第008話 「姫さまが我が家にやって来た」
姫が屋敷に来る事に決まった。
最初は歓迎パーティーがどうのと、屋敷中で騒ぎになりそうだったが、姫のたってのお願いで普段通りという事になった。
屋敷の皆は少しばかり不服そうだったが。
王女殿下が来るのだから、まあそれが普通の反応なのだろう。王族の訪問などめったにある事ではないからだ。
だが姫は最近まで、市井にいたのだ。今の城の暮らしですら窮屈に違いない。
たった2泊3日だけだが、姫には自由を満喫してもらおう。
屋敷の窓から外を眺め、すこしばかり冷たくなった風に身を震わせる。
「そろそろ寒くなってきたね」
「はい。アフィニア様の誕生日も、もうすぐです」
この世界にきて、もう3年も経つ。
こちらの世界と元の世界の時間経過が同じなら、亜美乃先輩はもう大学3年生だ。
いやまあ、浪人とかしていれば話は別だが。
先輩は頭は良かったからな。それはないだろう。
やめよう。
今考えて、どうにかなるものではないな。
今は1年でもっとも寒い『銀の月』。元の世界の1月に当たる月だ。
この全体的に暖かめの国でも、1年に1、2回ぐらいは雪を見る事もある季節だ。
「そろそろ、今日のお勉強を始めようか。明日には姫が来るしね」
「はい、アフィニア様」
シャーリーは、にっこり笑って頷いてくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふ・・・、ふふ・・・」
「楽しみなのはわかるけど、さっきからずっと気持ち悪いよ、姫」
「気持ち悪いは酷くないですか?アフィニア?」
今、俺たちは馬車の中2人きりだ。
今日の姫の格好は、いつもの引きずりそうなドレスではなく、動きやすさを優先したカジュアルな姿。
スカートの丈も短いし。
まあ、俺もだが。スカートにはもう慣れた。
それで、なぜ姫と一緒の馬車に乗っているかというと。
姫の我が家へのお泊りのため、王都クリスタまで出迎えにいっていたのだ。
父さまも馬車の外で、護衛として馬に乗っている。
寒いのにご苦労様、いや目上だからお疲れ様です、かな。
「誘っておいて何だけど・・・でも、よく許してもらえたね」
「最近特に、城の中の空気が悪いの。だからお父様も、私に気晴らしさせるつもりだと思うわ」
ああ。例の王位を巡っての争いか。
しかし王様も、自分が死ぬのが前提の争いなんて見たくないだろうに。王様が死ななければ、誰も王位を継げないのだから。
いや。
この国の王様に隠居ってあるのか?
「何か、困った事があったら遠慮なく言ってほしい」
「ええ、頼りにしてます。アフィニア」
遠くにうっすらと、見覚えのあり過ぎる屋敷が見える。
2階建ての、りっぱな屋敷だ。
4時間ばかり馬車に揺られて、やっと我が家に帰ってきた。時間はもう昼過ぎだ。
父さまや俺は、往復だったから8時間、馬車や馬に乗っていた事になる。
それに朝も暗い内から出発したので、非常に眠い。
「りっぱな屋敷ですね」
「姫の家の方が何倍も大きいと思うよ?」
「まあそれはそうでしょうけど。私の家っていってもお城ですわよ?」
「お姫様っぽく『こちらは家だったのですね、犬小屋かと思いました・・・』とか言わない?」
「言うわけないだろ!」
姫は、軽くため息をつくと馬車を降りた。
歓迎パーティーはしないが、屋敷の皆でお出迎えだ。そうはいっても、この屋敷にいる全員を合わせても20人に満たないが。
「セラフィナ王女殿下、我が家へようこそいらっしゃいました」
母さまが代表して挨拶する。普通は父さまなんだろうけど、護衛として一緒に帰ってきたしな。
「短い間ですが、お世話になります」
姫も挨拶する。そして、互いに軽く自己紹介をする。
「姫、荷物を運ぶよ」
「ありがとう。よろしくお願いするわね」
「でも姫って、姫様なのに荷物が少ないね。馬車が埋まるほど持ってくると思ってたのに」
荷物といっても、大きめのカバン2つだ。本人も小さめのバッグを持っているが。
「とりあえず、姫の部屋に案内するよ」
「客間ですか?」
「せっかくだから、2階の空き部屋を掃除したんだ。ちなみに俺の部屋のとなり」
「ありがとう」
どういたしまして。
2階への階段を上りながら、微笑んでおく。
「これからも、泊まりに来る事があるだろうからね」
「そうだといいですわね」
「さて、ここだよ。城にある姫の部屋ほど広くないと思うから、鍛錬とかやって壁に穴を開けないようにね」
「たまにだが、何故かお前・・・あなたの首を絞めたくなってくるわね」
「姫の怪力だともげちゃうね。確実に」
部屋の中を見回す姫。
一つ頷くと、ベッドにダイブする。
「とおっ!」
腹ばいの姿勢のまま、ベッドでぽよんぽよんと跳ねる姫。
あわてて視線を逸らす。
「いやまあ、短いスカートなんだから、お淑やかにね」
「・・・?」
わかんないよね。
でもね。白いものがチラチラとね。視界の端にね。
外見はすっかり女なんだけど、まだまだ心は男なんです、俺。
いやまて。
相手は9歳なんだから、これに反応するのは不味い気がする。
病気はいやだ。ロリの病は一度発症したら、完治は難しいと聞く。
「・・・」
「・・・」
「何かよく分かりませんが、あさってまでよろしくお願いするわ・・・アフィニア」
「・・・・・・はい。よろしくされました」
う・・・ん、言葉使いとかもっと楽でいいのにな。ちょっとそれは難しいか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
友達を家に呼ぶ。元の世界でもあまりなかったような気がする。
ましてや泊りがけなんて。
母親がいなかった事も理由のひとつだと思うが。
それにしても姫は意外に行動的だ。新しい事を見つけては、次々と突撃する。
こっちは付いていってるだけなのに、もうバテぎみ状態だ。姫と俺では体力に差がありすぎる。
そうしてみると、あの城での落ち着き払った感じの方が、仮面を被った状態なのだろう。
姫が楽しいならば何よりだ。
「さっきまで、部屋で暖かかったのになー」
「汗をかくなら、お風呂の前でしょう?」
「そうなんだけどね」
姫と父さまとともに、夕食後の運動とばかりに剣の修練だ。
俺はとりあえず、剣の素振りをやっている。呼吸が大事なのだそうだ。
父さまの修練は厳しい。俺は何度挫けそうになったか分からないぐらいだ。
だが、姫はどんどん食らい付いていく。
基本、体育会系なんだよな。姫って。精神論的というか、根性論というか。
最初は父さまにも遠慮があったが、今では十年来の師弟のようだ。
そのとばっちりで、いつもの1.5倍ほどのメニューをさせられてます。はい。
「うう・・・。死ぬ、死んでしまう」
「アフィニアは大袈裟だな」
「うむ、姫を見習いなさい。まだ余力を残しているぞ」
いや。あんたらと一緒にするな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あー、生き返るー」
「本当に大袈裟ね。・・・でもまあ、心地よい疲れだと思うわ」
俺は本心だから。姫とは違うから。
「でも、お湯に浸かるというのも悪くないわね。・・・ところで、何でよそばかり向いてるの?」
「何故でしょう?」
「ええと、何故でしょうって、こちらが聞いているのよ?」
「・・・」
ロリの病に罹らないようにするためです。
「アフィニア様は、どのような方と入られても、とても恥ずかしがられるのです」
「そうなのか?」
説明は不要だろうがお風呂だ。
何故こうなったかといえば。汗をかいた後の体が冷えて、風邪を引かないようにするためだ。
まあ姫なら風邪は引かないだろうが。
正直、別々に入らなければならない理由がない。だから一緒に入った。
さすがに父さまは入らなかったが。
この世界の父親たちも、娘と風呂に入りたがるのだろうか。
そこにシャーリーが加わっている。
彼女はたまに「背中をお流しします」とかいう理由でお風呂に侵入してくる。
まったく、モラルの低下も甚だしいな。
公序良俗はどうしたんだ。
自分で言ってて意味が分からんが。
まあいい。
視線の端に、チラチラと肌色が横切るが気にしないようにしよう。
「うん?・・・アフィニア。左の二の腕の所、光ってるわよ?」
「・・・うん?」
「これって、あまり私は詳しくないけれど・・・。呪紋、なのかな?」
見られた以上、隠していても仕方ない。どうせ姫には話すつもりだったしな。
シャーリーは知っているからいいが。
「刺青のように、直接肌に呪紋を描いているんだ」
「呪符みたいな物という事?」
「そう」
呪符とは、紙や布などに魔力が辿る回路を、特殊な無色のインクで描いた物。
術者はこの回路に魔力を流す事で魔法を使う。
回路=呪紋の形で、これをつかえば杖でわざわざ呪紋を描く事なく呪文が使えるのだ。
呪紋を描くのが苦手でも、それが何の呪紋かさえイメージ出来れば手に持って呪文を唱えるだけ。
極論すれば魔力量とイメージの問題さえクリアできるのなら、魔法使いでなくてもいいのだ。
しかも、呪紋を描き間違える事がない上に、相手に何の呪紋を使うのか分からなくさせる効果もある。
呪符を隠して持っていれば、呪文を唱えるその瞬間まで相手は何の呪文が来るか分からないだろう。
普通であれば、目の前で描かれる呪紋で、呪文を唱える前に判断出来るのだが。
これだけだといいことずくめだが、勿論そんな事はない。
前もって必要な呪符自体を用意しないといけない事。
魔力を2、3回流すと呪符は大体駄目になるので、コストが掛かる。
特殊な無色のインクというのが意外に高価なのだ。
呪符を間違えられない事。
間違えて使った場合、呪紋と呪文が違うので魔法は発動しない。だが呪符には魔力が流れているので駄目になってしまう可能性がある。
「生きている皮膚なら、魔力を流しても駄目になったりしないからね」
そして何より、一番の問題が使用魔力の増加だ。
魔法の発動に通常の2倍~3倍の魔力が必要となるのだ。
「でも、つねに魔力が勝手に流れている状態にならない? 今みたいに」
「それが問題で廃れた技術だから」
「大丈夫なの?」
「もちろん」
姫は「ふ-ん、そう」と納得したのか、体を洗い始める。
姫にとっては俺が大丈夫かどうかが問題だったのだろうな。
シャーリーはいつもどおりだ。と、いうより呪紋を彫ってくれたのはシャーリーだからな。
自分の体に、自分で刺青なんて出来ない。
必要だったとはいえ、針で刺されるのはあまり気持ちのいいものではない。
痛みは魔法で消せるといってもだ。
左の二の腕、光る呪紋を撫でる。
「この寒い中、ご苦労な事だと思うよ。誰が寄越した者かは分からないけどね」
俺は、小さく呟く。
「何か言った・・・言いましたか? アフィニア」
「何もー」
夕方ぐらいから発動させている魔法、広域知覚にこちらを窺う存在が反応している。
自分を中心に、半径500mほどの領域の生命体を感知する魔法だが・・・。
(気配が薄い。プロだな)
姫にくっついてここまで来たのだろうか?
王様がつけた護衛か、それとも敵か?
まあ、敵であるのならば俺が排除するだけだ。せっかくの姫の息抜きを邪魔されたくはない。
「何、真面目な顔してるのよ?」
「いつも僕は真面目ですよ?」
「・・・まあいいわ。いつまでも湯船に入ってないで、こっちに来なさい。背中流してあげる」
「お待ちください、セラフィナ様。それは私の仕事です」
「いいからいいから」
「・・・えーと」
シリアスな空気が台無しだ。