episode7「猫探し」
それは、初めての対人戦を終えて今後の予定を考えている時だった。
「そういえばポッポくん、さっきの戦いでどうして”組み込みコマンド”を使わなかったの? ”組み込みコマンド”を使ってたらワンチャン私に勝てたかもしれないのに」
エックス・ワールドにはユーザー固有に与えられる”オリジナル・コマンド”と全員が共通して使うことができる”組み込みコマンド”の2種類がある。
”組み込みコマンド”の中には、指定した地点に瞬間移動することができる”cdコマンド”や、同じコマンドを自動で何度も発動できる”forコマンド”があり、使い方によっては”オリジナル・コマンド”に引けを取らないポテンシャルを発揮することができる。
僕も知識として知っていたが……
「座標系とか正規表現とかまだ覚えられなくて……」
組み込みコマンドの中には複雑なオプションを持つものがある。例えば、瞬間移動できるcdコマンドは、オプションに”座標系”というエックス・ワールド内での座標を指定しないといけない。繰り返すことができるforコマンドも、”正規表現”という何回繰り返すかを表す記法を覚えないといけない。
どれもslコマンドのオプションでは使わないので、僕は覚えることを後回しにしていた。
「そこをムーブさんにお願いしたいんです」スーが言った。
「車掌さんはまだ組み込みコマンドの使い方が十分ではありません。例えば、どのタイミングでcdコマンドを、どの座標系で設定するのか。そのような見識は私よりも前線に多く出ているムーブさんが適任だと思ってお呼びしたのです」
彼女は「なるほど〜」と腕を組んで考え始めた。
「座標の設定の仕方ね〜……。それは、ほら。アレだよ、アレ……」
眉を顰めること数十秒。彼女は腕を解いて、野球のバットを構えるふりをした。
「来た球を打つ、みたいな!」
バッティングのジェスチャーを繰り返すムーブ先輩を見て、僕とスーは同時に顔を歪めた。
これはエックス・ワールド初心者の僕でもわかる。
「ムーブさん……。もしかして、あまり考えずにコマンド使ってます?」
衝撃の事実!
ムーブ先輩は感覚派!
指摘された先輩ははにかんで見せた。
「いやぁ、私って昔からなんでもできるタイプでさ……。コマンドも一度教わったら、あとはなんとなくでうまくできちゃうんだよね〜」
そういえば、さっきも「これくらいかな?」とか言ってたな。
ブロンドのショートヘアを撫でるムーブ先輩に対して、スーはあからさまに肩を落としていた。
「オプションに座標系や正規表現を使うから適役だと思ったのですが……」
どうやら、彼女にはムーブ先輩を選んだそれなりの理由があったらしい。
「あっ、でも!」
挽回するように先輩が口を開く。
「私よりもキャットさんの方が詳しいと思うよ」
「キャットさん?」
「そう。たぶん、デビアンの中で一番”組み込みコマンド”を使いこなしてるんじゃないかな? 今日来てるといいけど……」
彼女はディスコードの画面を表示させた。エックス・ワールドはディスコードと連携させることができ、ゲーム内での通話や、ログイン情報の確認はディスコード経由で行うことができる。
ユーザー検索で「キャット」と検索してみると、緑色のオンライン表示になっていた。
「やった、来てる!」
先輩は嬉しそうにガッツポーズした。
「珍しいんですか?」
「リアルが忙しいからね〜。多くて週に2、3回しか来ないんだよ」
そうして、僕らはキャットさんと連絡をとって会う約束を取り付けた。
— — —
待ち合わせ場所はlibエリア。迷路のような図書館のエリアだった。本棚が左右に、そして上下に入り組みながら広がっており、cdコマンドを使わなければ迷ってしまいそうだった。
「お待たせしたにゃ〜」
一声聞いただけでわかった。猫撫で声と語尾に「にゃ」。間違いなくキャットさんだ。
「あっ、キャットさん。こっちこっち」
ムーブ先輩が手を振った方をみると、「ザ・陽キャ」とも呼ぶべきルックスの女性がやってきた。
オレンジ色のロングヘアーに猫耳のカチューシャ。ムーブ先輩と同じく引き締まった体には、黒と橙のレオタードを身につけ、白のオーバーサイズのフードを羽織っていた。腰からは猫の尻尾が伸びていて、下には網タイツ型のニーハイソックスに黒のサンダルヒールのみ。
ムーブ先輩の言葉が蘇る。
『私よりも際どい格好してる人なんて山ほどいるよ』
先輩の言ってたことは本当なんだと思うと同時に、さっきみたいに取り乱さないようにしようと僕は決心した。
「おぉ、これが噂の新人くんにゃね〜」
キャットさんは僕の前に来た。高級そうな香水の匂いが鼻腔をくすぐる。女性耐性ゼロの僕の心は、さっそく揺らぎ始めた。
「よ、よろしくお願いします」
なんとか声を出すと、さらなる”厄災”が訪れた。
「にゃ〜、カワイイ〜>< 年下男子にゃ〜」
なんと、キャットさんは僕のことを抱きしめたんだ。しかも、体が密着するほどの本格的なハグ。顔にん彼女の胸がムギュッと押し当てられる。
数秒前の僕の決心は脆くも崩れ去ってしまった。
「キャットさん、それ以上はダメです!」
あと1カウントでノックダウンしてしまいそうなところで、スー審判員が止めに入った。二人の間に割って入る彼女の頬は膨れていた。
「これ以上のボディタッチは児童ポルノ法違反になりますよ!」
「相変わらず固いにゃね〜。それだと、一生彼氏できないにゃよ」
スーの目が細くなる。
「あなたには関係ありません。それよりも、早く組み込みコマンドについて教えてください」
キャットさんは困った笑みを浮かべた。
「そんなこと言われても〜。車掌くんがどれくらい組み込みコマンドについて知ってるか分からないにゃ〜」
すると、何かを思いついたかのように目を見開いた。
……嫌な予感。
「そうにゃ! これからボクと模擬戦闘やってみないかにゃ? もし君が勝てたらボクのことを……」
……もう結構です。