助けられたあとに
ギルバートは上段から振り下ろされた剣を、一歩踏み込むと同時に弾く。
そして切っ先が空中を薙いでいる間に上半身を捻り、〝死神の左手〟と呼ばれる手で、腰の裏から短剣を引き抜いた。
ギルバートは、短剣を握った手でがら空きになった男の右胴を狙う。
その一撃が決まれば、男は内臓を深く傷つけられてあっけなく死ぬだろう。
しかしギルバートは迷わず体を動かし、その攻撃を防がれた次の一手、さらに次の一手を考えていた。
男は攻撃されると理解しながらも――、なぜか不敵な笑みを浮かべていた。
その表情には、命を引き換えにしても構わない〝何か〟があると語っている。
ギルバートの一撃が決まろうとした時――。
「おやめください!」
シャーロットに制止され、ギルバートは男を切りつける寸前で動きを止め、後方にジャンプした。
予想に反した動きをされた男は、体勢を崩しながらも剣を振るう。
だが冷静さを取り戻したギルバートにより、あっけなく剣を弾かれた。
「ぐっ……」
手に強い衝撃を受けた男は、ジィンと痺れるそれを押さえる。
ギルバートは彼が怯んだ瞬間を逃さず、男を蹴り飛ばすとその胸板をドンッと踏みつけた。
「ぐっ」
男が肺の中の空気を吐き出して呻いたと同時に、彼の手から素焼きの小瓶が落ちる。
ギルバートはそれを一瞥し、部下に指示を与えた。
「この男を捕らえ、その小瓶も押収しろ。あとで尋問する」
「はっ」
他の騎士たちが男に縄をかけている間、剣を収めたギルバートはシャーロットに歩み寄った。
「大丈夫か? シャル。可哀想に、こんな姿になって……」
「あの方はどうなるのですか?」
夫に心配されるも、彼女は男やエリーゼがどうなるのか気になってならない。
確かに話し合おうとせず、女性を誘拐して武力で解決しようとしたのは良くない。
だがエリーゼにも弟の仇をとると言ったこの男にも、何らかの事情があるはずだ。
悪事を働いたから捕らえて処罰した。……では寝覚めが悪いし、やっと戦争が終わったのに、今後の二国がどうなるのかも心配になってしまう。
「尋問をしてすべてを吐かせたあと、しかるべき罰を与える」
淡々と言ったギルバートは、命のやり取りをした相手だというのに、もう彼への興味を失っているようだった。
そんな彼に、シャーロットは自分の推測を打ち明ける。
「……恐らくあの方は十月堂事件を起こした騎士、ベネディクトさんの兄君です。そしてエリーゼ様はベネディクトさんの恋人……だと思います」
父が失態を犯した十月堂事件の事なら、記憶に新しい。
あの出来事があったからこそ、自分はギルバートに嫁いだ。
そして今回の事件にも繋がっているのだと思うと、夫に助けられてこれでおしまい……、にはしたくない。
ギルバートは妻の言葉を聞いて溜め息をつくと、後ろ手に縛られた男に尋ねる。
「……お前、名前は」
「……ゴットフリート。ベネディクト・フォン・バッハシュタインの兄だ」
彼の名前を聞いたギルバートは、しばし何か考える。
「……牢獄で手に入るはずのない毒を呷ったベネディクト、毒を牢獄に持ち込んだ犯人、この者たちがスローン卿の屋敷を利用した事……。そしてこの小瓶」
ギルバートは呟きながらゴットフリートが落とした小瓶を部下から受け取り、素焼きのそれをジッと見る。
そのあと小瓶をポケットにしまい、シャーロットを抱き上げると命じた。
「その男が自害しないよう、注意を払っておけ。小瓶は軍医師に分析させる」
部下たちは「はっ」と敬礼し、ゴットフリートを連れて行く。
遠くからエリーゼが「離して!」と言っている声や、仲間の男たちが怒声を上げているのも聞こえ、シャーロットは眉根を寄せた。
「シャル、風邪を引いては困る。屋敷に戻ろう」
「……はい」
シャーロットは夫に身を任せて安堵の溜め息をつき、ポツリと呟く。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
「君が謝る事はない。シャルは十分に注意した。相手が女性一人なら、自分をどうこうできると思わないだろうしな。……戦が終わって一年が経っても、いまだ我が国に敵意を持つ者がいるのは分かっている。……とはいえ、こうなると予想できなかった私にも落ち度がある」
「そんな……」
シャーロットは反論しかけたが、ギルバートによって馬車に乗せられる。
「今夜はもう、余計な事は考えなくていい。ゆっくり休みなさい」
シャーロットが命を落とす危機に面していた時、王宮ではいまだ王侯貴族がダンスやゲームに興じているのだろう。
雨が降りしきる夜、一つの騒動が終わりを迎えようとしていた。
**
「こんなに痕がついて可哀想に」
二月宮に戻ったシャーロットは湯船に入れられ、背後からギルバートに抱き締められて手首をさすられていた。
「大丈夫です。見た目ほど痛くありませんから」
「君の肌に縄目を覚えさせるのは、私だと思っていたのに……」
緊縛プレイというものを知らないシャーロットは、夫が何を言っているか理解できていない。
「怖かっただろう、シャル」
ギルバートはそう囁き、妻の細い手首や頬に口づけする。
「必ずギル様が助けに来てくださると、信じていましたから」
シャーロットは甘やかしてくれる夫に微笑み、愛しげに彼の髪を撫でる。
「もう二度とこんな事が起こらないように、今後夜会に参加しても早めに帰ろう」
「いけません。〝英雄〟とお話ししたがる方は大勢いらっしゃるのですから」
宥めるように笑うと、ギルバートは溜息をつく。
「……君は年齢の割に、物わかりが良すぎだ。もっと我が儘になり、甘えなさい」
「ちゃんと甘えていますよ?」
シャーロットは夫の胸板に背中を預けて言う。
「……ここは、痛むのか?」
ギルバートは優しく妻の体を反転し、浴槽の縁に押しつける。
目を瞬かせると、彼は胸の谷間につけられた小さな傷を悲しそうに見ていた。
切っ先が引っかかった程度の傷なので、もう血は止まっているし、固まった血がちょんと黒子のようについているだけだ。
「もう、血を見ても何とも思わなくなったのに、君が血を流したと思うだけで、どうにかなりそうだった」
ギルバートは眉間に皺を寄せて小さく呟くと、妻の傷を舐め始めた。
「っあ……」
チリッとした微かな痛みを感じたシャーロットは、かぼそい声を上げる。
夫はひとしきり妻の傷を舐めたあと、それでも気が収まらないというように溜め息をつく。
自責の念に駆られているだろう夫に、シャーロットは尋ねる。
「……ギル様は人に憎まれる事に慣れてしまったのですか?」
それにギルバートは淡々と答える。
「人にどう思われるかなど、とうに気にしなくなった。昔、父に『人を一人殺せば、その者の人生を背負う事になる』と教えられた。父は『この体は無数の屍でできている』とも言っていたな」
普通の貴族なら、父が子に教える事ではないだろう。
軍に関わるブラッドワース家だからこそ、グローヴはいずれ息子が自分と同じ役職に就く事を想像し、そう言い聞かせていたのかもしれない。
自分のような普通の貴族は、彼らや騎士たちに守られて、王都で平和な生活を送る事ができているのだと思い知った。
ギルバートはなおも言う。
「私も戦場に出るようになったあと、五十人ぐらいまでは殺した人数を数えていた。しかし殺せば殺すほど、死者の数は意味をなさなくなっていった。やがて何人殺してもなんとも思わなくなり、庭の雑草を抜けと言うような感覚で部下に人殺しを命じた。……覚悟を持ち、相手の人生に敬意を払って剣を振るっていたはずが、気がつけば死という大きな穴に次々と人を放り込んでいた。私にとって殺しは作業になってしまった。……だから人が私を〝死神〟と言って恐れるのは間違いではないと思っている」
ギルバートの言葉を聞いたシャーロットは、夫になんと声を掛けるべきか分からず、黙っていた。
もしも夫が傷ついているなら慰めてあげたい。
だがギルバートは自分が傷ついている、とは思っていないのだろう。
彼は仕事として戦場に向かって、多くの人を殺した。
それを「可哀想」というのは、夫を侮辱する事にも繋がる。
(でも、ギル様に何かしてあげたい)
心の中で呟いたシャーロットは、自分の言葉が見当違いである覚悟を持った上で尋ねた。
「私にできる事はありますか? 国のために身を捧げたギル様を、妻として癒やして差し上げたいのです」
ギルバートはそう尋ねた妻が泣きそうな表情になっているのを見て、自分の生き方や考え方が彼女を傷つけているのだと理解した。
だが過去は変えようがないし、心の在り方、感じ方もすぐには変えられない。




