うな」
「よく言うよ、これから人を撃ちに行くやつが」
「そうゆう仕事だからな」
「…はいはい、早く行けよ」
面倒になったのだろう、兎都は波護の背中を押した。
波護が外に出ると勢い良く扉は閉められた。
見送りするならもっと可愛く見送れよ
波護は溜息をついた。
あたりはとても静かだ。
通りに出ても人はほとんどいない。ハナマチの店はゆっくり開店する。従って、この時間空いている店は皆無だ。
その中、店先を竹箒で穿いている少女がいた。ハナマチにいる子供は極めて少ない。なので波護は彼女の名前を知っていた。
「波護さん、おはようございます」
「おはよう。紅今日もおさげが可愛いなぁ」
「ありがと波護さん。今日もお酒臭いね。ほどほどにしないと、早死にするよ」
長いおさげ髪の少女は眼鏡越しにニコリと優しい純粋な目をむけてきた。
彼女の後ろにあるハナマチでも大きな店は抹茶色で壁には細かい植物の絵が彫られている。
茶屋であるこの店は父と子二人で一生懸命支えている。その健気さと持ち前の明るさから紅は茶屋の看板娘と呼ばれ人気者であった。
「そういや、父ちゃんの腰の調子はどうだい?」
「うん。まだ少し悪いみたいだけど、なんとかやってるよ」
「そうか。よくやってるなお前」
「死んだ母ちゃんの分まで頑張らなきゃ罰が当たるから」
そう言ってまた笑った。紅の頭を軽く撫でてやると、へへと恥ずかしそうに肩を上げた。
土産屋通りを抜けてゆくと、ハナマチ兵の本部がある。
鮮やかな土産屋とは大違いの地味で暗く古い建物がそこにはあった。
中に入ると狭い廊下に何人かが既に持ち場に向かうところだった。
「あ、波護さん。おはようございます」
そのうちの一人がこちらに気がつき帽子をとった。
丸坊主の頭を軽く下げて笑う。人懐っこい笑顔だ。
「おはよう。今日は何処だ?」
「自分は門兵です。波護さんは確か」
「あぁ、知ってるよ。昨日から言われてたからな」
「ライフルは自分が整備しといたんで」
「お前が?恐いな」
その言葉に周りの兵も声をあげて笑った。皆、眠そうだが、元気だ。しかし、兵隊にしては皆優しすぎると波護は感じていた。
その中でも別の雰囲気を醸し出していた男が奥から近づいてくる。
「副隊長のお出ましか」
それに気がついた他の兵が緊張したように背筋を伸ばし、途端にキビキビと歩き出した。
「おはようさん、副隊長」
「おはようございます」
それだけ言うと将仁はライフルを片手に革靴を履いた。
「あんたも海岸かい?」
「そうです。昨日話していたでしょう」
「会話でしょうが!朝の会話は兵一人一人の体調ややる気を見るためにも大事なものだろ?副隊長さん」
「それなら、下っ端は下っ端らしく空気をよんで黙っていて下さい」
そう言うと将仁は波護の横をすり抜け外に出た。
ハナマチの兵隊の仕事は四つに分かれていた。その日にそれぞれ隊長が決めた持ち場へと行くように支持される。
一つは門兵。ハナマチとサクラを繋ぐ門の警備だ。ハナマチの住人が出ようものなら即座に捕らえられる。
二つ目はハナマチの警備。ハナマチの安全と異国の偉人の警護。
三つ目は本部に留まり、住民からの通報を待つ。それに加え、すぐ近くにある金網の向こうに観光客が間違っていかないための見張りもする。
その金網は門とは反対側に取り付けられ、その向こうにはハナマチの住民の農家や漁のできる海があった。 ハナマチで売るための物を作る場、いわばハナマチが舞台ならこちらは裏にあたる。
客に舞台裏は見せられないとゆうことだ。
波護と将仁は金網の錠を外し、その舞台裏に入ってゆく。と言っても、密集した農家が広がるだけなのだが。
ここは、静かだったハナマチとは違って住民が今日のための準備で大忙しだ。あちこちから怒鳴り声が聞こえてくる。
農家や肉の加工工場の密集地帯を抜けると大きな漁港が現れた。
そこの前を通ると柄の悪い男たちが漁から帰ってきたところであった。
「おぉ、オガジィ」
波護が漁師の先頭に立つ老人に声をかけた。左頬に抉れるような大きな傷がある。大きく口を開けたら裂けそうなほどに頬の肉は薄くなっていて、その姿はとても異様だった。
将仁が一歩引くのを感じた波護はさらに笑顔でオガに声をかけた。
「今日の調子はどうよ」
するとオガは鋭い眼光で波護を睨みつけ近づいてきた。
「うるせぇんだ、馬鹿野郎が。さっさと人殺しでもしてこいこの野郎」
カチャリ
波護の耳元で拳銃の引き金が引かれた。その銃口はまっすぐオガに向けられている。
「おい、副隊長さんやめろ」
「兵隊への侮辱行為、または暴力行為は重罪だ」
将仁の目には何も迷いがなかった。
「そんなら、その重罪人達を誰がしょっぴくんだ?」
「我々だが?」
「この大人数はちょいと無理あるだろうな」
「な…に?」
将仁は周りを見た。
漁師達が周りを囲んで今にも飛び掛かってきそうな勢いだ。
「やめんか!」
オガがそう言うと漁師達は構えをやめた。
「オガジィ悪いな。副隊長さんは神経質なんだ」
「そのようだな。まったく青臭いガキが何を意気がってるのやら。さっさと行け」
「はいはい。そいじゃあね、また一杯やろう」
その言葉にオガは振り向くことなく立ち去った。
「将仁さんよ〜」
呆れた顔で波護が将仁を見た。すると横から若い漁師が寄ってきて、「オガジィが」と言って波護に酒瓶を手渡した。
「ありがとよ。オガジィに言っといてくれ」
若い漁師は軽く会釈すると漁港の方へ走っていった。
「これでわかったろ?オガジィの口の悪さは挨拶みたいなもんだ」
「それはどうだか。あいつら戦い慣れしている。あの構えはそうゆうものだ。そうなれば、武器の所持で逮捕もできた」
「にしても、なんてことない煽りにのるなんて意外だね副隊長さん」
「それは…叱るべき処置をしたまでです」
将仁は腑に落ちないといった顔で海岸の方へ歩いて行った。
波護はそんな彼の背中を見て何か異質なものを感じていた。
海を見渡せる丘に二人、疲れた顔の兵隊がこちらに気がつき敬礼する。
「どうですか」
将仁がそう言うと二人は背筋をさらに伸ばした。
「異常ありません!」
「よし、交代です。本部にて待機」
「はっ」
そして二人の兵隊は駆け足でその場を去って行った。
波護と将仁は 丘の先端に座り海を見渡す。
船は二隻と少ない。
ハナマチは漁ができる範囲も決められており、それを超えるとサクラの領地に入ったと見なされ発砲される。
兵隊の四つめの仕事はこのちょうどサクラとハナマチの境にある丘からそれを超えたハナマチのものを取り締まるものだった。
そして、もう一つ。
「おい、下。誰かいるぞ」
波護が指差す先には丘の下、岩場の上をヨロヨロと痩せた男が躓きながら歩いている。
もう少しで境界線を超えそうだ。
「あの身なりからして、ステゴ地区のものでしょう」
なんの感情も無く将仁はライフルを構えた。
海岸警備のもう一つの仕事。それは、ステゴ地区の者がサクラに入ってこないようにすること。
ステゴの住民にとって、この海岸が唯一のサクラに入れる道で、挑戦するものが後を絶たない。
また、どうゆう理由かは定かではないがサクラからステゴに行き自から腐りにゆくものもいる。
「待て、俺が撃つ」
波護はライフルを構え男の足場に当てた。
男は驚き海の中に落ち、必死で岩場にしがみついた。
「おーい、そこのあんた!!命が欲しけりゃ早くお家にお帰り!」
波護がそう叫ぶと男は渋々頷き岩場によじ登り元来た道を引き返した。
「よしよし」
「何がよしよしですか。あれはまた来ますよ」
「そんならまた注意してやればいいだろうが」
「緩いことを言いますね。それだから、サクラでの犯罪はハナマチの兵隊の責任などと言われるんです。それにあの男もここに来れば撃たれることも知っていたはず。それでも超えようとゆうのだから」
「撃たれても仕方ないってか?」
「そうです。覚悟があるなら最後までそれを突き通すべきだ。この海岸警護の仕事は生きるか死ぬかのもの。こちらとあちらの戦いだ」
「それは違うな。人ってのは頭に血が上ってどうしようもねぇ時がある。それを止めてやれば頭冷やして自分の過ちを悔いる。そうゆうもんだ」
「それはどうだか。そもそも犯罪を犯す者は止めてくれる人さえいない社会不適合者ですよ。止めた所で悔いるやつなんていない」
「おいおい、周囲の人間に恵まれなかったとゆうだけで社会不適合者か?そうゆう奴は、止めてもらうのに慣れてねぇだけだ。理解をするのには時間がかかるだろうがな」
「わかっていましたが、貴方とは話が合わないようだ」
「そうか?俺はあんたとこうゆう話をするのは好きだぜ」
「気持ちの悪いこと言わないで下さい。あなたなら他にいくらでも話す相手くらいいるでしょう」
「そりゃ俺は人気者だからな。だけど、あんただけは何故か懐いちゃくれない。おかしいよな」
「何もおかしくありません。仕事場の人間と馴れ合うつもりありませんから」
「そんだけの理由か?」
「何が言いたいんですか」
「何処に向かって行きたいのかなって思って」
「は?」
「人間てのは同じ方向向いて歩くのが好きだろ。ぞろぞろぞろぞろ。それとは真逆のぜんぜん違う方向を見てる気がするんだよなあんた」
「ハナマチの人間と一緒にするな」
「じゃあ、サクラの人間として言えばいいのか?それもあんた嫌だろう」
「なにっ言って」
ここではじめて将仁は言い淀む。
「あんたはそうじゃない。そうゆう狭い世界で言ってるわけじゃない。もっと違う次元でこの先を考えている。だけど、どう進めばいいのかわかっていない。だからイラつくし焦ってる。だから俺らみたいなヘラヘラした兵隊が許せないんだろ」
将仁の瞳は完全に敵意向きだしのものに変わり、すぐにでも手に持っているライフルを向けてきそうだ。
「何を志してんのかは知らんが、あんま無茶なことはしてくれるなよ」
波護がそう言うと将仁は下唇を噛み何かを必死に堪えるようにして顔を反らせた。
「どちらにしろ、貴方には関係のないことです」
そして将仁はまたいつもの氷のような表情に戻った。




