魔法使いと住人たち
「じゃあここで待っててね~」
そういって通されたのは8畳程の小さな部屋だった。
部屋のなかにはナチュラルベージュの色をしたテーブル。そして3人がけ程の大きさの黒いソファーが2つ、テーブルを挟むようにして対面の形になるように置かれていた。
照明らしきものがついていないのに明るく感じられるのは壁一面の大きさの窓が外の光を取り込んでいるからだろう。
近づいてみるとそこからはバラが見えた。
先程は建築物とバラの差異に一種の恐怖を覚えたが中からみてみればそんなことは微塵も感じさせなかった。むしろこの場所から楽しむために作られたかのようにさえ錯覚してしまう。きっとこのバラたちは大切に育てられているんだろう、そんなことを考えながら聖はソファーに体を沈めた。
携帯を取り出して電源ボタンをおしてみる。いくら試してみても画面は真っ暗なままだった。分かっていたこととはいえもしかしたらという思いも少しはあったため、成果がなかったことに小さくため息を吐いてポケットに戻した。
もう他に何もすることがないので窓の近くにある聖ほどの背丈の観賞植物をなんとなく眺めていた。
窓から差し込む暖かな光とふかふかなソファーに包まれ現実と夢のはざまを彷徨いだしたその瞬間、無遠慮な音と大きな声が聖の耳に入り込んできた。
「おまたせー!ひとりにしてごめんね~」
入ってきたのはアレクだった。
ドサッと大きな音をたてながら聖の向かいに腰かける。片方の足はソファーに乗せその上に腕を置き体重を預ける。お世辞にも行儀がいいとは言えなかった。
「だめですよ、大きな音を出したら。ドアぐらい静かに開けてください。」
アレクと一緒に入ってきたのだろう、たしなめるように発した声の主は長身の青年であった。背の高い人にありがちな威圧感は全くなくむしろほんわか、とした空気をまとっている。
パーマを当てているかのようなクルクルとした髪の毛は綺麗に整えられておりミルクティーみたいな髪の色も相まって綿あめみたいな柔らかさを連想させた。
夢のはざまから一気に現実に引きずり戻された聖は思考が追いつくのに少しの時間を要していた。聖のその姿を見た青年は「ほら、びっくりしてるじゃないですか」とアレクに言い、持っていたトレーから飲み物の入ったカップを一つ聖の前に置いた。
「驚かせてしまってすみません。彼はいつも挙動が大げさで」
「いえ、大丈夫です」
ありがとうございます、と礼をしてから聖は答えた。
慣れた手つきでアレクと自分の前にもカップを、そしてテーブルの真ん中にシュガーポットとミルクピッチャーを置いて行く。配膳が終わると青年はアレクの横に静かに座った。
「じゃああらためまして~」
注意を受けて軽くふてくされていたアレクが口をあけた。
いつの間にかソファーにいた黒猫と指先だけで戯れながら続ける。
「軽く紹介していこうか。僕は名前はさっきも言ったけど……アレク。結構すごい魔法使いだよ。」
自信満々の表情をしながら目新しくない情報をのせた紹介をした。青年は何事もなかったかのように流して自己紹介を続ける。
「私はノエルと言います。訳あって住まわせてもらってて、ここでは料理・掃除・洗濯・庭の手入れなど行ってます。」
なんでも遠慮なく言ってくださいね、と言ってノエルと名乗った青年は微笑んだ。
流れに乗って聖も名乗ろうとしたら「そして!」と言ってアレクが黒猫の脇に手を入れた状態で抱っこをし聖の前に突き出した。
「この子はレイっていうよ」
黒猫の手をひらひらさせながら「よろしくね~」っと少し甲高い声で紹介した。
「よ、よろしく…」
聖は答えてみたものの、当の黒猫は不機嫌と言わんばかりにずっと横を向いており聖のほうを一切視界に捉えていなかった。
「で、君の名前はなんだっけ?なんかえらく変わった名前だったけど」
レイとよばれた黒猫をソファーに戻しアレクは言った。
そのマイペースさに内心たじろぐ聖だったがそんなことは微塵も感じさせないように名乗る。
「私は白雪 聖といいます。助けていただいたこと感謝します。」
そういって頭を下げる。
「あ、頭をあげてください」
頭を下げた聖に驚いてノエルは少しあわてる。
「そんな気にしなくていいよ~!にしても。ね!言った通り変わってるでしょ!」
ノエルとは対照的にケラケラ笑いながら軽く聖に言ったかと思ったら、珍しいものを見た子供のようにノエルに言う。
「確かに変わっていますね。この辺りでは聞かない名前です。不躾で申し訳ないですがえっと…シラユキヒジリさんはどちらから?」
どれが名前なのか判断がつかなかったのか発音がおかしなことになっていた。
「聖と呼んでください。私は…」
ここで具体的な出身地を言ってもよかったのだが多分、通じない気がする。そう感じたため聖は大きいくくりで答えることにした。
「日本から来ました。学校に向かう途中でいきなり体調が悪くなって…気づいたらここに」
「日本…?アレクは聞いたことありますか?」
「いや、ないな…」
さっきまでの調子は顔から一切消えノエルからの問いにアレクは静かに答える。
「アレクでも聞いたことがないとは。こんなこともあるんですね」
予想していなかった答えだったのかノエルは驚きを隠せずにいた。
「いやいや、僕にだって知らないことぐらいいっぱいあるよ。例えば…」
そういってアレクは言葉を止めた。
一向に続ける気配がないアレクにノエルは「どうしたんですか」と続きを促す。
「ち、ちょっと待ってて!!!」
そういってアレクは二人を残し部屋を飛び出した。
バタバタと大きな足音を立てて階段を駆け上がる。フロアには両サイドと突き当りに部屋があったが、迷うことなく突き当りの部屋を目指し扉を勢いよく開けた。
そこには陣が描かれてあった。
とても大きなもので部屋の床を埋め尽くすといっても良いほどの、細かく密に描かれているものだった。
「あれ、まさか…彼女呼んだのって…僕…?」
ひきつった笑いを浮かべながらアレクは誰に言うでもなく呟いた。