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死神元帥に嫁いだ伯爵令嬢ですが、思いのほか溺愛されています  作者: 臣 桜


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十月堂事件

 父のアレクシスに連れられて王宮を訪れたシャーロットは、用事が終わったあとに父と共に美しい庭園を歩いていた。


 その時、ビュウッと強い風が、庭園を吹き抜けていく。


「あ……っ」


 とっさに髪を押さえたシャーロットは、どこからか風に飛ばされた紙がヒラヒラと舞っているのを目にした。


 誰かの落とし物かもしれないと思った彼女は、とっさに紙を両手で挟んだ。


「どうした?」


「お父様、今の風でこれが……」


 美しいシルバーブロンドに、エメラルドグリーンの目を持つ少女はそう言い、不思議そうな顔で何の書類かを確かめようとする。


 その時――。


「すまない、それは私のものだ」


 彼女が書類を確認する前に、低く艶やかな声が父子の耳に届いた。


 その声を聞いただけで、父が緊張した。


 こちらに急ぎ足でやってくるのは、美しい濡れ羽色の髪を持つ、金色の目の男性だ。


 彼は黒い軍服に長身を包み、腰には剣を下げている。


 父は男性を知っているようだが、十五歳のシャーロットは〝彼〟が何者なのか知らない。


「強い風でしたものね。はい、どうぞ」


 彼女は微笑み、白い手袋を嵌めた手で書類を手渡す。


「……大事な物なので礼を言う」


 金色の目に魅入られたシャーロットは、思った事を正直に口にした。


「綺麗な目の色ですね」


「……そうか?」


 男性は意外そうに瞠目し、聞き返す。


「はい。時々うちの庭に紛れ込む、黒猫のようです」


 少女が無邪気に微笑むと、父が低い声でたしなめた。


「これ。失礼な事を言うのはやめなさい」


「……はい、すみません。お父様」


 シャーロットが謝ると、父は胸に手を当てて男性に礼をした。


「閣下、無礼な娘をどうぞお許しください」


 父の態度を見て、どうやら自分が高貴な方に不躾な事を言ってしまったと理解した少女は、慌てて父に倣ってカーテシーした。


「……いや、構わない。書類を拾ってもらって助かった。……では」


〝彼〟は高貴な身分なのだろうが、とても温厚で人の良さそうな男性に思えた。


 父が必要以上に怯えた様子を見せるのに対し、男性は穏やかな声で答えたあと立ち去っていく。


 父がここまでへりくだるなら、機嫌を損なったらまずい相手、もしくは畏れられている人と思うのが自然なのだろう。


 しばらくしたあと、父が溜め息をついて頭を上げたので、彼女もそれに倣う。


「……お父様、今の方は?」


 好奇心を隠さずに尋ねると、父は複雑な表情をして顔を左右に振った。


「お前は知らなくていい」


「……はい」


(〝大人の事情〟なのね)


 そう理解したシャーロットは、父を困らせたくないので、それ以上質問するのを控えた。


 そのあともさりげなく男性を探したが、もう見つからなかった。


(素敵な人だったわ。……またどこかで会えたらいいな)


 そんな期待を抱きながら、シャーロットは父と一緒に庭園を歩いた。




**




 エルフィンストーン王国が長きに渡る領土争いを終え、隣国のアルトドルファー王国との調印式に至ったのは初夏だった。


 両国とも王都は国の中ほどにあり、領土争いの原因となったのは、それぞれの南端と北端の境界にあるルッツ川だ。


 ただの川なら問題ないが、その川で砂金が採れると言えば両者とも譲れない。


 十年以上続いたその争いは、エルフィンストーン王国の王女がアルトドルファー王国に嫁ぐ事によって解決した。


 和平の条件として、エルフィンストーン王国の関税を低くする事、その他にも色々とアルトドルファー王国への配慮を求められ、それに応じる形となった。


 アルトドルファー王国は王位継承権争いで内乱が起こりかけていたので、彼の国としても丁度いい幕引きだったのだろう。


 その内乱というのも、病気で退位間際の国王のあとを継ぐ王太子がいるというのに、異母弟の第一王子を推す一派がいて、誰が次の国王となるか争っていたそうだ。


 結局、和平の条件としてエルフィンストーン王国の王女が、アルトドルファー王国の王太子に嫁いだ事で、内乱も一応落ち着いた形になっている。


 政略結婚をする事により、「貴国の大切な姫君を迎えるので、我が国には攻撃しないでほしい」という意思表示だ。


 何よりアルトドルファー王国としても、〝不死の軍団〟と呼ばれて恐れられる、〝死神元帥ギルバート〟率いる強力な軍を敵に回すのはこりごりだったのだろう。




**




 調印式は、エルフィンストーン王国の王都で行われた。


 アルトドルファー王国の王族や貴族たちは貴賓として迎えられ、王都には両国の国旗が交互に掲げられている。


 王宮の敷地内にある十月堂が調印式の場となり、両国の王侯貴族が身守るなか、国王たちがサインをする手はずとなっていた。


 十月堂は、豊穣の女神を祭るための記念館だ。


 円形になった建物のすり鉢状になったベンチに参列客が座り、中央のステージで両国の国王が挨拶を交わす。


 そして立会人となる司教が、誓約書を読み上げようとした時――。


「アルトドルファー王国に栄光あれ!」


 突如として男の声がしたと思うと、ステージを取り囲んでいる騎士たちの間から、一人が剣を抜いて躍り出た。


「きゃあっ!」と女性の悲鳴を上がり、両国の騎士たちが動く。


 最初に行動を起こしたのは、最前列にいる黒い軍服を身に纏った、エルフィンストーン王国の元帥ギルバートだった。


 彼は電光石火で抜剣すると、国王に切り掛かろうとした騎士と切り結ぶ。


 騎士は若い青年だった。


 まだ少年の面差しが見え隠れする彼は、顔を蒼白にして歯を食いしばっている。


 顔も汗だくで、この凶行を引き起こすまで酷い緊張に見舞われていたのが窺えた。


 素晴らしい反射神経で青年の剣を受けたギルバートは、まったく動揺せず告げる。


「退け。今ならまだ重罰で済む。神聖な調印式で血が流れれば、再び戦争が起こりかねない」


「……っ、俺には後がないんだ……っ」


 だが青年はギルバートにしか聞こえない声で言ったあと、腹の底から声を絞り出し、二撃、三撃と猛攻を始める。


 しかし歴戦の元帥と子供に近い彼とでは、実力の差がありすぎる。


 ギルバートは難なく青年の剣を受け流し、さらに質問した。


「何者かに唆されたのか」


「お前には――、関係ないっ」


 青年は後戻りのできない目をしている。


 だからこそ彼は場がどこであれ、相手が悪名を轟かす〝死神元帥〟であっても、捨て身の攻撃を仕掛けるしかないのだ。


 反撃して命を奪うなら簡単だが、ここは神聖な調印式の場だ。


 豊穣の女神の腕の中で血を流す訳にいかないし、青年がなぜこのような行動を起こしたのか、きちんと取り調べる必要がある。


 瞬時に判断したギルバートは、腰の後ろに装備してある短剣を抜き、両手剣で青年の相手をし始めた。


 長剣で相手の剣をいなし、短剣で急所を突く戦い方は、ギルバートならではの戦い方だ。


 彼は通常なら両手で使う剣を、片手で扱う膂力と技術を持っている。


「く……っ」


 すぐに劣勢となった騎士は、死に物狂いで反撃し――。


「うわああぁぁっ!!」


 渾身の一撃と言わんばかりに、捨て身で突いてくる。


 ギルバートは難なくそれを長剣で払った。


 ――はずが、勢いを殺しきれなかった剣の切っ先が、彼の顔を傷つける。


「きゃあぁっ!」


 絹を裂くような女性の悲鳴が響き、床に鮮血が滴った。


「あ……っ」


 国王を暗殺する覚悟を持っていたはずなのに、青年はギルバートを傷つけた事に動揺し、固まった。


「捕らえろ!」


 ギルバートは左目からボトボトと大量に血が流れるのを押さえ、冷静に指示を出す。


 すぐに周囲で剣を構えていた騎士たちが、青年を取り押さえた。


「嫌だぁっ! 俺は……っ」


 騎士は悲痛な声を上げて抵抗するが、圧倒的な数を前に抗う事もできない。


 捕らえられた騎士は十月堂から連れ出され、場は騒然とする。


 よもや調印式でアルトドルファー王国の騎士が反乱を起こすと思わず、両国の国王も気まずい顔をしていた。


「一旦、調印式を取りやめますか?」


 避難していた司祭が国王たちに尋ねた時、ギルバートの凜とした声がする。


「お待ちいただけますか」


 混乱し、淀んでいた空気を裂くような声がし、皆が彼を見る。


 ギルバートは国王たちの前に膝をつき、流れる血をそのままに深くこうべを垂れる。


「一瞬の出来事だったが、よく止めてくれた。そなたの主張を聞こう」


 国王に発言を許されたギルバートは、「はっ」と返事をしたあと、顔を上げてその場にいる全員に訴えた。


「此度の調印式は、誰よりも両国の民が切望しておりました。戦争が終われば民は本来の生活に戻り、騎士たちも家族のもとへ帰れます。その調印式でこのような不手際が起こった事、一国の軍を束ねる立場として深く反省し、責任を感じております。この事件が起こった事で、両国の方々も互いを疑っておいででしょう」


 静まりかえった十月堂にいる全員が、平和を守った英雄の言葉に耳を傾ける。


「しかしながら、片目を失った私の願いが叶うなら――。このまま調印式を進め、両国の平和とさらなる繁栄を望みたく思います」


 皆が不安を抱いていたなか、ギルバートが示した〝結論〟は全員を安心させた。


 安堵した聴衆は「おおっ」とどよめき、拍手をする。


 十月堂に万雷の拍手が響く中、緊迫した表情をしていた国王たちも、雰囲気を柔らかくして微笑み合う。


「では、清掃の関係上、明日改めて調印式を執り行いましょう。アルトドルファー王国の皆様は貴賓館でゆっくりお休みください。……ギルバート、お前は両国の平和を守った英雄だ。感謝する」


 国王にねぎらわれ、彼は胸に手を当てる。


「勿体ないお言葉です」


「早く傷を診てもらいなさい」


 国王に言われ、ギルバートは部下たちに付き従われて十月堂をあとにした。






 翌日、調印式は無事に行われ、その事件を発端にギルバートは英雄と呼ばれるようになった。


 騒ぎを起こした青年騎士の名は、ベネディクト・フォン・バッハシュタイン。


 その名が機代の大罪人として広まる前に、彼は地下牢で毒薬を呷った。


 なぜあのような真似をしたのかという理由も明かされず、十月堂事件は一人の騎士の思想的な犯行となる――はずだった。




 だがその謎が紐解かれるのは、また別の話となる。




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