第004話 「魔獣」
「・・・ィニア様」
声が聞こえる。
「・・・アフィニア様、起きてください」
暗闇をかきわけ、光に向かって泳ぐ。
ぼんやりと開けた目にはダークエルフのメイドさんの姿が映る。
「もう、朝ですよ?早く起きないと怒られますよ?」
「ん~、あと5分・・・」
「ゴフンってなんですか・・・?」
おお、そういえば、一時という言葉はあるが、分とか秒とか無かったな。
こちらの世界には・・・。
日時計という物はあるが、あまり時間に縛られてはいない。
朝が来れば起きて、暗くなれば寝る。
「まったく寝ぼすけさんなんですから」
「・・・シャーリー、朝のこのわずかな時間は金貨10枚を払ってでも得たい貴重な物なんだよ」
「何を仰っているのか分かりません」
むう・・、せっとくがむりならじつりょくこうしだ。
あふぃにあはだーくえるふのしょうじょにだきついた!
あふぃにあはすばやいうごきでふとんにひきずりこんだ。
「え、あ・・・ま、待ってください。そ、そこは・・・さわっちゃダメです! まだ心の準備が・・・」
「・・・おやすみー。ぐぅ」
「・・・・・・・」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「・・・ア、アフィニア様?」
私はポカポカと火照る顔を手で押さえながら、隣に眠る女の子を見つめる。
「・・・ええっと、どうしよう・・・かな?」
ふぅ。思わず熱いため息が漏れる。
アフィニア様は私にとって大切な方だ。あの時、あの街でこの方にぶつからなければ、私はあのまま誰かに売られていただろう。そして今頃、貴族か豪商の慰み物になっていた事は間違いない。
若い女奴隷とはそういう物。
その事については奴隷になった時から諦めていたはずだった。自分は納得しているはずだった。でもあの時の私は鎖が外れたその瞬間に走り出してしまった。
別に逃げられると思っていなかったし、誰かが助けてくれるとも思っていなかった。
私が感謝の言葉を言うと、決まって「シャーリーを助けたのは父さまと母さまで、僕ではないよ」と答える。
それはそうなのだろうと思う。
事実、お金を出したのは旦那様で、奴隷とせず使用人として雇ってくれたのは奥様だ。
あのお二方には感謝をどれだけしても、感謝しきれない。
だけど、あの時・・・私に向かって伸ばされた手を。
奴隷商の、あの恐ろしい男に足蹴にされた私を体を張って庇ってくれようとした事を。
私は恐らく死ぬまで忘れない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
我が家には2頭立ての馬車がある。
当然、馬車があるのだから馬を飼っているだろう。
ウマ目・ウマ科の動物である。
ウマの様な生き物なのかもしれないが、そんな事は気にしないことにした。ヒツジなどもいるようだし。
家には黒鹿毛が1頭と栗毛が3頭いる。
何が言いたいのかというと、馬って大きい、である。普通の人にとっては当たり前の風景も、異世界人である俺にとっては驚きの連続だ。
馬なんて元の世界でもテレビでしか見た事がない。
馬車に乗ってお出かけするときに見た事はあったが、こうして間近で見るのはまた別の趣がある。
「馬の世話を見るのは、そんなに面白いですか?お嬢様」
「うん。・・・とっても」
馬小屋にて馬たちの世話をするのは、御者さんであるところのライズさん。
さきほど馬の散歩から戻ってきたばかりである。
今現在は馬の汗を流し、ブラシをかけているのとの事。
ライズさんは現在28歳という事だが、彼は屋敷に勤めるメイドさんの1人、フィオレさんの旦那さんだ。
なんでも2人は若いころに駆け落ちしてきたところを、父さまに拾ってもらったのだとか。
紳士然としたライズさんにも情熱的な時代があったのだな、と感心したものだ。
馬の世話を何とはなしに眺めていると、屋敷の方から誰かが歩いてくるのがみえた。
「すまぬ、ライズ。馬を用意してもらえぬか」
やって来た父さまは、複合鎧に身を包んだ完全武装だった。
俺の姿を見つけると、物凄く嫌そうな顔をする。
「父さま、お出かけですか?」
「連れてはいかんぞ」
「・・・・・・父さま」
うろたえる父さま。
父さまは、こんなに顔に出やすくていいのかと思う。
それとも娘限定なのか。
「と、とにかく今回は危険なのだ。連れて行くことは出来ん」
「えー」
「とにかく駄目なものは駄目だ」
むむ・・・手強い。
「隊長、準備は終わりましたか?」
「まだだ。もう少し待ってくれ」
新たな登場人物。
あれは・・・父さまの部下の新米騎士さんではないですか。
「いや、もう新米ではないからね」
若い騎士さんが苦笑する。
うお、口に出してた。
とりあえず、にっこり笑って誤魔化す。
「おはようございます、カレルさま」
「いや、俺の名前カインだから。君、ワザとやってるだろそれ?」
「いえ、そんな事はないですよカインさま。ところで、どちらに行かれるのですか?」
「アルミナ湖だよ。魔物が出たとの報告があったのでね」
「おい、カイン!」
もう遅いですよ、父さま。
「父さま。見てみたいです」
「駄目だ。遊びではないのだ」
「将来のためにも、本当の戦いという物を見ておきたいのです」
「まだ早すぎるだろう。もっと経験を積んでからでも遅くはない」
む、単独での突破は無理なようだ。
ならば。
「カインさまは良いと言って下さいますね?」
「え・・・?いや、オレは・・・」
「魔物が出るとの報告を受けただけ。なら、絶対に会うかどうかも分かりません」
「そ、そうかな?」
「もう他の所に行った可能性もあります。でなければ、こんなに父さまがのんびり準備などしているはずがありません」
父さまの苦々しい顔。
「でしたら後学の為に、騎士の普段の活動を見学させていただいてもよろしいのではないでしょうか」
「そ、そうかもしれないね」
「はい」
にっこり笑顔。伊達に毎朝、鏡の前で研究をやっているわけではない。
「い、いいんではないですかね、連れて行くぐらい」
「というわけなので、連れて行ってください父さま」
「いや、しかし」
搦め手も駄目か。だが俺は母さまに教えて貰った、この世界の魔物とやらをこの目で確認したい。
使いたくは無かったが、ここはもうこれしかないか。
「・・・ええと、後で湖に散歩に行きたくなったりしたら困りますから」
「・・・! 今回だけだぞ」
「父さま、ごめんなさい。でもありがとう」
「・・・湖では、わたしの指示には絶対に従うこと。それが条件だ」
「わかりました」
湖に向かうにあたって、俺は父さまの後ろに乗る事になった。
乗馬経験などない俺にしてみると、とにかく高くて怖いの感想しかない。
顔に出すと置いていかれるので平静を装う。
同行する騎士は2人。
カインさんと、初めて見るそれなりに経験を積んでいそうなタロスという騎士だ。
「報告があったのは昨日だ。すでに移動している可能性が高い」
3人とも胸には、赤の地に金色の『8本足の蜥蜴』の紋章が描かれている。
目が印象的に描かれた変な蜥蜴だが、いわゆる伝説の魔獣との事。
この紋章が父さまが隊長である騎士団のマークだ。
「だが、もしもという事はある。十分に注意するように」
アルミナ湖は馬の足で2時間というところにあった。
東西1km、南北0.5kmほどの楕円形の湖で、森に囲まれた中にある。
魔物を見たとの報告は、この湖を利用している漁師からのもので。
見かけただけでまだ誰かが襲われた、という事では無いらしい。
「馬はここに残し、わたしとカインで湖の周りを見回る。アフィニアはここでタロスと待機だ」
2人はすぐさま準備にかかる。
馬は木立に括り付けておくようだ。
「タロス。もし魔物が襲ってくる様な事あれば、馬をエサにして逃げろ」
「は、わかりました」
「アフィニアの事、頼むぞ」
「命に代えても」
父さまとカインさんは歩いていってしまう。
「待機か」
「何か言われましたか?」
「いえ何も、おほほ」
父さまの指示に従うのが条件だしな。
今回は魔物見れないか。
仕方ない。
手の中にある、母さまから貰った30cm程の杖を眺め。
俺はこの暇になった時間を、魔法の練習に当てると決めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そういえばタロスさん。ここに出た魔物ってどんなのですか?」
父さま達が出発してから、もうすぐ2時間ほ経つだろうか。
俺は時計が無いのでまったく分からないが、タロスさんには日の在る位置でだいたい分かるそうだ。
お腹も減ってきたし、もう昼時なのだろう。
「ダークハウンドだそうです」
その知識なら、ある。
大型犬サイズの青黒い犬で、目は血の色をしている。1匹では大したことない魔物だが、複数となるとそれなりに厄介な魔物だ。
それでも、並の冒険者や騎士にとってみれば初級クラスの魔物である事は否めない。
わりとあっさりと、連れて来てくれたと思ってたけど。
初級の魔物なら、という判断もあったという事か。
杖によって、空中に次々と呪紋が描かれる。
「明かり」
「感覚強化」
「魔法の矢」
このタロスという騎士は、あまり話しをするタイプではないようだ。
話しかければ答えはあるが、それだけだ。
職務に忠実という事なのか。
そうして、もう一度話しかけようとしてそれに気付いた。
「タロスさん! 危ない!」
それに気付けたのは、練習で使った感覚強化の魔法のお陰だった。
だが、だからといってあまり状況に変化はなかった。
タロスさんは突然現れた巨大な影に一撃され、俺のほうに転がってくる。
「魔獣サラディオル・・・!」
タロスさんの驚愕に満ちた声。
その名前は・・・知識にはない。
だが、その威圧感だけで並の魔物とは一線を画す存在である事は明白だった。
前の世界でのゲーム知識で当て嵌めるなら、コカトリスのアレンジといったところか。
頭に鶏冠こそ無いものの、鳥のような体、トカゲの足と尾。
鳥の部分はアヒルのように見えるが、こんな2mを超す大きな生き物をユーモラスだなんて思えない。
それが2頭だ。いや、2羽っていうのか?
「タロスさん、大丈夫ですか!」
「とっさに身を躱したつもりだっだが、躱しきれなかったようだ」
「・・・今、回復呪文を」
「君は逃げなさい。お父様もそう言っていただろう」
タロスさんの言葉を無視して回復呪文をかける。
「残念ですが、僕ではこれぐらいしか治せません」
「ありがたいが、もう逃げなさい」
「父さまは、馬をエサにしろとは言いましたが、あなたをエサにして逃げろとは言ってませんでした」
「しかし」
「・・・来ます」
2羽の内、小さめの方が襲い掛かってくる。
タロスさんは、何とか体を起こし迎え撃つ。
「援護します!」
初級しか使えないとはいえ、俺だって魔法使いだ。
やってやるさ!
呪紋を描く。
「魔法の盾」
短い時間だが、半透明の魔法の盾が、敵の攻撃を受け止めてくれる呪文だ。
だが。
もう1羽が襲い掛かって来たら、それで終わりだ。
タロスさんはよく戦っているが、ダメージも完全には回復していない。
・・・・・・・・・あれ?
・・・何でもう1羽は襲い掛かってこないんだ?
・・・。
・・・・・・・・・!
そうか! こいつら親子で・・・これはアレか!?アレなのか!
「タロスさん! この2羽はおそらく親子です!」
「それが! 何、だ!」
サラディオルと言う名の魔獣は、幅の広い黄色い嘴で攻撃してくる。
タロスさんは何とか剣で防いでいるが、足や尾などもたまに使ってくるので油断できないようだ。
「おそらく、練習させてるんですよ! 子供に狩りを!」
「・・・そういう事か! なら、あの大きい方は子供が不利にでもならない限り襲ってこないか!?」
「確証は無いですけど」
呪紋を描き、初級の回復呪文をタロスさんに向けて唱える。
「回復」
「だとすれば! わたし達がやるべき事は隊長が戻って来るまでの時間稼ぎか!」
「はい! もうすぐ父さまは戻ってこられます!」
たぶん。