痛み
「エリーゼ様は、復讐を決意するほどベネディクト様を愛してらっしゃるのに、カールソン卿との間に縁談があった事に驚きました。家の事情で歳の離れた方と結婚する事は珍しくないにしても、普通は国内の貴族に嫁ぐのでは……と思うからです」
「確かに、君の言う通りだな」
「もう一つ。昨日私が囚われていた屋敷の持ち主、スローン卿にまつわる噂です。スローン卿のご令嬢が、ある夜会で得意げに仰っていました。『うちはカールソン侯の後ろ盾があるから、お金に困る事はないの』と」
シャーロットの言葉を聞いたギルバートは真剣な顔をし、彼女の向かいに座る。
そして妻が話した事を脳内で纏め始めた。
室内に控えているブレアとセドリックも、黒幕が引きずり出される予感を抱いているようだった。
「つまり、スローン卿はカールソン卿の後ろ盾がある。加えてカールソン卿はなぜか隣国のアルデンホフ伯爵令嬢と婚姻する予定があった……。が、令嬢の想い人は死んだバッハシュタインである、と」
「スローン家は男子に恵まれず、ご令嬢が大勢いらっしゃいます。社交界に出すにも、夫人が『花簪はともかく、ドレスやジュエリーの工面にきりがない』と嘆いていたと、以前母が小耳に挟んだと言っていました」
「『花簪はともかく』というのは? 花簪はドレスやジュエリーと同じ扱いだと思うが」
貴族の令嬢の間では、その日に詰んだ美しい生花で作った髪飾りが流行している。
「ギル様もご存知かと思いますが、スローン卿の領地は緑が多く、農牧だけでなく花の栽培も盛んです。宮殿や貴族の邸宅を飾るお花や、服飾に加工されるお花も、スローン卿の領地で採れた物が多いのです。農作物も豊かですし、伯爵自身、世界各地から取り寄せた珍しい植物を、特別な温室で育てていらっしゃるとか」
「植物……か」
ギルバートは呟き、腕を組む。
「植物に造詣が深いのなら、毒を持つ植物や精製法を知っていてもおかしくないな」
誘拐事件のあと、ギルバートは部下に命じてスローン伯爵を、事件現場になっていた別荘に連行させ、軟禁して聞き込みをさせている。
スローン伯爵は日頃からギルバートへの当たりが強い。
その上で誘拐犯が彼の別荘を使っていたなら、犯人とどういう関係なのか聞かなければならない。
伯爵と言ってもピンからキリまでだが、スローン伯爵は広大な領地を有し、羽振りのいい人物で有名だ。
加えて大貴族であるカールソン侯爵の後ろ盾があるなら、彼が大きな顔をしているのも頷ける。
部下の報告では、スローン伯爵は「ただ屋敷を利用されただけ、自分は被害者だ」と言っているようだが、真実とは思えない。
加えてギルバートの脳内には、もう一人、いま話題に挙がっていない人物の名前が浮かんでいた。
アルトドルファー王国の財務大臣、ダフネル。
この男も和平に最後まで反対していた人物で、ルッツ川の砂金を自国の富にしたいと願っていたに違いない。
和平反対派のスローンとカールソン、そしてダフネル。
ここまできてダフネルが無関係とは言いがたいが、決定打に欠ける。
「あら……?」
そこでまた、シャーロットが何かに気づいた。
「どうした?」
「今思いだしたのですが、アルトドルファー王国の財務大臣に、ダフネル様という方がいらっしゃいますよね?」
今まさに思い浮かべていた名前が妻の口から出て、ギルバートは隻眼を見開く。
「知っているのか?」
「直接は存じ上げません。ですがスローン卿のご長女が、ダフネル大臣のもとに内縁の妻として嫁いだという話は聞きました」
「愛人か」
身も蓋もない言い方をされ、シャーロットは何とも言えずにいる。
「……アルデンホフ伯爵令嬢に話を聞くか」
ギルバートはそう言って立ち上がり、シャーロットもそれに倣う。
正直、偽りであってもあれだけ盛り上がって話をしたエリーゼに、敵として会うのは気まずい。
(でも私は会ったばかりのエリーゼ様より、ギル様のほうが大事だわ。ギル様は国のために働かれている。……だから、心を鬼にしなければ)
そう思い、シャーロットはぐっと唇を引き結んだ。
「……何よ」
エリーゼは、夜会で着ていたドレス姿のままだった。
彼女は燃え上がる怒りをそのままに、こちらを睨みつけている。
隣にはゴットフリートがいて、主犯の二人が呼ばれたようだ。
「アルデンホフ伯爵令嬢。あなたとカールソン侯爵との関係を話してほしい」
ギルバートは椅子に座ると、悠然と脚を組む。
シャーロットはその側に立ち、不安そうにエリーゼを見た。
エリーゼは不機嫌そうな表情で、素っ気なく言う。
「お父様から『結婚しなさい』と言われた相手よ。あんなおじさん……、しかも数年前まで敵だった国の貴族なんかと、結婚したくないけれどね」
ツンツンした彼女に、ギルバートは態度を崩さず尋ねる。
「なぜだ? 貴族の娘なら、政略結婚で財力のある相手と結ばれる事は、ある程度覚悟しておくものだろう」
「あなた、同じ国の貴族なのに、あの男を知らないの!? でっぷり太って脂臭くて……。お金のためとはいえ、女性があの禿げ頭にキスをしているのを見て、おぞましさのあまり鳥肌が立ったわ! それに、わたくしはベニーを愛しているの! あなたが殺したベニーを!」
エリーゼは涙混じりに叫び、射殺しそうな目でギルバートを睨みつける。
ゴットフリートも彼女と同じ想いを抱いているのか、きつい表情だ。
しかしギルバートはまったく意に介していない様子で、淡々と述べる。
「私はあの男が罪を犯すのを止めただけだ」
「嘘! ベニーはあなたに毒殺されたのよ!」
十月堂事件が起こったあと、ベネディクトが一時的に収監されていたのはエルフィンストーン王国の監獄だった。
看守がしっかり見張っていたはずなのに、彼は毒を呷って死んでしまった。
毒の小瓶は証拠物として押収され、軍医に分析させたところ、毒はカンタレラだと分かった。
貴族だけが使う毒を、誰がベネディクトに与えたのか――?
ベネディクトが獄中で毒を呷って自死した情報は公開されたが、毒物が何であるかは公表されていない。
ゴッドフリートは憎しみでギラギラと光る目で、ギルバートを睨み、せせら笑う。
「お前はいい身分だよな! 人を大勢殺して〝英雄〟と呼ばれるのだから!」
続いてエリーゼが、怒りの矛先をシャーロットに向けた。
「あなただって似たようなものよ! どうせ公爵という身分とお金に惹かれて結婚したんでしょう? わたくしは違う! カールソン侯爵がどんなにお金を持っていても、わたくしは真実の愛を選ぶ! あなたみたいな女とは違うの!」
「私は……!」
シャーロットは我慢しきれず、声を張り上げた。
「私には軍人の妻となった覚悟があります。今回の誘拐で、もしもこの身が汚される事があったなら毒を呷って死ぬつもりでいました。私は夫以外の男性に肌を見られ、触れられた羞恥に堪え、今ここに立っています! その私がお慕いしているのは、片目を失っても陛下と両国の和平を守ろうとした真の英雄です!」
皆、淑やかで可憐なシャーロットがここまで激昂すると思わず、室内はシンと静まり返っていた。
シャーロットは興奮して目に涙を浮かべ、なおも訴えた。
「エリーゼ様だって、いつ死ぬか分からない騎士の恋人だったのでしょう? あなたがもしもベネディクト様と結婚されていたなら、妻となって家庭を守り、戦地に向かう夫を見送る覚悟を持つはずです。その夢が叶わず政略結婚をして、愛のない家庭を築いたとしても、貴族の妻として家を守らなければなりません。すべての女性が、好きになった人と幸せな結婚ができると思っているのですか? そう思われているなら、あなたは子供です! 『醜い相手とは結婚できない』と言って、いつまでも舞踏会で壁の花になっていては如何?」
辛辣な事を言われ、エリーゼは堪らず言い返した。
「何よ! あなたは〝死神〟とはいえ、若くて顔立ちの整った男に愛されているくせに!」
それにシャーロットは、静かな声で答えた。
「私とギル様は、政略結婚です。以前からの付き合いがあり、恋愛結婚をした訳ではありません。結婚当初、私も〝噂〟を聞いて彼の事を恐ろしい人と思っていた節はありました。……でも、実際に夫婦となったあと、どんどん好きな部分が増えていきました」
彼女の話を聞き、エリーゼは荒っぽい溜め息をつく。
「失礼ながらエリーゼ様は未婚の身なのに、結婚したあとの生活を決めつけているように思えます。確かに女性としてカールソン侯爵に良い印象を抱けないのは理解できます。でも、結婚する女性全員の相手が、見目が麗しい上に溺愛してくれる訳ではありません。それを我慢して家庭を築いてこその、貴族の女性と思いませんか? ……何を言っても、みんな私を〝恵まれた女性〟と言ったり〝死神に好かれた哀れな女性〟と噂したり、勝手な事を言います。でも私が幸せかどうかは、私が決めます。自由に生きる事が許されない貴族の令嬢として生まれたなら、どこで咲こうとも幸せになってみせるという意志を見せなければ、やっていけません」
シャーロットの言葉を聞いたエリーゼは、しばらく黙っていた。
やがて彼女の青い目に涙が浮かび、頬を伝っていく。




