死神が恋に落ちた日
マットレスがたわむのを感じてシャーロットが目を覚ますと、ギルバートが隣に寝転んだところだった。
「すまない、起こしたか?」
「いいえ。ギル様、お疲れさまでした」
二月宮に戻ったあと、シャーロットはドッと疲れを感じ、入浴したあとネグリジェに着替え、寝てしまっていた。
起き上がって夫をねぎらおうとすると、ギルバートに肩を押さえられる。
「私もさすがに疲れた」
「たっぷりお休みください」
この場合、ギルバートの言う「疲れ」は新妻を誘拐された事や、知らない男に触られた事への気疲れだ。
しかしシャーロットは様々な出来事があったし、自分と同じように疲れたのだと思っていた。
「シャル、生きているな」
ギルバートは妻の柔らかな頬をプニプニと押し、シルバーブロンドを手で梳く。
「ふふ。生きていますよ、旦那様」
「シャル……」
ギルバートはシャーロットにのしかかり、優しくキスをする。
彼は何よりも大切な者がそこにいると確かめるように、何度も彼女の頭や腕、肩に手を這わせた。
「シャル、愛してる」
唇が離れたあとに優しい声で言われ、目を開けると夫が金色の目を細めて笑っている。
(……あぁ、ギル様は私のためだけに微笑んでくれているのだわ)
シャーロットは無上の喜びを感じ、夫を優しく抱き締めた。
「私も愛しています、旦那様」
そう囁くと、ギルバートは押し殺した溜め息をついた。
「……どうしましたか? ……疲れていますか?」
心配になって顔を覗き込むと、ギルバートは今にも泣きそうな表情で笑っていた。
「……君が生きてくれるだけで、こんなにも嬉しい……。私は君によって生かされている」
「ふふ、大げさです」
ギルバートはクスクス笑う妻を見て、愛しげに目を細める。
たっぷりと妻を愛したあと、ギルバートは汗に濡れた前髪を掻き上げて呟く。
「もう、誰にも邪魔させない」
そのあと彼は幸福の褥で目を閉じ、様々な妄想をする。
いずれ子供が生まれたら、シャーロットを独り占めされてしまうのだろうか?
そうなったらつまらないが、きっと新しい生活の中にも自分の知らない幸せがあるに違いない。
「子が生まれても、君を愛する事はやめないがな」
上体を起こすと、隣には気を失った妻がしどけない姿で眠っている。
「……しばらく外出できない体にしておくか」
ギルバートはそう呟き、初夜の時のようにシャーロットの全身を舐め、くまなくキスマークをつけていった。
**
半年が経つ頃には、すべての騒動にきりがついていた。
スローンはシャーロットを誘拐した罪、前公爵グローヴとその妻を殺害した罪、そしてダフネルと協力して国家転覆を謀った罪、保護されるべき罪人ベネディクトに毒を与えた罪、毒となる植物を育てた罪、毒を生成した罪、ありとあらゆる罪で投獄された。
当然、カールソンもスローンに協力した罪を問われた。
スローンが作った毒は、すべてカールソン侯爵領で作られた小瓶に入っている。
陶器を作る事そのものは罪に問われないが、毒を入れる目的で小瓶を作っていたなら、話は違ってくる。
加えて多くの妻を囲う事は違法でないが、平等に愛せず妻たちから不服申し立てがあった場合、罪を問われる事になる。
カールソンに嫁いだ女性たちは、皆彼の財産が目当てだ。
国王軍が屋敷を訪れて雲行きが怪しくなると、女性たちは全員「私は被害者です」と言い張り、カールソンを見限った。
隣国アルトドルファーでも、財務大臣ダフネルが失脚した。
恋人を盾にしてベネディクトを傀儡とし、私利私欲のために和平を阻もうとした事が明るみになると、民は一斉に声を上げてダフネルを糾弾した。
それにより、ベネディクトは平和を壊そうとした大罪人から一転、恋人のために命を投げ出した英雄となった。
ゴットフリートとエリーゼがシャーロットを誘拐した件については、ギルバートがエドガー国王に嘆願して〝なかった事〟にされた。
自分たちが被害にあったのに罪を問わず、両国の平和のために怒りを静める〝英雄〟の判断を、国王は高く評価した。
共に謁見したシャーロットも、か弱そうな見た目をしながらも毅然とした態度で夫に同意した事も相まって、彼女も王家の〝お気に入り〟になったようだ。
「困った事があったら、なんでも言いなさい」
そう言われ、ギルバートは少し考えてから言った。
「……では、もう一度私に蜜月を与えていただけませんか? 以前は会談を前にしていたので、十分に愛し合えなかったのです」
しれっと言ったギルバートの横で、シャーロットは目を丸くしている。
確かに蜜月は二月宮で過ごし、夫はほぼ毎日出かけていた。
とはいえ、あれだけ毎日のように愛し合っていたのに――。
ギルバートのささやかな〝お願い〟を聞いたエドガーは、愉快そうに笑って快諾した。
「そんな事か。今度は呼び出したりはしないから、邸宅でゆっくり過ごすといいだろう」
そのようにして、ギルバートは今度こそ誰にも邪魔されない蜜月を手に入れたのだった。
二人は二月宮から、ギルバートが有する領地の城へ移動し、甘い日々を送った。
庭園のガゼボでたっぷりと愛妻を貪ったギルバートは、膝の上でまどろむ妻を撫でながら満足げに目を細めた。
「やっとこの時がきた」
そう呟いても、庭園には誰もいないから聞く者はいない。
「シャル、本当にすまない。君の人生は私がもらった。もう君を手放す事はないから、そのつもりでいてくれ」
笑みをこぼして言うギルバートは、優しく妻の髪を撫で、遠い目で昔を思い出す。
「〝あの時〟から、何があっても君を手に入れると決めていたんだ」
三年前、ギルバートがまだ二十九歳の悪名高い軍人だった時――。
その時彼は、戦地から一度王都に戻り、国王に重要な報告をするために城を訪れていた。
春を告げる強い風が吹き、土埃から目を守ろうとした瞬間、手の中から書類が数枚飛んでいった。
(……まったく)
溜め息をついたギルバートは、進路を変えて書類を追いかける。
その先にアルバーン伯爵と娘がいて、銀髪の娘は慌てて近くに散らばった書類を拾ってくれていた。
『どなたの書類かしら?』
光を浴びて白銀の髪を輝やかせる少女は、ギルバートの目に春を呼ぶ女神のように映った。
耳に届く可憐な声音も、フワリとウェーブしたシルバーブロンドも、すべてが美しい。
脳の一部がジンと痺れたような感覚に陥ったギルバートは、彼らしくもなくその場に棒立ちになっていた。
けれど少女が書類を確認しようとしたので、慌てて声をかける。
『すまない、それは私のものだ』
アルバーン伯爵はギルバートを見てギクッとし、娘を守るように一歩前に出た。
けれど少女は〝死神元帥〟を知らないのか、ニコッと微笑みかけてきた。
まるで春そのもののような、美しく愛らしい笑顔だ。
――あぁ、〝これ〟が欲しい。
生まれて初めて、ギルバートは酷い飢餓を感じた。
彼は今まで、女性に恋心や愛情を持てずにいた。
そもそも、周りにいる女性たちは自分を〝死神元帥〟として認識し、怯えて近づいてくるどころではない。
たまに奇特な女性が公爵家や財産につられてアプローチしてくる事はあるが、そのような下心ありきの女性に興味を持てない。
当時は戦時中だし、『仕事が忙しい』と言えば、誰も『結婚しろ』とうるさく言わないのは分かっていた。
しかしどんなに長い戦いも、いつかは終わる。
そして自分もいつかは妻を娶らなければならない。
その時は爵位目当て、財産目当てが嫌だなど、我が儘は言っていられない。
家令が言うにはギルバートの不在時、家を纏め、社交界でも横の繋がりを得られる女性画いいとの事で、そこに自分の好みは反映されないだろう事は覚悟していた。
そんな彼が、自分よりずっと年下の少女に恋情を抱き、劣情すら抱いたのだ。




