episode5「IKIJIBIKI」
今の僕の呼び方からして勝敗は予想できてるかもしれないけど、語らせてくれ。初めての対人戦だったんだ。
でも、そのシチュエーションは多くのエックス・ワールドプレイヤーとは違っていたはずだ。
敵は同年代の異性で、勝ったらなんでもいう通りにするという。僕の妄想機関車は合図を待たずに猛烈発進してしまった。
体のラインがハッキリした黒のラバースーツに包まれた肢体。腰部の湾曲に沿った胸には実り始めた桃が……
やめよう。これ以上は。
けど、当時の僕は非難されても仕方ないくらい彼女の体を観察していた。スーツの下にあるものを見ようとするくらい凝視していた。”戦闘”の2文字なんてすっぽり抜けてしまっていた。
一方、ムーブ先輩は——
「`mv [~ ~ ~-5]/Glock_19C.obj ./`」
とコマンドを唱えて5メートル先に落ちていたハンドガンを右手に移動させると————
銃口を僕に向けた。
彼女の体を見つめていた僕が銃の存在に気づいたのは、コマンドが発動してから1秒後だった。
真っ黒な、全てを飲み込んでしまいそうな銃口。
僕は初めて”死”を実感した。熱いものが波を引いていくみたいに体から抜けていく。
(動かないと)と思った直後、
銃声が鳴った。
エックス・ワールドの物理演算は正確だ。トリガーを引いてから銃弾が発射され、命中するまでタイムラグが存在する。
そのわずかな時間で僕の体は右に動いていた。左頬に何かが掠める感触がして、気がついた時には銃口から硝煙が出ていた。
左頬に痛みを感じる。触ってみると、指先に青い光子が付着して消えていった。エックス・ワールドは仮想世界のゲームだから、出血することはない。けど、指についた青い光子はまるで血のようで、僕の心を凍りつかせた。
(今のは運だ……。もし、動くのが0.01秒でも遅かったら、銃弾は間違いなく頭部に命中していた!)
「君さあ、学校で女の子の友達いないでしょ」
顔を上げると、黒と白のプラグスーツに身を包んだ少女がいた。
彼女は笑みを浮かべていた。
「その目、ビンゴかな? わかるんだよね〜。自分で言うのもなんだけど、私ってリアルでもルックスいいからさ。男子にそういう視線を向けられるなんてしょっちゅうあって。まあ、別にそれはいいんだけど。忘れちゃいけないのは君————、ここ戦場だよ?」
僕は無意識に唾を飲み込んだ。彼女の発する”戦場”という言葉がとても重く感じた。
「エックス・ワールドにはどんな手段を使ってでも勝とうとしてくる人たちがいる。ぶっちゃけ、私よりも際どい格好してる人なんて山ほどいるよ。こんなので集中力欠いていたら——」
銃口がピタリと止まった。
直感した。
(……撃たれる!)
さっきと同じだった。体よ動けと思う頃には銃声が聞こえて、今度は肩を銃弾が掠める。ゲームの設定で痛覚はほとんど感じなかったけど、傷を負ったという事実が精神を揺さぶる。
僕は転がりそうになりながら走り出した。足跡を辿るように弾がコンクリートの床に穴を穿つ。
この時点で僕の頭に邪な思いは1ミリもなかった。考えていたのは1つだけ。
生き残る方法!
「`cd [~7 ~3 ~]`」
けれども打開策を思いつく前に、ムーブ先輩はコマンドを唱えて僕の前に瞬間移動した。
銃口がこちらを向く。
「これで終わ————」
「`sl`!!」
もう無我夢中だった。
反射的に僕はコマンドを詠唱する。
背後から黒い蒸気機関車が姿を現す。3メートルを超す鉄塊は、黒い煙を吐き出しながら線路のない空中を進んでいく。
ムーブ先輩は目を見開く。
「`cd [~10 ~10 ~10]`」
再び瞬間移動して列車を躱した。SLは直進し、鉄道ターミナルの屋根に衝突する。
映画でしか聞かない轟音。コンクリートが崩れる音や、金属が引き裂かれる音が重なって、機関車は直径5メートルの穴を形成した。
「ヒュ〜、これがslコマンドか! 思ったよりすごいね!」
ムーブ先輩が感嘆の声を上げている間に、僕は頭を回転させる。
でも、どうすればいいかわからない。野良のモンスターは次の動きを予測するのが簡単だった。なんたって、slコマンド1つで倒すことができた。
ところが、目の前にいる相手は生身だ。野良モンスターより100倍難しい。いや、それ以上かも。
(なにかいい作戦は……)
頑張って考えてもわからない。まるで地球を動かそうと地団駄している心地だった。
そのとき、右手に硬いものが触れた。アサルトライフルだ。
地球にヒビが入った気がした。
スーの言葉が蘇る。
『エックス・ワールドにはエリア内のランダムな場所に”オブジェクト”と呼ばれる武器がスポーンします。プレイヤーによっては、これらをうまく使って攻撃する人もいます』
オブジェクトは野良モンスター相手に使ったことがあったので、操作方法はわかっていた。
銃口を向ける。
先輩がこちらを振り向く。
でも————、遅い!
トリガーを引くまで、時間はかからなかった。